2章6話『蔭《かげ》の住人』
2章1節からでも読めるように、あらすじ、設定をまとめました。蔭の世界をご堪能あれ・・・・・・
1、2章1節からでも読める設定紹介: https://ncode.syosetu.com/n5947ez/80/
2、2章1節までのあらすじ : https://ncode.syosetu.com/n5947ez/81/
蔭蔓が悩んでいる間に、他の面々が洞窟内に入って来た。皆、各々の草蔭を生やし始めている。
霞の蘆木は一部ダイヤモンドに変化し、洞窟が外からの月明りで照らされた。
アレクシアの草蔭はモジホコリという粘菌だった。これは大きく成長する単細胞生物で、アメーバ運動する。
レモン色で、幾何的なパターンを何十重にも持つフラクタルの様相を呈し、一つ一つが人間より大きくなって洞窟の岩石内部に入り込んでいる。本人曰く、岩石の中に入り込む性質は彼女のモジホコリ固有の能力なのだとか。
「そういや、薊の草蔭って……黴?」
「黴って言ったら怒りますよ? 麹菌と言いなさい!」
薊は不機嫌そうに腕を組んだ。右手は、左の袖に入り、中にしのばせてある短剣らしいそれに触れている。
「へえ、麹黴か……あ」
言い直してから、失言したことに気づいた。
わざとではない。麹菌という名を普段聞かないので、麹黴と脳内変換するので精一杯だっただけだ。
薊が満面の笑みを浮かべて頷いたので怖くなって「麹菌って言うと、いろんなことに応用できるよな。菌糸体の顕微鏡写真は幻想的で桃源郷のモノクロ写真のようだよね」と急いで付け加えた。
我ながら、よく一瞬で思いついたものだ。自分の生存本能も侮れない。
「ふーん、まあ許してあげますよ。意味不明ですけど……」
薊は意味不明という割には満足そうな表情を浮かべて続けた。
「味噌、醤油、酒の製造に使えますし、といっても、原料が無ければ作れないのですけど……」
「というか、早く麹菌生やした、増やした方がよくないか?」
言ってから無意識に彼女の身を案じているのに気付いた。先輩だった頃の癖だろうか。
「とっくに洞窟中が菌だらけですよ。コロニーも持参していますから」
そう言うと、薊はもっていた鞄からタッパーを一つ取り出した。中には米麹がぎっしり入っている。
「菌類の草蔭って、ひょっとして菌糸体一つ一つが再生のトリガーになるの?」
「なーんとなるんですよ」
「へえ、めちゃくちゃ便利だ」
無数の菌糸一つ一つが再生の引金になるのなら、菌類の蔭妖の生存力は非常に高くなりそうだ。というか、菌類の草蔭を倒しつくすことなんてほぼ不可能なのではないだろうか?
ひょっとすると腐植社に菌類の草蔭が多いのは、そういう理由もあるのだろうか。茂蔓の旅についていくのに充分な生存力を持つ者を集めた結果なのだろうか。
「ええ、そうなのよ。菌類の蔭妖は古株になりやすいの」
気づくと、アレクシアがこちらに来ていた。彼女のモジホコリも既に黒く小型の子実体を無数に形成し、その胞子が洞窟中に舞っている。
古株になりやすいって、まさか薊やアレクシアが二千三百四十歳なんてことはないだろうな……。
「薊って、俺の後輩……だよね?」
蔭蔓も実は年齢不詳なので、すかさず「将器より年下だよね?」と付け足した。
「私もアレクシアもおばあさんじゃないですよ」
後輩はやはり後輩らしいことに多少安心していると、二人の奥に、霞にヴォルフと呼ばれていた青年が目に入った。彼は荷車を押し入れるとニヤニヤしながら、隣にいる長身、細身、黒髪で狐の仮面をつけた男と小声で何か熱心に会話している。
「ヴォルフの草蔭は、シュタインピルツというキノコなの。ピザにのせるとおいしいやつよ」
アレクシアが気を利かせたのか解説した。キノコが見当たらないが、薊のように荷車に菌糸を持っているのかもしれない。
「シュ、シュタイン、それ、外国語?」
「私とヴォルフの故郷の言葉。どちらかと言うと、ヴォルフよりかな?」
二人は同郷だったのか。そういえば、クルカロスよりもはるかに西の方に、二人のように金髪で碧眼の人々が多く住む地域があると聞いたことがある。
それについて尋ねても良かったが、殿の将器、あずさ、神那、そして繋木氏が荷車を引いて入ってきた。
「ここがもう外の世界とはね……」
あずさは感慨深げに岩壁を見回した。蔭蔓は彼女の首筋が蛇の鱗のようなもので覆われているのを見落とさなかった。
あずさはこの一年で、蔭蔓の知らない側面を見せ始めていた。そろそろ彼女に尋ねてみようかとは思っていたが、何となく躊躇している。
「おい」
後ろが詰まるので少し前に進みだそうとしたところ、茂蔓に後ろから呼び止められた。
驚いて振り返ると、いつの間にか背後に茂蔓がいた。彼は話し始めた。
「まだ伝えられていないことがいくつかあるから、話しながら行こう」
そう言うと、茂蔓は手に持っていた龕灯型の大きな懐中電灯を蔭蔓に手渡し、他の三人にも視線を送った。無言で来いと言っているようだ。
懐中電灯は電動式のようだが、外部はところどころ樹皮に包まれており、電源には発電器官をもつ植物が使われている。
上面中央部のスイッチを『入』にすると、しっかり点灯した。何も見えなかった洞窟が青白く照らされたので、蔭蔓も白も落ち着いた。
三人が前方に集まり、繋木氏も真ん中にいる霞の隣まで移動してきたので皆歩き出した。
今は三人の前後をそれぞれ、防衛に向いている大型の草蔭を操る蔭蔓と霞が囲っており、集団の先頭と最後尾は腐植社の面々が務めている。
この配置に誘導したのは茂蔓なりの三人への気遣いなのだろうか。
振り返ると茂蔓は自身の荷車の上に置いてあった一冊の書籍を手に取ったところだった。
どうやら封印木棺に関連する書籍のようだ。外装は茶色っぽい緑の柳色で、より暗い緑色の糸で綴じられており、背表紙には縦に『封印木棺<外伝>』と金色の糸で縫ってある。
「眩しい」
「お、失礼……」
蔭蔓は慌てて懐中電灯を茂蔓からそらした。
「伝えることというのは?」
「これによれば、この先に広がるのは蔭の住人の世界だ。人間がいないとは言い切れないが、人型の生き物は大方《》蔭妖だろう」
「ふ、不死身に近いものがそんなにたくさん……」
神那は驚きを隠せない様子だ。
「蔭の住人って……。蔭妖しかいないってことなのかよ?」
普段、自らを呼ぶのに、蔭妖、蔭人という言葉を使う茂蔓がわざわざ、蔭の住人と言ったのが引っかかったのだ。
「いや、蔭妖だけではない。君たちも含まれる」
そう言うと、茂蔓は神那へ視線を向けた。
「私っ、たち?」
「そうさ。君たち、俗に言うあるまじ木忌は僕ら同様、草蔭を操る。同じ蔭の住人というわけだ。現に、君の使う一ッ葉は草蔭じゃないか」
「私の一ッ葉が……」
そのまま神那は沈黙した。何か考えているようだ。
茂蔓が言ったことが本当で、童話の『黒百合の少女』が、草蔭と接触するたびに本として複製される仕組みだとすれば、神那の一ッ葉も草蔭ということになる。
それに、白が草蔭を操る姿を見たことはないが、日陰蔓の草蔭がこいつの食事だ。
(あ、そうだ! お前、植物からだに生やせるの? 杉とか。)
(八身一体だった頃はできたぜ。)
しかしだとすると、過去に戦った灰大蛇や大百足も本当は草蔭と関係のある生き物だったということになる。
全てのあるまじ木忌が草蔭を使う。これが本当なら、それは蔭蔓にとって大きな情報である。
茂蔓は軽く喉を鳴らして、続けた。
「何より厄介なのは、草蔭も雑草のようにそこら中にあるだろうことだろう」
「ん、厄介というのは?」
引っかかったので訊いた。
「草蔭にはアンプラリアのような危険物もあるからね。なにより外の草蔭がどのような性質を持つかは知れたものではないのさ」
いつもどこか余裕な茂蔓だったが、真剣というか神妙な表情だった。
「草蔭使いでなくとも生きていける世界なんだろうな?」
静かに言うつもりだったが、思いの外、声が震えていたし興奮していた。茂蔓の態度に余裕がなくなったので急に不安になったのだろうか。我ながら情けない。
思い返せば、繋木氏の目的が封印木棺の外の世界へ行くことだと知った時は、藁にも縋る思いだった。しかし、その時は茂蔓が関与しているとまでは思っていなかった。
残念ながら、現実には彼こそ首謀者で、彼の仲間は蔭妖ばかりだ。その意味をよく考えれば、外の世界とやらが草蔭使いのみが生き抜けるような代物であっても全くおかしくない。
今更何かが変わるわけではないだろうが、このぐらいは問い詰めてやろう。
すると、茂蔓は準備をしていたように答えた。
「それは問題ないだろう。この本によれば、通常の動植物も多々存在するようだからね。あくまで、僕は予め警告したに過ぎない」
「さっきから気になっていたけれど、その本、外の世界についてどれほど書いてあるの?」
あずさが遮った。茂蔓の手にある『封印木棺<外伝>』を凝視している。
「多少と言っておこう。外の世界を伝える、外伝ではあるが、あくまで外伝程度というわけさ」
全員が、自分は今、静寂に包まれた世界の狭間にいるのだということを思い出したに違いない。しばらく間をおいて、あずさは苦笑した。
「後で読ませてもらうわ」
「……構わない」
(たまにこいつ絶望的に寒いな。)
白が言った。暫らくの間、茂蔓は口を閉じていた。
なんとなく周囲を見回すと、洞窟には、一つ一つが人間より太く前後に長く広がる筋のような跡が多数走っていることに気づいた。洞窟を削って切り開いた跡のように見える。
(あれなんだと思う?)
(そうだなあ、さっきの蛇が通った跡かもしれねえな。)
(一瞬で人間よりでかくなったって言うのかよ?)
(おいらだってでかかっただろ。)
なるほど、一理ある。確かにあの巨大な八岐大蛇だった白が今は小さな蛇なのだ。
茂蔓が再び口を開いたと思えば、今度は後ろまで届く声量だった。
「あと一つ、この通路、四半刻もたたずに閉じると書いてある。つまり……早く抜けなければならない」
四半刻は約三十分……。
「えっ、この洞窟どれくらいの長さなの?」
あずさが慌てて尋ねた。
「それほど長くはないはずだが……」
茂蔓の返答とほぼ同時に腐植社の中でも動揺が起きた。どうやら伝えていなかったらしい。
「よし、とりあえず出口まで行こうぜっ!」
将器が提案すると、茂蔓はこちらから言うのを待っていたように頷き、荷車を引く速度を速めた。一行は茂蔓の後を追い、ほとんど無口で洞窟を先へ進んだ。