2章9話『黒ノ平原の旅路』
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黒ノ平原の旅は大方順調だったと言える。まあ、いくつか事件はあったが。
一番まずかったのは、三日目の夕方頃に、食虫植物の草蔭である、化狸藻に捕まったことだ。どうやら原種のノタヌキモが、腐生化して透明になり巨大化して風船ぐらいの捕食嚢を獲得したらしい。
巨大な透明の水草に鯉を丸呑みできる大きさの捕食嚢が生えている。こいつが攻撃的で、人の右足を捕らえたと思ったら絡みつきながら沼地の中に全身を引きずりこんできやがった。
しかも、沼に神経毒を分泌する万年毒青粉という藻類が大量に湧いているというおまけ付き。沼の水が黒く染まっていて不気味極まりない。
「薊、引っ張ってくれ、早くっ!!」
文字通り藁にもすがる思いだ。
「どうしましょう先輩。わたし、うるさい羽虫も、溺れた毛虫も無視する中立派なんですけど……」
薊は蔭蔓を見下ろしながらわざとらしい笑みを浮かべた。
「じゃあ、大丈夫だ。だって、俺は虫じゃないからさっ!! ねえ、早く引っ張ってくれる? まじで、やばいからっ! というか意識が遠のいていくんですけど……」
先ほど、化狸藻に沼に引きずり込まれたとき、万年毒青粉の汚染水を少し飲んでしまったからか。
「え、だって先輩、どうせ三日で……もう、仕方ない先輩ですね」
流石に、やる気なさそうに手を差し伸べてくれた。
「薊、早く引き上げてあげないと」
そう言って飛んできてくれたのは音宗だった。
「ああ、うん! 蔭蔓先輩、頑張ってください! 今、二人で引き揚げますからっ!」
なんだ? この態度の変わりようは?
ちなみに、後でアレクシアに聞いた話では薊と音宗は恋仲らしい。奥手な音宗に薊から告白したんだとか。
なお、捕食嚢に飲み込まれた足の件は、汚染水を将器が操って化狸藻を茎ごとぶった切り、事なきを得た。危うくそこかしこに散らばっている亡骸となった魚類と同じ運命をたどるところだった。
沼を抜けた後、ハイメヒシバの草むらで休んでいたら巨大な黒蜘蛛まで出て来た。ただし、これについても、音宗が蜘蛛茸という冬虫夏草で撃退してくれたおかげで食われずに済んだ。
音宗は多種の冬虫夏草を使える魔法薬師の家系出身で、彼の草蔭は蛇などの脊椎動物に寄生できるよう進化した特殊な冬虫夏草らしい。つまり、胞子崩壊のスペシャリスト。
(頼もしいのは結構だが、蛇と融合してしまった俺はどうすればよいのだろうか。白、調子が悪くなってきたら言えよ?きのこが生えたときにはもう遅いからね?)
(そうしたら、おまえも道ずれだシュルル。)
白が目を輝かせて言った。
(何お前、丸焼きにするよ? ……一〇〇回。)
(おいら……ごめんシュルル。)
「大丈夫だったかい?」
音宗がまた駆けつけて来てくれた。結構、優しい奴なのかもしれない。だがしかし、白はすぐさま霧になって引っ込んだ。
「ああ、なんとか。附属図書館の時は蹴っ飛ばして悪かったな」
「なあに、あの時は僕もたくさんの色蛇を君にけしかけていたのだから、お互い様だよ」
音宗は一度も噛まずに言った。
「ちょっとまって、狙い撃ちしていたの?」
「うん、そうだね!」
「あのさ……」
嘘も方便って言葉知っている? もう一回は蹴っ飛ばしていいかな?
「ん、なんだい?」
「いや、薊を宜しくお願いします。緊急時に質の悪い冗談を言ってくる怖い女ですが……」
「質の悪い、え? どういうこと?」
音宗は困惑しているようだ。知らないのかこいつ。なるほど、薊の弱点が分かったぞ。
音宗がヴォルフに呼ばれて戻った後、こっそり薊が寄ってきて「先輩、宗に余計なこと言ったら蒸し焼きにしますからね」と囁いた。
いったい、一日に何回冷汗をかかせるつもりなのだろうか。兎にも角にも、この時、音宗に余計なこと言わない代わりに、元先輩を虫扱いしないことになった。
どうしてこんな目にあったかといえば、根本的には蔭蔓の再生所要期間が三日と誰よりも小さいことが原因だ。
当然、再生中の仲間を置いていくわけにはいかないが、持っていくのも難しい。だから現状では、一時的な欠員が生じれば再生するまで待つのが最善案である。しかし、食料の残存量から言って、あまり長い間待ってもいられない。
というわけで、危なそうなルートの開拓などお毒見的な役割は再生所要期間の一番小さい、蔭蔓、茂蔓に回ってくる。なお、霞も再生所要期間は五日と小さいがレディーファーストの逆で除外。
というわけで、こうなるしかなかったのだ。
まあ、道中こんな調子だった。でもやはり、黒ノ平原の旅は穏やかなものだったのだ。誰も大怪我もなく食われることもなかったのだから。それを穏やかと感じるようになってしまった自分が悲しくはあるが。
けれども、良いものも見られた。それは四分の三ぐらいの道を進んだ六日目のことだった。このときには、山脈も最初に比べると遥かに大きく見えるようになってきて、その奥の空が清らかな水色をしているらしいこともわかった。
昼頃、平原を進んでいると陥没している地帯を発見したのだ。全体的に数メートル陥没しているが、中には封印木棺の繋がっていた岩山みたいな突起が複数あった。下へ下ってよく見ると、それは巨大な傘型の茸だった。
茸は外見は傘に例えるとわかりやすかった。先端部の石突に相当する部分は黒く、傘の部分は白く太い筋によって不定形の網目状に区分けされている。網の穴に相当する部分は灰色の組織で覆いつくされており、石のように固い。さらに、茸の傘が地面にまで到達し、柄をすっぽりと覆い隠しているので内側の様子がわからない。
ヴォルフが冊子を接触させると、情報が現れた。
捌 家衣笠
担子菌門 スッポンタケ目スッポンタケ科キヌガサタケ属
急激に進化した衣笠茸。小実体の高さは五メートルに及び年間を通じて小実体が発達する。内部は発光しており小型化した竹と共生関係にある。毒はなく、外繊維は金属質で食に適さないが内側の繊維は柔らかく可食である。なお、共生している竹は家衣笠の傘の中に茎が伸びるようにも変異している。
「中が光っているなら見てみたいかも」
あずさは外繊維を触りながら将器に目配せした。
「じゃあ、ちょっと下がって」
将器が刀を抜いて、振り下ろした。すると、硬い外繊維が音を立てて二つに割けた。そのまま将器が手で広げると、切れ目が開け中から水色の光が溢れだした。
「へえ、すごいわね」
あずさが思わず声を漏らした。
中では小さな竹が青々と茂っている。地面には枯れた竹が山積しており、あちこちに通常の衣笠茸も散生している。衣笠茸は、竹などを分解する腐生菌のようだが、イエキヌガサは草蔭の力で光ることで、むしろ竹を養っているように見えるのが面白かった。
他にも台車がぬかるみにはまったり、車輪に草が絡まったり、足をすくわれて転んだり、沼地を避けて大きく迂回したりの連続だった。このように、道中、様々な苦労がありはしたが大方順調に山脈への道を歩んできている。
遭遇した危険生物と言えば、数日前の蜘蛛を除けばせいぜい蝮がいいところで、ラルタロスの市街地にまで入り込んでいた色蛇などとは無縁だった。
そんなこんなで七日目に入った。既に黒ノ平原の大部分を抜けている。山岳地帯は目前である。
もはやマダラスミササの茂った沼地も見られず、安全なハイメヒシバの草原を進むだけだ。冊子に記載のあった草蔭八種の情報をすべて集めると、図鑑部分の次から麓への詳細な地図が現れた。