1章37話『二人の契約』
神那「私もただ、命令されるままの日々を送っている一人だったけれど・・・。」
神那は口をつぐんだ。これ以上言えば、痛々しい過去をさらけ出すことになってしまう。
でも、蔭蔓にわかってもらうためには、言うしかないんだ。
神那は再び口を開いた。
白銀寮で、神那の専門は抹殺だった。上官に標的を指定されたら、それを処分する。処分する理由は様々だったけれど気にしてこなかった。少し前までは、仕事をこなすだけだで、良いことをしている気はなかったけど、別にやめようなんて思わなかった。
神那「でもあるとき、少女のネイチャーを焼いたの。文字通りね。そのとき私は。私は。」
涙を抑えたけれど、できなかった。それとともに、その時の光景が脳裏にあふれた。狩りするようにあの子を追い詰めた自分。あの子の悲鳴。命乞い無視した自分。あの子の焦げた体。岩にこびりついた影・・・。
神那「気づいたの。自分が何をしていたのか。」
神那は涙を拭った。
神那「そして決めたの。もうこんなことはやめるんだって。白銀寮から抜け出すんだって。」
蔭蔓「無理でしょ。」
ここぞとばかりに否定してきた。
神那「難しいのは知っている。」
神那「けど、このまま何もせずに、また白銀寮に戻るのだけは嫌。それにそしたら私が蔭蔓を・・・。」
もし神那が白銀寮に戻るなら、自ら蔭蔓に手を下さなければならないだろう。それが彼女に言い渡された仕事だからだ。
蔭蔓「確かに。」
神那「お願い。」
蔭蔓「・・・・・・。」
神那「助けて。白銀寮から抜け出したい。」
蔭蔓はしばらく黙考しているようだったが、突然、吹き出した。
蔭蔓「ハハハッはっ!?」
神那「???」
蔭蔓「いやぁ、おかしくってつい笑っちゃったよ。」
蔭蔓「抜け出したいなら、自由に抜け出せばいいじゃん。それこそ、山奥かどこかに逃げ込んで森の中で生きればいい。君だったら多少の魔物なんて、へっちゃらだろ?」
神那「そんな事をしたって・・・。」
反論したかったが、言葉が思いつかなかった。
蔭蔓「君は自分が生きるためにタブン罪のない人を容赦なく犠牲にしてきたんだろうけど、自分が自由になるためには、自分の身を危険にさらすことは嫌だと言っている。」
神那「・・・・・・。」
蔭蔓「自分のためなら、標的にだって助けを求めて。」
蔭蔓「君は、君が君の相手に味合わせてきた絶望も知らない。知りえない。まぁ、俺もギリギリ知らないけどかなり嫌な気分なんだろうなぁ・・・。」
神那「私は・・・・・・。」
神那は返す言葉が無かった。
蔭蔓の言うとおりだった。私は痛みは知らず、自分が傷つくことは恐れ、今度は善人ぶって、本当は自分が助かることしか考えていないのかもしれない・・・。みんなも巻き込んで・・・。
蔭蔓「いやぁ、甘いんだね。自分に対してはっ。」
神那「うっ・・・。」
心をえぐられた。
私は壊すことしかできないのかもしれない。私はやっぱり・・・。
いえ、私は壊すことしかできないんだ。できないんだった。
でもせめて、何を壊すかくらい自分で選べるようになりたい。そうなりたくてここまで来たんだ。
神那「邪悪でいい。自分勝手で構わない。それでも私は抜け出すんだ。」
蔭蔓は暫らく下を向いて黙っていた。神那も口を閉じ、沈黙が続いたが、やがて蔭蔓が口を開いた。
蔭蔓「まぁいいや。この件は、どうせ初めから俺に・・・せ、選択肢なんてないのさ。」
彼はまともに話すのもきつい様子だった。
蔭蔓「君が今逃げ出せば、代わりが来てどんどん面倒になる。」
蔭蔓「それは知ってるんでしょ。」
神那「・・・・・・ええ。」
正直に答えた。
私が来た時点ですべては始まっていた。
蔭蔓「なら、頼むような口調で話すなって。」
大声が堪えたのか、蔭蔓は左腕を抑えてうずくまった。
神那「でも、こんな私でも、蔭蔓を助けたい。いえ、助けるって決めていたことは本当なの。」
集団行動を取ったのだって情報を集めすぎないためだった。けれど、恩着せがましい気がしてそう言うことはできなかった。
神那「・・・・・・これだけは、これだけは信じて。」
蔭蔓は深く大きなため息をついて再び黙り込んだ。
蔭蔓「残念だけど、俺を騙していた君を信用することはできない・・・。だから君の願いを聞き入れることも、もちろんできない。」
鋭い視線に屈し、神那は下を向いた。
そうだよね。無理だよね・・・。
蔭蔓「だけど、俺は生きないといけないんだ。だから、これは契約だ。いいさ。君の条件は飲む。その代わり、何があっても白銀寮から解放してもらうぞ。」
その言葉に耳を疑った。そして蔭蔓のほうを向きなおした。
蔭蔓「ただし、俺は一切君に黒ローブのことを教えないし、君も知ろうとするな。これは一切拒否させない。」
神那「そんなことは構わないけれど、も・・・。」
また散々に言われるかもしれないと、一瞬躊躇した。
神那「も、もし、白銀寮が情報を催促したら?」
蔭蔓「君が脅迫で得た情報を上手く小出しにすればいい。」
神那「・・・わかったわ。」
蔭蔓「まぁ、細かいことは後で考える。後で聞かせてもらう。じっくりと。」
神那「ええ。そのつもりよ。」
蔭蔓「決まりだ。」
そして、いつになく真面目な表情で言った。
蔭蔓「自由になろう。お互い。」
自由になろう。
それは神那が一番かけてほしい言葉だった。
形はどうあれ、蔭蔓は手を差し伸べてくれた。それだけで嬉しかった。それはほとんど一人で生き抜いてきた神那への大きな救いだった。
神那「あ、ありがとう・・・。」
神那の目には涙があふれた。嬉しかった。
この数カ月間ほとんど誰にも相談できずに過ごしてきた。それは孤独で息の詰まる日々だったが、それが今、少しだけ楽になった。
暫らく、その場でしゃがんでしくしく泣いていたが、やがてふと気づいた。
蔭蔓は私を信じてくれているってこと?
神那「お、お互いって、私の話をし、信じてくれるの・・・?」
すがるように蔭蔓を見た。彼は深いため息をついて、不愉快そうに立ち上がった。
蔭蔓「君がまだ騙していても、問題ないようにできるってことさ・・・。」
歩こうとしてよろけた蔭蔓に、慌てて肩を貸そうとした。
蔭蔓「必要ないって。」
神那を冷たくあしらうと、蔭蔓は刀を拾い、杖代わりにした。
二人は帰り道を進んだ。
蔭蔓「にしても、俺が屋敷で何も言わなかったらどうするつもりだった?」
神那「あのときは・・・。言わせるつもりだったから・・・。」
蔭蔓「あぁ~そうですかい。」
蔭蔓はきまり悪そうに頭を掻いた。