1章68話 蔭蔓《カゲル》の過去編~『引き裂きの実』
AF5C年1月1日 脱出の朝 子供部屋という檻にて 蔭蔓
ついに脱出計画実行の日がやってきた。今日は、紅羽が冬の野外研究に協力する日だ。
紅羽 “私が迎えに来た研究員をうち殺す。そうしたら、地図に沿って外まで走るから。ついてきてね。“
蔭蔓 “ジュウ本当につかえるの?”
紅羽 “使うところを見たことあるからだいじょうぶよ。”
見ただけで使えるようになるかなぁ?
蔭蔓“そういうもの?”
と尋ねても、紅羽は笑顔で頷くだけだった。
蔭蔓 “でもさ、今日、本当に人はいない日なんだよね?
紅羽 “野外実験のときは研究員も外にでるし、今日は警備の人はいない特別な日なの”
蔭蔓 “はかせがすぐにかけつけるかも”
紅羽 “大丈夫、実験場ははなれているから。”
蔭蔓 “にげだせたとしても、そのあとがふあんだな・・・。食べ物とかもっていかないわけだから。”
紅羽は川で魚を釣ればいいといっていたけれど・・・。
霞 “てかさ、ばかげる、うるさいよ。どれだけ、心配しょうなの。しゅうちゅうしたら?”
蔭蔓“いかすみ!かくにんしただけでしょ。”
紅羽“大丈夫。きっとすべて上手く行くわ。”
そういうと、紅羽は蔭蔓の頭を撫でた。無性に落ち着いたので黙っている。
ガチャという音と共に、研究員がドアを開け入室してきた。
研究員「RPN-001、来なさい。」
紅羽「はい!」
紅羽はとても自然な笑顔で言った。そして、ドアの前で座っていた紅羽は、銃を持った手を後ろに回したまま、立ち上がった。研究員がさらに中に入り片手を突き出した瞬間、手慣れた身のこなしで、研究員の心臓を撃ちぬいた。
紅羽「思い知れっ!」
研究員「ガはァ—ッ!」
研究員は真っ白な白衣を血で染めながら倒れた。
紅羽「行くわよっ!2人ともっ!!」
紅羽の掛け声に、それぞれ、ナイフと地図、ナイフと当日の注意事項リストを持った、霞と蔭蔓が続く。
3人とも、鍵で外せるようにしてあった魔法封じのリングを投げ捨てて、子供部屋を後にした。
———飼われるのはもう終わりなんだっ!!!———
いまだかつてない、自由への躍動に全身に汗がみなぎった。計画の第一段階、子供部屋脱出はクリアである。
残りは、第二段階の研究所の施設からの脱出、第三段階の周辺の森からの脱出だが、第二段階も達成できた。本当に警備員が今日はいなかったのだ。
もちろん、途中すれ違った研究員は紅羽が撃ち倒し、ナイフで確実に止めを刺した。
霞「非常用ブザーが・・・。」
後にした研究所から、ブザーが鳴り響いた。
紅羽「気づかれたか・・・。」
蔭蔓「もう逃げ切るか、全員捕まるかだよ。」
捕まったら、さらにひどい実験をされたり、食べ物をもらえなかったり、少なくとも、3人は離れ離れにされてしまうだろうということは先に2人に指摘してある。
紅羽「もちろん、逃げ切るわよ。」
3人とも頷いて、実験場がある方向と反対側に向かって走った。ここからは、紅羽も知らないという森だ。当たりは一面、背の高い杉の木に囲まれ、雪が積もり霧に覆われている。
しかし、3人ともすぐに問題に気づいた。雪で足跡がついてしまったのである。今日はここ数カ月で研究所を脱出するには最良の日に違いなかったが、第三段階に致命的な欠点のある計画だったと判明した。加えて、3人は子供だ。身体は小さく身体能力は高くない。道がわかれば、大人の研究員にはすぐに追いつかれてしまう。
蔭蔓は自分を責めた。
あと半年まてばよかった・・・。
いざとなれば、3人とも大型の木の魔法を使えたのは不幸中の幸いだが、実験で使わされたことはあっても、実戦で使ったことはない。
森を半分ぐらい下った頃に、ついに追手の数がわかるぐらいに距離が縮んでしまった。
蔭蔓「3人だ。」
その時だった。紅羽の足元に、背後からツタのようなものが絡まった。研究員の魔法だ。
紅羽「きゃっ!!!」
勢いよく、紅羽は前方に転倒した。
霞「紅姉っ!!!」
恐怖を拭いながら、紅羽に絡みついたツタを霞とともにナイフで思いっきり伐った。
紅羽は落とした銃を拾いに降りたが、霞と蔭蔓は追いつかれた。
蔭蔓「逃げろ、霞。」
霞「ばかげる、できるわけないっ!」
霞を紅羽の方に突き飛ばし、と同時に、鱗木をありったけ生やして蔭蔓は抵抗した。効果はあったようで3人のうち2人の研究員を霞と反対側に突き飛ばした。
蔭蔓「クタバレっ!クズやろうっ!!!」
蔭蔓は3人目をナイフで刺した。しかし、傷が浅かったのか、ナイフが刺さっている研究員に逆に捕まえられた。
蔭蔓「ぎゃっ!!ああ———っ。」
手首をねじられて悲鳴を上げた。
研究員A「手間かけさせやがって。」
そのまま、地面に押さえつけられ、ナイフを奪われた。
残りの研究員もすぐさま戻ってきた。
研究員B「一回、喉を引き裂いてやったほうがいい。躾だ。躾。」
研究員A「意識を奪う丸薬を飲ませれば十分だ。個人的な仕置きは後日ゆっくりしてやるとしよう。」
蔭蔓は、研究員Aに無理やり口を開かされ、焦げ茶色の大きな丸薬を飲まされた。飲み込むと、変な藁の様なものが喉に当たり、かつて経験したことのないほどの寒気に襲われた。
研究員B「あぁ、楽しみだな。って、残りの二人もそこにいるじゃねぇか!!一石三鳥だなぁ。」
研究員C「おい、その丸薬、色間違えているぞ。そいつは、引き裂きの実が入っているやつじゃないか。」
研究員A「し、しまったっ。貴重なサンプルが・・・。」
研究員C「何やってんだ。そいつは貴重なサンプルなのに、博士に知れたらただじゃ済まねぇぞ。」
研究員B「あの赤髪、銃持っているぞ!!」
研究者A「なんだって!!!」
研究員Bの警告はむなしく、研究員Aは紅羽によって脳天をぶち抜かれて即死した。蔭蔓は、すぐさま死体からのがれたが、直後、悲劇は起きた。
霞「紅姉っ!!!」
霞の悲鳴に、2人の方を向くと、飛び込んだ研究員Bがまさに紅羽の首を、蔭蔓のナイフで切りつけたところだった。血が、辺り一面に飛び散って、倒れてなお紅羽の首からは水をこぼしたように血が溢れ続けた。
———首の関節をもろに斬られてしまったのだ。———
目の前で、紅羽が殺されてしまった。
霞「う、うそっ、くれっ、紅姉、紅姉ぇっ!!!!」
霞は気が狂ったように叫び始めた。すると突然、研究員Bの背後の地面から、先端の鋭い、透明な岩石が突き出て、彼の腹を一突きした。「うおぉーっ!」という唸り声とともに研究員Bも絶命した。
研究員C「宝石の樹だと?な、なんなんだ、なんなんだよこいつら。ば、ばけものっ!」
研究員はツタを生やして銃を奪おうとしたが、蔭蔓が拾うのが先だった。そのまま紅羽の真似をすると、運よく弾丸が飛び、研究員の腹を撃ち抜いた。
勝った。
すぐに切り替えて、銃を持ったまま、霞と二人だけで逃げるべきか、あるいは、紅羽の死体を背負って逃げるか等々考えていた。しかし、不幸にも、紅羽の死体を背負って逃げたいが、新たな追手が来るかもしれないのが怖くて、一瞬だけ、そんなことどうでもいいから自分だけでもとにかくこの場から逃げ出してしまいたいなどと思ってしまったのだ。
慌てて、何馬鹿なことを考えているんだ僕は一蹴したが、この一瞬の気の迷いが命取りになってしまった。それは、引き裂きの実の丸薬を飲んだにもかかわらず、気の迷いを生じたからだ。
蔭蔓は、理性的に考え続ける自己の傍らに、すべてを投げ出して無計画に逃げたいという恐怖心が居座る隙を与えてしまった。
蔭蔓「うわっ!!!」
蔭蔓は突然の頭痛に頭を抱えて倒れこんだ。
霞「蔭蔓っ、どうしたの!!!」
霞は蔭蔓に駆け寄ったが、返事はできなかった。自分でも信じられない現象が起こっていた。二次胚を形成したいもりのように頭の方から自分が真っ二つに割れ始めたのだ。
蔭蔓「な、なんだこれは・・・。」
霞も蔭蔓も圧倒されて絶句する中、腹を撃たれた研究員は突然笑いだした。
研究員「そうか、引き裂きの実か。ひへへへっ、嬢ちゃん、そいつはな、あの丸薬を飲んでから、迷っちまったのさ。一度自分の心が分裂したら最後、引き裂きの実はそれを増幅させて精神全体、そして、身体をも分裂させる。2回目の分裂以降は身体の成長が追いつかないにも関わらず、ありとあらゆる感覚、思考を起点に無限に身体を分裂させて、数分後にはそいつは砂の集まりになってしまうだグハッ!!!」
言い終える前に研究員の腹部を銀色の宝石でできた蘆木が貫き、研究員はそれ以上動かなくなった。
蔭蔓は全てを聞いていた。生き延びたくて、必死に自己を保とうとした。願った。
———頼む。持ちこたえろ———。
しかし、分裂は進んだ。
蔭蔓「うぐっ、うぐ・・・。」
霞「蔭蔓。踏ん張って、蔭蔓。踏ん張ってよ。」
努力はむなしく、蔭蔓は服を破いて、2人に分裂した。しかし、念が通じたのかその後の分裂現象は起こらなかった。
直後、一人は裸のまま逃げ出した。恐怖心に支配された蔭蔓の方だ。
そしてそれは僕だった。
遺体をどうするかとか、霞がどうとか、研究員がどうとか考える余裕はなかった。ただただ、怖くて、とにかくとにかく走っただけだった。滅茶苦茶な自分を止めようと思うことすらできなかった。
僕は、そういうものとして生まれてしまったのだ。
蔭蔓は逃げ続けた。逃げて逃げて逃げた。ある時、急斜面で足を滑らせた。そしてそのまま、先に広がっていた崖から落ち、真っ逆さまに谷底を流れる川の激流に飲まれた。
最後にみえたのは、身体から日陰蔓が生え始めたこと。