2章11話『元蔭妖師《おんようし》の松山』
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外の世界八日目 昼頃 境界の山脈にて 蔭蔓
地図によれば、村のあるこの辺りは標高二〇〇メートルぐらいらしい。山の傾斜はなだらかだが村のある区域はさらに平らで、建物を囲むように畑や水田がある。畦道の随所に植えられた椿や梅などが美しく開花しており、村の背後には松や桜の混合林は広がっている。
一際目を引いたのは、樹木の樹皮一面に美しい灰緑色の地衣類が発達していることだ。それらが妙に鮮やかに輝いて見えて、幹全体が光って見える。いや、よく見ると本当に光っているものも多数存在する。
「失礼します、どなたかいらっしゃいますか……」
四人は村の隅に少し離れて建っているこし屋根の平屋に入った。玄関が開いていたので何となく入りやすかったのだ。しばらく石畳の上で待っていると、廊下の奥から誰かやってきた。
現れたのは茂蔓くらいの身長で、着物型白衣を着た男性だった。着物型白衣とは着物同様の襟で、両脇を紐でリボン結びすることにより着るタイプの白衣を言う。紐数が異なるが、帯を付けないで着た道着に少し近い。
やや長髪で、中央で別れた散切の前髪に、青髭。にもかかわらず、どことなく清潔感がある。年齢は、少なくとも身体的には三十代半ばと言ったところだろうか。
「こんにちは。お客様とは大変珍しいですね。恐れ入りますが、皆様どちらからお越しなされたのでしょうか?」
全員が沈黙した。男を信頼したわけではないので迂闊に情報を与えるのは良くない。最も、このままでは埒が明かないのだけど。
やがて、意を決した茂蔓が「封印木棺です」と答えた。
「なるほど、とするとリプロス蔭妖寮の方々ですか?」
男はとぼけたように言った。察しが良すぎるのではないだろうか。
「あなたは封印木棺の前にある世界をご存じなのですか?」
蔭蔓は訊いた。
「そう身構えないでください。ええ存じていますよ」
こちらが警戒しているのを悟ったのか、男は自己紹介を始めた。
「私は松山元。昔はリプロス蔭妖寮の研究者をしていました」
「ヴォルフ、知っているか?」
茂蔓がヴォルフに訊いた。これで、茂蔓は自らが蔭妖寮出身であることを暗に認めたことになる。自らが蔭妖であることも……。
「確認しないとわからないかなあ」
「無理もありませんよ。二〇〇年程前の話ですから」
狂っているようにも聞こえるが、二〇〇年前の話などを平然とするほうが蔭妖としては普通かもしれない。
「ちょっと、名簿を取ってくるよ」
そう言うと、ヴォルフはあっさり戻っていった。それから、ヴォルフが戻ってくるまで蔭蔓は丹念に外の梅や椿、庭の松の盆栽などを褒め続けて時間を稼いだ。
ちなみに、松の盆栽の周りには見事な岩檜葉が植わっていたので話題には事欠かなかった。というのも、一見ただの苔にしか見えないこの岩檜葉は日陰蔓と同じ小葉植物という種類。だから、いくらでも話すことがあるのだ。
「そういえば、あの光っている地衣類がとても趣深いですね。あれは何という種類なのですか?」
蔭蔓が尋ねると松山はしばらく考えたのち口を開いた。
「ああ、やや珍しいものなのでそれは後程、花見でもしながらお話ししましょう」
「ああ、そうですか……」
(ん? 妙にもったいぶるな。)
やがて、ヴォルフがゆっくり戻ってくると彼は松山の証言をあっさり認めた。
「確かにあるよ。七代前の研究所の蔭妖師として名前が載っているんだ。ほら、黒松の草蔭の蔭妖で、一九六年前に処分済みとあるけど」
「外の世界に関しては非干渉というのが、リプロス蔭妖寮の方針ですからね。私があの世界にいなくなったということは彼等にとっては処分が完了したということなのかもしれませんね」
そう言うと、松山は腕を地面に近づけ樹高二メートル程度の松を生やした。
「おお、黒松だあ」
ヴォルフは言った。
すると茂蔓は顔をしかめてしばらく考え込んだのち、改めて「ご無礼をお許しください」と詫びた。
「いえいえ、蔭妖寮から脱寮した際は私たちも疑心暗鬼でしたから。お気持ちは察します」
松山は爽やかな表情でほほ笑み、余裕のある調子で続けた。彼も蔭妖寮から脱出したようだ。そしてどうやら、茂蔓たちが蔭妖寮から脱出したことも見抜かれている。
「脱出した?」
霞が尋ねた。
「ええ。ちょっと、蔭妖寮と方針が合わなくなってしまいましてね。同志たちと共にこちらへ逃げ込んできたというわけです。言うことを聞かずに残っていると、厳しい処分が下されますからね……」
松山は苦笑いした。彼の言うことが真実ならば、こちらと似た境遇にあったことになる。様子見だから仕方ないのだが、嘘を見抜けるあずさを呼べばよかった。ところで、厳しい処分とはいったい……。
暫らく沈黙が続いたが松山は再び口を開いた。
「もしよろしければ、村にしばらくお泊りになってはいかがでしょうか? 私も、あちらの世界の状況を是非ともお聞かせ願いたい!」
そう言う松山は目を輝かせて言った。
「いやあ、そうですか。とても助かります! 僕も、こちらの世界にはとても興味がありまして」
ヴォルフは陽気に返答した。ヴォルフは彼を信じたようだ。一方、茂蔓ときたらやんわり断りだした。
「大変ありがたく存じますが、複数人で押しかけてはいささか大きすぎるご負担をおかけしてしまうと思うのですが……?」
「いえいえ、何分、複雑怪奇な場所ですのでどうぞご遠慮なさらずに」
(こいつは大丈夫そうな感じがするぞ。)
白が頭の中で呟いた。白も嘘を見抜く力のようなものがあるのだろうか。
(というより、ずっと野宿しているわけにもいかないだろう。)
「おい、断る気かよ。わざわざ向こうから言ってくれているのに」
蔭蔓は耳元で茂蔓に囁いた。
「俺も白も村に入れてもらった方がいいと思うけど……」
茂蔓は黙ったままだ。
「あんた、まさか現地の蔭妖とも交流を持たずに進める気じゃないでしょうね?」
霞も小声で追撃した。ヴォルフも目でサインを送っている。
「えい、わかったよ……。それでは、お言葉に甘えさせていただきます。十一人と再生中の者が二人いますが、それでもよろしければ是非お願い申し上げます」
三対一で負けを認めると、茂蔓は決断した。
「わかりました。使われていない長屋でよろしければ、すぐに案内出来ます。とりあえず、そちらでお荷物を降ろされてはいかかでしょうか?」
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
まとまっている方が安全だということで、十一人そろって村に案内してもらうことにした。
道中、松山さんとヴォルフは針葉樹について専門的な意見を交換していた。どうやら、ここより標高の高い山の頂上付近に唐檜林があるようで、そこに案内してもらう約束を取り付けたらしい。
ちなみに、唐檜は彼の草蔭であるシュタインピルツと共生関係にある樹木なので、ヴォルフにとってはライフラインの確保になるわけだ。
「まだ、信じたわけじゃない」
茂蔓は不機嫌そうに言った。
「それは、俺もだけど……」
「まあでも、繋木さんと話しているのを見ている限りでは大丈夫そうだけどね」
あずさは松山さんを凝視しながら言った。
松山さんに案内されたのは、村を少し下ったところにある丘だった。イネ科の草原に海へ向かって垂直方向に二つの長屋が建っており、それぞれ四、五軒を連ねたような大きさだ。十数人には十分すぎる。その上、黒い瓦と白い壁面が青い景色に映えていて、空と海を一望できる。
一通り移動が完了すると、アレクシアが海水浴に行きたいとはしゃぎだした。海には危険な生物が多いということで、結局、山菜採りになったようだ。