1章52話『蔭蔓《カゲル》と将器《ショウキ》』
8月25日 明け方 雑木林奥の実験倉にて 蔭蔓
粛淑と研究を進めていた。やったことは日陰蔓や鱗木の育成と培養だが、70通り以上の異なった条件を順を追って検証中だ。
進展はなかったけど。
考えられることはすべてするようにしている。育成するにしても、ただ育成するのではない。霞の蘆木や繋木氏のヘリアンフォラと合わせて育ててみたり、寒天培地で電位を与えてみたり、水の量を変えてみたり、特定の波長の光だけを集中的に照射してみたり、紫外線や赤外線を当ててみたり。
植物細胞の培養にしても同じだ。例えば、自分のからだをいじられるようで不本意ではあったが、蔭蔓自身のかわりに霞に魔法で育ててもらうことも試みた。
ダイヤモンドになることはなかったけど。
しかし、植物をダイヤモンドにする力を霞が持っているのではなく、やはり、霞の蘆木がダイヤモンドになることが分かったのは発見と言えば発見。
今日は午前の実験を終えて、今、倉の軒に霞と蔭蔓は並んで座っている。
蔭蔓「てかさ、いつも手伝ってくれるのなんで?」
霞「暇つぶしだから、変な気を起こすな。」
軒に座っていた霞は、やれやれと立ち上がった。
蔭蔓「起こしてネぇヨ!」
協力的という意味では繋木氏もそうだった。例えば、実験に必要なシャーレ等々を蔭蔓の微々たる報酬で買い切れるはずもなく、繋木氏が融通してくれたのだ。投資家としての思惑はあるのだろうが、それにしても親切だ。
蔭蔓「なぁ。」
霞「あぁ?」
蔭蔓「初めて、蘆木をダイヤモンドに変えた時ってどんな状況だった?」
霞「ちっ・・・。」
霞は舌打ちをしただけだった。
蔭蔓「栗羊羹。」
霞「・・・何本?」
蔭蔓「3本。」
霞は短くため息をついて話し始めた。
霞「魔法使い狩りに襲われたことがあってさ、そいつをダイヤになった蘆木で刺し殺したときから。」
蔭蔓「悪い。」
霞「いい。けお、その前から勝手にダイヤとか、六方晶ダイヤになることはあったんだ。あんたが特殊な植物使いなら、もうとっくに変なことが起こってんじゃない?」
蔭蔓「俺の日陰蔓は違うと思う?」
霞「知らないよ。でも、創のみたく袋の中に入ってみないと分かんないようなのもあるわけだし・・・。」
蔭蔓「そりゃそうだ。」
その後、暫らくたわいのない言い合いをした後、霞は繋木氏の外出の準備の手伝いのために館に戻った。
蔭蔓「ひょっとすると、もう見えていたりして・・・。」
まぁ、どうせ手探りなわけだし、気長にいこう。
このとき、蔭蔓は館の庭に起こっている異変に気付くことはなかった。
10月26日 午後 色合川沿いにて 蔭蔓
平穏で周期的な屋敷での研究生活とは裏腹に、ヘリアンフォラの外での魔獣狩りは熾烈を極めていた。
繋木氏の指示で、既に複数の遺跡を巡り、細長い円柱や直方体の金属を集め続けた。今や、6度の遠征を経験している。
特に何も起きなかったことも一度はあったが、無限に分裂する大蛇と激戦だったり、色蛇の沼地を通ったり、正体不明の人型アメーバとの戦いだったりと基本的に繋木氏の人使いは荒かった。
ダイヤモンド化する巨大木性シダを連発できる霞が大抵は同行したのは、不幸中の幸いだった。
一方で、リプロス密行は格別だった。今日は、将器と二人で魔獣市の開かれていた川に来ている。この川の名前は、色合川。この川の支流の一つである銀箔川のほとりにて、2人は出会った。
色合川をそって、川を上流へと昇っていくと、リプロスの外れ、ススキの繁茂する草原にでる。ここには、将器と蔭蔓以外に人はいない。
将器「なぁ、昔のこと思い出さないか?」
蔭蔓「あぁ。」
約9年、10カ月前 銀箔川のほとりにて 将器
嵐の跡の夜明けだった。晴器おじさんはもういない。彼は港から銀箔川まで、将器を命がけで守ってくれた。
リプロスに向かい、おじさんや父さんのような誰かを守れる強い魔獣狩りになること。これが最初の頃の将器の目標だった。あの魔獣は多くのものを将器から奪ったが、与えたものもあったということだ。
将器は今、食料と水、結界石、そして、おじさんの形見の数珠だけを持ってただひとり、リプロス高原を進んでいる。目指すは魔獣都市リプロス。
リプロス高原には多年生で小型のシダや苔が生えている以外食べられそうなものはない。枯れたススキの葉の上には雪が積もっていて、気を付けないと足跡が残ってしまう。
将器「おぉ、川だ。」
地図で確認すると、おそらくこれは銀箔川。川を泳いで渡り、衣服を魔法で脱水し、川沿いの岩場で野営することにした。
あと少しで、リプロス到着だな。
指先に出した水を飲みながら地図を確認しながら、自分を奮い立たせる。
魔獣のみならず、人さらいも怖かったので、できるだけ痕跡を残さないよう辺りのススキを集めて体を冷やさないようにし、残りの食料を消費していた。
存外温かいススキの布団にくるまって川を眺めていると、上流の方から緑の物体が流れてきた。
なんだありゃ?流木にしてはずいぶん大きいような・・・。
川から流れてきたのは、果物ではなく子供だった。全身がわかめのような水草に包まれている子供。年齢も将器と同じぐらいだろうか。
助けないとじゃないかっ!
将器は川に飛び込み、水を使って子供を手繰り寄せた。平坦な川だったので、幼いとはいえ水の魔法使いの将器には容易かった。子供を背負い、川のほとりに再び上がった。
将器「おい、大丈夫か?」
脈はあるし、生きてはいるようだ。しかし、身体が冷え切っており意識もない。驚いたことに、先ほどのわかめのような水草は、少年に絡まっているのではなく少年から生えている。
どうやら少年は、将器と同じ魔法使いのようだ。
助けなくてはと必死だったのだが、胸が躍った。同じ年齢ぐらいの、しかも同じ魔法使いの少年が川から流れてきたのだから。
自分に強がってはいたものの孤独と不安でいっぱいだったので、もし旅仲間ができるのなら、それは願ってもないものだ。それに、彼とリプロスでネイチャーを保護しているという組織の所へ一緒に行くことができるかもしれない。
将器は思い直し、結界石を発効させ、魔法で乾燥させた枝や流木を使って、焚火をした。来ていた羽織を少年にかけて、彼の身体が冷えないように火のそばへと運んだ。
幸い人の気配はなく、少年も数時間後に意識を取り戻した。
将器「おぉ!聞こえるか?」
弱々しく開いた少年の眼は、墨で塗ったような黒色だった。周囲の光を吸い込んでしまうような彼の眼に、この世の者ならざる力を感じだ。
しかし、今はそれどころでない。
少年「・・・ここは・・・どこだい。」
意識を取り戻したかっ!
将器「俺は、将器だ!!お前、名前は!?」
少年「・・・名前?」
将器は少年が答えるのを待った。
少年「・・・わからない。」
少年には記憶がなかった。言葉と知識は覚えていても、過去の記憶がなかったのだ。少年は悲しげに目を閉じた。ほっておけば、再び意識を失ってしまいそうだ。
将器「お前、魔法使いだよな。体中から生えているそれ、なんだ?」
少年「これは・・・。」
暫らく少年は口をつぐんでいたが、何かを思い出したようで興奮気味に続けた。
少年「これは、日陰蔓。そうだっ!僕の名前は蔭蔓・・・、だった気がする・・・。」
将器「じゃあひとまず、蔭蔓で行こう。改めて、俺は将器。よろしく頼むぜ!」
蔭蔓「将器か・・・ああ、わかった。」
将器は蔭蔓に状況を伝えた。リプロスという都市に向かっていること。そこで、魔法使いの子供を保護している組織に保護してもらうために旅をしていること。高原に長居するのは危険だということ。
記憶がないのにも関わらず、蔭蔓は驚くほどに物分かりが良かった。話し始めて半時間と立たないうちに、2人は意気投合し、2人でリプロスを目指すことになった。