1章58話『悪夢と百足のあるまじ木忌《き》』
12月10日 午後5時頃 繋木亭前にて 蔭蔓
今日は、夜の家事当番ではないので、作戦会議の後、3人と別れて霞を庭にある、とある紅葉の樹の下に呼んだ。
蔭蔓「倉庫から封印木棺の本持ち出したよね。」
霞「ええ・・・。だから?」
開き直られると攻めにくい。
蔭蔓「いや、せめて一声かけろよって。」
そうすると、やや機嫌悪そうに「次はそうするわ。」と霞はそっぽを向いた。
蔭蔓「二つ聞きたいんだけど。」
霞「なに?」
霞はそっぽを向いたまま答えた。
蔭蔓「封印木棺の本、複製できること知っていた?」
霞「知っていたわ、シリーズの他の本も同じ性質を持っているし。」
なるほど、当たり前のことを質問してしまったわけだ。
蔭蔓「あとさ、蔭人って知っている?」
霞はしばらく考え込むと、やがて口を開いた。
霞「・・・闇魔法の魔法使いのことじゃない?魔法使い狩りに追われたとき、そういうふうに呼ばれたわ。」
質問を続けようとしたが、霞が蔭蔓を直視して言った。
霞「もういいかな。私も次は無断で持ち出したりしないからさ。」
蔭蔓「あぁ、俺もしつこかったな。」
蔭蔓は神那に尋問されたときのことを思い出していた。あの時は本当に怖かったし、結局トラウマになった。だから、あまり一方的に問いただすのは他人にもしたくなかった。
霞「特殊な魔法使いだからという理由で誘拐されそうになったこと話したでしょ?」
蔭蔓「ああ。」
霞「それもあって、どうしても封印木棺の先に行きたいの。」
霞はとても切実にみえた。霞も蔭蔓らと似たような状況なのかもしれない。何かから逃げたいのかもしれない。
だが、それもということは、他にも事情があるということなのだろうか。
霞「じゃ、行くわ。」
そういうと、霞は館に戻っていった。期待以上のことは得られなかったので、やや落胆気味に寮に帰ると、廊下で何者かに肩を掴まれた。
蔭蔓「うわぁっ!って、あずさか。」
あずさ「蔭蔓、あなたいったいどうなっているの?もうちょっと情報共有すべきじゃない?」
蔭蔓「話そうとは思っていたんだ。ちょっとタイミングがずれちゃってさ。」
すると、あずさは蔭蔓のことを睨みつけた。一瞬あずさの肌が金属みたいに光を反射したように見え、しばらくすると、あずさは話し始めた。
あずさ「嘘ではないみたいね。そうね、夕食の後に気のすむまで聞かせてもらうから。」
蔭蔓「俺も、一つだけ聞いておきたいんだけど。」
あずさ「あら。何かしら。」
蔭蔓「やっぱり嘘が見えるの?それ魔法?」
あずさ「まぁ、そんなところよ。いつか詳しく教えてあげる。時間のある時にね。」
蔭蔓「じゃあ、繋木氏の嘘は初めの段階で見えなかったの?」
あずさ「あのときは見えるほど集中していなかったの。残念だけど。」
蔭蔓「いろいろあるんだな。」
あずさ「それは、あなたも同じでしょう。」
すると、「いや、色々あり過ぎだろっ!」という快活な笑い声とともに、将器が、その後ろから神那が居間からでてきた。
蔭蔓「何だ。お前ら、盗み聞きとはいい趣味じゃないか。」
神那「違うわよっ!夕食もうできたから呼びに来たら。」
神那が頬をふくらませて反論した。
ちょっとかわいい。
それにしても、早くないか?あ、そうか。昨日の残り物にするってさっき言っていたな。
将器「夕食後とは言わずに、今から情報共有と行こうぜ。」
蔭蔓「はいはい。」
神那「そうね!それがいいわ。」
というわけで、やっと3人にこの数カ月わかったことを話した。
12月10日 深夜頃? 寮にて 蔭蔓
夢を見た。
蔭蔓は寝泊まりしている、繋木邸の寮の中にいた。男部屋だ。
しかし、将器はいない。
「おーい、将器。」
呼んでみたものの誰も返事をしない。その代わり、嫌な音が聞こえた。
這いずりまわるような音。しかも、這いずりまわっているのは一本や二本の手ではない。数十本はゆうに超える脚だろう。
百足だ。
巨大な百足が、蔭蔓の後ろの正面にいた。
蔭蔓「な、なんなんだよ。」
目は金色、顔面には立派な2本の角が生え、胴体は黒、足は赤で体全体に金属質の光沢がある。体長は1mほどだろうか。
蔭蔓は夢の中で悲鳴を上げて、目を覚ました。けれど、目覚めたのは夢のせいではなく、どうやら本当に悲鳴が聞こえたからだった。
12月11日 早朝2時頃 寮の寝室にて 蔭蔓
目が覚めて、時計を見ると、夜中二時過ぎだった。
おい、丑三つ時じゃねえかよ。やだなぁ。こんな時間帯に悲鳴だなんて。
悲鳴はいまも聞こえている。しかも、女子部屋からだった。
将器と暗闇の中、目が合って、阿吽の呼吸で女子部屋の前に行った。
将器「どうした。開けるぞ!」
神那「やああぁっ!」
神那の気合が聞こえ、あずさの「いいわ。」を待ってから女子部屋に入ると、部屋の中央には、刀が刺さって、一ッ葉でがんじがらめになっている、1mほどの大きさの全身に金属質の光沢のある百足が、捕らえられていた。
何を隠そう、夢で見たものと全く同じだった。
蔭蔓「あ。」
あずさ「お手洗いから帰ったら、壁をこいつが這いずり回っていたのっ!」
将器「こりゃ、魔獣だろ?このサイズ、どうみても。」
大昔にもっと大きい百足に似た生物がいたって話聞いたことがあるけど・・・。
いや、そんなことは、どうでもよかった。問題は、蔭蔓がまさに夢に見ていた蟲の魔獣が目の前にいることだ。
神那「これ、あるまじ木忌よ。魔力の質からして。」
蔭蔓「なん・・・だって・・・。」
神那の分析を耳にした瞬間、ある仮説がすぐさま蔭蔓の脳裏に過ったのだ。
神那「でも、どうやって入ったのかしら。そもそも、繋木邸にこんなものが出現するなんて・・・。」
蔭蔓「神那、あるまじ木忌って、どのようにして生まれるかわかっていなくって、一説には霧の中から突然現れるんだよな。」
神那「煙って教わったけれど・・・。まさか、今女子部屋の中で数分前に突然生まれたっていうの?」
蔭蔓「どう?他に考えられる?」
神那「ありえるようには思えるけれど・・・。」
蔭蔓は呆気に囚われて、魔獣を見つめた。
あずさ「ええ。でもきっかけがないわ。」
いや、きっかけになりうるものならある。蔭蔓がこの百足を見た夢だ。
将器「とりあえず、生け捕り用の魔獣籠に閉じ込めておくか。」
蔭蔓は上の空で頷き、将器は神那に軽く断ってから、刀ごと魔獣を引き抜き、水の魔法で囲んで外へ運んでいった。
抜き取るときに、体液が身体からあふれて畳を汚した。独特の刺激臭がする。
そのあとは、仕方がないので、雑巾がけを手伝い、将器と共に男部屋に戻った。
夢で百足を見た直後、女子部屋に夢で見た百足が現れた。夢で見た・・・。
そのとき、蔭蔓はどうしてこの言葉がひっかかるのか思い当たった。
言葉にするより先に、身体が動くということはこのことなのだろう。雑巾がけの後、気づけば一人で実験倉庫に駆け付けていた。そして、『黒百合の少女』の複製を開く。
あった。
“その夜、少女は夢を見ました。
彼女は村にいました。
静まり返った夜の村の大地から、彼女の見たことのないものがたくさん現れました。
怪物たちです。
紫色のねとねとに、大きな目や口のついた怪物たちでした。
それらはいびつでしたが、彼女はそれらを美しいと思いました。
しかし、
しばらくすると、頭から細長い管がたくさん生えてきました。
怪物たちは村を襲い、眠っていた人々を口や管で飲み込んで、建物をたいあたりで壊しつくしました。
翌日、朝寝坊して目を覚ますと、彼女はお花畑の中にいました。
どうやら、お花畑で寝てしまっていたようです。
辺りを見回すと、村は夢で見たように壊れていました。彼女以外誰もいません。
もう村にいることはできません。生きていくことがままならないからです。
でもきっと世界は、私の知らない美しいものであふれているのだろう。夢に見た怪物たちのように。
村がなくなったのなら、新たな村に行けばいいのだわ。
少女はそう思って、旅に出ることにしました。
なぜか消えてしまった村の人たちのために、少女は新しい黒百合のお花畑をつくりました。
村一面に黒百合の花を咲かせたのです。
すると、物陰から、夢にいた怪物の子供が一匹でてきました。“
この部分だ。
蔭蔓は力強く、この子供向け絵本を握りしめた。霞の同意も得たことだし、蔭人とは、“蔭人=闇魔法使い=特殊な植物魔法の魔法使い”というものであることは前提にして考えよう。
まず、絵本から読み取れる事実の部分を列挙しよう。
1、この少女は、顔のない魔法使いによって、黒百合使いになった。
2、そしてそれから、夢を見た。
3、夢の中で、村の大地から現れた少女が今までにみたこともない怪物たちは、村を襲い、眠っていた人々を飲み込んで、建物を壊しつくした。
4、翌日、黒百合の花畑の上で目覚めると、村は壊れていて、誰もいなかった。
一見して意味不明だが、この意味が分かったのだ。
村人はいるはずがない。なぜなら、村人たちは、少女が夢で見た怪物たちに、夜の間に飲み込まれてしまったからだ。建物だって壊されている。同じく怪物たちに壊されたからだ。
つまり、少女の夢はその夜実際に起きていたことに対応している。恐らくほとんど同じことが起きていたのではないだろうか。
そして、その確証はある。村人を黒百合で弔った後、少女は旅に出る。それも、怪物の子供と共にだ。これは、怪物たちが実在したことを示しているに違いない。この子供の怪物を除いて、怪物たちは別の土地に移動したと考えれば矛盾もない。
つまり、少女は村に現れた怪物を夢に見た。蔭蔓が女子部屋に現れた百足を夢に見たように。今、蔭蔓は蔭人とみなせるから、少女もそう見なす。百足は神那によればあるまじ木忌だから、少女の夢に現れた怪物もあるまじ木忌だとすれば、一つの仮説が得られる。
蔭人は、あるまじ木忌の出現を夢に見ることができるのではないだろうか?
少女が夢に見たことが、あるまじ木忌の出現と一致するならば、怪物たちが、夢に見るまで見たこともないような怪物たちであったことも説明される。
しかし、一つ問題があることに気づいた。この現象には大きく2つの解釈がありえるということだ。
蔭人があるまじ木忌の出現を予知夢で予知したという解釈はもちろんある。けれど、蔭人があるまじ木忌の夢をみたために、あるまじ木忌が誕生してしまったという解釈も全くありえてしまうのだ。
もし、後者が正しいとすれば、蔭人は災いそのものと忌避される、あるまじ木忌を生み出す存在ということになってしまうだろう。
翌日、霞に将器が事情を話すと、彼女は無言のまま聞き続け、最後に一言こう言い放った。
霞「焼却するわ。跡形もなくね。」
その後、蔭蔓は『黒百合の少女』をその日のうちに一言一句暗記した。