三、魔獣の咆哮(8)
細くしなやかな指先が扉に触れる直前。ぴたりと手を止めたエルエス。
「どうした?」
ジッと扉を見つめたままの彼女に、たまらずバルバドが尋ねる。
「なんだか嫌な予感がするの」
手を引いて彼女が答える。
「予感って……。でも、ずっとこのまま指を咥えたまんまでいるってわけには、いかねーだろ?」
「スキップの言う通りだ。ウィザードのおまえがこの扉に不穏なものを感じると言うのなら、無理強いはせんが。そうなると、我々にはお手上げだぞ」
バルバドはそういうけど、魔力の感知に長けたエルエスが言うのならば、それを尊重したほうがいいんじゃないか?
「先に隠し扉でもないか確認してみたら?」
「それならそれでいいけどよー。どっちにしろ、避けては通れない問題だと思うぜ? 最終的には、この扉を通っていかなきゃなんねーわけだし。おめー、こんなだだっ広い部屋の何処にあるかもわかんねぇ隠し扉を探すにゃ、ちと時間がかかりすぎるぜ?」
さすがにそれは勘弁、と言うようにスキップは肩をすくめて辺りを見渡す。
「うーん。この広さだと四人がかりでも厳しいもんなぁ」
「だろ?」
それに、シーフの技能を持たない彼以外の三人では、見つけられるものも見つけられないかもしれない。
それどころか下手うって、隠されている罠にかかってしまっても困りものだ。
「じゃあ、壁画は?」
「見たとこ、手がかりになるようには思えねーな」
肩をすくめてスキップ。
「なら、しらみつぶしに壁を探ってみるか。もちろん全員でな」
諦めてバルバドが提案したけど、
「ううん。……そうよね、予感は予感ですもの、ただの勘違いかもしれないものね」
自分を納得させるように、エルエスは胸に手を当てて、何度も頷く。
「念の為、モンスターが現れてもいいように、心の準備だけはしとこうぜ、ジギー、バルバドの旦那」
「うむ」
「わかった」
俺とバルバドは、それぞれ手に武器を持って待機する。
「じゃぁ……いくわ」
腹は決まった。
蛇が出るか、それとも魔物が出るか。
どっちにしても、俺たちは協力しあって切り抜ける。
エルエスだって、きっと守ってみせる。
恐る恐る、出しかけた手を躊躇してから、エルエスの指先が扉に触れる。
「…………」
シーン。
何も起こらない。
身構えていた全身の力が抜ける気がした。
(いやいや、どんなときでも気を抜くなとバルバドに注意されたじゃないか)
そうとも、危険は予期しないところからやってくる。だからこそ、不幸な事故は絶えないんだ。
自分たちのレベルよりも難易度が低いはずのモンスターを討伐しに行って、戻ってこなかった冒険者だっている。
そうなってしまう原因は大抵、油断が招いたものなのだ。
冒険者にとって、一瞬の遅れが命取りになってしまうことは、誰でも心得ているはずなのに、気の緩みというものは、往々にして経験の足りない者ほど取り憑かれやすく出来ているんだ。
「気のせいだったみたい」
しばらくして、エルエスが言った。
はにかむ彼女に、俺たちはハァ〜〜と息を吐いた。
「何事もないのは良いことだ」
担いでいた大槌を床に下ろしてバルバドが口元を緩める。
「んで、何かわかったのかよ」
一刻も早く結果を知りたいと、スキップがエルエスを急かす。
「えっとね」
彼女の表情から察するに、思うような収穫は得られなかったということか?
と思ったのだが、
「今まで感じたことのないような魔力が」
(えっ……?)
そうじゃない。
エルエスの言葉で心乱されたわけじゃない。
ただ、再び視線を戻して見た扉が……真ん中にある太陽に似たシンボルが……。
カッ!
ほんのり明るくなって……。
そこまで俺が考える余裕すらなく。
鮮烈な光が一瞬にして俺の視界を白一色に変えた。
だけど、それは本当に一秒にも満たないほどの一瞬で。
きつくつむった瞼を開くと、白黒になった世界が視界に蘇る。
「なんだったんだ、今の閃光は」
バルバドの輪郭だけははっきりと見えた。
「今までにない魔力を感じたのよ! みんな気を付けて!」
ようやく目が慣れて、エルエスへと顔を向ける。
「うおおぉっ?!」
スキップがドスンと尻餅をついた。
扉に描いてあった無数の星々から、光線が一斉に天井目がけて走った。