1章1話『いつもの崩壊』
3月21日 早朝 アミテロス島にある竹林サピアにて 蔭蔓
3月21日、春分の日の早朝。蔭蔓は今日もいつも通りの一日になると思っていた。少なくとも朝はいつも通りに、竹林サピアで親友の将器と剣術修行をしていた。
——カッカッ——
将器「妄想にふけっている暇はないぞー。蔭蔓!」
将器は一気に勝負を仕掛けてきた。
俺がずいぶん集中していないと見みているようだが、当たりだ。
蔭蔓はたとえ稽古の最中であっても、思索という名の妄想にふける達人だった。昔からどうにも考えたいことがあると、現実がどうでもよくなってしまう。
ただし、今回もなんとか将器の木刀を防ぎ切り、間合いをとった。
残念ながら、この展開は読まれており、追撃を食らった。
歳のせいか、最近、この稽古オタクについていけなくなり始めている。剣術だけだと、この勝負危うい。
よって、蔭蔓は腕から日陰蔓を生やした。
さて、何を隠そう蔭蔓、いや蔭蔓だけでなく、ここアミテロス魔法学校に所属する学生は皆、魔法使いだ。
ここでは主に、9年前に終結した第三次魔法対戦で孤児になった、ネイチャー———生まれつき高レベルの魔法をつかえる者———を保護している。
普通16歳までのいる前部、その後の課程の後部があり、前部では、学生は使う魔法の分類によって異なる寮で生活している。
蔭蔓と将器は最高学年。来春から後部に進学予定だ。
そして、蔭蔓は自他ともに認める魔法学校唯一にして最強のシダ植物ヒカゲノカズラ類使い。体から、日陰蔓といったシダ植物を自在に生やすことができる。
———これこそ、蔭蔓の唯一にして最強の魔法である。———
すかさず、将器が左腕から放った純水のカッターが日陰蔓を引き裂いた。
ちなみにこの稽古、魔法は使わないルールだったのだが・・・。
言うまでもなく、将器は水の魔法使いだ。彼もまた才能に恵まれていて、純水を自由に生み出し、大抵の水溶液を自在に操る。身長180cmを超える長身で、心身ともにたくましいハンサムの好青年にして、液体系の寮、通称青寮のリーダーだ。
そんな将器には、あずさという彼女がいた。
蔭蔓「そっちこそ、あずさとのおデートの妄想、真っ只中だろう?」
蔭蔓は、将器の隙をついて反撃に出た。
将器「そんなわけ、ないだろっ!!」
あぁ、赤みがかった頬から今日の午後の予定がバレバレですけど・・・。
残念ながら、あずさは量子系の寮、通称白寮のリーダーで生活の場は異なる。なので、このパワーカップルは、ここ、生命系の寮、通称緑寮の蔭蔓が縄張りここ竹林サピアで密会する。ただ、二人は有名なので、皆二人の密会を大抵知っている。
よほど図星だったのだろう。将器の渾身の一撃に蔭蔓の木剣があっけなく折れた。
あらっ・・・。次からは腐った木刀は使わないようにしよう。
蔭蔓は、ぎりぎりもう一発の攻撃を折れた木剣で受け流すと、将器に飛び掛かった。それからしばらく、組み合って、技の掛け合いになったが、結局勝負はつかないまま、制限時間を迎えた。
将器「道着が汚れちまったな。」
蔭蔓「たく、木剣を折るから、飛びつかないといけなくなったじゃないか。」
将器「おい待て。おかしいだろ、その因果関係。」
たわいもない会話をしていると、ゴーン、ゴーンと2回、鐘の音が北北西にある中央のほうから鳴り響いた。学生召集の鐘である。
将器「行くぞ、カズ。」
蔭蔓「面倒くさいなぁ~。」
蔭蔓と将器は中央に向かって走った。蔭蔓は、折れた木剣とその先端は一応持って行った。
中央の魔法学校の社につくと、もうほとんどの学生が集まっていた。そこに汗まみれ土だらけの道着で登場するのだから、目立つ。離れた竹林で稽古をしていたわけだから仕方ないと言えば仕方ない。
ただ、猛者ほかにもいるようで、全身に紫色の液体がついている学生もいる。
何をやっていたんだ?あそこまでいくと、もはや新しいファッションだなぁ。
蔭蔓は将器と別れて、各々の寮の自分の位置に座った。寮には、生命系、液体系、量子系の他に、鉱物系、気体系、火炎反応系などがある。学生は計306人で、年齢はばらばら。大抵一学年の各寮ごとに平均5人程度いる。
そうこうしているうちに、カイエン和尚が学生の前にのそのそと登場した。
カイエン「今日集まってもらったのはほかでもない。」
説教を聞くためである。
カイエン「昔、とある人が、人間は人間が多くのことができるようになったと感じるのは、それは人間が優秀だったからではなく、想像力に乏しかったからだといったそうだ・・・。」
案の定。案の定。ほら。案の定。
それから、春分の日の全校集会ということで30分延々と話を聞かされた。学年が小さい学生もいるからという理由で、毎年、同じような話、いや、完全に同じ話を説教される。
7歳から魔法学校にいる蔭蔓にとって、この30分はすっかり妄想の時間になっていた。7年前は、学校にドラゴンが襲ってきたし、去年も大蛇が大量に侵入してきた。来なかったけど。カイエンは長話の後、そそくさと島の外へでかけていった。
ここからは楽しい。春分の日なので、学校を上げて春の感謝祭を行うことになっている。しかも今年は、各寮の最高学年の学生は来年から後部に移行するから、一つ下の学年の学生が取り仕切ってくれる、食べるだけの感謝祭だ。
とはいっても食べ物は自前なのだ。昼までの間ずっと、魔法学校の全員が中央の社に集まり、餅をついたり赤飯をたいたりして、それを食堂で食べることになっている。
ちなみに、食料は残ったら翌日分に保存するのだが、9年連続で保存量は0。はてさて、今年はどうだろうか。
昼食の時間になって寮ごとに食事をはじめ、蔭蔓はいつも通り、生命系の寮の他の最高学年の限、カナリ、双子のカイト、リンド兄弟と戯れた。
次に、みたらし団子一皿とともに、将器と、おそらく一緒にいるだろうあずさを探した。二人は、中央から少し外れで、お互いの寮のある南西側の、黒曜石でできた長椅子に腰かけていた。
二人の会話を邪魔することには慣れている蔭蔓だったし、二人が付き合いだす前は、ただの仲良しトリオだったので、その感覚で邪魔をする。向かっていくと、あずさと目が合い、「やっと、お出ましみたい。」とあずさが、緑茶をすすっている将器を軽くゆすった。
そして、あずさが続いて、将器が、蔭蔓のために席を詰めた。
蔭蔓「いやぁ、相変わらずお似合いですねぇ~。」
そういって、蔭蔓は将器のとなりに、よいしょと腰を下ろした。
将器「いいだろ別に。」
将器が挨拶替わりに軽く肘鉄をした。
あずさ「そんなに羨ましいの?可哀そうに、誰か紹介してあげてもいいのよ?」
あずさが、仕返しをしてきた。彼女は、相変わらずの容姿端麗で、程よく引き締まった腰元まで届く、濡れ烏の黒髪に、鋭い瞳。その眼の奥には、溢れんばかりの自信と秘めたる強い意志を感じさせる。
その日、最高学年の話題は、来春からの進路で持ち切りだった。といっても、生まれつき魔法の才に恵まれたネイチャーの就く職業はある程度しぼられるので進む進路もそれに従う。
とりわけこの三人については、まず、将器とあずさは既に進路が決まっている。
二人はそれぞれ、アミテロス島の北の大陸にあるラルタロス魔術学校後部、魔物部魔獣科、魔物部魔獣医学科に進学が内定している。
それどころかこの二人、卒業後の進路まで決めていた。共通点は、二人とも魔獣狩りと呼ばれる職業を志していることだ。
人望があり、剣術、魔術に秀でた将器は魔獣師志望だ。魔獣師とは、簡単に言えば、魔獣と戦う魔獣狩り。
あずさは、頭の回転が速く、記憶力も良く、努力家なので(当然のごとく)成績優秀だ。それも、アミテロス魔法学校始まって以来、最も成績優秀な学生の一人らしい。普通なら医学部医学科に入学して医師とかをめざすのだが、彼女は魔獣医師を目指していた。
魔獣医師の専門には人間を治すこともあるのだが、彼女いわく、獣医が犬や猫を治すことと同様に魔獣を治すことも魔獣医師の領分らしい。
というわけで、より具体的に魔物や魔獣狩りの話題になった。
魔物———非人間でありかつ少なくとも超科学的な能力を有する存在———がこの世界には溢れている。その中でも、魔獣と呼ばれるものは、多くが大蛇で、史実に残る限り、人間の脅威となってきた。
さらに9年前、世界規模の魔法大戦起きた。これにより、世界中の殆どの魔法や数々の技術が失われ、魔法の使える人口は元の10分の1未満へ減少。魔獣の進行を抑えることはできず、現在、人間社会は風前の灯である。
しかし、人間も無抵抗であったわけではない。魔獣に対抗するものは魔獣狩りと呼ばれ、魔獣との戦いを生業としてきた。魔獣狩りは、魔法の使える者のなる職業といって相違ない。
つまり、現在魔獣に対抗できる数少ない力の一つである魔法使いのわずかなわずかな生き残り。それが、ネイチャーである。
無論、優遇される。まず、ネイチャーであるというだけで、無試験で医学系以外、ほとんどすべての学科に入学できる。することと言えば、申請用紙を記入するだけ。
蔭蔓は、それを良いことに、進路の報告を一切行っていなかった。
あずさ「でさぁ。結局、蔭蔓はどうしたの。進路。」
蔭蔓「まだ決めてない。」
将器「27日で最終締め切りだろ。カズにも本当は目標とかはあるじゃないのか?」
蔭蔓「お前らが明確すぎるだけだろ。むしろ俺は、魔法学校に留まれば、結界に守られて魔獣とは基本無縁に生きていけるのに、わざわざ魔物部に真っ先に志願する二人が正気だと思えないンだけど。」
将器「俺は、家系的に魔獣狩りだからな。色々憧れとかあるんだよ。」
蔭蔓「そりゃ知っているさ。その上でのはなし。まぁじゃあ、あずさは?」
あずさ「私にも色々あるのよ。」
あら、そうですか。目標が明確な、かつラブラブなお二方には、俺の心情は理解できないでしょうね!
でも、過去の記憶、魔法学校に保護される以前の記憶さえ戻れば、あるのだろうか。俺にも。何か明確で、これしかないと断言できるような、目標や目的が。
そう。蔭蔓には過去の記憶がない。北の大陸を流れるとある川で、将器に出会い、カイエン和尚によって保護される以前の記憶が彼にはないのだ。
その後のあずさと将器は
将器「この餡子おいしいよね。でも、俺は餡子よりあずさだからさ。」
あずさ「もう、将器ったらぁ~。」
という具合だった。
観察記録によれば、二人は気分がよく盛り上がったときには大抵この調子になり、少なくとも30分は同じ調子だ。おかげでこちらは、妄想にふけることができる。根は根暗の極みの蔭蔓にとって、これはむしろ、住みよい環境なのだ。
さて、幸せそうな二人はほっておいて進路のことを考えるとしよう。
実は、魔物部か魔法理学部に進学しようと考えがまとまっていたが、そこで止まっていた。
生きていくとすれば、ネイチャーとして生まれた以上、不安定な世界を魔法使い以外として生きていくことは考えられなかった。だから、仕方なく進学することにした。
というのも、高度な魔法や魔法に関する知識の習得には後部に進学するのが必須だったし、ネイチャーの進学率も95%を超えている。
そこからどうして、魔物部か魔法理学部と絞られたかと言えば、次の通りだ。
始めに、一般的な魔法学校の、後部の学部といえば、軍部、(魔法)医学部、(魔法)理学部、(魔法)工学部、政治学部、経済学、文学部、芸術学部、そして、魔物部ぐらいのもの。
そこから、魔法をあまりやらない学部は除外すれば、軍部、(魔法)医学部、(魔法)理学部、(魔法)工学部、魔物部が残る。
次に、協調性のない蔭蔓に軍部は不適格。医学部は成績が足りない。社会に役立つ発明をしたいという気概はなく、工学部も断念。
つまり、消去法だ。
特権的地位にスポイルされたモナトリアムな皮肉屋には、消極的なことしか思いつかなくて然るべきだなどと考えていたから救いようがない。それは別に構わない。今更変わるものでもないだろう。
ただ、決めないといけないから、蔭蔓は干した布団みたいになりながら、3皿目のみたらし団子を食べ続けた。