1章47話『回復』
8月8日(水) 午前7時頃 ヘリアンフォラの畑にて あずさ
神那の様態を見た。鮮やかな緑青色の血液が彼女傷口から流れ出ている。人間でない者を治療するには、あずさも特別なことをする必要があった。だから、蔭蔓に見られていては困るのだ。
あずさ「蔭蔓は戻って休んでなよ。」
蔭蔓「いや、手伝うって。」
あずさ「そう・・・。」
霞がそこへ、ヘリアンフォラを登ってきた。
霞「じゃ、創にヘリアンフォラ塞ぐように言ってくる。」
あずさ「それなら、蔭蔓も一緒に行って今から渡す薬品取って来てくれるかしら?一人だと重いと思うから。」
霞「あるかわかんないよ。」
霞は即座に同意した。蔭蔓も渋々頷いた。あずさは手早く適当なメモを作り、2人に手渡した。将器も上って来てから、あずさは2人が去るのを待った。
持参した救急パックを用い、手を消毒し、傷口に手を入れた。あずさの手は蛇のようなうろこでおおわれている。そして、将器はそれを無言で見守っている。
あずさ「毒はやはりないみたい。雑菌は少し心配だけれど、それは普通に対処すればいいと思う。」
あずさは鱗を通じて、生物学的なものなら、雑菌になりそうなものや蛇毒なんてもの感知できるのだ。
将器「なぁ、神那ってあずさと同じ・・・?」
あずさ「違うわね。血液の色も違うし。」
将器「そうか。」
あずさ「それにしても、女性の裸を不必要にガン見するなんて、将器も思春期ね。」
目の前に彼女がいるというのに、けしからんけしからん。
将器「あ、そういうつもりは、ついうっかり、わっ!」
突然、将器がもたれていたヘリアンフォラが口を閉じ急激に小さくなり始めた。霞が繋木 創にヘリアンフォラをたたむように言ったのだろう。とても便利な魔法だ。
あずさ「冗談よ。相変わらず天然ね。」
将器「なぁ、ずっと黙っているつもりなのか。」
あずさ「まだ決めていないわ。けれど、この分じゃ、時間の問題だと思う。背もたれもなくなったことだし、手伝ってちょうだい。」
あずさ「おう!」
将器は明るく答えた。彼の明るい所をあずさは好きだ。
時間がたつにつれて、徐々に徐々に神那は人間の姿に戻り始めている。血液も赤みを取り戻し、顔なんていつもの彼女だ。とりあえず流血を止めて、後は人間に戻るのを待ってからにしよう。
蔭蔓「おい、大丈夫かぁー?」
作業をしていると、蔭蔓と霞がほとんど何も持っていない。それもそのはずだ。なさそうなものを中心に書いたメモを渡したのだから。
蔭蔓「頼まれた薬、全然なかったんだけど。」
蔭蔓の声は暗い。
あずさ「ああ、間に合いそうよ。」
霞「なんだ・・・。」
あずさ「えぇ、魔獣顔負けの回復力ね。これも魔法なのかしら。」
完全に彼女が人間の姿に戻るのを待って、包帯をするなどの処置を終え、繋木氏の館に戻った。
8月10日 午後6時頃 繋木氏の館にて 蔭蔓
神那が目を覚ましたのは、2日後の夜だった。その時には、まだあまりしっかりと動けないが、喋るには差し支えないほど、彼女の体調は回復していたらしい。あずさ曰く、驚異的ということだ。
繋木氏によれば、将器の持って帰ったものは正しい品物だったらしい。そのお祝いも兼ねて、4人で食卓を囲んだ。
神那「助けてくれてありがとう。」
神那は食卓に手をついていった。
あずさ「それはこちらの台詞というものよ。」
あずさは、きっぱりとした笑顔を向けた。
神那「なんか、皆に話すことが増えてしまったみたいね・・・。」
霞「ちょっと、あたしだけハブにする気?」
どこからともなく霞が乱入し、計4人に囲まれる中、神那は自分の正体、過去について話した。
神那「だから、私は人間じゃないし、裏切ってしまったし。」
将器「悲しいことを言うなよ。もう背中を預けあったアミ魔の仲間だろう?俺は信じている。なんとか乗り越えていこう。」
こいつの、ポジティブさはどこから来るのやら。
あずさ「あたしも、一連の神那の話、嘘ではないと思っているよ。」
あずさが極めて冷静に言った。
将器「カズは?」
将器は蔭蔓の肩を叩いて聞いた。ためらいながらも明るく振舞おうとしているのが伝わってくる。
蔭蔓「必要以上にひどく当たっていたことは謝る。ごめん。」
蔭蔓は頭を下げた。別にそれが妥当だと思っているから、それでいい。しっかりと謝りたかったのだ。
蔭蔓「でも、命がけで助けてくれたのは本当にありがとう。改めて皆に約束するよ。何をしてでも全員が助かる道を見つけることを。」
蔭蔓「でもね、信じるかは別だと思う。」
うつ向きながら、きっぱりと言った。
そのあと笑顔を作りはしたが、目を合わせるなんてまず不可能だ。顔を上げるには空気が重くなり過ぎた。しかし、上辺だけの嘘をさらりと言うのは性に合わないのでこうなるしかない。
将器「とにかく、カズもあずさも俺も、神那にいてほしいと思っているからよ。」
将器は場を繋ぎとめようと必死だ。するとあずさが、ため息をついて
「ええ。私からもお願いするわ。」と続けた。
恐らく、この2人が居なければとっくにセットは崩壊していたんじゃないだろうか。その上、2人とも神那があるまじ木忌とかいう人間ではない何者かであるとわかっても、拒絶するどころか興味を抱く有様だ。
神那「ありがとう。みんな・・・。」
神那は静かに泣いている。
神那「もう一度信じてくれるのなら、その間だけでいいからいさせてください。」
将器「そう、畏まるなって。あずさも、神那もさ。」
やれやれとため息をついた。しばしの沈黙を破ったのは霞だ。
霞「冷めてるけど、食べれば?」
そう言われて、皆少々恥ずかしがりながら箸を取った。ただし、食事をしながらしゃべる者はない。黙ってご飯やみそ汁を口にかきこむだけである。多分、(久しぶりに飯がうまいな。)とかみしめているのだろう。
少なくとも蔭蔓はそうだった。
しかし、今の蔭蔓はたとえ飯がうまかろうと、蔭蔓は抜かりなく行動するようにもなっていた。蔭蔓は食後に神那に話しかけた。
蔭蔓「2人きりで話したい。明日の夜、行っていい?」
神那「わかった。」
木忌まわしき力か・・・。
8月11日 午後3時頃 繋木氏の館にて 神那
神那とあずさは繋木氏に呼び出された。今3人と霞は、草封じの峠の依頼を承けた時の客間にいる。
繋木「君たちもすっきりしたようだし、今後のことを話そうと思ってね。どんな状況だっけ。」
あずさ「ラルタロス魔法学校附属図書館からは追われているはずです。あと、白銀寮もそのうち追手を出すでしょう。」
繋木「そうかぁ。ラルタロス魔法学校。少し厄介だね。」
神那「あのぉ、問題は白銀寮ではないでしょうか。」
確かに組織的にはラルタロス魔法学校の方が大きいが、白銀寮の方がはるかに過激的に思えた。
繋木「ほうほう、白銀寮の君が言うか。何が問題なの?」
神那は少し責められている気分になった。
神那「実は、もうすぐ定期報告の期限なのです。もちろん、しません。けれど、逃げ出したと確実にわかってしまうと思います。」
神那には白銀寮から、専用の伝達書が渡されており、そこに草鞋でとった蔭蔓の位置情報等を報告書と共にまとめて送らなければならない。送らなければ、白銀寮に背いたことが発覚してしまうのは時間の問題だろう。
繋木「でも、ここから連絡はできないでしょ?」
神那「確認していないです・・・。開くのも嫌で。」
我ながら幼稚だとは思ったが、正直に答えた。
繋木「ふーん。それなら是非、後で皆と確認してくれたまえ。今は、伝達帳や、その他連絡手段、一切使えないから。」
あずさ「そういえば先週、そろそろ学校にバレていると思って開いたら圏外でしたね。」
あずさは、この話題に関心を持ったようだった。伝達帳の機能は電波と魔法で実現しているらしい。つまり、どちらか一方は必ず通じていないのだろう。
繋木「まぁ、ここは凡そ見つけられる場所ではないから。」
繋木氏は得意げに言った。
あずさ「ここ、どこなんですか。」
繋木「それは秘密。でも、君たちが追われていることがわかってすぐに、人が来そうな場所のヘリアンフォラは全て閉じてしまっているから、ここにいる限り安全だよ。断言できる。あ、でも僕が閉じる前に、白銀寮に報告してないよね。」
繋木氏は鋭い視線で神那を睨んだ。笑顔なところがよけイに怖い。
神那「だ、断じてしていません。けれど、あのヘリアンフォラがあった位置で私たちが消えたことが特定されるようなことがあれば、逆探知されてしまいませんか。」
神那は一歩下がって答えた。逆探知の可能性はここへ来て以来懸念していたことだ。
繋木「あのヘリアンフォラはセキュリティの都合上、君たちのためだけに用意したものさ。他に知る人はいない。今は、分子レヴェルまで溶かしてしまっているから、証拠なんてあるはずないって。だって、君たちが国外逃亡したことも目撃されていないんでしょ?」
あずさ「一応は。保証はできません。」
確かに、監視のための魔法があるような場所じゃなかったはずだった。
神那「開縁様は大丈夫っておっしゃっていましたが・・・。」
繋木「君たち不安症だね。万が一、知られたとしても、白銀寮になら大丈夫。」
神那「なぜですか?」
繋木「だって僕、アミテロス魔法学校の大株主の一人だから。白銀寮にも結構出資し。すごいでしょ。」
あずさ「えっ!!すごいですけれど・・・。」
繋木「アミテロス魔法学校の幹部のうち何人かはよく知ったなかだ。白銀寮にもいる。最近、やばーいことになっているのはちょっと聞いていたんだ。」
繋木氏は続けた。
繋木「まぁ、万が一なんかあったときは、ここにいる霞ちゃんが、全部相続することになっているからさ。ありようがないところがみそだけど。」
まさか本当のことだろうか。
霞「だから、ちゃん付けしないでくださいね。」
突然、霞の怒りが爆発した。
繋木「はいはい。」
繋木氏はへらへらしている。
神那「あの、お二人はどういう・・・。まさか親子?」
霞「ハァ?全然似てないでしょ、養子だよ養子。」
繋木「そゆことそゆこと。」
神那「はぁ。」
繋木「う~ん、でもやっぱり、念のためすべての伝達帳類は一度焼却してもらうことにした。」
神那「もちろん、そのつもりです。」
繋木「もう君たちは魔法使いとして、表舞台には帰れないよ?」
あずさ「むしろ、匿っていただきたいです。その、欲を言えば存在ごと秘密にしてほしいです・・・できるだけ長く・・・。」
繋木「あぁ、それね。考えてみたんだ。条件がある。」
何かと切り替えの早い人だなぁ。
あずさ「条件ですか。」
あずさは慎重な表情だった。灰大蛇の依頼の件で、将器の軽率な発言を叱っていたので、自分も気を付けているのだろうか。
繋木「君たちが無期限でうちの専属になってくれるのなら、匿っていい。必然的に、存在を秘密にすることも約束しよう。」
神那「え?いい・・・。」
神那は思わず声を漏らしかけたが、あずさに袖を引っ張られて、口を閉じた。
繋木「君たちには、君たちしかできない仕事をやってもらおうと思って。あぁ、彼女が白銀寮で経験したような悪質なものは基本的に含まれていないけど・・・。さぁどうする?少なくとも君たちの身の安全は保証しよう。さっき思いついたから、細かいことは後から決めるとして。」
あずさ「皆で相談させてください。」
繋木「じゃあ今日中ね。」
あずさ「はい。」
その夜、4人で一応相談会を開いたが、ほとんど何の話もせずに繋木氏の提案を受けること決めた。他に選択肢がないのだから当然の帰結だ。
もう、私たちは目の前に足らされた糸を登るしかないんだ。