三、魔獣の咆哮(2)
見えない手に招かれるように、不思議と俺たちの誰もが、一言も発せずに広間へ足を踏み入れていた。
大理石に似た、磨き上げられた鏡のような、照り返しを見せる地面を靴底で叩く。
カツン────カツン。
反響音が、一時の間を置いて返ってくる。
「広いな……こりゃまた」
ポツリ、つぶやいたスキップの独り言でさえ、いやにうるさく響いてしまう広さが、俺たちを飲み込んでしんとしていた。
満月の上半分を塔にすっぽりとかぶせたなら、あのようになるだろうか。
顎の先を上げて仰ぐと、白い満月を思い出してしまうような天蓋があった。
一分の隙もない完璧な円が遥か上にいる。
「三フロアほどの床と壁を、全てぶち抜いてとっぱらってしまえば、これくらいにはなるだろうな」
首をゆっくり回して、辺りを眺めながらバルバドが言った。
床と壁を壊して無くしてしまえば、なんて力自慢の彼ならではの発想だけど、本当にその通りだ。
外から眺めた限りじゃ、十階は下回らない高さでそびえる塔だったもんな。この広間にいると、一層その巨大さが感じられる。
「なんか像があるけど」
「ありゃぁ、何の像だ?」
俺が壁際を指すと、スキップが誰にともなく尋ねる。
「過去の偉人を象った像かしら? 少なくとも、ガーゴイルとかゴーレムの類ではないようね」
エルエスが記憶を手繰り寄せながら、といった様子で石像を見つめる。
彼女の言うように、姿形は明らかに人間のそれ。
石像に擬態して、冒険者たちが油断しているところをいきなり襲ってくる、ゴーレムやガーゴイルなどのようなモンスターではなさそうだ。
「よく見たら、壁一面に立っているぞ?」
思えばやけに石像の数が多い。四十かそこらはあるだろうか。
重厚な鎧に身を包んだ騎士、膝をついた格好の精悍な顔立ちをした青年、使い込んだ古そうな木の杖を手にしている魔法使いの姿もある。
遠目からまじまじと見つめていると、スキップの「それより、あれ!」との声がして、俺は反射的に振り向いた。
「すっげー、なんつぅ透明度と大きさなんだ?」
彼の声に反応したかのように、中空に佇むソレが一際大きく光を放った。
なぜ、あれほどの存在感を放っているというのに、俺たちはすぐに気がつくことができなかったのだろうか。
「あれほどのサイズと上質な輝き、まるで宝石の王様だな」
天蓋が描く円のちょうど中心あたり。
無数の極小さな面が隣り合って球体を描く、多面形の宝石。
硝子よりも透明で、水よりも澄み切っている。
それは、大人が二人掛りでようやく持ち上げられるくらいの、巨大な水晶だった。
「魔法で浮いているのかしら……」
ゆらりともしない水晶を見上げて、エルエスが呟く。
まるでそこに、見えない台座でも据えてあるかのように、水晶は不動のままにある。
彼女の表情は、その宙に浮かぶ様を、まるで魔法だけでは説明の付かない現象だと言わんばかりだ。
「できればあのお宝を頂きたいもんだけどな」
親指を咥えながらスキップ、どう足掻こうが届きそうにない水晶を、物欲しそうに見上げている。
「諦めるんだな。エルエスに魔法でも使ってもらえば手は届くかもしれんが、あれには関わらないほうが賢明だと、俺は思うがな」
「まーな」
あっさり切り捨てるバルバドに、これまたあっさりと諦めるスキップ。
彼らしくないと言えば、らしくないけど。
でも、俺にだってわかる。あれは俺たちが手を触れていいようなものじゃないんだ。
世の中には人間の力ではとても及びのつかないものがある。
地震や落雷などの自然現象。闇に蠢く存在。
他にも理屈では説明できない、神がかり的なことが山ほどあるけれど、
(きっと『あれ』は、そうなんだ)
なぜだかわからないけど、そうだ、と確信を持って言える。
だけど、
(俺はどうして、そうやって断言できる?)
あの水晶がどうして人間が手を出してはいけないものだと、俺は思ったんだ?
この塔は一体なんだ?
誰が、何の為に、何の得があってこの塔を建てた?
そういえばスキップも言っていた。この塔を造った人物は只者ではないと。
相当に名の知れた古代の大魔法使いなのか?
そもそも、本当に人間が造ったものなのだろうか?
(一介の人間がこんな塔を造れるとは思えない)
だとすれば──?
「四人揃って天井を見上げていてもラチがあかねーや。おっと、よく見れば真正面に扉があんじゃねーか。行ってみようぜ!」
ハッとしてスキップを見る。
「そうしましょう? ねぇ……どうしたの、ジギー?」
「い、いや、なんでもないよ。うん、早くお目当ての品物をもらって、こんな塔なんか降りたほうがいいと思う。あーあ、いい加減に温かいスープでも飲みたいや」
心配そうな顔をして覗き込んでくるエルエスに、俺はいつになく早口で返事をする。