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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ある女性の体験

作者: 小宮山 写勒

 あれは、実家へと変える途中の山道でのことでした。その日の天気は雨で、ブラインドガラスを叩く雨がうるさいほどでした。


 こんな雨の中どうして帰らなくてはならないのか。それは実家で母が倒れたとの連絡をもらったからに他なりません。


 10年以上実家の方には顔を出しておりませんでしたから、母の容体などこれっぽっちも気にしてはいなかったのです。


 早く行って母の容体を確認したら、この日のうちに帰ろうと思っていました。薄情者だと笑うかもしれませんが、私には私の生活があったのです。


 夫に子供を預けてはいましたけど、どうも心配で仕方なかったんです。ですから、顔色をみて大丈夫そうだったらすぐでも家に帰ろうと思っていました。


 アクセルを踏みさらに車を加速させました。なにせ早いところ実家の方へついてしまおうと思っていたものですから。ですが、薄暗い山道で大雨でしたから、見通しは最悪でした。


 いくらワイパーで雨を撥ねていたとしてもきりがありませんでした。けれど、私は視界の悪さに気をとられるよりも、自分の気ばかりを優先していました。それがきっと行けなかったのだと思います。


 ハイライトでめいいっぱい辺りを照らしながら進んでいると、突然目の前に人が現れたのです。確か長い黒髪をした女の人のように思います。


 なにぶん突然のことでしたから人相を確認している暇などありませんでした。私はとっさにブレーキを踏みましたが、加速をしていた上この雨です。容易に止まれることはできません。


 けたたましいブレーキ音が響き、私は衝撃に身構えました。ああいう時、言っては悪いものですけど被害者のことよりも自分の今後のことが頭をよぎるものですね。


 お金のことや家族への心労など色々な心配が私の頭を回っていました。でも、心配をしたところで車は止まるわけではありません。


 私は顔を下に向けてハンドルをきつく握りました。人が自分の車にはねられていく様なんて見たくはありませんでしたから。


 車体がゆれ、衝撃によってハンドル部分からクッションが飛び出して来ました。ああ、やってしまった。私はそう思いました。けれど起きたことは覆しようがありませんから、意をけっして顔を上げました。


 しかし、どうしたことか。そこには車体によってひしゃげたガードレールがあるだけで、女性の姿がありません。そんなバカな。そう思った私は慌てて車から降りて車のフロントへと回りました。


 ガードレールに突っ込んだため、前面部分は凹み、バンパーは地面に落ちてしまっていました。けれどフロントのどこにも血などついておらず。車の下を覗いて見ても女の姿はありませんでした。


 ただの錯覚だったのだろうか。いや、確かに見たはずなのに。


 私はその後も車の周囲やガードレールの外側にも目をやって女の姿を探しました。けれど、いくら探しても女の姿はなかったのです。


 単なる気のせいだ。そうに違いない。私は自分にそう言い聞かせて、一先ず車に戻りました。傘もささずに外に出ましたから、身体中はびしょ濡れで服には雨水が染み込んでいました。


 助手席に投げていたバックからタオルを取り出し、髪や服についた水滴を取りながら、携帯電話で警察と保険会社へ電話しました。女の所在はどうであれ、事故は事故でしたから。


電話を終えた私は警察にその場で待機するように言われたので、車の中で到着を待つことにしました。雨の中傘をさして待っているというのもいやでしたし、何よりあの煙のように消えた女が出てくるのではないかと不安にかられたのです。


 雨粒が乱暴に車体を叩き、雷鳴が遠くから聞こえて来ます。ラジオなどもつけていなかったので、外からの音は余計に大きく車内に響いていました。なんとなく寂しくなった私は、携帯から動画サイトを開き、適当な音楽を流しました。


 確かあれは、昨今はやっていた外人男性の曲だったように思います。横文字だったので詳しくはわかりませんでしたが、耳障りのいい声をしている人だとの印象は受けました。


 その方の楽曲のせいでしょう。恐怖に震えていた私の心も少し落ち着きを取り戻して、心地よく彼の楽曲に耳を傾けることができました。


 不思議なことが起きたのは、彼の曲が終わり、つかの間の静寂が訪れた時でした。丁度携帯をフロントガラスの下において曲を再生していたのですが、そちらの方とは別なところから、なにやら音が聞こえたのです。


 最初は携帯から聞こえるものかと思って携帯に耳を近づけて見たのですが、どうやらそうではない。では、一体どこから音が聞こえるのかと、私は耳をすませました。ようやくわかったのは、どうやらその音は私の背後から聞こえているようでした。


 一体なんの音か。私はその正体を確かめるべく顔を背後へとむけました。けれど、そこにはがらんとした後部座席があるだけで、音の出るようなものはなに一つありません。もちろんそれは私だって知っていることでした。でも、その音は確かに私の後ろから聞こえているんです。


 もう一度、今度はよくよく耳をすませて音の正体を確かめました。そして、音の正体に気が付いた時、背筋が凍えました。


 「う……うぅ……う……」


 それは女の声でした。途切れ途切れですすり泣くような、か細い声が車内に響いていたのです。怖くなった私は、叫ぶこともできずに震えていました。


 どこに視線をやっても私以外の人間はこの車内にはいません。でも、女の声はこの私以外だれもいない車内に確かに響いています。それも、先ほどよりもより大きく、そしてはっきりと私の耳に女の声が聞こえてくるのです。


 恐怖で声も出せず、逃げ出すこともできません。まるで金縛りにあったかのように息を飲んだまま体を動かすことができなかったのです。


 声はみるみると大きくなり、ついに私の耳にははっきりと女の息遣いが聞こえて来ました。はぁ、はぁと一定のリズムで聞こえてくる吐息が私の髪にかかります。そうです。その女は私の背後にいるのです。運転席を挟んで確かに女の気配を感じました。


 「う……うぅ……ぅ……うぅ……」


 私は目をぎゅっと瞑り、手を組んで握りながら知っている限りのお経を唱えました。


 「南無阿弥陀仏…南無阿弥陀…。」


 それが効いたのかどうかはわかりません。ですが、私の頭にかかる女の吐息が静かに遠のいていくのを感じました。そして、私を縛っていた恐怖も次第に薄れ、どうにか私は車を降りることができました。


 外はまだ雨が降っていて、冷たい雨粒が私の顔を叩いています。ああ、助かった。私は鉛色の空を仰ぎながらそう思いました。


 冷たい雨粒で少しは冷静さを取り戻せました。でも、車に戻るにはいまだ勇気が足りません。まだ女がいるのではないか。そう思わないではいられなかったのです。


 私はゆっくりと背後を振り返りました。後輪が見えて、後部座席が見えて。肩越しに振り返っていき車体の後部から見えてきます。そして運転席が見えてきた途端、私は思わず息を飲みました。


 そこには見慣れぬ女が座っていました。女はただ前を見据え、私に横顔をむけていました。ワンピースからすっと伸びた細い腕は、灰をかぶったように白く生気を感じさせません。


 私が呆然と立ち尽くしていると、女がゆっくりと私の方へ顔を動かしてきました。徐々に横顔から目が見え、頬が見え、顔の全景が見えてきます。


 見てはダメだ。私はそう思っているのですがどうにも私は女の顔から視線を動かせずにいました。そして、女の顔が見えてきた時。


 「あ、ああ……あぁああ‥…!」


 思い出したかのように私は悲鳴をあげて車から遠ざかるために走りました。

 女の顔。長い黒髪が顔にかかり、顔の半分を覆っています。髪の下には皮がはげて、赤く色づいた肉と眼窩から零れ落ちた眼球がデロリとぶら下がっていました。



 

 私はそれから警察が来るまで、車から離れた路肩で立ち尽くしていました。警察にもこの事を話しましたが、信じてはもらえませんでした。


 あとで調べて見たところ、その山道では一昔前に焼身自殺をした女性がいたそうで、時折あの場所に姿を表すのだそうです。あの女のせいなのかは定かではありませんが、私がぶつかったあのガードレールは、あの場所から転落する車が後を絶たないため設置されたものなのだそうです。


 そのことがあってから、私は二度とその道を使うことはありません。ですが、あの場所での事故は、今も続いているそうです。

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