1章7話『ラルタロス』
3月27日 早朝7時 アミテロスの社にて あずさ
突然、本堂に向かって左側にある建物の扉の中から紫色の球体と巫女姿の女性が現れた。
球体のほうはよく見ると渦巻のような目やギザギザの口がついていて、ニヤリとしてこちらを見ている。女性のほうは20台に前半だろうか。
巫女は話し始めた。
巫女「あら、皆さんおはようございます。」
あずさ「おはようございます。私たち、アミテロス魔法学校の前部のものです。ラルタロス魔法学校後部への移動のために来ました。」
巫女「あぁ、魔物部の子たちですね。あなたたちのことは聞いております。では、早速転移させましょう。」
あずさ「転移ですか?どうやって。」
巫女「詳しく話すと長いですが、私が送り出させていただきます。さぁ、皆さん準備はいいですか。」
色々調べ上げていたはずのあずさにさえ何の準備のことか、見当がつかない。
待って、もう出発するの!?
球体のほうに目をやれば、にやにやしているだけで何も話さない。魔獣ではないのだろうが、怪しい。
あずさ「よろしくお願いいたします。」
蔭蔓「アミテロス魔法学校の後部の方ですか。」
巫女「ええ、そうですよ。前部時代は黒寮でした。今はバイト中です。」
そうだったのね。
蔭蔓「いえ、お疲れ様です。」
巫女「いえいえ。」
巫女「転移の話に戻りますね。皆さんには、ラルタロスにある寮の前に直接転移していただきます。寮の庭の周辺には結界が張られているので、安心してください。結界は家の中にございますので先日の件でご心配でしたら結界を囲むようにしてお休みになられるのがよろしいかと。」
あずさ「ありがとうございます。」
巫女「何かあったら、アミテロス魔学から、この伝達帳にメッセージを送ります。ラルタロス魔学からのメッセージもこちらで受信されます。こちらにメッセージを送ることもできます。アドレスリストは巻末に自動的に追加されるので参照してください。こちらは差し上げます。」
巫女はあずさに白紙の閉じてある本を手渡すと後ろへ下がった。
巫女「この伝達帳とても便利です。なくしても、再度購入できるはずですが、おそらく非常に高額なので。また、それまで連絡手段が途絶えてしまうことになりますから、旅の最中であったり、人里離れた地域であったりすると致命的なのでご注意くださいね。」
あずさ「お気遣いありがとうございます。」
うん。これは、男子どもに持たせず私が持っておこう。
巫女「それではいってらっしゃい。」
あずさ「え、もう説明は終わりですか。」
あずさがそう言いかけたが巫女は透明になって、空気に溶けるように消えた。途端に、球体のにやつき度合いが口裂け女のそれを超えたと思うやいなや、辺りはどこからともなく生じた霧で覆いつくされ、何も見えなくなった。金縛りにあったように動くこともできない。
将器「あずさ、大丈夫か。」
あずさ「大丈夫よ。将器が落ち着いて。」
蔭蔓「おいおい、誰か俺のことも心配してくれよ。」
しばらくすると霧は晴れた。
しばらくとはいっても5分ぐらいは立っただろうか。3人は比較的大きな古民家の前にいた。庭には、何本か広葉樹が生えていたが、辺りは古生シダ樹林だった。蔭蔓は、早速周辺に歩き出した。
シダ野郎。
将器「なんだったんだ。今の。」
あずさ「驚いたわ。実はあたしも、アミテロスの社へ行けば、交通手段がなくてもラルタロスに行くことができるって聞いていただけなの。空でも飛んでいくのかと思っていたけど。これじゃあ、瞬間移動ね。」
将器「じゃあ、ここはラルタロスでいいんだよな。」
蔭蔓「植生は8年前のラルタロスと一緒。ラルタロスの固有種もあるし。」
草むらにしゃがんでいた蔭蔓が突然口を開いた。シダに関することについては、蔭蔓は信頼できる。
あずさ「ラルタロスに来たってことで間違いないと思う。」
将器「まぁ、そうだよな。」
あずさ「けれど寮って、結構いいじゃない。古民家のシェアハウスなんて。ちょっとボロいけど。」
蔭蔓「ボロ寮ねぇ。住居は住むのに問題なきゃ、何でもいいでしょ。でも、耐震性はしっかりしてほしいけど。あと、雨漏りも困るけど。」
将器「とりあえず、入るか。今何時?」
すると、蔭蔓が荷物から不気味な時計を取り出していった。
蔭蔓「7時半。」
3月27日 7時半頃 ボロ寮にて 蔭蔓
ボロ寮に入る前に蔭蔓は再び景観に目をやった。辺りは巨大シダ植物である、鱗木、蘆木、封印木で覆いつくされている。見渡す限り20~40mのシダ植物が周囲に生えている。
落葉広葉樹や常緑針葉樹の優先するアミテロス魔法学校の広大な敷地からきた人間にとっては目を奪われるものに違いない。3人も例外なく、その壮大な景色に目を奪われた。
しかし、3人ともこの植生を見ること自体は初めてではなかった。皆、アミテロス島に学生として保護されるとき、ラルタロスを経由しているのだ。
つまり、例外的なのはアミテロス魔法学校のほうだ。アミテロス魔法学校の広大な敷地は動植物の多様性の保護施設として機能しており、絶滅危惧種の動植物で植生が構成されているため、多種多様な針葉樹、広葉樹、花などをみることができるのだ。
アミテロス魔法学校も含めた、生物多様性保護機能を持つ決して多くない施設を除いて、今日では世界中がコケ植物、シダ植物の優先林で覆いつくされているらしい。
世界中コケ・シダ植物という割には、植物系の魔法使いのうちシダ使いはそれほど多い割合を占めていないはなんでなんだろう?
3月27日 早朝8時 ボロ寮にて 将器
結界石が十分量あることを確かめてから、ボロ寮の一室の食卓を囲んで、皆で会議をした。といっても、掃除、料理、洗濯、買い出し、ゴミ出しなどといった家事の割り振りを決めていただけだ。しかし、買い出しのところで、あずさが疑問を呈した。
あずさ「伝達帳に送られてきた地図からすると、この寮は、ラルタロスの都市部から西側にある、シダ林を抜けた先にある孤立した一軒家なの。」
蔭蔓「うわぁ、危なそう。なんか、襲われそうだね。流石ボロ寮。」
あずさ「学校も都市部にあるから、通学路で結界のないシダ林の中を抜けなければならないの。」
将器「魔獣におそわれるかもしれないのか。」
あずさ「結界石を持ち歩けばいいはずだけど、たくさん買い込んでおかないといけないわね。」
蔭蔓「結界石って、ストックしておけるんだっけ?」
将器「発効という操作を行うまでは、ただの石だな。」
これは基本事項なんだけどなぁ。
あずさ「むしろ怖いのは魔法使い狩りね。」
蔭蔓「物騒だね。そんなのもあるの?」
将器「珍しくはないさ。カズが黒いローブの魔法使いに襲われたみたいに、俺たちが魔法使いだからという理由で襲われることがあるかもしれない。」
将器は蔭蔓が襲われたのは、蔭蔓の魔法が目当てだったのではないかと思っていた。
というのも、あずさは昔から蔭蔓の魔法は普通とは少し違うと思うといっているからだ。
蔭蔓「あぁ、確かにね。」
蔭蔓は目を合わせずに答えた。
将器「とりあえず、できるだけ一人での行動は避けよう。」
あずさ「そうしましょう。少し休んだら、買い出しにでも行きましょうか。通学路も歩いておきたいし。」
蔭蔓「じゃあ、俺はしばらく外散策しているわ。」
蔭蔓は食卓を後にし、将器とあずさはほとんど同時にいってらっしゃいと見送った。
こうして、新生活が始まった。もともと相性の良い3人組だったので、旅行をするような気分で極めて順調な始まりだと思った。しかし、生活基盤を整えているうちにはやくも一週間が過ぎ去った。