2章2話『秘密の場所』
2章1節からでも読めるように、あらすじ、設定をまとめました。蔭の世界をご堪能あれ・・・・・・
1、2章1節からでも読める設定紹介: https://ncode.syosetu.com/n5947ez/80/
2、2章1節までのあらすじ : https://ncode.syosetu.com/n5947ez/81/
「ああ。それと……」
蔭蔓は続けた。
「三人を俺たちの因縁に巻き込んじまったことの落とし前をつけること……。というか、ごめん。巻き込んでしまって……」
特に、将器とあずさは蔭蔓について来なければラルタロス魔法学校で魔物部の学生をしていただろう。三人とも、何が待ち受けているかわからない異世界に行くことになるなんて思いもしなかっただろう。
三人の人生を狂わしてしまったことに罪悪感を覚えていた。ただ、寝不足なせいで必要以上に感傷的になっている気もする。
「おいカズ、まだそんなこと言ってんのかよ」
「──だってさ……」
次に、神那が口を開いた。
「私なんか、最初は白銀寮から抜け出せるなんて本気では思えなかったし、もう十分すぎるぐらい」
神那は明るく笑って見せた。
神那を助けることは、蔭蔓が彼女と結んだ契約内容でもある。もちろん、彼女に何度も窮地を救われ、自分の正体は蔭妖だと知った今、契約だから助けたなどと野暮なことを言うつもりはない。
「ま、昔から水臭いのよね。蔭蔓は」
あずさは空を仰いだ。
蔭蔓はため息をついた。
「やれやれ……なんというか……ありがとう」
「どういたしまして。でも、まだ早いわ」
あずさの言う通りだった。封印木棺から外の世界に無事脱出し、追手の無いことを確認しなければ脱出できたとは言えない。その後の生活手段も確保せねばなるまい。
「まずは封印木棺に向けての支度だな」
将器はそういうと片付け始めた。
「ええ。お先に御馳走さま」
二人は席を立った。それを見て、蔭蔓は残りのご飯をかきこみだした。
三人への罪悪感とは別に、外の世界がどんなものか純粋に興味がある。支度を始めるとすぐに、遠足に行く前のような気分になった。
具体的な準備とは、各人ができる限りの荷物を外の世界へ持っていくことだ。一立方メートル程度の一人用の荷車に詰められるだけ自分の荷物を詰めるのだ。
できる限りというのには理由がある。今までは、離れた二地点を繋木氏のヘリアンフォラの草蔭でワープを形成し移動していた。しかし、外の世界からは繋木邸にワープできないかもしれないからだ。
そして、繋木氏曰く、おそらくできないだろうということだ。
蔭蔓の場合、衣服類や武器、結界石などは大した量がない。
主な荷物は、蔭蔓が分担して持っているものになる。
例えば、『暗黒草物語集』という草蔭と蔭人に関する記録、クルカロス北端植物魔法研究所のデータベースに残っていたアンプラリア博士の研究データの複製、そして、蔭妖寮と研究所の関係に関する文書などである。
まあ、時間のある時にじっくり目を通すとしよう。
そのほかに持っていくとすれば……やはり資料だろう。
「実験場行ってくるっ!」
「おっ、おう分かった」
蔭蔓は男部屋を後にし、荷車を押しながら裏庭から雑木林を抜け瓦葺屋根の小さな倉庫へ向かった。繋木氏から研究用に貸し与えられている倉庫だ。
倉庫の木製の本棚には、蔭蔓が繋木邸に住むようになってから集めたり記したりした資料がずらりと収納してある。
さて、どの資料を持っていくべきか。
重要な情報が記されていた、『黒百合の少女』は持っていく。封印木棺に関する資料は、霞が持っているはずだ。
加えて、自分の魔法についてまとめた、『日陰蔓の草蔭に関する実験ノート』、『鱗木の草蔭に関する実験ノート』も持っていく。
それでもなおスペースが余ったので、蔭蔓は近くにあった紅羽のお化け松葉の苗木一株持っていくことにした。倉庫にあるスコップで根っこごと引き抜いて、近くにあった風呂敷に包み荷車に入れた。
こんなものだろうか。
「あんたも、いたんだ」
振り返ると、赤いお化け松葉の背後に霞がいた。初めは認識できず、人影をみて驚き、首から日陰蔓が生えた。
霞は研究所でのものと同じ服装だった。白地に藤紫の蘆木柄の着物、同じく紫の帯を締めている。
そして、赤い装飾のついた簪をしている。よく見ると、それは柳のように先端の垂れたシダ植物、松葉蘭の形をしている。
にしても、松葉蘭の簪なんてマニアックすぎる。
「その簪手作り?」
「うん。紅姉の松葉蘭、紅羽鳳凰柳」
上手い。胞子嚢の細部まで作りこんである。
「へえ。そんじゃ、出かける前に紅羽に挨拶に来たってところか」
白は蔭蔓から飛び出て、先程、首に生えた日陰蔓を食べ、首筋にある根元まで丸呑みすると頭から霧になって消えていった。
霞は蔭蔓がまだ手に持っていたスコップを見ると、近づいて無言で取り上げた。
「私も持っていく」
そう言って、新たに紅羽のお化け松葉の幼木を掘り始めた。
「ここはさ、紅姉の代わりだったんだ。ずっと一人だったから、よくここに来ていたの」
意外にかわいいところあるな。
蔭蔓は、別の風呂敷を倉庫から取って霞に手渡した。
「でも、繋木さんも茂蔓もいたんじゃ……」
「繋木はまぁ、ああ見えて一日中仕事してるからね。何カ月もいないこともよくあったし……。茂蔓なんか、蔭妖寮で出世してからは年数回しか顔出さなかったし」
「なるほど、確かに一人っきりだな」
霞は、今度はこちらを向いて微笑し再び話し始めた。
「それに比べて、去年はあんたの素人実験を毎日眺めるの、中々面白かった」
「ああ、そうだったなあ。というか、お前、なんも知らないとか言っていたくせに、何カ月も腹の中で笑っていたわけだ……」
「ええ、大当たり」
珍しく嬉しそうに笑う霞に、蔭蔓は軽くため息をついた。
「そうだ、いいもの見せてあげる」
そう言うと、霞は森のさらに奥の方へかけていった。荷車を持っていこうと思ったが、霞は速かったのであきらめた。
霞は一度だけ立ち止まって振り返ると、首をふって早く来いという仕草をした。蔭蔓は無言で後を追った。
暫らく雑木林の中を追うと開けた場所があった。見れば、中央にある円柱状の自然岩から水が湧き出て、その周囲は苔が蒸しており、繋木氏のヘリアンフォラが生えている。
霞はこちらを一瞬振り返ると、ヘリアンフォラの中に入っていた。
蔭蔓も後に続いた。
ヘリアンフォラをくぐり外へ出ると、そこは一面、蘆木の林になっていた。
「……まさか全部自分でやったの?」
「うん。そこまで難しくなかった。ちょっとずつ、ね」
白も出て来て声を洩らした。
「こいつぁーすげぇーなぁ」
見渡す限り、紫がかった白緑の蘆木が広がっている。地面も同じ色の木賊で覆いつくされている。枯れた株はダイヤモンドになり、地面全体が曇り空を反射し、銀世界のようである。
「ここは」
「繋木邸のずっと先に山があったでしょ」
蔭蔓は頷いた。
「その裏側」
「初めの一回、よく歩いて行ったね……」
ヘリアンフォラを立てるためには、一度は目的地に足を運ぶ必要がある。目的地にヘリアンフォラを植え付けないといけないからだ。
「時間だけはあったからさ。そういう意味じゃ、繋木のとこに連れて来てくれた茂蔓には感謝しているけど」
「へえ。そういや、茂蔓と霞ってどういう関係なの? まさか、将器とあずさ的な……」
「は? 何急に」
そう言うと、霞は少しうつむいた。
「──そういうんじゃない……。そういうことに関しちゃ、あいつは紅姉にしか興味ないよ」
「……ああ、それはよくわかる」
「ほとんど、話したことないのに?」
適当に答えたのではない。本当にわかるのだ。
十年間、究極的には紅羽を追っていた茂蔓の原動力に彼女への特別な感情があっただろうことは手に取るように分かる。どれほど異なっていようが、元をたどれば蔭蔓と茂蔓は同一人物なのだ。
相手のことは自分のことのようにわかる。違うのは分裂したとき、元の蔭蔓の精神のどの部分が継承されたのかということだけだ。
蔭蔓は記憶をたどった。
「分裂する前、確かに俺は紅羽のことを想っていた。それこそ、いつか所帯を持ちたいってぐらいにね」
「はっ、何言ってんのあんた。は、恥ずかしい奴だね」
霞はやや赤面した。
「いうなよ。ガキなんてそんなもんだろ」
蔭蔓も少し赤くなった。
「でも、引き裂きの実で引き裂かれた後は違う。紅羽を好きだった気持ちは全部、茂蔓の方に行ったらしい。分裂したとき、紅羽のことを思い出しても何にも感じ無くなったんだ」
蔭蔓は続けた。
「その後はひたすら怖かった。川に落ちて気を失うまでの間、紅羽のことは覚えていたけど、ただ覚えているだけだったなあ……」
「そうなんだ……」
霞はつぶやいた。
「そういや、俺と茂蔓の別れ方についてなんだけどさ」
「……見るに堪えないもんだったよ」
「確かに記憶を取り戻した時、とにかく逃げ出してしまいたいという恐怖心が俺という個体を形成したように見えたんだけど……。実は、精神が別れた部分は別のところか、とにかく、そこだけじゃないというか……」
霞は少し考え込むと尋ねた。
「……じゃあ、どこだっていうの?」
「紅羽を好きな気持ち」
「……あんたは、紅羽のことは好きじゃないっていうのかい?」
霞は責めるような視線を向けた。
「もちろん、紅羽のことは大切に思っているさ。いま改めてね。けど、茂蔓ってのは、紅羽を好きな蔭蔓。そうあるために必要なものが集約された奴なんじゃないかって……」
弁明すべきかとも思ったが、正直に胸の内を話した。
「なにそれ……。つまり、茂蔓には紅羽しか見えてないってこと……」
霞の話す声は暗かった。そして、思いついたように言った。
「それじゃ、あんたはなんなの?」
「……それ以外。俺は、茂蔓が茂蔓として誕生するために不要だった部分なんじゃないかって。抜け殻というかさ……」
蔭蔓の分析は、正確なように思われた。
茂蔓の抜け殻として自分は生まれたと言うべきか。
「抜け殻……。でもあんたは、一人の人格だろ?」
「ああ。十年経ってるし、今は強い自意識がある。それは俺が何として生まれたとしても関係ないだろうな」
すると霞は目を閉じて
「ならいいじゃん」
と静かに頷いた。
1月2日 午前 蘆木林にて 霞
「でもじゃあさ……」
霞は続けた。
「ん?」
「蔭蔓は……。いや、なんでもない……」
言えるわけがなかった。
茂蔓っていうのは、紅姉のことが好きな蔭蔓で、あんたがそれに必要なかった部分ならさ。
あんた、茂蔓と分裂してから川に落ちるまであたしのこと好きだっただろ?
それとも、誰にも恋愛感情持ってなかったっていうのかい?
元の蔭蔓が多少なりとも私のことも好きだったなら、あんたは私のことが好きな蔭蔓になるんだよ。
だって、紅姉一筋でいるためには私を好きでいる必要はないだろ?
まさか、元の蔭蔓は私のことは何とも思っていなかった……なんていうんじゃないよ。
なんて、言えるわけない。
紅羽のことを改めて大切に思えるなら、もう一度好きになることだってできるかもしれない。
こっちの蔭蔓も紅羽が好きになるのかな……。
そう思うと、何となく胸が締め付けられるような気がする。
「あんたこそ、紅姉のことどうなの。改めて……」
小ばかにしたように笑うつもりだったが、真剣な調子になってしまった。
「どうかね、恋愛感情というよりは家族かな……最初の」
「そう……。他は誰?」
「霞と、まあ茂蔓も」
「……わかった」
霞は無意識に胸をなでおろした。
最初のということは二つ目もあるのだろうか。恐らく、それは将器、あずさ、神那の三人だろう。
「フッ、てか俺に勝るとも劣らず恥ずかしいこと訊くよな」
蔭蔓がからかってきた。うるさいので黙らせることに決めた。
「だって、気になったから……」
「そ、そう……」
それからしばらく二人静かに景色を眺めた。その後、三十分程度、好きな菓子とかシダとかそういうことを話した。