2章5話『封印木棺《フウインボッカン》開放の儀』
2章1節からでも読めるように、あらすじ、設定をまとめました。蔭の世界をご堪能あれ・・・
1、2章1節からでも読める設定紹介: https://ncode.syosetu.com/n5947ez/80/
2、2章1節までのあらすじ : https://ncode.syosetu.com/n5947ez/81/
「ハァ──はい」
霞は例のごとく気だるそうに頷いた。荷車の中から鞄を取り出すと、去年《》蔭蔓たちが集めた幾何形体を四本手に取った。
封印木棺に反応しているからなのか、幾何形体は光を帯びて輝いている。黒曜石のように黒かった各面が青白く発光している。
茂蔓は既に幾何形体を三本手にし、霞を待っていた。彼女の準備が整うと、二人は奥に広がる五本の封印木へと歩み出た。
海蛍のように輝く神秘的な光に誰もが釘付けにされた。儀式の一部始終を見守るべく、全員が後に続いた。
二人は五本の封印木の内、真ん中のものの正面で立ち止まった。封印木の幹には全体を通して縦縞模様の窪みがある。さらに、窪みと窪みの間を埋め尽くすようにして、鱗のような六角形が敷き詰められている。
幹をよく見ると、十メートルを優に超える幹の円周に、白いツタのような植物が二重、三重と巻き付いている。
これは、紙垂蔦と言って、神木などに生やされる植物だ。葉はどういうわけか神事に用いる紙垂の形に成長し、その色は全面が黄色味のない白色で、光合成は太く濃い緑色の茎で行う。
ちなみに、蔦は花が咲いて冬には枯れる、ブドウ科ツタ属の落葉性被子植物だ。一方、紙垂蔦も同じ蔦の名を持つが、ウラボシ科ノキシノブ属の常緑シダ植物である。
つまり、紙垂蔦に花は咲かず、冬の今でも葉は枯れることなく紙垂の姿を保つというわけだ。
「封印木棺開放の儀、参ります」
そう言って霞は人差し指程度の直方体を幹の前に掲げた。あれは、草封じの峠で手に入れたものだ。茂蔓も同程度の大きさの円柱を選び出し同じように掲げた。
二人は目の前の幹に、数十センチの間隔をあけそれぞれ幾何形体を接させた。
すると、接触部周辺の幹の模様に亀裂が生じ、なかから琥珀色の樹液がにじみ出た。樹液は幾何形体に向かって集合し、アメーバ状になって幾何形体を先端部から覆い始めている。
二人が樹液に触れる前に手を離すと、間もなく幾何形体は樹液に飲み込まれた。続いて、幾何形体のなかから数十センチの小さな白蛇が現れると、そのまま片手ほどの大きさに広がった亀裂の中へ泳いで姿を消した。
白蛇が抜けた幾何形体は光を失い、蠢く樹液から吐き出されると地面へ垂直に落下した。霞と茂蔓は、それぞれ幾何形体を拾い上げ、全ての幾何形体に関して同じ処理を行った。
「──集いし七つの御柱よ、呼びかけに応じ、異界への門、ここに開き給え──」
霞はやや大きめの声で言い放った。
(変な奴らだ。話しかけても、返事しねえよ。)
白が頭のなかでボヤいた。
(言葉通じないんじゃないの?)
(蛇語だぜ?)
あの白蛇はいったい何者なのだろう。幾何形体はあの白蛇を閉じ込めていたのだろうか。封印木棺それ自体はどのような仕組みで成り立っているのだろう。頭のなかに次々とぼんやりとした疑問が浮かんでは消えていった。
「それで終わりなの……?」
アレクシアは目の前の光景を不気味に感じているように見えた。
「本によればね……」
最後の処理を終えて数十秒が経つと、今度は鱗のような六角形の樹皮が接触部の辺りから内側に陥没し始めた。封印木自身もまた成長を始め、幹の直径が広がりだしている。
「下がったほうがいいかもね」
繋木氏の忠告にいつもは反抗的な霞もこの時ばかりは素直に従ったようだ。あっという間に封印木は巨大な洞窟へと変貌していく。
(これはすごい。)
蔭蔓と白は同時に息をのんだ。
既に、目の前には封印木の幹が陥没してできた洞窟が広がっている。中は、明かりとなるものも一切なく奥まで暗闇に包まれている。ただし、その奥行きは、幹の直径よりもずっと長い。どうやら目の前に広がる暗黒は、本当に別の空間へと続いているようだ。
「蔭蔓、日陰蔓を放つんだ。行くのは僕が最初でいい」
茂蔓は蔭蔓に向き直った。茂蔓は同じ世界の中に蔭蔓の日陰蔓が存在する限り、無限に再生できるらしい。
つまり、先頭は茂蔓自身が行くので、万一の場合に再生できるよう日陰蔓を、異空間側となる洞窟内に放ってほしいという意味になるのだろうか。命令口調なのが気に障るが、肝は座っていると思う。
「構わんが俺も行く」
蔭蔓は洞窟の内部に日陰蔓を生やした。茂蔓は頷くと蔭蔓を待ち、二人は揃って荷車とともに洞窟に踏み込んだ。初めの一歩を慎重に踏み込むと、何も起きないことを確かめるため、さらに何歩も内部に進んだ。
「大丈夫のようだ」
茂蔓がそう言うと、後方からアレクシアを筆頭に歓喜の声がわいた。
「うん、なんともない……」
蔭蔓は感覚を研ぎ澄ましながら言った。
「ああ、安全みてぇだなあ。それより、もっと草蔭を生やしたほうがいいんじゃねえのか?」
白に言われてはっとした。
蔭妖は、身体から生えてくる草蔭が少なくとも一株存在する限り、何度でも再生することができる。けれども、それは同じ世界に両者があればの話だ。
この洞窟は既に今までいた場所とは別の世界だ。仮に、今現在蔭蔓の周囲に生えている何株かの日陰蔓がなくなったとしよう。その状態では、蔭蔓も茂蔓も、この世界におけるそれぞれの存在を保証するものは自身の肉体だけだ。
蔭蔓は間をあけずに日陰蔓を周囲一面に生やした。
「ちなみに言っておくと、空間的に連続な場所は基本的に同一世界と見なしていい」
「へえ。でも、基本的にって……」
「確かに、例外はある。だけど、実際は別世界の場所同士が繋がっていて、世界を越えて蘇るということもよくあるようだ。だから、越えられるかどうかはその繋がりがどういうものかによる」
茂蔓は詳しく付け足した。ただ、世界を越えた再生が絶対ではないのなら、洞窟の中にも草蔭を生やしておくのがやはり賢明だろう。それに、いつまでもこの門が開いているという保証もない。
ふと蔭蔓は将器、あずさ、神那の三人を思った。蔭妖でない三人は、草蔭云々どころではなく、生き抜くためには一つしかない身体を文字通り絶対に守り続けなければならない。
自分が人型の蔭妖、蔭人であることに気づいた今、将器や神那を前線に出していたことがとてもまずかったように思われる。二人へ罪悪感すらある。
これからは、三人のためになにができるのか考えなければならない。残念ながら、蔭蔓は自分の生存力に比べて、戦闘力が圧倒的に不足している。結局、蔭蔓にできそうなのは、偵察などの役を率先して行うことや、危険な戦闘を皆で避けること、万一の場合は、おとりとなって三人を逃がすことなどだろうか。
(まあ、おまえが思っているほどやわなやつらには見えねえんだけどな。)
白は独り言のようにつぶやいた。