2章10話『藍染めの空と山の村』
1、2章1節からでも読める設定紹介: https://ncode.syosetu.com/n5947ez/80/
2、2章1節までのあらすじ : https://ncode.syosetu.com/n5947ez/81/
「十一時の方向、家屋が散在しているわ」
目の良い神那がいち早く、麓に建物を発見した。彼女が指さす先には、確かに複数の建物が散在しているように見える。
近づくにつれ、建物の詳細も把握できた。どうやら成長に光を必要とする住宅型樹木ではなく、板葺屋根や瓦葺屋根の木製家屋だ。中には豪勢な蔵付きの屋敷もある。畑があるようだが、手入れされていない。道にも街路樹として立派な山毛欅の草蔭が植わっているが、伸び放題になっている。
「よし、行ってみよう!」
遠足気分の繋木氏が言った。
麓に辿り着いてから、とりあえず一番近くにある旅館のような屋敷に声をかけてみることになった。
「ごめんくださーい」
アレクシアが初々しく声をかけるものの誰も出てこない。
「それじゃあ、おじゃまします!」
ヴォルフが颯爽と入っていった。
「無人みたいだっ!」
障子の奥から陽気なヴォルフの声が聞こえた。他にも数軒、訪問してみたが、誰も発見できない。というわけで、初めの旅館に上がって休憩や調査をすることになった。
荷物を置くと茂蔓、霞、ヴォルフの三人が早速、周辺調査に出かけた。一方、蔭蔓は荷物警備という名目で、軒に座って空を眺めることにした。
山の向こうから明るい藍色の空が覗いている。縹色と言うべきだろうか。黒ノ平原の空が常に暗かったのと同じく、山々の奥は道中ずっと青かった。
しばし蔭蔓は感傷に浸った。
僕らはどこに来てしまったのだろう。
無意識のままに自分に問いかけるも答える者はいない。何もかもが謎に包まれたまま、目の前には青い世界が背後には黒い世界がどこまでも広がっている。
だが、一つだけ確信していることがある。それは僕たちが今、草蔭魔術の深淵に足を踏み入れようとしているということだ。
周辺調査に出かけた三人が戻ってきたのは、約二時間後のことだった。
「山道の案内掲示板が見つかった」
茂蔓の声が玄関側から聞こえた。駆けつけると、彼は紙製の巻物を手にしている。茂蔓が手に入れたのは、山岳地帯の詳細な地図だった。やはり案内掲示板にあったらしい。
開けると細筆で細かく器用に地図が記述してある。他の案内掲示板のある場所、目印となる自然物やその形、森林の優占種の名前までもが一目瞭然だ。
巻物によれば、この山脈は向かって右側には標高が高いものが多く、左側はそれよりも平均的に低い。具体的には、右側は標高が八〇〇~一,八〇〇メートル程度の山脈地帯で、左側は標高二〇〇~一,○〇〇メートル程の山々が連なっているようだ。
さらに、その山脈の中に一カ所だけ蔭と印を捺された地点がある。それは左側にある標高五〇〇メートル程度の山を三つ越えた先にある場所だ。
話し合った結果、蔭印のある地点に向かうことになった。多分、誰かしら蔭妖がいるのではないかという推論が立っている。
というわけで、軽食を取ってから荷物をまとめて出発した。霞のくれた羊羹がおいしかった。
現在は蔭と書かれた地点を目指して登山中である。
覆い茂った森林地帯を越えて、一つ目の山の峰に上ると初めて山脈の奥に広がる空を拝むことができた。
丁度、この峰の真上ぐらいで、黒雲が切れて、そこから青い世界が広がっている。広がっていたのは先ほどの縹色より明るい空だった。緑がかった水色である浅葱色、かすかに紫を含んだ空色、さらに明るい薄水色や覗色など、無数の色を持つ漫々たる青空が広がっている。
初めて海も見えた。水平線には、白藍や薄藤色の霧が立ち込めており、空も海も一体に見える。水天一碧とはまさにこのことだ。
まるで一つの青い生き物が脈を打っているかのようだ。そして、それはありとあらゆる方向にどこまでも広がっている。
どこか、青い宇宙の中に放り出されたような気分にさせられる。
(シュルルルル……。)
(ああ……すごいよな。)
(あ、そういえば。)
(シュルル?)
蔭蔓はこの山に日陰蔓が育つのに十分な光があることに気づいた。日陰蔓は真っ暗では枯れるが、蛍光灯の照明程度の光があれば十分に生育できる。
(葉緑体色素のクロロフィルbの主な吸収スペクトルは青と赤だったよね? 空には紫っぽいところもあるってことは赤色光もあるにはあるってことだよね?)
気温も問題ないだろう。黒ノ平原より多少寒いが、日陰蔓は耐寒性が高い。
森には霧が出ているから、湿度も十分に高い。
何より、同じヒカゲノカズラ科の植物である、細葉峠芝が森の中に自生しているのを見た。
(うん、たぶん行ける。)
(何言ってんだ? シュルル……)
蔭蔓は陰蔓をそこかしこに放った。道中、他の蔭妖たちも、思い思いの場所に自らの草蔭を放っていった。
その後も地図と道を照合しながら、度々現れる案内掲示板や目印を着実に追って、約一日間進み続けた。
森の中は霧が激しいこともあったが進むほどに青く明るく照らされていった。もう、黒ノ平原に適応した黒い草蔭を見つける方が困難だ。
森にはたくさんのドングリが落ちている。山脈地帯を覆っている小楢や椚木が昨年落としたものだろうか。穴の開いたものや黴の繁殖したものキノコが生えたものや土に埋まったものなど様々だ。
この山々は、昔の自然を再現したというアミテロス魔法学校の植生そのものだった。ひょっとすると、ここには昔のそれが残っているということなのだろうか。だとすると、ラルタロスのある世界とこことは繋がりがあるということなのだろうか……。
「村があるよ」
発見したのはやはり神那だった。八日目の昼前、三つ目の山を下る途中、やや平坦な場所を見つけ休憩していた時のことだ。空中散歩から帰ってきた神那が蔭蔓に言った。彼女の言う位置は蔭印の指す位置と大体一致していることもわかった。
急いで道を進むと、十近くの家屋が集まった村を発見した。湯気が上がっている建物が数軒あり、村の奥にある高台には神社仏閣と思しき荘厳な建造物が聳え立っている。
「すごいっ! 蔭妖いるかもっ!」
アレクシアはガッツポーズをとった。
「まずは、僕とヴォルフが行く」
茂蔓が言った。
「俺も行く」
蔭蔓は続けた。
「こちら側から一人も行かないのも良くない気がする」
合理的な理由はないが、アミ魔からも一人行った方がいい気がした。
「構わないが、どちらかが面をすべきだと思うのだけど?」
「顔か。別に、隠す必要はないんじゃない?」
「……まあ、いいだろう」
名前のあがった三人は村へ向かって歩き出した。他の人員はとりあえず荷車と共に待機。
「あたしも行く」
後から、霞がついてきた。
「なんでまた?」
「あたしは腐植社でもアミ魔でもないし……いくよ」
霞は三人を抜かして歩き出した。