1章48話『開縁《カイエン》の仮説』
8月11日 午後8時頃 医務室にて 蔭蔓
神那「あら、来たのね。」
部屋に入ると、布団に入り、箏を撫でている神那に迎えられた。蔭蔓は頷いて中に入った。右手には隠れ烏帽子を持っている。
蔭蔓「まず、これは返すよ。必要でしょ。」
神那「・・・そうだけれど、蔭蔓もだろうし、持っておいてほしいな。」
神那はためらってからそう答えると、布団の中でしゃがみ、軽く微笑んだ。
蔭蔓「なら、俺が必要な時貸してくれればいい。君の兄さんの遺品と思うと重すぎるからさ。」
神那「・・・そうかもしれないわね。わかったわ。」
神那は受け取ると、大事そうに膝で抱えた。
返してよかった。
急に気まずくなって暫らくお互いに無言だったが、沈黙を破ったのは彼女のほうだった。
神那「・・・私のことやっぱり信じてくれないかな。」
蔭蔓「それは・・・。」
答えは変わらない。
神那「そう・・・よね。」
蔭蔓も彼女の正面に座った。
蔭蔓「約束を俺が守るってことで我慢してくれないかな。」
すると、急に神那は笑い、「あれだけ命張ったっていうのにひどいわ。」とからかうように言った。ひとまず、泣かれたり怒られたりされずに済んで幸運だったということだろう。
蔭蔓「・・・まぁ、建前として。」
神那「いいわ。わかりました。無理は言わないからさ。」
神那は続けた。
神那「でも、私もその約束を守るから。だから、受け身にはならない。もちろん、手伝えることがあればするけれど・・・。」
蔭蔓「ホント?」
蔭蔓は敢えて大げさに確認を取った。手伝ってもらいたいことだらけだからだ。
神那「ええホントウよ。」
神那はやはり潔白を信じさせたいのか、はっきりと返答した。
蔭蔓「じゃあ、教えてほしいんだけどさ。」
神那「うん、私のわかることなら。」
深呼吸して本題に移った。
蔭蔓「なら単刀直入に聞くけど、その一ッ葉ってさ、闇魔法って呼ばれているものなの?」
神那は予想通り、神妙な顔になり口を閉ざした。開縁に続いて神那もこの有様なので、これだけでも十分な情報になる。この二人は何かしら、闇魔法についての情報を持っている。
この質問をしたのは、単純に神那の魔法、すなわち、魔力を吸い取る植物があまりにもイレギュラーな魔法に思えたからだ。植物魔法と言えば、術者の身体に宿っているのはただの植物だ。魔法と言はいっても、自然現象の簡単な促進でしかない。
だから蔭蔓には、神那の一ッ葉、そして、あるまじ木忌と彼女の自称する力は闇魔法と呼ばれるにふさわしいものに映った。
少なくともきっと、魔導の深淵に通じる何かだし、そうに違いない。
蔭蔓「違うの?」
しばらく喋り出さないので、たたみかけた。純粋に、真実を知りたいという探求心で。
神那「いいえ、違うというわけではないかもしれない。けど・・・。けど、あまり深入りするのは危険だと思う。私もよくわからないし・・・。」
皮肉にも、蔭蔓は自身を、人生で一番、物理的な危険にさらした者に、身の安全を案じられているようだ。「君が言う?」と言いそうになったが、また、泣かせてしまうかもしれなかったので慌て黙った。
蔭蔓「俺の味方になってくれるんでしょ?」
神那「それは、そうだけど・・・。」
神那は、確かに心配しているように見える。それは未知なるものへの不安というより、数々の残酷な現実と向き合ってきた彼女だからこそできる心配なのだろう。
しかし、蔭蔓は進まなければならない。なぜならそれが、蔭蔓の決断だからだ。黒ローブの正体を知った魔法使いとして生きていくと決めたそのときから、それは揺るがないのだ。
蔭蔓「まぁ十二分に覚悟はできているから、教えてくれないかな。」
蔭蔓の様子を確かめると、神那は深く頷いて口を開いた。
神那「実は、開縁様が研究していらしたの。」
蔭蔓「闇魔法について?」
神那「ええ。一人で極秘に。私、開縁様には一ッ葉の魔法のこと伝えたの。もちろん、ずっと黙っていてくれたけれど、いつだったか見せてほしいって言われたから少しだけ試したら、「闇魔法じゃないか?」って。その時から教えてもらったの。」
蔭蔓「なるほど。」
話を信じれば、神那も開縁も、互いに自分の極秘事項を大胆に共有していたとなる。
神那「開縁様は闇魔法と呼ばれる魔法と植物魔法に深い関係があるのではないかって考えていたわ。」
蔭蔓「へぇー。ここで、植物魔法でてくると。」
植物魔法と言えば、蔭蔓の鱗木や日陰蔓の魔法も該当する。神那は静かに続けた。
神那「そもそも闇魔法というのは、魔法の中でも自然現象としてあり得ないようなことを引き起こすものの一部が分類されているようなの。わかりやすいのは、物を一時的に消したりとか。」
蔭蔓「それはなんとなく知ってる。」
神那「なら早いわ。開縁様が魔法学校設立以前は何をなさっていたかは知っているでしょ?」
蔭蔓「魔法使いの孤児の保護と古魔術書研究。」
蔭蔓はチャーリー司書との会話を思い出しながらできるだけ簡潔に答えた。
神那「そうね。そのために各地を放浪しながら、魔法の関与が疑われる怪事件や災害があれば、その土地を訪れていたんですって。そのうち闇魔法という言葉にたどり着いて、それらの背後に植物魔法が関係を疑うようになったそうよ。」
言い終えた神那の表情はやや真剣に見えた。その表情にのまれて、「怪事件か。春分の襲撃と黒ローブみたいに?」と、うっかり蔭蔓は聞きそうになった。
下手にこの手の話をするのは良くない。神那は黒ローブを白銀寮の命で追っていたのだから、まだ潔白が完全に証明されない限りは、白銀寮に不必要に黒ローブの情報を与えることになっている可能性だってある。その場合、黒ローブに到達できる可能性が減るし、蔭蔓が用済みと判断されれば・・・。
今確かめるべきは、怪事件とはどんなものか、どのように植物魔法が関係しているかなどだろう。
蔭蔓「事件?例えば?」
蔭蔓は一息ついて、質問した。
神那「一番わかりやすいのがハイドロス消失事件。30年ほど前の事件で、ハイドロスという町がある日突然町ごと消滅したの。けれど、その数日後には町の残骸は黒百合の花園になっていたそうよ。」
黒百合。黒?黒い日陰蔓と関連があるだろうか。いや、黒百合は図鑑に載っている植物だ。そこは大事じゃないだろう。
蔭蔓「地面に埋まっていた百合の球根が何かの拍子に魔法で育っただけじゃない?」
気持ちはよくわかると言いたげに、彼女は続けた。
神那「それが、開縁様によれば、倒壊した金属の建物の内部とか、ありとあらゆるところから生えていたらしいの。」
金属から黒百合が茂ることは、確かに普通ありえない。
蔭蔓「それなら、黒百合を魔法使いの仕業としても無理ないか。やばい事件だな・・・。」
神那「でしょうね。この事件は開縁様が研究を始める契機となった事件だもの。」
蔭蔓「それで爺さん、一ッ葉にも興味を持ったというわけだ。」
神那「ええ。」
ラルタロスでニワトリ面の男から得た情報通り、黒ローブの放った黒い球体、特定の物体にしか物理的に接触しない魔法は闇魔法として、神那の魔力を吸い取る一ッ葉も闇魔法とすればどうだろうか。一見、両者に共通点はない。
しかし、黒ローブは黒い不気味な日陰蔓を使い、神那は魔力を吸い取る性質を持つ一ッ葉を用いる。仮に、あの黒い球体も黒い日陰蔓によるものだったとすれば、2人の闇魔法の共通点は奇妙な植物由来することだ。
それに、特殊な性質を持つ植物という意味では、繋木氏のヘリアンフォラ、霞の蘆木も該当する。
調べることが増えたな?
蔭蔓「闇魔法って、判定基準ないの?」
神那「うーん、わからない。ただ、開縁様は、植物魔法が関連するものなら何でも疑っていたわね。植物魔法と関連があるというのが開縁様の仮説だったから。」
蔭蔓「なるほどねぇ。」
判定基準があったとしても、少なくとも神那は知らなさそうだと悟り、蔭蔓の関心は次の質問へ移った。より、本命の質問に。
蔭蔓「そういえば、春分の襲撃で盗まれた魔術書ってのは、どんなのだったの?」
神那「どうして蔭蔓がそのことを・・・?」
蔭蔓「チャーリー司書って知ってる?」
神那「知らないわ。」
蔭蔓「教えてくれないの?」
神那「いえ、単純に驚いたから尋ねただけよ。盗まれたのは、魔術書じゃない。古い御伽話の本が数冊だったかしら。」
神那は目を閉じて、記憶を確かめた。
御伽話。蔓は今まで闇魔法の文献を探すのに、魔法辞典、古魔術書といったものには当たってはいたものの、御伽話は特に探してこなかった。
闇魔法に関連している文献だから盗まれたのではないだろうか。その、御伽話。
蔭蔓「その本は、アミテロス魔法学校の図書館にあった本なのかな。」
神那「一冊は、開縁様が以前に入手して書斎に置いていたものだったようね。」
蔭蔓「闇魔法研究のため?」
神那「ええ。特に考察を得た本ではなかったみたいだけれど、一応は魔法学校に非公開にしていたそうよ。」
蔭蔓「その内容については?」
神那「そこまでは聞いていないわ。」
なるほど。蔭蔓は情報を総合し、しばし沈思黙考した。
気づくと、神那を放置したままにしていた。
神那「ねぇ、あなた更に危険なことに踏み込もうとしているわよね?」
神那は怪しむように蔭蔓を見た。
蔭蔓「いや、これ以上のリスクを冒すのは危険だ。遅くなると良くないし、そろそろ戻る。」
神那「ならいいの。何か役に立てたのなら何よりよ。」
神那はやさしく微笑んだ。彼女のことを完全に信頼することは・・・、まだできないが、彼女に少しでも笑顔が戻ったのは良かった・・・。本当に良かった。
蔭蔓「あぁ。ありがとう。」
他に言葉は見つからないのでそう言い残して、神那の部屋を後にした。