1章26話『終わりの始まり:蔭蔓の実存』
6月19日 植物魔法研究会所有 地下3階地下植物園 蔭蔓
カルス化の魔法を教えてもらうために、蔭蔓、孔芽は工藤先輩と蕗野先輩とともに、いつもの地下3階の地下植物園に来ていた。
工藤先輩「蔭蔓聞いたよー。」
工藤先輩が、いつになく目を輝かせている。
蔭蔓「”何を”ですか。」
ラルタロス魔法学校に来てから、噂になるようなことはしてない。極めて平凡な量産型の魔物部一年生である。
工藤先輩「最近、よく研究会の後の帰り道、黒髪ショートの女の子と二人なんだって?」
黒髪ショート。神那か。
蔭蔓「それは、誤解というものです。」
工藤先輩は、蔭蔓を直視した。先輩は、相手に尋ねるとき、決して引かない。
蔭蔓「僕、同じ前部出身の4人でセット組んでいて、その人は、
その一人ですけど、それだけですよ。」
工藤先輩がそれでも目を逸らさないので、口に出さずに深いため息をついて、
蔭蔓「4月までは知りもしなくって、というのも、彼女はエリート用の別校舎で生活していたかららしいのですけど・・・。」
と、つけ足した。
工藤先輩「つまり、2カ月でそこまで発展したのね。」
そう来たか。
蔭蔓「いえ、最近、帰り道で魔獣とよく出くわすので、2人以上で帰宅するようにしているだけですからー。」
隣りで、仮眠していた蕗野先輩が起きるや否や救いの手を差し伸べて、
蕗野先輩「これは、工藤の早とちりだと思うよ。」
と言って、愉快そうにフフフと笑った。対して、工藤先輩は、肩の力が抜けて、軽く息を吐いた。
工藤先輩「仕方ない、蔭蔓の潔白を伝えておくわ。」
一体全体、どんな噂がたっているのだろうか。
蕗野先輩「そういえば、魔物部の長期探検課題ビラ、集まってきたから、ここに、置いとくよ。」
蕗野先輩は鞄から教科書程度の面積の紙を10枚程度取り出すと、眠そうに目をこすった。
そして、そのうち5枚をこちらに持ってきた。4人で、近くにあったダークグレーで円盤型のテーブルの周りにある椅子に座った。
蔭蔓「いつぐらいから、動いたほうが良いですか。」
今のうちに聞けることは聞いておこう。
蕗野先輩「8月中旬に決めて、9月から行けばいいんじゃないかな。貯金の夏といって、夏の間、授業がないからその分たくさん魔獣を狩って秋に向けて装備を整えるというわけなんだ。」
蔭蔓「なるほど。」
蔭蔓はビラを手に取って見始めた。
依頼をめくると、ラルタロス国内だけでなく、西側の隣国クルカロス、北東の隣国センなど様々な地域からの依頼がある。その内容も、魔物の討伐から、地域の魔物の種の同定等多岐にわたっている。確かに、依頼によっては、旅行しようと思えばできるのかもしれない。
工藤先輩「確か、魔物部公式の依頼もあるのよね。」
工藤先輩は一枚のビラを手に取った。
蕗野先輩「あれは進めない。手続きが面倒くさいし、紹介手数料が高額だし、十中八九、後々変な勧誘に付きまとわれるから。」
蕗野先輩めずらしく、不愉快そうにしわを寄せた。実体験があるのだろうか。
蕗野先輩「その点、ここにあるのは、信頼できるクライアントからの依頼なうえに、植物魔法研究会のツテできているから独占できる。ただし、研究会内では早い者勝ちだけれども。」
やはり、世の中コネなのかもしれない。
蕗野先輩「魔獣狩りは、大体は魔法学校に残るか、フリーランスだからね。お得意先は、学生時代のうちにつくるんだよ。」
なるほど、きっととても重要かつ役に立つアドバイスを受けているのだろう。
孔芽「依頼主には、個人の資産家が多いですね。」
依頼主には、アミテロス島育ちの蔭蔓は見たことのない名前が並んでいる。
蕗野先輩「向こうも向こうで、実力のある魔法使い、魔獣狩りを探しているのだろうね。」
次に見るべきは、報酬である。
蔭蔓「約4カ月間の仕事で、報酬は最高で約100万wか。」
蕗野先輩「実際は、装備も道具も高額だから、あっという間に・・・だよ。」
休憩の時間は終了し、土壌の上で、カルス作りの練習に戻った。
初めは、身体に生えた植物体をナイフで傷つけて、出てくるカルスをカルスのまま育てるという原始的なものだった。植物ホルモンを植物体にバランスよく分泌させる練習なのだが、これが全くうまくいかず、すぐ新芽か根に分化してしまう。
蕗野先輩「これは、1年ぐらい習得にかかるものだから、焦んなくていいよ。ちょっと、手洗ってくるね。」
手がカルスでいっぱいの蕗野先輩は、樹木を超えて、先ほど休憩していた場所にある流しに向かった。
7月4日 放課後 附属図書館 蔭蔓
一つ上で、記録係のラーサは、蔭蔓の仕事を記録した。彼女は珍しい紫髪でいつも眠たそうだ。今日も眠たそうに眼をこすった。
蔭蔓「お疲れ様です。」
ラーサ「うん。はい、いいよ。お疲れ。」
彼女曰く、考古学のフィールドワークが多すぎるせいらしい。
同じアルバイトのアレクシア、敏雄も蔭蔓のあとにつづいた。二人とも、新一年である。
アレクシア「蔭蔓、この後また資料あさり?」
蔭蔓「まあね。」
アレクシア「勉強熱心ね。私はこれから焼き肉行くんだ。」
アレクシアはそう言うと、くるりと半回転し、しなやかなホワイトブロンドの髪をたなびかせた。蔭蔓ぐらいの身長で煌めくサファイアの瞳を持つ彼女は附属図書館でアルバイトしている男子の注目を一手に集めていた。
蔭蔓「へー、軍部の先輩と飲み会とか?」
アレクシア「そーそー。」
蔭蔓「いってらっしゃい。楽しんで来いよー。」
こういう風に言えばいいのだろうか。
将器が言いそうな台詞を頑張っていってみた蔭蔓であった。
アレクシア「はいはーいっ!」
よし、多分悪くない。
アレクシアは常時テンションの高い。けれども、チャランポランというわけではない。むしろ逆で、空気をよく読んでいる。無垢な笑顔と魔性さを兼ね備えているとでもいえようか。
敏雄「アレクシア、実は訊きたいことがるんだが・・・。」
敏雄は、高い鼻におかっぱ頭で学級委員のような奴だ。上下関係を徹底するので軍部にはよく合いそうだ。細身だが筋肉質で、あまり人と話さない。けれども、今日は違うようだ。
アレクシア「え、なになに?」
彼女の関心は敏雄の訊きたいことへと移ったようで、2人はそのまま話し込んだ。盗み聞きではよく聞こえないが、なにやら敏雄はいつにもまして深刻な様相を呈していた。
気づけば、ラーサも加わっていたが、3人を見届けることなく司書室の閲覧スペースへ移動した蔭蔓は、その後のいきさつは良く知らない。
ここでは、チャーリー司書の許可を得て、蔭蔓自身が興味のある図書を調べている。
チャーリー司書「何みているかと思えば、邪術書か。」
いつの間にか、背後にはチャーリー司書がいた。
蔭蔓「いや、ちょっと、課題の調べ物がありまして。」
チャーリー司書「術殺したい相手でもいるの?彼女の元カレとか?」
どうやったらそんな発想になるんだよっ!
蔭蔓「チャーリー司書は、寛容ですね。」
普通、学生が邪術書をあさっていれば、止めるのが教師というものだろう。なんてったって、邪術の多くは禁忌の呪いに該当するから。その多くが、相手を魔法の罠に陥れて〇す方法や、相手を呪い〇すための儀式の手順といったヤバめの奴だ。
チャーリー司書「魔術に正も邪もないからね。」
ちなみに、こんな不用心なことをしているのは、チャーリー司書も平然と黒魔術の本を手に取る魔法使いだからだ。というか、“一つ、邪術は学ぶべからず”といった文言を守っている魔法研究者もそうはいなかった。
そういうと、チャーリー司書は机に戻った。何やら、今日は術式を書いているが、全く見たことのない言語体系が用いられている。蔭蔓の母語ではないことは確かだ。
一方、蔭蔓は粛々と、自由に“調べ物”を進めて続けた。
闇魔法はいかにも怪しい言葉なので、きっと、怪しい、邪術に関連があるだろうと考えて、これを中心に調査を進めていた。
そして、調べつくして驚くべき事実が判明した。
それはなんと、邪術に関する書物は百冊近くあるにもかかわらず、闇魔法という言葉は、一度もでてこないことだ。さらに、あの透けたり当たったりする弾の魔法に関しても一切の記述は見つからない。
蔭蔓は調査を進めれば進めるほどに絶望感に包まれていった。
正直、闇魔法についての情報が少ないため、怪しい魔法があってもそれが闇魔法に該当するかさえ判定できなかった。