1章25話『瞳の奥2:根無し草』
神那は、しばらく、目に映った虚像でも眺めているような表情で何も言わなかった。何かを言うか言うまいか迷っているのだろうか。
しかし、神那はやがて意を決したのか「今日、魔法の試合で相手に大怪我させちゃって・・・。」と、つぶやいた。
蔭蔓「それは・・・かなり大変だったね。」
相手がね。
神那と同じ授業の多い、将器の話を聞いている限り、「あいつは、悪気はないけど、真剣だから事故らせる。」とのことだったので、そういうことには慣れっこかと思っていたが、本人は気にしていたわけだ・・・。
手加減すればいいじゃん、という単純な話でもないのかもしれない。適当にするぐらいなら練習しないほうがいいというのは良くある話じゃないだろうか。
神那「ゴメン、言っても仕方ないこと言ったね。」
蔭蔓「そういう時もあるんじゃない。」
俺なんて、言っても仕方ないことしか言ってないかも・・・。
神那は、今度は逆に笑顔を作って、「何も壊せないのも大変だしね。」
と言った。
それ、ひょっとして俺のこと言ってる?だとしたら随分酷いよねえ。
もう少し励ました方がいいんだろうか。
蔭蔓「まぁでも、神那の魔法は壊すばかりでもないと思うよ。いや、壊すばかりではないと思うよ。」
少し真面目さを発揮して、神那に目線を合わせることにした。瞳の輪が二つ、蔭蔓の視界に移り込む。
蔭蔓「ほら。例えば、君の魔法はなんというか・・・素敵だというか。」
目を逸らさずに言っておこう。
蔭蔓「特に、低波長可視光の魔法の色は、空の色にも、髪の色にも合っていて。だから、何かを照らすには強すぎたとしても、壊すだけということでもないんじゃないかな。」
おもいのほか、大胆に発言した自分に驚かされ、両手に汗が滲んだ。
何を言い出すんだ俺はっ!!
不意を突かれた神那は赤面して、
神那「ちょっと・・・まってよ。」
言って、少し目をそらした。彼女の頬が赤い。目に見えて。
こうして、俺は黒歴史を更新していく。
げえ、言っちゃった言っちゃった。どうしよう寮一緒なのに・・・。
神那「蔭蔓じゃないみたい。」
それは、同感。
神那は、しばらく考えている様子だったが、
神那「でも、ありがとう。」
神那は軽く苦笑し、
神那「壊すばかりじゃないといいけどね———。」
と、うつむいてつぶやいた。
そして、歩き出すと、顔を上げ、そのまま話し続けた。
神那「わたしが音楽を好きなのは、何も壊さないけど・・・、壊せないけど、誰かの心を感動させることができるから。慰めることができるから。なんというかそういうものに、———憧れるの。」
そういうと、神那は下を向いて黙った後、
神那「笑わないでよ、私ったら、音楽科に行こうと思っていたときもあるの。」
と少し高い声で言った。
入学式の日に、神那に進路選択のことを聞いて、怒らせたことを思い出した。
神那「ただ、力を持って生まれてしまったから、そのせいで狙われたこともあって。」
神那は回想するように言った。
神那「はぁ——。なんでただ生きることも難しんだろ。」
振り返ることなく殆どかすれた声でそうつぶやいた。音色のない彼女の言葉は、どことなく、病んでいるような、恨むような、あきらめたような、そんなふうに響いて聞こえた。
神那「結局、最後は魔物部に決めたの。」
言い終えると、再び彼女は振り返って、小さく微笑んだ。
2人とも、足を止めずに進んだ。
神那「蔭蔓は、春分の襲撃がきっかけで魔物部に決めたんだっけ。」
再び彼女の顔を見た時には、彼女は俺を気遣っているように見えた。
蔭蔓「魔獣と戦えなくても、ただ生きることすら難しいからね。」
俺は、聞かれればそう答えることにしている。
神那「そう思ったの・・・?」
蔭蔓「まぁね。」
答え方に確信のなさが現れた。
神那「本当に・・・?」
蔭蔓「そう思った。そう思ったと思っていたんだけど・・・。」
純粋に、笑い返すことは難しく彼女と目を合わせないようにした。彼女に尋ねられて、どうして自分が“こんなところ”まで来たのかが思い出された。
もちろん、春分の襲撃を受けてここに来たわけではないけれど、自分では慎重に入念に考えて望んだことだと思っていた。そう、俺は生きながらにして、あの黒ローブのこと、そして、黒ローブを通じて、アミテロス魔法学校に来る前、将器と知り合う前、俺に何があったのかを知るために、ここに来た。俺はそれを望んだ。
けれど、黒ローブとの衝突がなければ、アミテロスで植物魔法でものんびり研究していただろう。つまり、そもそも、黒ローブとの衝突がなければ、俺は俺が俺の過去に何があったのか知ろうと思っていると、思うことも、なかったんじゃないだろうか。
いや、黒ローブとの衝突があったとしても、将器とあずさがいなかったら、魔物部になんかいっただろうか。
ただ、それでも、一応それを望んだことには変わりない。
そもそも、こんなこと質問への回答に一切関係ないじゃないか。
蔭蔓「まぁでも、そう思ったといえばそう思ったかな。」
神那は、少し困ったように、けれどしっかりと深く頷いた。
蔭蔓「ただ・・・。」
神那は黙って聞いていた。
蔭蔓「根無し草。」
その言葉が、脳裏に過った。
神那「根無し草?」
神那は、聞き返した。
蔭蔓「そう。いつもは、ただ浮いているだけで、動いているように見えても、周りのものに引かれているか、水の流れに乗っているだけ。水面に浮かんだ、アカウキクサみたいに。」
※アカウキクサ 赤く小型で群生するシダ植物で、水中では浮草になる。
あまりにも投げやりに感じたので、
蔭蔓「そういう風に自分が見える。」
と付け足した。
蔭蔓「だから、神那みたいに、自分のことがはっきりわかっている人がちょっと羨ましいよ。」
これは、心からの声だ。
すると彼女は、しばらく考えて、
神那「でも、蔭蔓は日陰蔓使いでしょ。」
と明るく笑顔で、首を傾げながら言った。
蔭蔓「そうだけど。それが何か?」
神那「だったら、根っこはあったし、あるんじゃないの。」
神那は、軽くからかうような目つきで返す。
確かに、俺が、強い動機をもってここまで来たことは事実だ。その動機とは、魔物部に行かなかったはずの俺を今ここに立たせているほど強力な動機なのだ。
それならば、俺は俺なりに根をはって、必死に地面にしがみついていることになるのだろうか。なるほど、神那の言うことも一理あるような気もする。
蔭蔓「そう言われれば、そうだね。」
けれど、神那が自ら日陰蔓と口にするとは実に意外だ。
蔭蔓「フンッ。自分からシダ植物に例えるなんて、神那も浸蝕されてきたね。」
神那「浸蝕って、やめてよ。」
神那は空を仰ごうとしたが、傘で空は隠れていたらしく、すぐ前を向きなおした。
蔭蔓「まぁ、まだまだ序の口だけどね。」
雨の中、帰り道はまだ長かったけれど、今日はそれほど苦ではなかった。
それどころか、普段は自分のことをあまり語りたがらない神那のことを少しだけ知ることができたような気がして、嬉しかったのだ。