1章64話『朱殷《しゅあん》の捕食袋』
突如、右肩に激痛が走り、蔭蔓はその場に倒れこんで悲鳴を上げた。
蔭蔓「ああ、ああっ、あああっ!」
気づくと、右肩から、時々生えてきていたあの不気味な植物が生え始めたのだ。それも、今までのように芽と葉が数枚とかではなく、蔭蔓の上半身ぐらいの大きさの株に成長した。
そして、そのうちの複数の葉の先に、袋がついている。ふくらみのある朱殷の不気味な捕食袋だ。
蔭蔓「これは、ウツボカズラじゃないか・・・・・・。なんで、こんなものが・・・・・・。」
霞「限界が近いわね・・・・・・。茂蔓、あんたも急がないと。」
黒ローブって、茂蔓という名前だったのか。
茂蔓「ああ。ただ、おかげで拘束する手間が省けたよ。」
霞は頷いて一度退くと、近くの岩場の裏から魔獣狩り用の荷車を引いてきた。激痛であらがうこともできないまま、強引に二人がかりで、縄で荷台に縛りつけられ、草原を恐らく西側へと運ばれた。かなり長い間、二人は無言だったが、気づくと霧の深い湿地のような場所に出ており、枯れた芒が湿地一帯を黄金色に覆っている。
二人はぬかるみを上手に避けながら進んだが、やがて少し高台にでると、荷車に座り込んで喋り始めた。
幸い、意識はあったので、二人の会話を盗み聞きした。
茂蔓「計画通り蔭妖寮に運ぶつもりだったけど、ヴォルフの荷物の一部が運び出す途中、検閲に引っかかったようで、今は警備が厳しすぎる。」
霞「嘘、私バレたの?いい加減にしてよ。」
茂蔓「それは安心していい。顔も名前もばれてないはず。アレクシアの御墨付だ。」
霞「そう。あの研究馬鹿は一回殴ったほうがいいかも。」
茂蔓「まぁ、運が悪かったな。お陰で、本人はアレクシアともども指名手配中ときている。音宗や薊が別ルートを確保したとは言っていたが・・・・・・。」
薊?今、薊って言った?緑寮のあの薊じゃないよね?
考えたいことは色々とあったが、堪えて、耳をすませた。
霞「知らないわよ。で、どうする気?」
茂蔓「研究所に直接運ぶ。でも今日は野営だ。食べ物を取ってくる。気絶させといてくれ。」
霞「いちいち、命令するんだからっ!嫌われるでしょ、あんた。」
茂蔓「はっ。」
そういうと、茂蔓は霧の中に消えた。しばらくすると、霞が寄ってきて、蔭蔓の口輪を外した。
蔭蔓「研究所ってどういうことだよ。何するつもりだ・・・・・・。」
「ごめん。」とだけ言って、霞は持っていた手提げの中から黒い丸薬を取り出した。
蔭蔓「はっ?」
今更どうして謝るのか理解できなかった。ただ、喧嘩をする元気もなかったのでそれ以上のことは言わなかった。
霞「でも、従って。これ飲んで、気絶しておいてちょうだい。」
蔭蔓「誰がそんなもん。」
霞「あのさ、どうせ飲むんだよ。」
霞だけからなら、逃げられるかもしれないと、魔法を使うのを試みたが、縄から電気ショックのような痛みが生じ、魔法もなぜか使えなかった。
霞「はあ、馬鹿だね。ただの縄だと思った?」
魔法を封じる縄なのか。
蔭蔓「わかった・・・・・・。」
あきらめて口を開け、苦い丸薬を丸呑みした。案の定、飲むなり眠くなり、そのまま意識を保てなくなった。
12月20日 午前 繋木邸の寮にて 将器
男部屋に一人というのがこんなに寂しいものだとは思わなかった。風呂に入っても一人。起きても一人。蔭蔓がいなくなってからのこの数日間、とても寂しく過ごしていた。
さらに、魔獣狩りもひと段落してしまい、暫らく仕事はないと繋木さんにも言われ休暇を与えられた。こういったとき普段なら、組手をしたり、魔獣狩りにでたり、関連知識の習得に励んだりと精力的に過ごす。
しかし、あずさ、神那も含めて稽古するでもなく、居間に三人そろって、ボーっとしたりしながら、ときどき雑談するというのを繰り返している。それでも、あずさは色々読書しているようだが。
将器「やっぱ探しに行かないか。」
あずさ「奇跡に期待するわけ?」
将器「カズはそんな簡単にくたばる奴じゃない。あいつはもっと、生き意地が張っていて、どんなに片づけても、しぶとく部屋の隙間で繁殖するゴキブリみたいなやつだ。」
あずさ「何つー例えよっ!」
あずさが読書を中断して笑い始めた。
神那「あたしも、探したい。無駄かもしれないけれど、それでも、できることをするべきだと思う。」
あずさ「まあ、そうよね。ただ、あの瞬間を見てしまうとね・・・・・・。」
神那「それは、そうなのだけれど・・・・・・。」
神那は気が塞いでいるようだった。彼女の性格なら、不必要に自分を責めてしまっているかもしれない。
あずさ「はー、わかったわ。旅は道連れだものね。地獄の底まで行きましょう。」
あずさはため息をついていった。
将器「そう来なくっちゃな!」