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五、呪文と消えゆく闇(9)

(ダメだ、傷一つ入っていない)

 ついさっきまでの研ぎ澄まされた感覚はどこへやら、再び身に纏う熱地獄。肺に満ちた高熱が頭のてっぺんまで駆け上がり、目の前がチカチカした。

 バルバドから借りたこの剣の威力をもってしても、この水晶を破壊することは不可能なのか?!

 揺るぎなく黒龍の額に鎮座する魔なる石が、そうだ、と答えたかのように無言で明かりを返した。

 この調子で何度剣を振り下ろしたところで、さっきのてごたえからして、奇跡でも起こらない限り、決定的なダメージを与えることはないかもしれない。

 どんなに優れた能力を持っている武器であったとしても、それを上回る硬度の防具で身を包んでいる相手には、よほどの戦闘技術で勝っていなければ、攻撃も無意味に等しい。

 ましてや、かたや冒険者になって間もないレベルが四しかない俺と、塔の守護者たるアウフ・ドラゴロスだ。その力の差は歴然、比較するべくもない。

 だけど俺はもう決めたんだ。

 たとえこの身が引き千切られようとも、剣を失い素手で戦うしかなくなったとしても、命が続く限り最期まで生き抜く努力をしようと。

 もう俺の体は俺だけのものじゃない。

 自分を信じてこの瞬間に繋げてくれた仲間たちの為にも、諦めるわけにはいかないんだ!

(何度だって剣を振ってやるさ! こうなったら根比べだ!)

 俺の命が尽きるのが先か、やつが倒れるのが先か。

「人間の力をなめるなよッ!」

 立ち上がり、腕を振り上げる!

 と、剣を斬りつける寸前で、目の前がナナメになった。

(そんなッ?! 俺の体よ、もう少しだけもってくれ……!)

 眩暈がして小刻みに全身が揺れる。

 ビキッ。

(な、なんの音……いや、そんなことよりも今俺が気絶してしまったら、誰がこいつを倒してくれるっていうんだよ! あとひと踏ん張りなのにッ!)

 俺の悲痛な叫びも、誰に届くわけもなく。

 だんだんと大きくなる揺れに、剣を黒龍の額に突き立てて体を乗せる。

「様子がおかしいぞ! ジギー、気をつけろ!」

 バルバドの声も遥か遠くから聞こえる。意識が途切れかけているのだ。

「旦那! 周りの炎が消えやがったぜ! こりゃ、どーゆーこった?!」

「わからん! だが無断はするな!」

 頭が揺さぶられる。極限の疲労から、体が睡眠を欲しているんだろう。

 それから一分と経っただろうか。

(…………?)

 変だ。

 いつまで待っても、眠りの間際に頭の中で渦巻くはずの暗雲が訪れない。揺れは一向に止む気配がないというのに。

 よくよく考えると、眠気すら全くない。

 ──と、耳鳴りがした。頭を振ってかき消そうとしても、執拗について回る。

 だけど、意識がはっきりしているなら、まだ好機は残っている。

 そう思い、俺は一歩踏み出した──。

「うわひゃあッ?!」

 水晶を目前にして、突然沈んだ俺の体。

 湖に薄く張った氷の膜の上を不用意に歩いたら、ズボッと右足が氷を突き破り、水面下に片足だけ落ちたときのよう。

 というか、ここってアウフ・ドラゴロスの額の上だぞ! 廃屋の床が抜けるのとはわけが違うんだ!

(なんだって、こんな……)

 ビキビキビキッッッ!

 俺が訝しげに視線を宙に這わせたのは、ほんの一瞬。

 それまで不動のままに妖しい光を発していた魔の水晶に、中心から八方へ向けて大きな亀裂が入っている。

 はたと気を巡らせると、揺れが治まっていた。

 アウフ・ドラゴロスの額に右足を突っ込んだままで、当の魔獣の様子を窺う。

(動きが止まっている。まるでエルエスが魔法でもかけたみたいに。でも彼女にはもうそんな魔力は残されていないはず。いやいや、それよりも! こいつ、微動だにしないぞ、これってまるで……)

 まるで巨大な蝉の抜け殻みたいだ。

 命そのものが、すでにここにあらずのよう。

「キャッ?! ジギー!」

 一旦落ち着いた鼓動が、エルエスの悲鳴で跳ね上がった。

「なんなのか見当もつかねーが、危険な臭いがしやがる! すぐにそこから離れろジギー!」

 言われて訳もわからず、上体をバタバタとさせる。

 だけど、黒龍の鱗と鱗の隙間に埋もれた右足は、なにかに圧迫されるようにギッチリと挟まって、どう足掻いても抜けやしない。

「む、無理だッ! 足が抜けないんだよぉ!」

「それなら、抜けるまで足掻け!」

 なんとも無茶な注文をつけるバルバド。

 足元は、焦れば焦るほど深みにはまる底なし沼のよう。

 左右に手を置いて、必死で黒龍の額を押す。びくともしない。

 なんでこんなことになったんだ?

 もし最初の一撃でアウフ・ドラゴロスが絶命していたんだとしたら、わざわざ追撃しようとして足を踏み出すことなんてなかったのに。

 てゆーか、どれだけ運が悪いんだ、俺って。

 されども、後悔先に立たず。

(こ、このぉ!)

 苦し紛れに天を仰ぐ。

 その時の瞳に映った光景の、なんと奇怪なことか。

 黒龍とその上にいる俺の周りを黒い板がいくつもぐるぐる回っていた。竜巻にさらわれた木の葉に似ている。

 板はそれぞれが互いに光線を発して、染料を垂らしたら水に滲んでいくように、光線を受けた板が文字へと変化していく。

 その黒い板はどこから来ているのかというと、どうやら黒龍の体から剥がれてきているようだった。俺の視界の届かない下の方から板が舞い上がっているのが見えた。

「うおっ?!」

 バリッと音がして、腕で自分の顔をガードすると、すぐ前にあった鱗が取れて、周りを巡る文字の螺旋へと加わっていく。

 やがて無数に集まった大小それぞれの文字が、俺とアウフ・ドラゴロスとをすっぽり球形に包み込んで動きが止む。

(なにが始まるっていうんだ?)

 埋まった右足はそのまま。

 もはや覚悟を決めるしかないと、俺は事の一切を見逃さないよう、しっかりと瞼を開いて文字たちを見つめる。

 これって古代文字?

 いやいや、無限通路で見たものとはなんだか違うみたいだ。

 古代文字はどことなく丸みを帯びた形をしているのに対して、ここで俺と黒龍を包囲しているものは、トゲトゲしい印象を感じる。

 それなら、と考えを巡らせるものの、魔法の専門家でない俺なんかにその正体がわかるはずもない。

 エルエスならば、この異様な文字たちが何者なのか解読できるのだろうか。後で聞いてみたいものだけど、果たして俺は無事で帰還することが可能か。

 不安が心を支配する。

 カッ!

 いきなり、八方に裂けている水晶が光った。

 浮かぶ文字郡目掛けて、白いものがいくつも水晶から伸びた。それは白蛇のうねり進む姿を彷彿とさせる。

 白蛇が空中の文字を次々と飲み込む。すると、文字たちが順に発光していく。

 そして全ての謎に満ちた文字が白に染まった時、事は唐突に起きた。

 音を立てて崩壊していく水晶。あっという間に塵となって消える。

 共鳴するように瞬く文字郡が三度目に光った刹那。

 広間一帯を一際大きな光で埋めて、パッといなくなった。

 ぐらりと傾く俺の体。

 身を預けていたはずの黒龍の巨体が、軋んだ音を立てて縦に横に数えきれないほどの亀裂が入ったかと思うと、一斉に弾け飛んだ!

「えっ? えっ? ……えぇぇぇぇぇぇッ?!」


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