1章4話『黒ローブ』
突然5体の大蛇を従えて、黒いローブを被った人間が森の奥から現れた。右手には黒い剣を持っている。蔭蔓や限程度の身長だろうか。恐らく、男性だが、ローブの下の顔は隠れて見えない。
結界の中なのにどうして魔獣が・・・。いや、あれは小龍だ。
小龍は、アミテロス島に生息する大蛇によく似た生き物で、体長は8mにも達し、硬い鱗につつまれ、下顎や牙に強い神経毒がある。そして、アミテロス魔法学校内の敷地にはいないはずだ。生息地でないからだ。
なるほど、小龍は魔獣ではないから、結界を超えられたということか。
黒ローブが、左手を上げると、5体が一斉にかかってきた。蔭蔓は日陰蔓をけしかけたが、難なくよけられた。刀を抜く。黒ローブの動きは非常に速い。遠距離戦は意味がない。
意を決した限が黒ローブに単独戦を挑みに行ったが、かわされた。黒ローブは一直線に蔭蔓と琴音に向かってくる。ひとまず、間に鱗木を生やした。
案の定よけられた。遅かった。中に入られた。
あずさと将器が向かっていったが、ここで小龍が二人を襲った。奴は黒い剣を手に持っている。まずい。俺は、琴音の周り全体をありったけの日陰蔓で囲った。
しかし、黒ローブは琴音ではなく、蔭蔓に襲い掛かった。
蔭蔓「狙いは俺か。」
黒ローブ「・・・。」
小龍5体と限、将器は戦闘を始めた。
これはしばらく黒ローブと戦うことになりそうだ。
蔭蔓「あずさ。琴音を。」
もはや返事を聞く余裕もなかった。大樹を挟んで皆と反対側に蔭蔓は追い込まれた。どうやら一騎打ちになりそうだ。
一対一は得意でない。残念ながら、反則勝ちという概念もない。
蔭蔓「何の目的で、訓練所を襲った。」
黒ローブ「・・・。」
蔭蔓「魔獣のみならず、小龍を操れるようだな。」
黒ローブ「・・・。」
歳は同じくらいだろうか。
なにかしら情報を得たかった。正体不明の黒ローブには、好奇心をそそられたし、他の3人を小龍と戦わせておいて、情報の一つも得られないのでは申し訳が立たないじゃないか。
蔭蔓「お前は誰だ。」
黒ローブ「フンッ・・・。」
蔭蔓「笑っているのか?」
黒ローブ「それは君が一番よく知っていることだろう。」
ほう。口を開きやがった。てっきり声のトーンはどすが効いていてすごく低いと思ったのに以外に普通だな。
それにしても、誰もあいつのことは知らないことになるな。だって、一番よく知っているはずの俺が、あいつのことを何も知らないのだから。
おっと。
ふざけていて勝てる相手には見えない。蔭蔓はどうにか自身を律してまじめな質問を続けた。
蔭蔓「・・・どういう意味だ。」
蔭蔓は無性に吹き出しそうになったが、精一杯堪えた。こういうのんきなのをなんというのだろうか。そして、答えはこの場合、“愚か”だとすぐに悟ることになった。
黒ローブの左手から黒色の球体が打たれた。避けようとしたが、それは右かかとあたりをかすめた。すぐに、焼けるような激痛が走った。
蔭蔓「うっ。あついなおい。」
火傷か何かしたようだ。ただ、うろたえるつもりはなく、いや、実際はうろたえながらもすかさず、黒ローブを日陰蔓の先で縛ろうとしたが軽々かわされた。
魔法ではスピードが足りないのか、いや、動きが読まれているからか?
次に、黒ローブは接近戦を持ち掛けてきた。蔭蔓は迎え撃つが、その途端、黒ローブは右手から再び黒い球体を放出した。避けた時に、刀を地面に叩き落された。まずい。黒ローブは飛び掛かってくる。慌てて、自身を日陰蔓で覆うと、黒ローブは足が絡まって後へ倒れた。
その時、ローブの中が少し見られた。思わず、凝視するとそこには、よく知った人間の顔があった。
蔭蔓自身のだ。
間違いない。あいつのほうが少し細いがまぎれもなく同じ顔だ。
黒ローブ「見えてしまったようだね。」
まさか、同一人物だとでもいうのか。
いっそう激しさを増した黒ローブの剣を、日陰蔓を張り巡らせ防ぎきり、刀を拾った。
距離を取ろう。
蔭蔓は逃げた。
黒ローブの目的は何だ?
もし、黒ローブの目的が折れを殺すことなら、もっと小規模にことを行えただろう。一人だけ狙い撃ちすればよい。黒ローブの実力なら、できるだろう。
俺に関する何かが目的でも、俺を殺すつもりはないということか。
そもそも、俺が結界のほうに来なかったら、どうしているつもりだったのだろうか。いやまてよ、俺はここまでおびき出されたのだとすれば。
俺がここに来たのは、森の奥の結晶が壊れているという推察だ。どう転んでも、森側で問題が起こった場合、緑寮まで俺が進むことは間違いない。ただ、そこからは未知数なはず。俺が狙いなら、どうしてここまでこられたのかだ。ずっとつけられていたのだろうか。
そして、顔が似ていた。いや、あれはおそらく同じ。
自分とそっくりな妖怪に関する童話を聞いたことがあったが・・・。蔭蔓はその伝説における“両者が鉢合わせになったときに起こること“が非常に嫌いだったので、ここでは考えないことにした。
そして、黒ローブに追いつかれた。
仕方ない。受けてたとう。
蔭蔓「俺と戦って、どうするつもりだ。」
黒ローブ「・・・。」
黒ローブは畳みかけた。右わき腹を軽く切られた。血が垂れる。傷口に日陰蔓を生やし、流血を抑え込んだが、完全には止まらない。どうしても漏れる。
一方、黒ローブは無傷である。魔法もまだ十二分に使う余裕があるのか、容赦なく黒い球体を飛ばしてくる。そして、驚いたことに黒い球体は日陰蔓をすり抜けて、蔭蔓にだけあたった。黒い球体の当たった皮膚は火傷の後のようになった。
一方的に、蔭蔓は負傷していった。
おそらく、この勝負は俺の負けだ。
なら、俺にできるのは、できるだけ時間を稼いで情報を聞き出すぐらいか。
蔭蔓「お前は何のつもりでこんなことをしている。」
黒ローブ「それを聞きたいのは僕のほうさ。」
蔭蔓「お前が襲ってきたから相手をしてやっている。」
黒ローブは答える代わりに、黒い球体を連発した。
今度はなんとかよけきった。すると、地面に直撃する黒い球体は、地面を破壊せず、吸収されるようにして地面に消えていった。
黒ローブ「君は僕を知らないというのかい。」
蔭蔓「知らないね。人違いじゃないのか。勘弁してほしいね。」
そういいつつも、蔭蔓は人違いではないのだろうと感じていた。あの蔭蔓にそっくりな顔は、黒ローブが蔭蔓となにかしら縁のある人間であることを物語っている。
黒ローブ「君は、恩知らずなうえに忘れっぽいということか。あきれたもんだ。」
蔭蔓「質問に答えろ、俺をどうするつもりだ。」
黒ローブ「・・・。」
蔭蔓「なら、質問を変えよう。お前、面もしないで俺に襲い掛かってきて、最初から自分の顔を見せるつもりだったな。」
黒ローブ「・・・。」
蔭蔓「こたえはイエスか。」
しばらく沈黙のままの戦闘が続いた。10分はたっただろうか。
もし、魔法学校自体を崩壊させるのが目的なら、森を中心に結界をすべて壊して回ればよい。しかし、魔獣が向かってきた位置からして、ここ以外に壊された結界があったとしても、壊されたのは“すべて”の結界には程遠い数だろう。
だから、目的は別。
先ほどの考察も合わせると、黒ローブの今回の目的は魔法学校を破壊することではなく、俺に接触することだ。あるいは他に目的がある。
黒ローブは俺より優位にあるが、俺を倒すつもりもない。
黒ローブは俺の動きもわかっていた。
黒ローブは俺について何らかの俺が知らないことを知っている。
この状況で、結界が再び破壊されて魔獣の群れに襲われたら、ほぼ確実に終わる。
“蔭蔓を倒すつもりがないなら、結界を再度破壊することもないだろう。”という推論は一定の安堵を蔭蔓にあたえたが、他方、容赦ない攻撃から、この黒ローブは蔭蔓を極限まで追い詰めるつもりはあることは明らかに見えた。
だんだんと、恐怖を覚え始めていた。体が鉛のように重く、体力は限界に近い。それなのに、頭は暴走して言うことを聞かないし、全身からの流血は止まらない。
本能的に、3人のいるほうへ逃げた。幸い3人は、小龍をすべて倒したようだ。だが、限は切り傷を左腕に、将器は右肩を負傷している。あずさも琴音のそばで腕に傷を負い、膝をついている。
琴音は泣きながら結界を張っている。
3人とももう動けないだろう。毒蛇との戦いは傷を負ったら最後だから、仕方ない。3人については、黒ローブは殺してしまうかもしれない。蔭蔓が目的だとしても、あずさ、将器、限の3人は生きていても生きていなくてもよいことになる。なら、この状況で3人のいる近くに黒ローブが行くようなことはご法度だ。
ひょっとしたら黒ローブは俺を戦闘不能にした後、見せしめに3人を殺すかもしれない。
そんなことは、あってはならない。
蔭蔓は再び3人のいない側に黒ローブと交戦しながら戻った。
琴音が結界を張り終わるまで何とかして持ちこたえねば、そして、逃げねば。
蔭蔓「俺が狙いのようだが、殺すつもりはないようだな。お前の目的はなんだ!言え!!」
黒ローブ「君はせっかちだね。」
蔭蔓「言わないと・・・。」
黒ローブ「ほう。言わないと何だい?今の君には何もできないだろう。」
残念ながらその通り、明らかに剣術の実力は黒ローブのほうが勝っていたし、もともと蔭蔓は黒ローブより体力も魔力もかなり消耗していた。そして今は底をついている。魔力切れでもう、魔法もほぼ使えない。
黒ローブ「まぁ、確かに君の予想通り、君を殺しにきたわけではない。」
蔭蔓「じゃあなぜ。」
黒ローブ「・・・。」
次の瞬間、壮絶なスピードで黒ローブが間合いを詰めてきた。不意を突かれた蔭蔓は黒ローブが蔭蔓の間合いに入ることを許した。
蔭蔓「やばっ。」
黒ローブに襟をつかまれると、そのまま地面にたたきつけられた。受け身をとる間はなく、衝撃で右肩の骨が折れた感触がした。痛みに蔭蔓はひめいをあげた。悲鳴といっても弱弱しい声しか出せず、せせり泣いているかのようだ。からだに入れていた力が一気に抜けて、傷口が開き、わき腹から鮮やかな紅の血液があふれて扇状に広がっていく。
右肩が折れ、剣を持つことも許されず、動けなくなった蔭蔓に黒ローブは身をかがめて近づくと蔭蔓の耳元で
黒ローブ「ラルタロス魔法学校魔物部に来い。僕のことが知りたければな。」
と言った。その時、黒ローブの顔が再びみえたが、やはり顔立ちは蔭蔓そのものだった。蔭蔓は痛みに気が動転して血の混じった涙があふれた。黒ローブは満足げに笑む。
そのまま消えてくれるかと蔭蔓は願ったが甘かった。黒ローブは徹底的に、全身を蹴り飛ばした。
最後に、黒ローブの右かかとの織り成す渾身の一撃を急所にくらわされて、思わず嘔吐するように蔭蔓はうめいた。
痛みは恐怖へと姿を変えた。それでも、冷静にと歯を食いしばるが、出血がすすみ、意識が遠のいてゆく。目の色が絶望の色に変わる。
痛い・・・。
誰か、助けてくれ・・・。
心の声は音にならない。底なし沼に落ちていくように、視界が暗くなっていく。もがいても、もがいてもただ引きずりおろされていく。
死にたくない。あぁ・・・・・。タスケ・・・・・・・・・・・・。
そして、溺れて沈んでいった。
3月21日 夕暮れ以降 夢の中にて 蔭蔓
蔭蔓は夢を見た。
蔭蔓は森にいた。針葉樹の茂る森に。
ここはどこだ。
しばらく、森を歩いた。
霧で視界がかすんでいる。
ここはどこだ。
そのまま、意識が遠のいていく。
夢から覚めると、中央の医療院にいた。窓から見た景色は暗い。
夜か。
3月21日 深夜 中央の医療院にて 蔭蔓
蔭蔓は布団でため息をついた。
生きてはいるみたいだな。
将器「気づいたか。」
蔭蔓「どうやら。」
将器「結界はふさがれた。いま、魔法学校の敷地に隠れた残りの魔獣を戦える奴が、倒しに行っているところだ。」
蔭蔓「お前は、大丈夫なのか。」
将器「解毒薬が効いてきたから、お前の様子を見に来たところ。」
蔭蔓「あの黒ローブは?あいつに襲われなかったのか。」
将器「カズが一端俺たちの方に来たあとすぐ、何とか這いつくばりながら助けに向かったんだが、その時にはもういなかった。しばらくして、カイトとリンド兄弟が30人の援軍を率いて駆けつけたってわけだ。」
蔭蔓「命拾いした。ありがとう。」
あの黒ローブは4人の命を奪わなかったのか。無駄な殺生はしない主義なのか。それともほかに3人の命を奪わない理由があったのだろうか。いずれにせよ、今考えてもわからないだろう。
将器「どうってことない。というか、俺は蔭蔓を助けることに関してはなにもしてないな。それより、あの黒ローブについて何かわかったか。」
俺は一瞬すべてを将器には打ち明けようかと考えたが、そうはしなかった。そしてそれは、正しい判断だった。
蔭蔓「実は・・・。あまりわからなかったんだけど、黒い球体を飛ばして攻撃してくる。傷口はおそらく火傷になるのかな。あと、剣術が得意だった。おそらく、将器と同じぐらいには強かった。目的とかはわからなかったけどな。」
将器「そうか。それだけわかればたいしたもんだな。」
将器は俺がいわなかったことがあるとわかっただろうか。いや、おそらく隠し通せた。
蔭蔓「それより、被害はどのくらいだったんだ。」
将器「壊れていた結界はあのただ一つ。被害は行方不明の奴が41人、残念ながら23人は亡くなった。」
蔭蔓「そうか。」
将器「明日の朝会で詳しい対処は下されるらしい。」
蔭蔓は身体を試しに起こしてみた。肩の骨だけでなく、腕の骨が折れていることに気づく。
しかし、杖をつき身体を引きずってリーダーのカナリのもとへ向かい緑寮の話を聞くと、緑寮の11~12歳の5人は死亡、13人が行方不明となった。森が今回の現場であったことだけあって、緑寮のけが人は多かった。10名は今なお気絶したまま目を覚まさないらしい。
たかが結界の一つで、こんなにもあっけないものか。いつもの穏やかな暮らしはここまで恐ろしい世界の中に成り立っていたのか。
無念だ。本当は、最高学年である俺が寮員の不幸を”無念“なんてあっさり言うことは少し冷たいかな・・・。ただ、他に言葉がない。
一方、蔭蔓の怪我は毎日魔法で治療すれば1週間程度で治るらしい。
蔭蔓はしばらく黙祷した。カナリに礼を言って何かできることをすると申し出たが、「なら安静にしてやすんでいてね。」と普段からは想像できないほどやさしく言われたので、おとなしく布団に戻った。
それにしても、あの黒ローブ。ラルタロス魔法学校魔物部。なんなんだ。あいつは確かに、「ラルタロス魔法学校魔物部に来い。僕のことが知りたければな。」といった。
なぜだ。知り合いか。いや、俺が知らない。恋敵か。思い当たることはない。嘘です。まじめに考えます。
ラルタロスに行けば、名刺でも持って自己紹介に来てくれるとでもいうのか。そんな馬鹿な。
それとも、ラルタロス魔法学校魔物部の生徒だとでも。まさか。
そもそも、何のためにラルタロス魔法学校魔物部に来させたいんだ。
その後も考え続けたが、答えはわからなかった。
つまり、あいつの主張は“ラルタロス魔法学校魔物部に来い”、なぜ、“ラルタロス魔法学校魔物部に来い”といったのか知りたければ、ラルタロス魔法学校魔物部に来いということか。
黒ローブのものいい、そして蔭蔓瓜二つのあの顔が寝静まるまで断片的に繰り返し浮かんできた。




