1章55話『動き出す蔭《カゲ》』
12月10日 午前8時過ぎ リプロスの商店街の一角にて 霞
その日、霞はリプロスの商店街の一角に来ていた。霞は近くの木製羊歯の切り株に座った。切り株には名前は知らない腐植性の茸が生えている。街には、普段通り子供もいれば、覆面の魔法使いもおり、飾らない活気がある。
すぐ手前にあるのは、霞の行きつけの菓子屋。あそこの羊羹は文句のつけようがない。けれど、今日は買い物に来たのではない。
霞は言霊をつないだ。
「調子はどう?」
「そろそろ、限界が近い。今回が最後のチャンスだろうな。」
「・・・・・・わかったわ。」
「そっちは、なんだった?」
「そんな簡単じゃないよ。」
「あぁ。だが、十中八九計画に影響はないだろう。」
「そうね。」
そのあと、事務的なことを話し合い、用件が終わると霞は言霊を切って、空を見上げた。
はじまるんだね。
というか、せっかく待ち合わせに間に合ったのに、あいつ、まだいないし。
「ハァイ。カっちゃん!」
あ、来た。
「あのさ、カっちゃんって呼ぶなっていってんでしょ!?」
アレクシアだ。
「だって本名で呼べないじゃない!?」
相変わらずの明るさというか。まあ、アレクシアの毒気のなさは好きだ。
「もういいよ。ほら、とっとといくよ。」
とは言っても、案内をするのはアレクシアのほうだ。何はともあれ、二人は目的地に向かった。
連れられてきた街はずれの通りは、二・五メートルほどの塀に囲まれた屋敷の立ち並ぶ人気の少ない場所だった。街路樹にはリプロスでは有名な、お化け松葉という深緑色の巨大な羊歯が生えている。
これは、突然変異で羊歯植物の松葉蘭が大型化したもので、霞が好きな植物でもある。
そのさらに外れに目的地はあった。その建物は、歩いてきた通りにあったものより数倍大きな屋敷で、霞の二倍はある木製の塀に囲まれている。屋敷の門には数名の禍々しい黒装束の魔法使いどもがたむろしている。
ここが、蔭人結社、蔭妙寮の中央拠点。
霞は背の高いアレクシアの後ろに隠れた。
アレクシアの顔パスで門番をやり過ごし二人は屋敷入った。道中何人もの黒装束の魔法使いとすれ違いながら、奥の隠し階段を地下へ地下へと下った。
霞「ここにいるやつ全員が蔭人とはね。」
アレクシア「皆いいひとなのよ。」
霞「へえ・・・・・・。どこが?」
地下の雰囲気は屋敷から全く想像のつかないものになっていた。地下三階にはエレベータ―があり、周辺には恐らく一台、数千万wもするだろう機器で埋め尽くされている。二人はエレベーターで地下十階まで下り、B122号室にたどり着いた。
「ヴォルフ、入るわよっ!」
厚い金属の扉にカギはかかっていなかった。中にいたのは、簡単に言えば白衣に身を包んだクリーム髪のひょろ眼鏡。部屋は扉と同じく青みがかった鉄色の分厚い金属でできていて、彼は机の前で椅子に腰かけて背もたれを倒している。
壁はすべて収納になっていて実用的。そこに収納されているのが無数のガラス瓶で、その中では毒虫や蛇が不気味にうごめいている。
「お、来たね。ということは、そこの仮面の人がこのあるまじ木忌、名付けて八岐-スネークジュニアを欲しがっているという。」
「大声で言うことじゃないでしょ。」
一応、既に個室の扉はアレクシアが閉めていたものの、あるまじ木忌の取引はこの組織では重罪中だ。なぜなら、当該組織ではあるまじ木忌を取り扱う勢力が他にあってはならないことになっているから。私の目的がばれてしまえば即捕縛される。
「今、監視部屋に流れているのはフェイクビデオさ。少なくとも、君の安全は保証しようじゃないかっ!」
ヴォルフと呼ばれた青年はひるまない。
「なんなのこいつ?」
突然の道化の登場に、霞はアレクシアの肩を引っ張り、説明を求めた。
「こちら、ヴォルフガング。みんなヴォルフって呼んでるわ。なんというかぁ、オタク系?けど、素敵な人よ。」
素敵ね・・・・・・。どうぞ頑張りな。
そうしているうちに、ヴォルフは一つの瓶を彼の棚の中から取り出した。中には黒い瞳を持つ小さな白蛇が入っている。
「で、妖壊期は?」
「ああ、十二月十七日午前十時から十二時頃にはなるはずだ。巨大化して、八つの頭を持つ怪物になるはずだよ。」
「退治はできるの?」
「殺し方?そんなのあるわけないじゃないか。だって、この子あるまじ木忌だよ?まあ、殺し方と呼べるものが存在するようなあるまじ木忌が存在することは認めるが、この子の場合はちがう。あるとすれば頑張るとかかな。」
もっとフツーにいえよ。
独特な語り口ではあったが、事実に関しては極めてドライなようだ。研究馬鹿タイプなのだろう。
しかし、通常妖壊期に壊滅的な自然災害になってしまう魔獣、あるまじ木忌を放つのを容認している言動は、組織のあるまじ木忌狩りとしての側面に真っ向から反している。
悠長に話している時間はないので黙っていると、気を利かせたアレクシアが「彼は腐植社ではないけど、協力者よ。今日はあなたとの顔合わせ会も兼ねているの。チョコレートケーキは用意できなかったけど・・・・・・。」とやや残念そうに付け足した。
するとヴォルフも、
「そうだね、僕はもう彼と話をつけている。しかも、まだ処分は下されていないが、もうすぐ上の命令でここもおわれてしまう身だ。」
「おわれる?なんで?」
「自分の実験が原因で、ラルタロスに大量のあるまじ木忌を放ってしまって、回収と隠蔽工作で今、大変なことになっているんだ。もちろん、わざとじゃないことになっているけど・・・・・・。」
ヴォルフガングの言ったことは質の悪いブラックジョークに聞こえた。
放ったあるまじ木忌が妖壊期に達せば、基本的には未曽有の自然災害になるわけだから、蔭妖寮は全力で始末をつけなければならない。
「・・・・・・はやく消えたほうがいいね。」
「望むところさっ!唐檜山ヴォルフガングだ。ヴォルフと呼んでくれっ。」
ヴォルフは、意気揚々としている。
「上等じゃない。白芦原 霞よ。」
その後、霞は作戦当日までの蛇の管理法など、諸々の説明を受けた。最後に、瓶を受け取ってアレクシアに案内され撤収という流れになった。仮面の中から蛇の様子を伺うと、蛇もこちらに気づいて負けじと睨み返している。
どうせ逃がすわけだし、ほっておこう。
ただ、ヴォルフに放たれた蛇たちが街に被害を及ぼさないか心配だった。
でも、多分どうにかしてくれると思う。あいつが。
12月10日 夜 とある遠方の峡谷にて 闇の使者
約一週間の旅路の末ようやく目的地にたどり着いたばかりだというのに、少し休んだと思えば、すぐにラルタロスまで戻らなければならなかった。
この峡谷は今までに訪れたことのない場所で、残念ながら、途中からは曇り空の回廊で直接ワープしたりすることはできず、徒歩で向かうしかなかった。
しかし、帰り道は違う。帰り道はとある理由からワープを用いることができたので、それこそ一分もかからずに、使者はラルタロスに到着していた。
腐植社ラルタロス支部、通称、社跡地に移動し、変装を済ませた。一応、短剣や毒針を数本懐に忍ばせ、対人戦闘の準備をする。我ながら随分手慣れてしまった。
これでも十年前はただの少年だった。全ては、蔭妙寮に捕まったことから始まった。
蔭妖寮とは世界各地から集結した、蔭人のみによって構成される五〇〇名前後の秘密結社だ。
蔭妖頭に率いられ、リプロスに本拠地を持つ中央機関の蔭妖社、
六人の蔭妖師率いる我らが腐植社をはじめとする六つの結社、
さらに下位の蔭妖准師率いる十二の結社を合わせた全十九の結社の集まりだ。
中央拠点のあるリプロスには実に一五七人の蔭人がいる。
主な職務はあるまじ木忌の退治、蔭人の保護、そして、蔭の世界の知識の秘匿と継承及び研究だ。
今日は、もと蔭妖師であり直々の先輩である、ヴォルフが放った蛇のあるまじ木忌の幼体の回収のために来ている。
無論、これも作戦の一環である。
拠点の外に出ると、まだ小さな鱗木に白い大蛇が絡まっている。
「噂をすれば・・・。」
使者は蛇に近づいた。回収するのは白いあるまじ木忌だが、これは大量発生している灰色の色蛇だった。そもそも、回収する蛇は小さな幼体だと聞いている。なら、すべきことは決まっている。
使者は黒い剣を手に取った。この剣は、切れ味が落ちない。手から落としても、魔力で手に戻せる。そして、剣でない形態というのもある。
念じるとそれは大きな黒い大鎌に形を変えた。それを振り下ろすと、色蛇は灰になって消えた。
生命現象を壊して灰にする鎌。この鎌なしには今の地位は実現できなかっただろう。
話しを戻せば、約十年前ある理由から蔭人であることを気づかれてしまった。結果、使者は蔭妖寮に捕まり、蔭妖寮に強制的に入寮させられることになった。
自分の正確な年齢は知らないが、十歳は越えていなかったであろう当時、大人の格好をした蔭人五人相手に逃げ切ることはできなかった。あの時は、この鎌の力もなかった。
けれども、蔭妙寮に埋もれてしまうことは決してなかった。
それができたのは、目標があったからだ。それは、迎えに行くべき者を迎えにゆくこと。
そして、入寮して三年が経つ頃にはすでに、現在遂行中の具体的な離脱計画の立案に至っていた。
現在、蔭妙寮の仕事とは別に実行中のこの計画は、実に十年がかりなのである。
十年前から、計画遂行のため努力に努力を重ねた。まず必要だったのは、組織内で裁量権の大きな地位に就くこと。幸い、実力主義の組織なので、五年たつ頃には蔭妖准師に、三年前にはヴォルフの助けもあって蔭妖師に任命されていた。
年齢不詳とはいえ、いずれも明らかに最年少の記録だった。
その後暫らく、拠点の周囲を探したものの有益な成果は得られなかったので、ラルタロス魔法学校附属図書館に移動した。
長期潜入、機密漏洩時の破壊工作、自身を蔭人とは知らない者、不自覚者の回収。これらが主な使者の仕事で、得意分野でもあった。
ちなみに、闇の使者というあだ名は、自ら回収した元不自覚者たちに付けられたものだ。
闇、すなわち、蔭からの使い。本来蔭なる者たちを、蔭の世界に引きずり込む者、その始まりを告げる使い、その変化を予感させる者、という意味で。
得意分野の性質上、そして、計画の都合上、今は少人数のゲリラ部隊、腐植社を組織している。
燕アレクシア、米田薊、夏樹音宗。腐植社構成員は皆、使者自ら回収した元不自覚者のうち、それぞれの個人的な理由によって、この蔭妙寮離脱計画に賛同した者たちだ。
そして、蔭妙寮離脱の後に控えるものこそ、僕の本命なのである。