四、閃く攻防戦(6)
* * *
瞼を開けると、目の前にはエルエスがいた。
「うなされていたけれど、大丈夫?」
状況に似つかわしくない、天使のような微笑。
俺の思考は、一旦停止する。
「エルエス……やつは?」
自分で言っていて、なんのことだかわからずに彼女を見る。
(やつ? やつって、誰だ?)
軽く記憶が飛んでいるようだ。今まで自分は何をしていたのか、それすら思い出せない。
「え? バルバドなら剣の手入れをしているわよ?」
「そ、そうなのか。剣の手入れねぇ」
ということは、やつを倒すことができたってことか。
俺が気絶している間だっていうのが、釈然としないけど、こうして日常を取り戻せたことは何より素晴らしいことなんだな。
窓の外でさえずる小鳥の歌を聴きながら、心からそう思った。
(っていうか、やつって、俺は誰のことを言ってるんだよ?)
思い出そうとすると、頭痛がする。ひどく痛い。
だけども、それと同時に胸の辺りがカッとなって熱くなってくる。
なにか大切なことを俺は忘れてないか?
「スキップなら、また酒場に行ったわよ。いやね、することないと昼間っから飲んだ暮れてばかりいて。ジギーはあんな大人になっちゃ、ダメよ?」
呆れたような、それでいて子供に言い聞かす母親のような表情で、エルエスが人差し指を立てて笑う。
普段なら、俺もつられて笑っているところだけど、なぜだか妙な胸騒ぎがして、俺は彼女に再び尋ねた。
「やつは、どうしたんだい? どうして俺たちは街に戻ってきたんだっけ」
記憶を失って自分は不安になっているのだ。
俺たちは、『あの』とてつもない敵を倒して、ここにいるのだ。気絶したままの俺は、きっとバルバドが背負って運んでくれたのだ。
きっとそう、きっとそう。
自分に言い聞かす。
それでも、不安は増すばかり。
誰かが自分を呼んでいるような気さえして、たまらず俺は身を起こして立ち上がった。
「ちょっと、出かけてくるよ」
エルエスに言って、部屋を出る。
彼女はずっと何も言わないで俺を見送った。
扉をくぐる前に振り返ると、少し悲しそうな顔をしていた。
外に出ると、宿の裏に繋いであった馬にまたがる。
行き先は、そうだな。
たまにはどこに行くでもなく、ぶらりと風に当たるのもいい。今日はとても清々しい風が吹く。
そう思って馬を走らせていたのだけど、どうしてか俺はまた誰かに自分の名を呼ばれた気がして、気がつくと草原にいた。
辺り一面、草以外は一切生えていない。高い空は濃い青がどこまでも広がっている。
そこで俺は、約束さえ交わしていない誰かの到着を待った。
待つことしばし。
吹き付ける風に瞼を閉じて、ゆっくりと開いた時。
(ああ、彼が……)
俺を呼ぶ声は、この人のだったのか。
どうして俺を呼んだの、あなたは一体誰なんですか。
矢継ぎ早に質問が浮かぶものの、うまく言葉にならない。
『……りないのです』
「えっ?」
今、なんて言った?
もう一度、耳をよくすませて彼の言葉を待つ。
『足りないのです。足りないのです』
何が?
言葉の意味が理解できず、短く尋ねる。
『足りないのです。足りないのです』
だけど、彼は念仏のように、ひたすら何度も繰り返すだけ。
それから何を聞こうとも、同じ台詞だけを続ける彼に、俺はほとほと困り果ててしまった。
どれほどの時間が経ったのか、いつまでもここにいても埒が明かないと、俺が馬の手綱を引こうとした時、
『しばらく預けてもらえませんか?』
背を向ける前に視界の隅に入った彼の口元は、ほくそ笑むように歪んでいた。
彼の表情が何を思っての事なのか。考える間もなく、
「お、おい! いきなりどうしたって言うんだよ?!」
俺の乗ってきた栗毛の馬が、突然気でも狂ったように暴れ出す。
「止まれ! 止まれって!」
手綱を引いて抑えようとするも、俺の制止など全く意に介さない。