六、彼女の言葉(8)
耳に届いた彼女の声。拒絶の言葉、悲鳴にも似た響き。
背中をややこちら側に向けたエルエスの横顔がある。
表情はブロンドに見え隠れして、わからない。俺の歩みを制止する理由もわからない。でも、
(無事……だったんだ! エルエスはどうにもなってなかった!)
石化を免れたのは俺だけかと思った。
バルバドも、俺を突き飛ばしたほんの数秒もしないうちに、手の平を前に向けた格好のままで動かぬ人となった。宝箱を開けたスキップなどは、自分の身に何が起こったのかさえ、気付いた様子もなく石像と化している。
罠など無いと彼らは言った。
けれど、二人は揃って石の塊になってしまったのだ。宝箱に仕掛けられた罠は、彼らの技量を以ってしても取り除けなかった。
バルバドもスキップも石化してしまったのだとすると、間違いなくエルエスも同じような末路を辿っている……。そう思っていた。
けれど──彼女だけは助かったんだ!
三人の中でエルエスだけが魔力を持っていたからなのか、それとも別の要因なのかは知る術もない。
だけど……彼女だけでも無事でいてくれて、心より嬉しい。と同時に、それはまだ希望が残されているという事。
魔法を自在に操るウィザードのエルエスが一緒ならば、たとえ原因不明の魔法だとしても、活路は見出せる。まだ、石化してしまった二人を助け出すことができるかもしれないんだ!
「よかった……エルエス、キミは無事だったんだね。バルバドもスキップも、石になってしまった。一体、宝箱の中に何を見たっていうんだ?」
尋ねて、もう一度だけ足を踏み出そうとする。
「お願い、近寄らないで」
足を止める。
今度は静かに、だけどはっきりと、彼女は俺の接近を拒んだ。
「エルエス……?」
「もう止められないの。今こちら側に来たら、あなたまで巻き込んでしまう。全てが済むまでは、絶対に近づかないで」
「それってどういう──ッ?!」
冷静な彼女の台詞。
愕然としたのは、俺。切り立った崖の上から、奈落の底へと突き落とされたような感覚。
「いずれ石化は全身に回るわ。決して止められない」
彼女の足元。
クリーム色だったはずのブーツ。
露店で見つけて以来、エルエスが愛用していたお気に入りの靴の色が、見るだけで固さの感じられる石の色へと変わっていた。
「あたしたちは、もっと慎重になるべきだった。これは人智を超えた力。とてもあたしなんかが計れるような力じゃなかった。魔法という便利な力に溺れて、それ以外を考えようとしなかった、だから起こった必然。
頂上まで辿り着いて戻ってきた冒険者がいなかったのは、こういう事だったのね。みんな、この塔に奪われてしまった……。どんなに魔法を極めようと、抗うことの出来ない力というものは存在するんだわ」
そう、それは最高のウィザードと称された人物であったとしても、例外ではない。
彼女の横顔は、暗にそう語っていた。
「嘘……だろ? キミが石に変わってしまうだなんて……。今までどんな苦しい事だって、乗り越えてきたじゃないか! どうしてそんな諦めるような事を言うんだよ?! きっとこれだって、何か打開する方法があるはずだ! どこかにエルエスたちを救うヒントが」
「無駄よッ!
そう、無理なの。わかってしまったの、そんな事は不可能だって。
蓋を開いた瞬間にそれがわかったのよ、バルバドもスキップも。この塔は、その為に造られたのだから……。
あたしがまだこうしていられるのは、魔法のかかっている指輪の一つ一つが、複雑に作用し合って石化をくい止めているだけに過ぎないわ。でも、これも長くは続かない。いつかは、あたしも二人と同じ運命を辿る」
エルエスの細く白い指を見た。
防御魔法を使い失った分を除いて、九本の指にリングがはめられている。
「俺は……俺は一体どうすれば……」
声が震えた。
彼女が、エルエスが石に変わり果てていくのを、俺はただ見ていることしかできないのか。
何も考えることができない。頭が真っ白になる。
罠の類は今までスキップに任せっきりにしてきた。どんなに難解な罠であろうと、彼は解き明かしてきた。
けれど、スキップはもう声を発することもない。知恵を貸してくれる事は、もう無い。
魔法や古代遺跡にまつわる事、それらはエルエスを頼ってきた。でも、その彼女は己の身を蝕む石化を止められないのだと言う。
難しい事は二人に任せて、俺やバルバドはただ剣を振って、モンスターの相手だけをしていればいいのだと、微塵も疑わずにいた。
その結果がこれだ。
恋心を寄せるエルエスが窮地に立っているというのに、俺はなんにも出来ることがない。仲間を救う事すら出来ないじゃないか!
探索や謎解きなどを彼らに全て委ねるのではなく、もっと積極的に参加していれば、俺がもっとしっかりしていれば、この瞬間だって俺にも出来ることがあったのではないかッ?!
あまりの自分の不甲斐無さに、憤りさえ込み上げてくる。
「自分を責めないで、ジギー。これはなるべくしてなった事なの。誰が悪いんじゃない、この塔に足を踏み入れた時から決まっていた事なのよ」
エルエスの声は、覚悟を決めたような口調で言った。
(覚悟──?)
いや、違う!
死を受け容れようとする事が、覚悟や勇気だなんて訳があるはずない!
だって、俺たちはまだ人生の半分だって生きてやしないんだ。まだまだこれから楽しい事も嬉しい事も、たくさん待っているのに。
反対に、辛い事、苦しい事だって数限りなくあるだろう。でも、仲間がいるなら、どんな事だって乗り越えられる。
黒龍との死闘を経て、そう思えたんだ。それはきっと、俺一人だけの気持ちではなかったはずだ!
「お願いがあるの、ジギー。あたしたちの事は、忘れて」
唐突に放られたエルエスの声。
彼女の投じた言葉は、どんなに鋭利な刃物よりも深く、死刑宣告を受けたように俺の心に突き刺さった。