1章42話『浮遊島のヘリアンフォラ』(挿絵有)
8月1日(水) 早朝 クルカロス南沿岸のとある浜辺にて 蔭蔓
4人は約三日の航海でクルカロスの南部のとある浜辺にたどり着いた。密入国だ。浜辺に人の気配はなく、その奥には岩壁が広がっている。この浜辺の北部は魔獣の群生地帯らしい。誰もいないわけだ。見上げると青空が広がっているが、雲に加えて、数々の浮遊島が浮いている。そしてこの光景はクルカロスでは普通のことだ。
カイエン「四人とも健闘を祈る。」
他の三人は頭を下げた。蔭蔓は一人そっぽを向いていた。
そう言い残すとカイエンは船に戻っていった。
蔭蔓「待ってください。」
カイエンは、無言で振り返った。
蔭蔓「いえ、なんでもありません。」
勘違いしてはいけない。今回の件に蔭蔓を巻き込んだ張本人に感謝などしてはいけない。
本当は蔭蔓は監視される必要すらなかった。まず、神那の言ったことが嘘なら、論外である。
仮に本当だとしても、その隊長とかいう悪人をカイエンの名において全力で止めるべきだった。カイエンには隊長に意見するだけの権力があるのだから。評判が悪くなってしまっては、隊長くんも白銀会会長になどなれない。だから、それでことは収まっただろうと考えた。
最も、その後のカイエンのことは知らない。恨まれるだろうし、それならそれで面倒なことが起きたのかもしれないが、子供を優先してもらわなくては困るのだ。
でもそれはなされず、カイエンは神那を蔭蔓の監視に付けた。
もちろんそれも、カイエンなりの思惑があったからだ。それは、なぜかカイエンに贔屓にされている神那を助けることだろうか。
何にせよ、俺は彼の思惑の犠牲ではないか!
でも、カイエンや神那の助けなしに、クルカロスへ国外逃亡なんてできただろうか。他の船さえあれば・・・。
カイエン「うむ。」
カイエンは深く頷いて船に乗り込んだ。やがて、無人の船は出発し、四人は船が東側の岩壁の向こうに消えるのを見送った。
信じない信じない信じない。そう思いつつも、カイエンを信頼した行動をとっている自分自身に蔭蔓は気付いていた。
8月1日(水) 早朝 クルカロス南沿岸のとある浜辺にて あずさ
あずさ「さて、目的地は・・・。」
あずさはカイエンにもらった地図を広げた。『マイケルおじさんの魔獣専門店』では、目的地を秘密にするために、地図を買うことはできなかったのでありがたかった。
あずさ「あの浮遊島の上みたいね。」
あずさが指さしたのは地上20mほどに浮かんでいる浮遊島だった。
蔭蔓「まず、荷車を上まで運ぶのは無理だ。浜の左側に広がる岩壁の奥に隠しておければいいのだが、あそこに行くのはちょっとね・・・。」
神那「えっと、わたしならできるよ。」
蔭蔓「あ・・・。」
あずさ「じゃあ、お願いっ!」
間を開けずに明るい調子で言ってみせた。神那を孤立させないようにしなければならないからだ。
蔭蔓「あぁ、荷物固定しているロープはいる。」
神那「え?」
そういうと、神那は迅速に作業に移った。そして、彼女は素早く終えた。蔭蔓は無言でロープを受け取った。
次は浮遊島の上にどう行くかなのよね。
蔭蔓「鱗木とこのロープを使って上に上がる予定だったんだけど・・・。」
蔭蔓「浮遊島に上るのにちょうどいい位置に鱗木が生えていたら怪しさ全開だよね。仮にラルタロスから追手が来たとして。来ないと思うけど。」
将器「俺なら、水の圧力で浮遊島の上まで運べるぞ。濡れるが。」
あずさ「この際、将器の案かな。」
濡れるのは勘弁だけれど、実際的な理由が優先。
将器「じゃあ、行くぜ。」
神那「すごいやる気ね。」
将器の手の中から水が溢れた。次の瞬間、その水は4つに分かれ細長くなり、それぞれの塊が4人を包んだ。そして、ゆっくりと上昇し浮遊島の上空まで4人を運ぶと、地面に流れていった。
将器、器用になったんだなぁ。
8月1日(水) 朝 浜辺近くの浮遊島の上にて 蔭蔓
蔭蔓「ちょっと乾かしません?」
休憩後しばらく散策したが、目的の位置付近に家らしいものは見つからない。小型から人間サイズの多種多様な羊歯が茂っているだけ。隠し扉の可能性まで考えて、地面を蹴ってみたり、石を転がしてみたりしたものの何も起きない。
ある時調べたのは、シダの草原の隅っこで、一本だけ生えている、背丈ぐらいの、黒っぽい植物。袋状の構造で、袋は地面から生えており、中には無臭の液体がたまっている。
将器「カズ、何かわかるか?」
蔭蔓「これは、虫を食べるやつ。袋のなかの液体で消化して・・・。確か、ヘリアンフォラとかいう名前。」
あずさ「薬草学では、手のひら程度の大きさのものって習ったけど・・・。この袋は、半径50cmはありそうね。」
蔭蔓「まぁ、人も喰えるよね。」
将器「この消化液のが通路だというつもりじゃぁ!?」
蔭蔓「さぁね。どうなんだろうね。」
一方、神那はちっとも不思議がったりしている様子がない。少し、つんとした表情だが、平然としている。野外調査に慣れているからか、答えを知っているからか。
何にせよ、こいつは当面は観察対象。
将器が袋を上から覗いても底は暗く、深さが確認できなかった。というわけで、彼が道端に落ちていた岩石を一つ袋の中に落としてみると、すぐに、衝突音が帰ってきた。すると、将器は新たに同種の石を拾いあげた。
将器「そこまで深くはなさそうだ。行ってくる。この石が水面に戻ってきたらついてきてくれ。」
そう言うと、蔭蔓が持っていたロープの一端を袋の蓋の部分に結わき付けた。
あずさ「ちょっとっ!消化液に飛び込むなんて無謀よ。」
将器「3分経って、何もなければ頼む!」
将器はそのまま液体の中に入った。袋と蓋の接続部は頑丈で、将器がぶら下がっても破れたりすることはなかった。そして、将器は消化液の中に消えた。
あずさ「全く、なんで、あぁ軽率なのかしら。」
蔭蔓「まぁまぁ、普通の植物の消化液じゃすぐに溶けたりしないって。最も、これはサイズも色もイレギュラーだけど・・・。」
あずさ「そうね。念のため、蔭蔓が解ける速度確かめておくのがいいわ。」
蔭蔓「それは来年にしよう。」
しばらくすると、液体が盛り上がり、中から水があふれて、将器が持って入った小石が浮かんできた。ゴーサインだ。
神那「二人とも。いきましょう。」