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『O-286. 萩-マラトンの戦い劇(主役は小早川ミルティ)』  作者: 誘凪追々(いざなぎおいおい)
幕の三:O-285. 三年目の鬱憤
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3-②の解説(地図あり)

※この解説の回は、本文中に出て来る用語や、人名・地名などの説明、及び史実についての簡単な考察(素人レベルですが)と、どこからが物語りとしての脚色なのか等をなるべく明らかにするため、書き足したものです。細かい設定などについてご興味のある方には、より楽しんでいただけるのではと思います。

 とはいえ、本文だけでも問題無く読み進めていただけるように書いているつもりですので、この解説の回を飛ばしていただいても、なんら問題ないと思います。


<幕の三:②「昼の松明に頼みごと」の解説>



<登場人物リスト>


主役-ミルティアデス(小早川隆景)『大将』『三代目』  64才

『歩兵長』 41才

『騎兵長』(手紙と回想) 42才


中堅市民a-アリステイデス(児玉源太郎)『正義の士』  33才

中堅市民b-テミストクレス(高杉晋作)『混血』  33才






<地図>

 この3-②「昼の松明に頼みごと」に出て来る地名などを書き込んだ地図です。(不明なところは推定で作製しています。)


挿絵(By みてみん)




<正義の士・アリステイデス>

 『正義の士』という作り話のような二つ名を持つアリステイデスは実在の人物であり、その清廉潔白な姿勢で若い頃からアテナイ市の政界で活躍していたようです。そして紀元前489年には筆頭アルコン(総理大臣)に選ばれることとなりますが、この劇の時点(紀元前491年)で、既にアルコンを経て元老院アレオパゴス議員の資格があったかどうかは不明です。

 彼がテミストクレスと若い頃から激しいライバル関係にあったというのは有名だったようで、プルタルコス著『対比英雄伝』にも数々の逸話が載せられています。その全てが実話では無いにしても、そういう関係であったのは、おそらく事実なのでしょう。

 劇の中では、テミストクレスとアリステイデスが同い年であり、訓練兵時代の同期であったという設定にしていますが、生まれた年が両者ともはっきりしないので、実際のところ、どちらが年上か、両者に年齢差があったか、などは不明です。一応、テミストクレスが生まれたのは紀元前524年頃とされているので、それが正しければこの時点(紀元前491年)で彼は三十三才ぐらいになり、アリステイデスもそれと同じか、近い年齢だったでしょう。アリステイデスのほうがもっと年上で先輩だったという説もありますが、テミストクレスはこの二年前(紀元前493/493年)に既に筆頭アルコン(総理大臣)に就任しているため、元老院アレオパゴス議員の資格も確実に持っていたはずであり、政治的な出世ではテミストクレスのほうが一歩先んじていたと言えそうです。


 劇の中で、この二人がスパルタ王への密使になったとか、ミルティアデスに紹介状の依頼をしに訪ねて来たとしていますが、それらはいずれも創作です。とはいえ、この前後に二人とも筆頭アルコンに選ばれるぐらいの重鎮政治家だったのですから、元老院で重要な意見を述べたり、重要な役目を任されたり、といったことは普通にあったでしょう。




<トラキア人との混血>

 劇の中で、テミストクレスが自分もトラキア人との混血であると語っていますが、これはプルタルコス著『対比英雄伝』に出て来る話しで、彼の母親の墓碑に「我はハブロトノン、トラキア生れの女なり。されど誇らん 我こそは、ギリシアびとのため、偉大なるテミストクレスを生みたりと。」と刻まれていたといいます。これが偽物でなければ、彼の出自は確定しますが、異説もあったようで、トラキア女ではなくカリア女のエウテルペであり、加えてカリア地方のハリカルナッソスで生まれた女だとの説も載せています。

 どちらの説を採るにせよ、テミストクレスが混血だったというのは確からしく、さらに本妻の子ではなく庶子であったとするならば、少々複雑な幼少期を過ごしたかもしれません。当時のアテナイ市は、父親がアテナイ市民であれば、母親の出自は問われなかったようですが、混血の子たちは、町の城門外にあるキュノサルゲスの体育場に所属させられ、そこで訓練しなければならなかったと言います。テミストクレスはそれが気に食わなくて、生まれの良い若者たちを何人か口説いてキュノサルゲスで一緒に汗を流させるようにし、いつしか「混血身分の者と生粋のアテナイ人との区別を撤廃させてしまった」という逸話を残しています。

 テミストクレスは、『正義の士』とは対照的に、汚い謀略でもためらわずに実行する凄腕の政治家としてアテナイ市を牛耳って行くこととなりますが、彼の生い立ちがそれに影響していたとするならば、なかなか興味深い話しです。


 ちなみに、彼らと同時代を生きた哲学者・クセノパネス(イオニア地方のコロポン市出身、紀元前565年頃~470年頃)は、ギリシャ人が神々のことを自分たちに似せて好き勝手に擬人化することを批判した流れで、「エチオピア人たちは、じぶんたちの神々が平たい鼻で、色が黒いと主張し、トラキア人たちは、じぶんたちの神々の目は青く、髪が赤いと主張している」(B十六)との言葉を残しているので、どうやらトラキア民族は目立って青い目をしていたようです。逆にギリシャ民族はさして青い目をしていなかったことになります。

 このため、トラキア人の血が混じったギリシャ人たちは、その瞳が青いか、もしくは普通のギリシャ人より薄い色の目をしていたかもしれません。母親がトラキア人であったというテミストクレスやキモンやエルピニケが、実際に何色の目をしていたかは不明ですが。


 あと、前にも書きましたが、劇の中で騎兵長がオロロス王のもとにお世話になっているという設定にしましたが、この頃までオロロス王が存命であったかどうかは全くのところ不明です。




<『島々』>

 ペルシャ帝国の大王ダレイオスは、前年に送り出した武将マルドニオスが指揮する遠征軍が目的を果たさず帰って来ると、今度は軍勢ではなく、外交使節をエーゲ海に送り込んできたそうです。そしてギリシャ本土の手前に浮かぶ『島々』を回らせ、帝国への服従を呼びかけました。

 ギリシャ人はこれらの『島々』をキュクラデス諸島と呼びましたが、これは『環(輪)』を意味するキュクロス(英語ではサイクル)からきているそうで、聖なるデロス島を中心に環のように島々が並んでいると考えたためです。この海域は小さな島々が程よく点在しているため、常にいくつかの島影を見ながら船を進める事が出来るので、進路に迷うことなく比較的安全に行き来できます。(今日でも、これら島々は夏のクルーズ観光の島として、とても人気があるようです。)

 大王ダレイオスが、これらの『島々』に外交使節を送り込んだのは、遠征方針の修整を思わせます。すなわち、帰国したマルドニオスの報告の影響か、エーゲ海の北側トラキア地方を通って陸路ギリシャ本土に至るのは大変なので、それよりもイオニア地方から海路西に向かい、直にアッティカ地方やエウボイア島に渡ったほうが楽であるため、次回の遠征軍はそのルートで行かせることに方針転換し、その通り道となる『島々』をまず先に従属させようと考えたのではないかというわけです。確かに、イオニア地方とアッティカ地方とを船で行き来するなら、風や波に問題なければ僅か数日でたどり着けるのであり、その間に浮かぶ『島々』が支配下に入っていれば、次回の遠征軍は海路を進んで、やすやすと任務を遂行できるでしょう。

 この『島々』には、ナクソス市やパロス市、メロス市、などなどの豊かだったり有名だったりする島のポリスがいくつもありますが、この時(紀元前491年)に、どの島がペルシャ人に従属することを認めたかは不明です。ヘロドトスは「島嶼に至っては使者の訪れたことごとくの島がその要求を容れたのである。」と記しており、翌年の事例も併せて考えるに、ごく一部の島(ナクソス島やデロス島)を除くほとんどが、従属を表明(「土と水」を差し出す)したのではないかと思われます。

 それに気を良くしたのか、あるいは当初の予定通りか、帝国の外交使節を乗せた船は、『島々』の向こうにあるギリシャ本土とその付属島にも、やって来たようです。具体的にどの地方とポリスを訪ねたのかは不明ですが、おそらくはほとんどを回り、その中にはアッティカ地方のすぐ南に浮かぶアイギナ島も含まれていました。




<アイギナ島>

 アイギナ島は、アテナイ市のすぐ南に浮かぶ小さな島(約85㎡)であり、かつてはアルゴス市に従属する弱小ポリスでしたが、その島という立地条件を活かして海に乗り出し、各地との交易を活発にし、精強な海軍を常備して、対岸のアテナイ市が無視できないほどの存在になりました。彼らはギリシャ本土では他に先駆けて硬貨コインを発行し、それをエーゲ海に流通させたため、海亀が刻印された彼らのアイギナ通貨は、他所のギリシャ人たちにもかなり重宝されたようです。

 アテナイ人にとっては、すぐ目の前にこのような連中が居るのは目障りであったようであり、古くから幾度も戦争をして、因縁の関係に陥っていたようです。アッティカ地方には有力な銀山があるため、アテナイ人も梟の刻印を施した貨幣を発行して、徐々にアイギナ貨幣を圧倒していきます(紀元前六世紀後半)が、古くから海軍国の伝統を誇るアイギナ島を攻略するのは至難の業であり、返り討ちに遭うのが関の山でした。

 そこで、ペルシャ人の脅威が現実のものとなったこの時(紀元前491年)に、スパルタ人の力を利用するという手を選択したのでしょう。ヘロドトスは「アテナイとしてはアイギナがペルシア王に屈服した真の狙いはアテナイであり、アイギナはペルシア王と組んでアテナイを攻める意図であると考えたからで、好い口実を得たことを喜び、スパルタと連絡をとりアイギナ人の行動はギリシアを裏切ったものであるとしてその罪をスパルタ人に訴えたのである。」と記しています。

 当時のスパルタ市は、ペロポネソス半島にあるポリスのほとんどを同盟という名の傘下に収め、それらの主導者として君臨していた(いわゆる『ペロポネソス同盟』)ため、ギリシャ本土に並ぶものなき強国として、自他ともに認める「ギリシャの警察官」のような存在でした。ただし、スパルタ市は、軍船をほとんど所有していないので、陸続きでない所にはあまり興味を示さないのですが、さすがにお膝元のペロポネソス半島のすぐ沖に浮かぶキュテラ島やアイギナ島は別だったのでしょう。アテナイ市からの訴えを受け入れて、アイギナ島へと王自ら赴くことになるのです。(劇の中では、それをアテナイ市・元老院の陰謀であるかのように描写しましたが、実際どうであったかは不明です。)




<スパルタ市の国制>

 ギリシャ世界にはポリスが無数にあったため、様々な個性を持つ制度のポリスがあったのですが、その中でもとりわけ注目の的だったのがスパルタ市でした。

 スパルタ市が創建されたのは、紀元前十世紀の頃と言いますので、この劇の時(紀元前491年頃)から五百年ばかし遡った辺りになります。その頃のギリシャ本土は、かつて各地にあったという国々が全て消え失せ、長い混乱状態が続いていました。弱い人々は安全な場所を求めて逃げ惑い、強い人々はそれらを追って奪うか、さもなくば支配者として君臨しました。

 『ドーリス人』と呼ばれる集団も、そうした強い人々であったと思われ、彼らは元々ギリシャ本土北西部のドーリス地方に暮らしていたそうですが、大挙してペロソネソス半島のほうに移住し、気に入った土地から先住民を追い出すか、もしくは農奴などにして支配するかしました。アルゴス市やスパルタ市はこのようにして出来上がった国らしく、そのためこれらのポリスはその領内にヘロットと呼ばれる奴隷(被支配者階級)を大勢抱えていました。彼らには当然参政権など与えられず、市民権は支配者階級たるスパルタ人のみに与えられていました。

 スパルタ人は最初、肥沃なラコニア地方を征服しましたが、それが完了すると、西隣りのメッセニア地方にも手を出しました。さらに元々は同族(ドーリス人)であったはずのアルゴス市とも戦い、彼らの支配地であったキュテラ島やキュヌリア地方を奪取しました。アルゴス市はフェイドン王の時(紀元前七世紀)にペロポネソス半島に覇を唱えたほどの強国でしたが、スパルタ市の台頭によって立場が逆転します。(劇の会話に出て来る『セペイアの戦い』も実際にあった戦いで、紀元前493年頃というのでイオニアの反乱でミレトス市が陥落したのとほぼ同じ時期だったようです。これに大敗したアルゴス市は完全にかつての力を失います。)

 しかし、スパルタ市も、領土が拡大すると、徐々に手に余るようになり、特にメッセニア地方の反乱には手を焼くこととなり、しばしば手酷い敗北も喫しています。このため、スパルタ市にはリュクルゴスという人物が現れ(紀元前八世紀?)、ポリスの制度と市民の慣習を、武力に特化したものへと根本的に大改革したのです。スパルタ市の領土は、九千(?)の区画に等分割され、それを市民に一つづつ所有させたため、スパルタ市民は皆平等の支配階級となり、誰もが田畑や奴隷を抱えて自らは働く必要が無くなり、ひたすら軍事方面にだけ時間と意識を向ける事が出来る身分となったわけです。この平等戦士階級たるスパルタ市民は、一生をポリスに捧げ、生まれてから死ぬまで軍事的鍛錬に精進することを当然のこととし、それを怠る者は容赦なく排除されました。まず、生まれた時に出来が悪いと見なされれば長老によって山に捨てられたと言いますし、子供の時から親元を離され、ほとんど裸であらゆる鍛錬を施されたと言います。民会に出席できる年齢も、他のポリスは普通二十歳からであるところを、スパルタ市は三十才からだったと言います。現在、過酷な指導方法のことを「スパルタ教育」と呼びますが、実際のスパルタはその呼び名以上の過酷なことを本当にしていたように思えます。(劇の中で、テミストクレスとアリステイデスが、ミルティアデスにスパルタ市の制度を色々説明していますが、それらは基本的に実際そうであったとされる事を語らせています。)

 この作り話かと思えるほどの徹底した尚武的制度を作り上げたのがリュクルゴスであり、改革後のスパルタ市がやがてギリシャ一の強国となり、ペロポネソス半島のみならずギリシャ本土全体にまで君臨するに及んで、この制度は好むと好まざるとに関わらず人々の注目の的となり、リュクルゴスの名も伝説的なまでに神格化され、その信奉者を各地に生み出すことになるのでした。

 プルタルコス著『対比英雄伝』によると、アテナイ市のアリステイデスもその一人だったと言います。もしかすると『正義の士』というのは、彼なりのスパルタイズム、リュクルゴスイズムだったのかもしれません。


 なお、劇の中では、ミルティアデスがスパルタのクレオメネス王と知り合いだったという設定になっていますが、実際にそうであったかは不明です。息子のキモンは親スパルタ派だったという話しもあるので、それが父親譲りだった可能性はあるかもしれません。




<主な引用・参考文献>


『歴史』ヘロドトス著、松平千秋訳、岩波文庫

『プルタルコス英雄伝』プルタルコス著、村川堅太郎編、ちくま文庫

『プルターク英雄伝』河野与一訳、岩波文庫

『古代ギリシア遺跡事典』周藤芳幸・澤田典子著、東京堂出版

『スパルタ史 紀元前950-192年』W.G.フォレスト著、丹藤浩二訳、淡水社

『西洋哲学史 古代から中世へ』熊野純彦、岩波新書

『ギリシア思想入門』岩田靖夫、東京大学出版界

『図説 ギリシア神話 [神々の世界]篇』松島道也、岡部綋三、ふくろうの本

『ギリシアローマ歴史地図』リチャード・J・A・タルバート編、野中夏実/小田謙爾訳、原書房

『地図で読む世界の歴史 古代ギリシア』ロバート・モアコット/桜井万里子=監修、青木桃子=訳、河出書房新社




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