間奏~神那《カンナ》の過去編~4話『螺久《ラク》兄ちゃん』
船をこんな方法で出すことができるなんて神那は知らなかったので驚きはしたが、それよりも事の顛末が知りたかった。
螺久「お父さんは、魔獣狩りだったお母さんが魔獣に追い詰められたところを助けて、お母さんのことを好きになって、2人は結婚したという話は知っているね。」
神那「うん。」
螺久「2人とも偶然、一ッ葉使いだけれど、お父さんはあるまじ木忌、お母さんは普通の魔法使いなんだ。でね、お母さんが人間界を捨てて、人間だけじゃ到達できないあの島に2人住んで、ひとまず幸せに暮らしていたというわけさ。」
神那「人間だけじゃ?」
螺久「それは僕もわからない。でも、お父さん曰く、この世界には特定の者でないと見つけることもできないような場所が数えきれないほどあるんだってさ。」
神那「でも、魔獣狩りに追われているんでしょう?私たち。」
螺久「ああ。それも、厄介なのにね。お父さんの話を信じれば、この島に来られる時点で、相手に人間じゃない魔法を使うものがいることは確実だって・・・。」
神那「どうして厄介なの?」
螺久「あるまじ木忌って、ずっと昔に忘れられた存在なんだ。もう人間は僕たちのような存在なんて知らないってこと。」
神那「存在?」
螺久「あぁ、そこは大事じゃないんだ。まぁ、例えば、人間の誰かがあそこに、「あるまじ木忌がいるぞ。」なんて言っても、人間の誰もが「あるまじ木忌ってなんだ?」ってなっちゃうってこと。」
神那「うん。わかった。」
螺久「でね、お父さんが言うにはその魔獣狩りというのが、僕たちをあるまじ木忌って呼んでいる。」
神那「それって・・・。」
螺久「そう、なぜ知っているのかって話になる。お父さんはあるまじ木忌狩りと呼んでいたけれど、秘密結社かなにかだと思うって。おそらく、他にあるまじ木忌と呼ばれている存在がいるとすれば、それらにについても知っているようなヤツラなんじゃないかって。だから厄介なんだ。あるまじ木忌について、共通するような弱点の知識みたいなものをもっているかもしれないからね。それになにより、僕たちを問答無用に攻撃してくるみたい。」
神那「それじゃ・・・戻って・・・。」
螺久「ああ、その通りだよ。」
そう口にした、螺久兄さんの顔は後悔で歪んでいた。
神那「できるだけ速く逃げないと。」
螺久「ごめん。僕が無能だから。でも、他に方法が思いつかなかったんだ。」
私たちだけ逃げる方法、確かに、他にないのかもしれない。
神那「そんなこと言わないで、私ももっと手伝うよ、おにいちゃん。」
螺久「あぁ、ありがとう。でも、その必要はないんだ。」
そういうと、一瞬頭を抱えて、「あ、でも一つある。神那、左手をだして。」と螺久兄さんは言った。
神那「どうすればいいの?」
螺久「とりあえず、僕のこの手の上において。」
ランプ越しに、やけに兄さんの真面目な顔が見えたので、神那は従がった。すると、神那の方に植物は巻き付いて、お兄さんはそこから解放された。
神那「え、なんで。」
螺久「いやぁ、少し疲れちゃって。少しだけかわって。」
神那「なんだ。そんなことなら、もっと早く言ってくれればいいのに!!」
今まで、完璧に見えていたお兄さんが急に弱みを見せてきたので、少し落ち着いた。
螺久「お兄さんってのには、中々言いたくても言えないこともあるんだよ。」
一ッ葉は、確かに神那の魔力を吸い取っていくようだった。しかし、それはとてもゆっくりで、小川の流れのようだった。この分なら、一日ぐらいはつかんでいても大丈夫なんじゃないだろうか。
兄さんは壁にもたれかかって深呼吸すると、ランプの光を眺めながら話し始めた。
螺久「あるまじ木忌、あってはならない存在なんて言われているけどね、どうやらすごいみたいなんだよ。」
螺久兄さんは話し続けた。
螺久「お母さんがどうとか言うつもりじゃないんだけど、あるまじ木忌の子供というのは、普通の人間の子よりもはるかに早く精神的にも身体的にも成長する。成人の身体になれば若々しさを保ったまま、人間よりもはるかに長生きする。そういうものらしいんだ。」
神那「いいことばっかりに聞こえるけれど、でも、あってはならない存在って・・・。」
螺久「でしょう?なんでそんなこと言われたと思う?」
神那「あり得ないことをできてしまうから?」
螺久「ああ、それもそうだろうね。でも本当は、人間、まぁ、命名した古の魔獣狩りたちにとって、大きな災いそのものだったからなんだって。」
神那「災い?私たちが?どうやって?」
螺久「あるまじ木忌には、妖壊期というのがある。」
螺久兄さんは少し声を低くして言った。
神那「妖壊期・・・。」
神那は眉間にしわを寄せた。螺久兄さんは、いつの間にか手に持っていた紙と鉛筆を使って、神那に漢字を教えた。あるまじ木忌、妖壊期、その他もろもろ・・・。神那は必死に覚えた。
螺久「ああ。まぁ、簡単に言えば、いつもは身体に眠っている一ッ葉が大きく成長して、おおきな、自然災害を起こす化け物になってしまうって感じかな。どんなことが起きるかはその時々だったりするんだけど。」
神那「おおきな自然災害・・・。」
螺久「ちょっと抽象的過ぎたね。一番よくあるのが、巨大な嵐。例えば、同じ場所で数か月間にわたって吹き荒れたりするんだけど、ちょっと普通じゃないよね。逆に、大干ばつなんてこともある。ただお父さん曰くこんなの序の口で、他にも魔獣が大量発生したり、突然地域一帯が灰になってしまったりと、どこまでも悍ましいことも起きるみたいだけど。でも、多分僕らは台風とかだけじゃないかなぁ。」
神那「終わったら、どうなってしまうの?」
螺久「妖壊期というのが終わると、自然と身体がもう一度出来上がって、終わったところに放り投げられる。」
何も知らなかった神那にとって、兄さんが当然のことのようにいうことはあまりにも現実離れして聞こえた。しかし、螺久兄さんが嘘を付くはずなかったので、神那はできるだけ頑張って受け入れようとした。
神那「わかったけれど、私はそんなの今まで一度もなかったよ。」
螺久「それは、知らないだけさ。神那が1歳のとき、一度、妖壊期があってね、お父さんと一緒に神那を連れて別の島に移動したんだけど、まぁとにかく大変だったよ。今では、いい思い出だけどね。」
神那「じゃあ、お父さんが今まで魔獣狩りと言って外に出ていたのも、たまにお兄さんも一緒に行っていたのも全部・・・。」
螺久「まぁ、全部ではないけれど、大体はね。魔獣狩りしていたというのも嘘ではないけれど、ついでだよ。死んだサンゴが降り積もっているだけの地域に2人でいったりしていたんだから。」
神那「知らなかった・・・。でも、どうして、知られたの?」
螺久「予めってことかな?」
神那「うん。だって。」
そんな壊滅的なことが自分に起きている最中に、わざわざ海を渡って無人島を探したりなんてできるはずがない。
螺久「それはね、妖壊期が近づくと、僕らの場合、3カ月ぐらい前から、こんな風に体中に緑色の血管みたいなのが走り始めるんだ。」
螺久は右手で左の袖を引っ張った。すると、螺久兄さんの腕内部にやや黒みの強い緑色入り組んだ筋がたくさん走査していた。一ッ葉の芽が節目から生えている個所もおおい。
神那「そんな・・・大変だわ・・・どうすればいいの?」
螺久「まだ、すぐに起こりそうにないし、追手も追ってこられないと思うから大丈夫さ。それに、万が一追手が来ればそこで僕が交戦する。そのすきに神那だけは舟で逃げるんだよ。」
神那「ならいいけれど、絶対に、お兄さんも一緒に逃げないとヤダ。」
螺久「大丈夫。万が一追いつかれても、勝つこと自体は簡単なんだ。とっておきな方法があるんだ。」
あまりに自信ありげに言うので、やはりお兄さんはすごいと思った。
そういうと、螺久兄さんは海の中に手を突っ込んだ。するとしばらくしたのち、真っ暗な水面の内部に一点の光がともったと思いきや、その光は猛スピードで舟の前方に移動し、こともあろうか空中に飛び上がった。
見れば、巨大な光る海月が住み済みまで曇り切った夜空を照らすように上った。
神那「きれい。」
螺久「あれはカツオノエボシの魔獣、月みたいでしょ。」
螺久兄さんは神那に軽く微笑むと、海月に向かって短く、わけのわからない言葉を話した。海月語だろうか。その言葉を聞くと、海月は一瞬強く光った後、舟をよけ、その地点でとどまり徐々に海の中に沈み始め、舟がちょうど通り過ぎるぐらいに海の中へ消えていった。
螺久「解きを操る海龍のお話知っているよね。このあたりに住んでいるっていう。」
神那「お母さんから聞いたよ。」
螺久「あれは実話さ。父さんと確かめに行ったんだ。あの海月は、その龍の使いさ。普段は、このあたりを通る舟を片っ端から襲っているんだけど、今日は通してもらった。後から来る魔獣狩りたちは海に飲み込んでくれるって。」
神那「お兄ちゃんすごい!じゃあ、私たち助かるのね!!」
螺久「ああ、確実だろうね。でも、残念ながらただじゃないんだ。」
その言葉にとてつもなく嫌な予感がした。もしかしたら私は、この後の展開をはじめから無意識のうちに知っていたのかもしれない。
神那「お金さんが必要なの?」
螺久「まさか。あぁ、なるほど。その龍が、豆大福を大好きな可能性もあるからね。」
神那「お兄ちゃん、子ども扱いしないで。」
螺久「代償は僕だ。正確には僕のからだだ。」
螺久兄さんはそのまま話し続けた。意味が分からず、とりあえず聞き続けた。
螺久「なあに、単純な話さ。僕らは天下のあるまじ木忌、世界の災い、世界を混沌に陥れられる存在なんだよ。だから、僕らの身体は解を操る海龍なんて伝説の存在の目にもとまったわけさ。契約してでも欲しいほどの価値を見出したんだ。」
神那「話が違う、違うよ。兄さん。何なのよ。」
螺久「さっき僕がしたのは、僕が無抵抗でこのからだを差し出す代わりに、神那はこの海を通し、後から来る魔獣狩りたちはいつも通り、海の藻屑にする。いや、正確には僕が彼らを消滅させる手伝いをしてもらうこと。」
螺久「だから神那、お別れだ。」
神那「何言っているのよ、お兄さん。」
神那は急いで、舟から手を抜こうとした。舟を止めて、螺久兄さんと共に戦うためだ。
しかし、舟から手を引っ張っても抜けない。全く抜けない。神那が手を抜こうとしても、一ッ葉が自分の手にさらに絡みついて余計に魔力を吸い取られるだけだった。自分の一ッ葉を生やし抵抗すれば、それを上回る一ッ葉で魔力を吸いつくされる。
もがいて、もがいて、もがいたが、もう一ッ葉だらけだ。
神那「疲れたから変わってって言ったんじゃない。この一ッ葉で私がなにもできないように縛っておくためだったのね!!」
螺久「お、やっぱり神那は賢いね、兄として誇らしいよ。」
神那「騙したわね、螺久兄さんの嘘つき。」
螺久「ああ、ごめん。確かに、いくつも嘘を付いたよ。まず、追手は直ぐに僕たちに追いつくよ。残念だけど、お父さんは、敵にもあるまじ木忌が一人いて、相打ちで殺すって。それに、確かに、この血管が走り始めてからも3カ月は猶予があるだろうけどさ、ここまで流れ始めたらもう今すぐにでも、妖壊期だよね。」
神那「ひどいよ・・・。あんまりだよ・・・。」
気付けば、大粒の涙を流して泣いていた。
螺久「あ妖壊期と言えば、危ない危ない、忘れるところだったよ。」
螺久兄さんはそういうと、リュックサックの中から頭にかぶる笠を取り出した。
螺久「これ、お父さんにもらったんだけどさ、すごいんだよ。ほら。」
螺久兄さんは、神那が自由に使える左手で兄さんの胸板を思いっきり殴ったのを軽く受け止めて、優しく笠を神那に被せた。
螺久「これはさ、隠れ笠って言ってね、被ると消してくれるんだ。てなわけで、人間界で妖壊期が来てしまったときに被って正体を隠すといい。」
神那は下を向いたまま顔を上げられなくなっていた。ランプの光に照らされて床の水たまりに、怯えているようで、悲しそうで、嬉しそうな、螺久兄さんの優しい笑顔が映っている。
螺久「なに、安心しなって、被りさえすれば、周囲には見えないし、途中で外れてもその時には何が何だかわからない。壊れてもいつの間にか元通り。終わってみれば、所有者のところに戻ってくる優れもんなんだから。それでもって、この笠の新しい所有者は神那だよ。あ、でもね、言いつけ通り一ッ葉の魔法は人前で使ってはいけないよ、わかってしまうかもしれないからね。」
神那「・・・皆で、最初から計算していたのね?」
螺久「いや、これは僕の独断だよ。一ッ葉の人形になってしまう前に、神那だけは、とある安全な島へ届けようって決めたんだ。でね、その島はアミテロス島という島なんだけど、お父さんによれば、そこでは今、魔法使いの孤児を保護しているというじゃないか。」
神那は泣きじゃくりながら罵倒し続けたが、その声は言葉にならずただ大海原に呻いただけとなった。
螺久「だから約束してほしいんだ。島にたどり着いたら、何としてでも生き抜いて、僕らのような者たちを見つけて、その人たちと生きていくって。」
悲しくて、辛くて、もう何も言い返す気になれなくて、神那はただただ、水たまりに映った兄さんの笑顔を壊れたまま眺めていた。
螺久「いないんじゃないかって?そんなことはないさ。僕たちは、こんなにも強大で、こんなにも素晴らしくて、こんなに美しい力を持っている存在なんだよ。」
まるで、螺久兄さんの言葉に合わせるかのように、兄さんの全身が一ッ葉で覆われ、腕には一ッ葉でできた鱗が、頭部には2本の、どんな哺乳類よりも立派で繊細で美しい角が生え始める。
螺久「確信しているんだ。僕たちの同類はいる。それも、たくさんね。きっと、皆世界の表舞台に一切でてこないだけなんだ。でも大丈夫、神那の力が神那を導くはずさ。そういう者たちのところにね。そういうもんだとおもうだろう?」
神那「でも、でもでも、不公平よ。わたしだけなんて。お兄さんも来てよ。なんでよ。」
螺久「不公平じゃないさ。それに、不公平だったとしても、そんなことはどうでもいい。ただ、妹に生きてほしいんだよ!!生き延びて幸せになってほしいんだよ!!!」
神那「ひどい。みんなひどいよ。そうやって、自分の言いたいことばかり押し付けて。私が一番年下だからって、私が娘だからって、私が妹だからって。」
螺久「そうだね、一方的になってしまったのは悪かったよ。でも、妹を守るためなのに、罰なんてあたりゃしないさ。当たるというなら、どんとこいだ!!」
兄さんは開き直って、優しく凛々しく言った。
「みんなして、私にだけ内緒にして、私を守るためっていて、私を独りぼっちにして、何が楽しいのよ!!」
「螺久はわかってないんだよ。私はそんなこと望んでない。私、螺久を犠牲にしてまで生きていたいとなんて思っていない。そんな犠牲いらない、それならいっそ、一緒に海の底に沈んでしまいましょう?」
神那がつかんだ螺久の手を、螺久は後ろに下がって振りほどいた。
「そうだね、僕も、父さんも母さんも大馬鹿かもしれない。でもね、僕は、誰かは必ず生き残って、僕たちの誇りを残していかないといけないと思うんだ。みんな滅んでしまってはお終いなんだよ。誰か一人でも、命を繋ぐことができたなら、その先に世界はある、その先に未来はある。そして、たった今から、契約が履行されるこの瞬間から、それを創ることができるのは、神那、君だけなんだよ!」
「だから、どんなにつらくても、それども君は生きねばならない。それでも、君は進むんだ。世界が君を排除しようとしても、宇宙が君を木忌んだとしても・・・。」
「でも絶対に大丈夫。だって、どこにいたって永遠に、お父さんも、お母さんも、そしてこの僕も、心の底から神那のことを愛しているのだからっ!」
「お兄ちゃんっ———!!!」
兄さんは全てを超越したように笑んでいる。神那は涙をのんだ。
愛しているって・・・。こんな風に言わないでよ。
兄さんは最後に神那の肩をぽんとたたいて、後ろへ飛びのいて空中に飛んだ。いつの間にか、海には闇夜を照らす猛毒の海月が花畑を作っている。
「今こそ我が力解き放たれん、汝、解きを操りし海龍よ、我が強大なる力と共に、忌まわしき魔獣狩りどもを抹殺せよ。」
すると、舟の後方で、巨大な水の柱が立った。なかから、神那が見たこともない大きな黒い大蛇が飛び出してきた。
「じゃあね。」
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃんお兄ちゃんおにちゃ、おにーおにーおにいちゃあああ————————————————!!!!!」
お兄ちゃんを助けなきゃ、助けなくちゃ、お兄ちゃんが死んじゃう、でもどうすればいいの、私に何ができるというの、舟から手も離せないのに。そんなのどうでもいいよ、お兄ちゃん助けなきゃいけないんだよ。お兄ちゃんもいなくなっちゃいやだよ。あぁ、あぁあぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・。
大蛇は、宙を舞い始め、衝撃で周囲の雲も水も吹き飛ばされる。大波が襲ってくる。兄さんから大量の一ッ葉が海の中へ生えていき、兄さんは舟から遠のきながら、荒れ狂う海の上に浮遊している。
「魔獣狩りども、僕は両星 螺久。貴様ら父に代わって抹殺する者だ。覚悟しろ、この鬼畜ども!!」
兄さんの一ッ葉は、海中の魔獣たちの魔力を吸いつくし、潮水なんてものともせず、ただひたすら育ち続けた。やがて、一ッ葉塊は、何十メートル、いや、数百メートルの高さの巨大なタコになって、兄さんはその頭部の中に消えさった。海中の海月の光を消し去ってもなお、兄さんの一ッ葉は海の上に森を作り続けた。
「逃げろ。あいつ、妖解期だ!!」
「おい、逃げるったって、どこにだよ。あああああ・・・。」
兄さんの向こうに、粉々になった舟や、悲鳴を上げる魔獣狩りの声が聞こえる。
一ッ葉のタコは周囲にあった《カンナ》の乗る小舟以外のすべてを、その触手で捕らえつくした。囚われた生命は即座に灰になり海の藻屑となって消えてゆく。何十もの断末魔が夜の海に響き渡る。
タコの頭部の下方から、曇り空に向かって、筒の様なものが向けられている。次の瞬間、その中から莫大な量の黒い煙に噴射されたかと思えば、その一帯を中心に大気が乱れ始めた。
目の前では、見たこともないような大嵐が生じている。
神那はとうに声がかれてしまって、ただただ、兄さんを眺めているだけだった。
すると、神那の目の前に、突如として舟よりも大きな目玉をもつ巨大な黒い蛇が現れた。
時を操る海龍!!
「兄さんを、螺久兄さんをかえして!」
蛇は黒目を細めて、神那の脳に直接語り掛けた。
(小娘。確かに、お前の兄は我が生贄となった。契約通り、我はお前に危害を加えず、お前の敵を一切消滅させよう。確実になぁ。命拾いしたな、蛇は契約は守るのだよ。せいぜい、お前の愚兄に感謝することだな。シュルシュルシュッ、シャッシャッシャッシャッシャッシャッ・・・。)
次の瞬間、大蛇は忽然と消えた。今までそこにいたのがなかったことみたいに。そしていつの間にか、兄さんの触手の一本が舟に到達していて、凄まじい勢いで、舟をどこかえ押し出す。
衝撃とショックで気を失った。最後に目に映ったのは、兄さんを中心に海中が黒く染まっていったこと。触手が神那に届くや否や、舟全体が舟の一ッ葉に覆われて、神那の視界は真っ白になったこと。
守られただけだった、何もできなかった。お兄さん、いなくなっちゃったよ。
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??? ??? ??? 神那
気づくとどこか知らない浜辺にいた。空は晴天で羊雲がでている。神那はボロボロに壊れた小舟の残骸にしがみついていた。対照的に、神那には傷一つなく、隠れ笠も被ったままだった。そして、隣に兄はいない。
「はてさて、ここで何をしておる。」
声の主は、真っ白な装束を着た壮年の老人だった。神那は身構えた。魔獣狩りかもしれない、外の人間は神那にとって敵になっていた。力を振り絞って、その老人を睨みつけた。
「そんな怖い顔をして、どうしたんじゃ。そうじゃ、良いものがあるぞぉ。」
そういうと、老人は袖の中から神那の手のひら程度のものを取り出した。おにぎりだ。神那は一瞬目を輝かせたが、すぐさま我に返った。
誰ともわからない人間から、食べ物なんてもらえない。
「何、ただの握り飯じゃよ。毒など入っとらんよ。」
睨まれた老人は笑顔になって、おにぎりを半分に手で割ると、片方を自分で食べ始めた。初めはむきになって無視していたが、耳からむしゃむしゃという音が入ってくる。そしてついに、自分のお腹のなる音も聞こえた。そういえば、最後にご飯を食べてから何日が立ったのだろう。
「どうじゃ?」
気づくと老人は神那のすぐ目の前にいた、ボーっとしていて、意識がとびとびなのだ。神那は咄嗟に身を引いた。けれどすでに、目はおにぎりに釘付けになっていて、食欲に抵抗できなかった。
神那はおにぎりを老人の手からむしり取ると、ムシャムシャと食べ始めた。おいしかった。塩味のご飯と、鮭が口いっぱいに広がった。あっという間にたべおわった。老人は神那のことをにこにこしながらみている。
「ごちそうさまでした。おじいさんは?」
「わたしは、開縁。そうじゃのう、魔法使いの端くれじゃ。」
「ここはどこ?」
「ここはアミテロス島の海岸じゃよ。」
アミテロス島。螺久兄さんが言っていた島。私は助かったんだ。お兄さんの命で。
それなら、神那にとって、彼女がすべきことは明確だった。
螺久兄さんの願いを私の生をもってかなえること。
「お主、名はなんという?」
「神那。私も人間の魔法使いよ。家族はいなくなってしまった。」
「ほほぅ、今この島で何が起きているのか知っているようじゃな。」
「うん。おじいちゃん、私を保護してください。」
「幼いのにしっかりしているのう。ついてきなさい。」
神那は老人の後を追った。