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六、彼女の言葉(9)

「冒険者を続けるのはかまわない。でも、この塔にはもう関わらないで。あなたは二度と、ここに来てはいけない。バルバドもスキップも、あたしだって、冒険者になると決めた時から、いつかはこんな終わりが訪れるかもしれないと、覚悟して生きてきたわ。いつも危険と隣り合わせの生活だったけれど、あたしたちがモンスターを退治して、生まれ育った街の人やモンスターの脅威に怯えるしかない小さな村の人たちに笑顔を取り戻せることが出来たのは、かけがえのない財産だもの、後悔はないわ。

 でも、ジギー? あなただけは、あたしたちを助けようとして、命を粗末にしたりしないで。この塔は人間を超える存在の力によって造られている……。どうやったって抗いきれない力なの。だから……あたしたちの事は忘れて。忘れて、平穏に暮らして。それだけが、あたしの望み」

 エルエスは言い終えて、口を閉ざした。

 長い沈黙。

 きっと、返事を待っている。

 彼女は俺の言葉を待っているんだ。それはわかっているのに、声が出てこない。

 信じたくない現実を突きつけられて、喉に泥でも詰まってしまったかのように何も出ず、俺の体は動く事を頑なに拒否し続ける。

 もし声に出して、エルエスの言った事を受け容れてしまえば、否が応でも目の前で起こっている事を認めさせられてしまう。もしかすると全ては夢魔の仕業なのかもしれないという淡い期待も希望も、何もかも一切が砕けて失われてしまう。

 何も答えられず、立ち尽くしたままの俺。沈黙を破って彼女が語りだした。

 後にして思えば、長い沈黙に耐えられるほど彼女の心は強くなかったのだろう。なんでもいいから話して恐怖を紛らわしたかったのだ。

 エルエスの心情を察してやれなかった俺は、どうしようもないほどガキだった。

「今まで楽しかったわね。バルバドがジギーをあたしたちのパーティーに招待したんだったわ。それからというもの、スキップは相変わらず昼間は酒場に入り浸ってばかりいたけれど、旅の間はそれまでにも増してはしゃいでいたもの。バルバドは強力なライバルが現れたって、嬉しそうに話してた。彼に勝負を挑む人なんて、いなかったから。きっと、自分以上のファイターになるって、いつも言ってたわ。

 あたしはあたしで、ジギーの存在に救われた。幼い頃に生き別れになった弟が戻ってきたのかと思ったのよ実は。とてもよく似ているの、小さい時の面影しか覚えていないのだけれどね。日に日に強く成長していくあなたを見るのが、だんだんと楽しみになっていった。だけどね、本当は知っていたの。弟はもう、この世にはいないんだって。でもね、ジギーが来て本当にあたしたちのパーティーは明るくなった。みんな……みんな、あなたに救われていたの。これは本当よ?

 あたしなんか、少し前まではこのまま冒険者を続けていていいのかって、考えれば考えるほど苦しくなっていたの。毎日モンスターと戦って、いろんな人たちに感謝はされるけれど、自分の幸せはどこにあるんだろう、ずっとこのままでいいのかって。今からは考えられないでしょう? でも、今みたいに他人の幸せを自分自身の笑顔に変えることができるようになったのは、全部あなたのおかげよ。あなたの存在が、あたしを生まれ変わらせてくれたの。……ねぇ、どうしたの、ジギー?」

 問われて、だけど俺は言葉を返すことができなかった。

 いつもの俺が大好きな表情。微笑むエルエスの横顔。どこからどう見たって、今まさに石化が進行しているようには見えないんだ。

 けれど──

 だけれど、彼女はもうすぐ物言わぬ石の塊になってしまう。

 目をごしごしと擦って、耳をほっぺたを全身のいたるところをつねって、これは夢なのだと確認したかった。

 それなのに、まるで石に変わってしまったのは自分の体だと言わんばかりに、声も出ない。腕や脚の筋肉すら動こうとしない、指先一つピクリとすら動かすことができない。

 自分の体が、自分の物ではなくなったようだ。こんなにも、辛く苦しいことがあったなんて……。

 彼女が……エルエスが、これほどにも自分の中でかけがえのない存在になっていたのだと、たった今気付くなんて……俺って馬鹿だ。まだ淡い恋心だと思っていた。

 最期の瞬間まで覚えていたい。

 彼女の顔を、エメラルドグリーンに輝く瞳を、太陽の光に似た美しい髪を、艶やかな唇を。見るだけで心の内側からほんわかとして、ギュッと胸を鷲づかみにされてドキドキしてしまうような微笑を、何一つ洩らさず瞳の奥に彼女の全てを刻みつけておきたいのに……どうしてなのか周りがぼやけてはっきりしない。

「じぎぃ……?」

 どうして彼女たちなんだ。なんで俺じゃなかったんだ。

 なぜ彼らは石の塊なんかにならなくちゃいけない。この塔がその為に造られたって、そんなバカな話があるか!

 俺の中で何かが弾けた。

「……んだよ」

「えっ?」

 弾けた想いは心の中でどんどん膨れ上がっていく。

 止められない。止められるわけなんてない。

「どうして、どうしてそんな風に笑えるんだよ! どうして、どうしてこんな時に俺の事なんか心配するんだよ! 俺なんかッ、俺なんか何もできてない! バルバドもスキップもエルエスも、こんな目に遭ってるっていうのに、俺は何もできない、何もできないんだッ!

 忘れない……忘れる事なんて出来ないよ! 短い間でも、俺だってとても大切な時間だったんだ! 誰よりも大切な仲間だったんだッ! それなのに俺を置いてどこかへ行っちまうなんて、酷いよッ!」

 せき止められていた感情が、一気に溢れ出た。

 仲間だと思っていたのに。

 生きるのも死ぬのも一緒だと思っていたのに。

 どうして俺だけを置き去りにして、遠い所へ行ってしまうんだ。

 いっその事、俺も一緒に連れて行って欲しい。それなのに、足が動かない。全身が灼熱の炎にでもなったみたいに熱くなって、今にも全てを燃やし尽くしてしまいそうなほどなのに、動けない。

 俺だけでも無事に生きて戻る事。

 それが彼女の願い。

 ただそれだけが、俺の高ぶる激情を押し留めていた。

「ふふ……。

 おかしいわね。どうしてなのかしら、全然怖くないの。きっと、もうすぐあたしはさっきの広間にあったような石像になるっていうのに、ちっとも恐怖を感じない。多分、ジギー。あなただけでも石化を逃れることができたから」

 微笑んでいるはずのエルエスの顔が、涙で滲んでよく見えない。

 ピキッ──パキンッ。

「あっ……あぁ!」

 彼女の指から軽く微かな、けれどもよく響く音がしてリングが砕けた。


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