表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『O-286. 萩-マラトンの戦い劇(主役は小早川ミルティ)』  作者: 誘凪追々(いざなぎおいおい)
幕の一:O-283. 一年目の脱出
6/115

1-①の解説(地図あり)

<注意書き>

※この解説の回は、本文中に出て来る用語や、人名・地名などの説明、及び史実についての簡単な考察(素人レベルですが)と、どこからが物語りとしての脚色なのか等をなるべく明らかにするため、書き足したものです。細かい設定などについてご興味のある方には、より楽しんでいただければと思います。

 とはいえ、本文だけでも問題無く読み進めていただけるように書いているつもりですので、この解説の回を飛ばしていただいても、なんら問題ないと思います。


<幕の一:①「最後の宴に集う人々」の解説>



<登場人物リスト>


主役-ミルティアデス(小早川隆景)『三代目』  62才


長男-メティオコス(小早川秀秋)『四代目』  27才

後妻-ヘゲシピュレ(問田大方)『奥方』  37才

長女-エルピニケ(容光院)『お嬢さま』『お嬢さん』  19才

次男-キモン(小早川秀包)  17才

幼なじみ-エウティッポス(白井景俊)  17才


歴史家-ヘカタイオス(北畠親房)『爺さん』

助手-ヒッポダモス(藤堂高虎)『孤児』  17才


詩人-シモニデス(桃井幸若丸)

詩人の甥-バキュリデス(桃井弥次郎)

若い絵描き-ポリュグノトス(狩野永徳)


劇作家-プリュニコス(観阿弥)

俳優(合唱隊役)


他の客人たち

伝令

『歩兵長』

『騎兵長』






<地図a>

 この1-①「最後の宴に集う人々」に出て来る地名を書き込んだ地図です。


挿絵(By みてみん)




<全体、用語>

 この物語り劇では、古代ギリシャ世界の人名や地名を、それに近しいと思われる日本の人名や地名に当てはめて、文章中に添付することを試みています。古代ギリシャ世界は、日本人には馴染みが薄いため、その理解を助け、少しでも興味を引きたいと考えたためです。異世界のカタカナの人名や地名が、いきなり数十、数百と登場しても、きっと記憶も把握も覚束ないだろうと思われるからです。

 例えば、ミルティアデスには小早川隆景、テミストクレスには高杉晋作、アテナイ市には山口、ケルソネソスには津軽半島、といった具合にです。それらの表記方法は、人名、地名、その他の言葉などに応じて若干変えてありますが、読み進めていただければ次第に慣れてもらえるのではないかと思います。(人名は『ミルティアデス(小早川隆景)』、『テミストクレス(高杉晋作)』、地名は『山口-アテナイ市』、『津軽半島-ケルソネソス』、などのように。)

 これらが、古代ギリシャという異世界への理解を少しでも補助するものとならんことを願って。


※なお、これらは、古代ギリシャ世界へのイメージの補助としてそれに近しいと思う日本の人名や地名を仮に当てはめているだけですので、物語り劇の内容は古代ギリシャ世界の実在のそれのみを基にして話しを進めており、日本の人名や地名は基本的にほぼ関係ありません(なんとなく似ていますが)ので、悪しからず。




<地図b>

 古代ギリシャ世界の地図に、日本地図を東西反転させて重ねた地図です。九州から中国地方にかけてはほぼそのままですが、そこから先はかなり反り返るように変形してしまっています。四国などの位置もおかしいですが、日本の地名はだいたいこのような位置関係で古代ギリシャ世界の各々の地名に当てはめています。古代ギリシャの地名でピンと来なくても、それに添付された日本の地名を見れば、なんとなく位置関係が把握できることを期待して。

 ちなみに、学者さんの中にも、ギリシャと日本の地形はよく似ていると指摘する方がおられますが、さすがにその両者をきっちり当てはめようとすると、かなり歪みますね。けれど、おおまかに見れば、やはりこの両者は不思議とよく似ているのではと思います。


挿絵(By みてみん)




<ミルティアデス>

 この劇の主役に抜擢した『ミルティアデス(小早川隆景)』は、実在の人物であり、古代ギリシャ世界で最も有名な人物の一人なのですが、とはいえ、二千年以上も昔であるため、彼の人となりを伺うことのできる資料は、ごく僅かです。まとまった記述があるヘロドトス著『歴史』が残ったのは幸いでしたが、これを除くと数世紀後のプルタルコス著『対比英雄伝』などに散見される程度です。そのため、ミルティアデスやマラトンの戦いについて語るには、なるべく史実に沿うように努めたとしても、不明である部分を推定や想像でかなり補わなければならないのですが、この劇では物語りとしての肉付けはするにしても、確定している年代やエピソードは変えずに、そのまま使う方針です。(マラトンの戦いがあったのは紀元前490年であり、この劇が開幕するのはその三年前の紀元前493年です。)

 まず、主役-ミルティアデスの年齢ですが、他のほとんどの古代ギリシャ人と同じく、残念ながら彼も不分明なのですが、幸い、アテナイ市の筆頭アルコン(日本でいうところの総理大臣)の歴代リストを刻んだ碑文に、彼の名前が残っているため、その紀元前524/523年の時には彼が三十才以上であったろうという推定はできます。なぜなら、アテナイ市では、重たい公職に就くには三十才以上でなければならないという規定があったからです。だとすれば、マラトンの戦いがあった紀元前490年には、彼は64才以上であり、この劇が開幕する紀元前493年には61才以上であったはずなので、なかなかの高齢であったようです。(ただし、彼が筆頭アルコンになった時代に、絶対に三十才以上でなければならないという規定が既にあったかどうかは不明であるため、もう少しだけ若かった可能性が無いでもない。)

 以上の考察から、この劇では、ミルティアデスの産まれた年は紀元前555年とし、マラトンの戦いの時(紀元前490年)には65才であった、という設定にしました。




<ミルティアデスの家族たち>

 ミルティアデスは前妻との間に息子メティオコスを産んでおり、後妻であるヘゲシピュレとの間には娘エルピニケと息子キモンの二人を産んでいます。彼は僭主(独裁者)と呼ばれるほどの権力者であったから、他に女や子供が居たかもしれませんが、ヘロドトスなどの記録に残っているのはこの三人だけであるため、この劇ではこの三人の子供を長男、長女、次男に確定して話しを進めています。

 この中で、次男-キモンの年齢だけは、古代ギリシャ人にしては珍しくほぼ確定できます。というのも、彼は、他の市民から大いに期待されていて、重たい公職につける年齢になるやすぐに重要な役目を任されたというから、彼が初めてそうなった紀元前480年の秋頃こそ、彼が確実に三十歳になった時であろうから、それから逆算すると、彼が生まれたのはおそらく紀元前510年で、この劇が開幕した時(紀元前493年の夏)には、おそらく十六歳か十七歳であったと言えるでしょう。ということは、次男のキモンは、ミルティアデスがおそらく45才以上(この劇の設定では46才)で生んだ子なわけで、かなり高齢の時の子になりますが、これは、キモンの母親ヘゲシピュレが、ミルティアデスがケルソネソス半島に来た後に嫁いだ若い後妻だったからで、前妻との間の子である長男のメティオコスは、キモンよりずっと年上であったでしょう。(この劇では、キモンより十歳年上であったと設定。)

 なお、後妻のヘゲシピュレは、ミルティアデスがケルソネソス半島へやって来た紀元前516年頃から二年が経った紀元前514年頃に、16才ぐらいでミルティアデスに嫁入りしたという設定にしています。そして18才でエルピニケを産み、20才でキモンを産んだという設定にしました。(ちなみに、エルピニケはキモンの妹であったという説も一部にありますが、この劇では定説に従い、エルピニケは姉であり、キモンの二歳上であったと設定。)

 なお、プルタルコス著『対比英雄伝』によると、キモンとエルピニケは、おかしな噂がたつほど姉弟で親しく、とても仲が良かったといいます。そのため、この劇の中で、この二人がやたらと親しげなのは必ずしも劇中の創作ではなく、一応この記録に基づいています。


 最後に、キモンたちが客間で歴史家-ヘカタイオスに語ったミルティアデスについての小話は、日本の古い笑い話しをネタ元にした架空の作り話しです。キモンが語った小話は江戸時代の元禄期・貞享の頃に出版された『当世はなしの本』九、茶釜の中に化物の事、を参考にしたものであり、エルピニケが語った小話は、元禄期・延宝九年正月吉日に出版された『当世手打笑』第一目録・十二、脚絆をかたし履く事、を参考にしたものであり、ヘゲシピュレが語った小話は、笑い本や古典落語によくある泥棒話しもの、を参考にして作ったものです。これらは、名門貴族とされる彼らが口にする小話としては少々庶民的過ぎるようにも思えますが、客間でのくだけた世間話としてならありではないかと思い、使わせてもらいました。

 また、これらの小話でミルティアデスがかなりの大酒飲みのように語っていますが、実際にミルティアデスが大酒飲みであったという資料は無いようです。ただし息子のキモンは大酒飲みであったという資料がありますので、それが父親の真似であったとすれば、ミルティアデスもそうであったと設定してもおかしくないのではと思います。




<歴史家-ヘカタイオス>

 ヘカタイオスは、アジアのイオニア地方にあるミレトス市出身の歴史家として、とても有名な人物でした。彼はそれまでの歴史記述が、神話や伝説とたいして違いがないのを嫌い、もっと事実に基づいた冷静な歴史記述をしようと試みた先駆者であったとされます。おそらく地元のイオニア哲学からの影響もあって、歴史を荒唐無稽であやふやな神話や伝説から切り離し、事実を基にしたもっと理知的で常識的な記述を試みたくなったのでしょう。

 彼の著書『世界めぐり』や『ゲネアロギー(系譜)』などは他の学者や旅行者などにも重宝されたといいます。『世界めぐり』は同郷人アナクシマンドロスの世界地図を基礎に世界像を示したものであり、『ゲネアロギー(系譜)』はギリシャ古代に関する歴史作品であったといいます。もちろん同業者にも大いに影響を与え、彼に触発されたランプサコス出身のカローンなど他の研究家も各々のポリスの年代記を書き記しています。ハリカルナッソス出身のヘロドトス(歴史の父)もその著書『歴史』の中でヘカタイオスの名前をわざわざ明記して引用している箇所があるように、偉大なる先輩歴史家の著書を大いに参照させてもらっていたようです。


 ちなみに、ヘカタイオスの助手として劇に登場するヒッポダモスは、後に初の都市計画家として名をなす実在の人物ですが、彼がヘカタイオスの助手をしていたというのはあくまで劇の中での設定であり、実際のところは彼とヘカタイオスとの間に面識があったのかすら不明です。とはいえ、お互いミレトス市の出身であるため、親しい交友関係があったとしてもおかしくはないでしょう。特に後輩にあたるヒッポダモスのほうは、先輩ヘカタイオスの有名な著書のいくつかを読んでいたに違いないと思うのです。優れた都市計画をするには、歴史や地理を含めた幅広い知識の習得が必須であったろうと思われるからです。




<芸術家たち>

 宴の場面に登場した他の芸術家たちも、みな実在の、しかも有名な芸術家たちでした。特に詩人のシモニデスは当時のギリシャ世界で最も有名な詩人の一人でした。その甥のバキュリデスも、後に有名になりますが、この頃はまだそれほど知られていなかったかもしれません。若い絵描きのポリュグノトスも、この時はまだ駆け出しの無名だったでしょう。

 当時のエーゲ海では、芸術家たちの多くが各地の有力者を回って歓待を受けるという習慣が広く行われており、ケルソネソス半島の主であるミルティアデスの邸にもそうした有名無名の芸術家たちが数多く訪れていただろうと予想されます。ただし、シモニデスたちが本当に訪れていたかは不明ですので、この宴の様子はあくまで劇中での架空の場面です。ペルシャ軍が迫ってきているこの状況で、悠長に宴をやっていた可能性は低いかもしれませんし、そもそも彼らがミルティアデスと実際に親しかったかも不明です。

 若い絵描きのポリュグノトスは、のちにアテナイ市に依頼されて数々の重要な絵を描き、エルピニケとも大変親しかったという話しが残っていますが、このケルソネソス半島の時点でその二人が既に親しかったどうかは不明です。彼の故郷であるタソス島とは結構近いので、船で簡単に行き来できる距離ですが、まだ若くて修業の時期であったなら、自宅のアトリエに籠るか、もしくは先生のアトリエにでも通って、ひたすら絵を描いていたかもしれません。


 ちなみに、劇の中で詩人やその甥が自作の詩を披露していますが、それらはこの劇のために書き手が創作したもの、もしくは彼らの本物の詩の断片を日本語の詩っぽく修整を加えたものです。古代ギリシャの詩にも色々な種類の詩があり、各々に決まり事や独特な節回しがあるのですが、それらは古代ギリシャ語を基として美しく仕上げられたものなので、それをそのまま日本語に翻訳しても、当然ながら元の詩の魅力の半分も伝わらないことでしょう。そのため劇の中では、日本語の詩っぽく五七調にしたりしていますが、残念ながら書き手には詩の才能が大してあるわけでもないので、それらの詩が古代の大詩人の詩とはとても思えないほど不味い出来かもしれません。ですので、ご迷惑をおかけしますが、読み手の方々はそれらを大詩人の優れた詩だという態で読んでいただけると有り難いです。

 また、プリュニコスの劇『ミレトスの陥落』は実在した悲劇の一つなのですが、そのタイトルしか伝わっておらず、その内容や台詞は不明であるため、この物語り劇の中で役者たちが演じているのは、全くの架空のものですのであしからず。(とはいえ、日本人に馴染みのある平家物語の冒頭や、室町時代の流行歌を織り交ぜてみましたので、少しは想像のよすがにしてもらえると幸いです。)




<イオニア地方>

 歴史家-ヘカタイオスの出身地でもあるイオニア地方は、小アジア(現在のトルコ)の西海岸の真ん中辺りを指す地名であり、ヘロドトスによると、気候の点でも地味の点でもまことに恵まれた場所であったといいます。アテナイ市があるアッティカ地方とは、エーゲ海を挟んでちょうど向い岸(東)に位置しますが、ここにギリシャ人が住み着いたのは紀元前950年頃のことであったとされ、ミレトス市を始めとする12市が相次いで建設されました。言い伝えによると、ミレトス市を建国したのはギリシャ本土(バルカン半島の南端)のアッティカ地方からの移民であり、アテナイ市の中央公会堂にあるかまどの火を携え、それを植民先に移して代々受け継いでいたといいます。ミレトス人の伝承では、アテナイ王の息子がその植民団を率いて来たという事になっています。すなわちアテナイ市とミレトス市とは母市と植民市(子市)の関係にあり、お互いポリスは別になりましたが、後々まで親しい間柄を保ったようです。


 ちなみに、古代ギリシャ語にもいくつかの方言(ドーリス方言、アイオリス方言、イオニア方言、西北方言など)があったのですが、このイオニア地方とアッティカ地方は比較的似通った方言を話していおり、エーゲ海の島々(エウボイア島、キュクラデス諸島、カルキディケ半島、ケルソネソス半島など)と共に『イオニア方言』のグループに属していました。厳密に言うとイオニア地方とアッティカ地方では若干異なり、別のグループに区別されることもありますが、それは日本語でたとえるなら江戸弁と標準語の違いのようなものであったでしょうか。すなわち現在の標準語は明治政府によって江戸で話されていた言葉(特に山の手あたりの言葉)を基に整備されたものであるといいますが、イオニア地方もアッティカ地方その他からの雑多な移民たちがアッティカ方言を基にした自分たちの共通の言葉=イオニア方言を整備したものであるように思われるからです。

 そのため、この劇の登場人物には、アッティカ地方出身の者には江戸弁、イオニア地方及びエーゲ海の島々出身の者には標準語をしゃべらせています。(とはいえ江戸弁といっても山の手の言葉と下町の言葉、あるいは職業の違いによっても色々異なっていたように、アッティカ出身の者の言葉も階級や職業によって変えています。たとえば、上流階級などはほぼ標準語に近い上品めなしゃべり方にさせ、中流から下流階級には落語に出て来るような下町の江戸っ子っぽい言葉をしゃべらせるようにしました。)


 さて、イオニア地方はポリスを建設した後しばらくはギリシャ本土と同じく独立を謳歌していられたのですが、紀元前七世紀に強大なリュディア王国が出現し、サルディスを都にして小アジアの諸民族を次々に攻め従えていくと、イオニア地方もその従属下に組み込まれることとなりました。ただし、リュディアの王はギリシャ文化を愛好する者が相次いだため、イオニア地方のポリスたちは比較的軽い税を収めるだけで、自治を許されていたようです。

 その状況が変わるのは、紀元前六世紀にペルシャ帝国が出現し、リュディア王国を攻め滅ぼしたために、今度はペルシャ帝国への服従を迫られた時です。ミレトス市は早めに従属を申し出たこともあって、同盟関係に近い比較的恵まれた待遇を享受していましたが、それでもイオニア人たちの中に、異民族に隷従することへの反発が徐々に高まり、ついに爆発したのが、紀元前500年(もしくは499年)から始まる『イオニアの反乱』であり、それは周囲の異民族も巻き込んで、およそ七年に及ぶ激戦となりました。しかしペルシャ軍の圧倒的な物量の前に、イオニア人は次第に劣勢に陥り、『イオニアの華』と讃えられた伝統あるミレトス市もついに陥落し、徹底的に破壊されたのでした。

 この劇が始まるのはその翌年(紀元前493年)のことであり、イオニア地方などのアジア大陸側の反乱を完全に鎮圧したペルシャ軍が、ヘレスポントス海峡を渡っていよいよヨーロッパ大陸側のケルソネソス半島などをいつ襲って来るかもしれないと緊迫している時なのでした。



<地図c>

 この頃(紀元前493年)のペルシャ帝国の版図を記した地図です。イオニアの反乱に参加した地域も示しておきました。この地図を見ると、ペルシャ帝国の国力は圧倒的であり、よくも反乱に立ち上がったものだと感じます。


挿絵(By みてみん)



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ