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二十九.早朝の庭先で、ベルグリフは剣を


 早朝の庭先で、ベルグリフは剣を片手にダンカンと向かい合っていた。義足側に軽く体重を乗せ、ゆらゆらと小さく左右に揺れる。ダンカンは戦斧を上段に構えてジッとベルグリフを見据えていた。


 夏のトルネラの早朝は涼しい。

 そこいらには朝靄が漂っていて、まだ昇り切っていない太陽が淡く地上を照らしている。これが高くなると一気に暑気が押し寄せるのだ。そうなるともう鍛錬どころではない。


 ベルグリフは小さく揺れるだけで動かず、ダンカンの方も緊張したように静止している。時折つま先が距離を測るようにじりじりと動くばかりだ。


 やがてダンカンが動いた。

 一気呵成に踏み込み、剛! と戦斧を振り下ろす。

 ベルグリフは目を見開き、しかし動きは最小限にそれをかわした。同時に剣を振る。

 だがダンカンも歴戦のつわものだ、身をよじって剣をかわし、即座に飛び退って距離を取った。


 ベルグリフは嘆息して構えを解いた。


「まだまだだな……ありがとうダンカン」

「いやはや、それは某の台詞。あれをかわされては立つ瀬がござりませんわ。はっはっは!」


 ダンカンは額の汗を拭いながら笑った。

 ベルグリフが帰って来るまで、ダンカンはケリーの家に世話になっていたが、ベルグリフが帰って来てからは彼と起臥を共にしている。早朝の村の見回りや鍛錬も一緒だ。


 痛む体でアンデッド相手に戦って以来、ベルグリフはなるべく力を抜いて戦う方法を習得しようとしていた。

 エルフの霊薬によって体の痛みはなくなったものの、寄る年波には勝てない、とボルドーで悟ってしまった。

 今までのような剛の剣ではまたいつ体を痛めるか分からない。そうなってしまっては元に戻らないだろう。エルフの霊薬なぞ今度はいつお目にかかるものか分かったものではない。


 そういうわけで、トルネラには貴重な武人であるダンカン相手に、毎日朝晩と稽古を続けていた。

 元から後の先を取る戦術を主にしていたので、回避の技は身に付いていたものの、カウンターの一撃がダンカンクラスの相手になると中々当たらない。

 また、以前は全身の力を込めていたその一撃を、さらに敏捷に、さらに力を加えず、しかし一撃で相手を沈める鋭利さを以て振りたいのだ。

 魔力を上手く使い、剣との感応を高めればできない筈はないのだが、とベルグリフは嘆息した。


「困ったものだ……自分の体なのに中々言う事を聞いてくれない」

「はっはっは、仕方がありますまい! 言う事を聞かせるために訓練があるのです!」

「そうだな……しかしこのザマでは不安だなあ……またいつ体を痛めるか分からない」

「某に言わせれば十分だと思うのですが……」

「さて、どうかね。まだ自分では太鼓判を押せそうにないよ」


 ベルグリフは肩をすくめた。


 そろそろ本格的に魔獣の発生の原因を確かめよう、と決めた。

 かつてオルフェン周辺では魔王の影響で魔獣が大量発生していたが、その時は高位ランクの魔獣が多かった筈だ。そのせいでアンジェリンが帰れなかったのだから。


 しかし、トルネラには今のところ下位の魔獣しか出て来ない。魔王クラスではないにせよ、この周辺の魔獣よりは強力な種がやって来て、その魔力に惹かれた下位ランクの魔獣が集まっているのだろう。

 あるいは、何かしらの要因で魔力溜まりができている可能性もある。

 そうなったら少し厄介だ。魔獣ならば退治すれば済む話だが、魔力溜まりは魔法に精通した者がいなくては対策ができない。

 ベルグリフは知識としては知っているが、彼はあくまで剣士であって魔法使いではない。


 どちらにしても、ダンカンが探索を不得手とする以上、ベルグリフが出なくては原因は突き止められないだろう。

 その探索の為にベルグリフは自分の動きを決めてしまいたかった。しかし中々上手く行かないので、じれったい。


「それにしても、その年になって新たに動きを磨こうとは、ベル殿は大した御仁でありますなあ」


 鍛錬後の柔軟をしながらダンカンが言った。ベルグリフは苦笑した。


「君もそのうち分かるよ。四十を超えるとね、一気に歳を取った気分になるものさ」

「ふむう……某も三十を超える頃には歳を取ったと思いましたが……」

「それとは少し違うんだ。歳を取る、というよりは老いを感じる、と言った方がいいかな。例えば、ふとした瞬間に、体が前の通りに動かなかったり、白髪が増えたように思ったりする。ほんの些細な事なんだよ。だけど、それが無性に寂しくなるんだ。変に昔を懐かしがったりしてね、心まで歳を取ったような気分になる」

「成る程……分かるような気がしますな。某も三十七になりますが、時折不意に寂しくなる事があります。何か置き忘れて来てはいないか、と」

「置き忘れ、か……確かにそうかもな。一生懸命に生きて来たつもりだけど、振り返ってみれば何を成したんだかね……」

「何をおっしゃる。ベル殿はかの“黒髪の戦乙女”を育て上げられたではありませんか。某はまだ相対した事はありませんが噂はよく耳に致しますぞ」

「そうか……そうだな。あの子がいてくれたのは俺にとって一番の幸いだったかも知れん」


 ベルグリフは照れ臭そうに笑って立ち上がった。


「さて、つまらん話をしてしまったな。朝飯にしよう」

「はっはっは、照れなくてもいいではありませんか! このダンカン、子を愛おしむ親を冷笑するほど低俗ではありませんぞ!」


 ダンカンは笑いながらベルグリフの肩を叩き、大股で家に入って行った。ベルグリフは苦笑しながら頭を掻き、後に続いた。



  ○



 朝から雨が降っている。

 体を動かすのが億劫な気分でギルドの建物に入るとロビーが混み合っているからアンジェリンは顔をしかめた。


「今日も大繁盛……」


 駆け出しらしい若い冒険者のパーティがカウンターの前で騒いでいる。ロビーの端の方で中年の冒険者が数人でテーブルを囲んでいる。職員があっちに行ったりこっちに行ったり、受付嬢が困ったようにわらったり、いつもの光景である。

 高位ランク専用のカウンターに行って依頼の確認をする。カウンターにはアンジェリンが入れたヒビが残ったままである。

 受付に座っていた中年の女性がにっこり笑った。


「おはよう、アンジェちゃん」

「おはよ、ユーリさん……なんかある?」

「んー、そぉねえ。ちょっと待ってねえ」


 ユーリさんと呼ばれた女性はカウンターの上のファイルをめくった。海のような濃い青色の髪の毛が広げたファイルの上に垂れる。ユーリは煩わし気にそれを払って背中側に流した。


 彼女はかつてのライオネルのパーティメンバーの一人だ。

 現役を引退した後は帝都に暮らしていたが、あの魔獣騒ぎの時、ライオネルの知らせを受けて遥々やって来たのだ。到着した時にはもう騒ぎが収まっていたのは気の毒としか言いようがない。

 しかし、その後のギルドの立て直しと改革で力を発揮している。

 自身も元高位ランク冒険者というだけあって、強面の冒険者相手でもちっとも物怖じせず、にこにこと受付の業務をこなしている。ライオネルも相談相手ができたのには随分救われているらしい。


 アンジェリンはユーリをまじまじと見た。今年で三十五だという。

 もう若いとは言えないが、決して老け込んでいるという印象はない。皺も目立たず肌艶もいいし、身のこなしもしなやかだ。それにとても落ち着いていて、包容力がある。

 かといって融通が利かないわけでもなく、茶目っ気があって可愛らしい。目元のほくろもセクシーだ。まだオルフェンに来て数か月だけれど、既に彼女に惚れ込んでいる冒険者は多い。


 何故未婚なのだろう、とアンジェリンは思った。そして、彼女ならお母さんでもいいなあとも思った。きっと母性に溢れているに違いない。

 ベルグリフに嫁ができると自分が放っておかれる可能性をアンジェリンは危惧した。

 悩んで悩んで、どうしようかと考え続けた。やっぱり嫁探しなんかしないでもいいかと決めかけた時もあった。

 しかし母親という存在に憧れるのは確かだし、ベルグリフは嫁ができたくらいで自分をぞんざいに扱うような人ではない、と思い直し、やはり嫁探しをしなくてはならない、と決めた。


 ユーリならお母さんでもいい。甘えさせてくれそうだ。

 もしかしたら妹か弟ができるなんて事も、と考えてアンジェリンは「むふふ」と笑った。

 ユーリが小首を傾げた。


「どうしたの、アンジェちゃん?」

「……ユーリさん」

「なあに?」

「わたしのお父さんとお見合いしない……?」

「ふえっ!?」


 ユーリはファイルから顔を上げて目を白黒させた。


「な……なあに、突然?」

「お父さん、ずっと独り身で可哀想なの……すっごく良い男なのは保障する」

「えっと……アンジェちゃんのお父さんって “赤鬼”の人よね? わ、わたしなんかじゃつり合わないんじゃないかしら……?」

「そんな事ない……お父さんはめっちゃ強いけど、ユーリさんだってAAAランクだったんでしょ……?」

「それは現役時代の話よぅ……帝都じゃ酒場のお運びさんだったんだから」


 成る程、身だしなみがいつも綺麗なのはそのせいもあるのか、とアンジェリンは納得した。

 ユーリはうろたえてもじもじと身じろぎした。男に口説かれるのは慣れているらしいから簡単にあしらえるが、アンジェリンのような少女に、父親とお見合いしないかなどと言われるのは流石に経験がないらしい。


「とにかく考えておいて……ユーリさん美人だし……」

「え、ええー……困るわよぅ……」


 赤くなって慌てているユーリの後ろから、ライオネルがふらふらしながら現れた。見るからに寝が足りておらず、顎、口許、頬に無精ひげが散らばっている。


「ユーリ、依頼のファイル見して……あ、アンジェさん、おはよう……」

「おはようギルドマスター……寝不足?」


 アンジェリンに尋ねられると、ライオネルは力なく笑った。


「まあね、出資者からあれこれ難題を持ちかけられてて……この歳で完徹は辛いよー、口の中栄養剤の味しかしないし……なんか魔獣の大量発生の時から状況が好転してない気がするんだけど……」


 ぶつぶつ呟くライオネルを見て、ユーリは呆れたように笑った。


「愚痴ばっかりねえ、リオは」

「無茶言わないでよ、この上愚痴まで言えない事になったらおじさんホントに死ぬ……」

「大丈夫よお、死ぬって言ってる間は平気平気」

「もー……あ、これとこれ貰ってくから」


 ライオネルはファイルから二、三枚抜き出して手に取って、辺りを見回した。


「エドとギルは? まだ?」

「うーん、昨日帰って来たばっかりだし、まだ寝てるんじゃないかしら?」

「いいなあ……おじさんもぐっすり寝たい……」

「まあまあ、もうちょっとの辛抱よう。頑張って」

「はあ……」


 羨望のこもったため息をこぼすライオネルを見て、アンジェリンは目を細めた。元パーティメンバーという間柄にせよ、ライオネルとユーリは実に仲良しである。


「ねえ……」

「ん? なに、アンジェさん」

「二人は付き合ってるの……?」

「え……なんで?」

「だって仲良しだし……お互い信頼してるんでしょ?」

「そりゃ、元は背中預けてた間柄だし……でもイコール恋人はなくない?」


 ライオネルは怪訝そうに眉をひそめている。ユーリは泰然としたもので、「んー」と頬に指を当てて小首を傾げた。


「信頼というか、放っておけない感じねえ……一番強かったけど、ちょっと頼りなかったのよ、リオは」

「俺にそういう才能がないのは周知の事でしょ……今だって何でこんな事やってんだか分かんないよ、ギルドマスターなのに……閑職の筈だったのに……」

「もう、男の癖にいつまでもぶつぶつ言わないの! 皆が助けてくれてるんだから、しっかりなさいな!」

「分かってるよお……けど最近夢の中まで仕事が追っかけて来るんだよ……」


 ライオネルは悲しそうに目を伏せて頬を掻いた。ユーリはくすくす笑いながらライオネルの頭を撫でてやる。

 恋人ではないにせよ、何だか強固な信頼関係が構築されている、とアンジェリンは思った。

 惚れた腫れたというよりは、もう互いに存在しているのが当たり前というかのような関係性だ。これは強い。


「思わぬライバル……けど、略奪愛もまたあり……?」


 想像して、アンジェリンはぽっと頬を赤らめた。ライオネルが不思議そうな顔をした。


「……なに? アンジェさん、俺の事好きなの?」

「はあ……? そんなわけないでしょ、何言ってるのギルドマスター?」

「だって略奪愛とかライバルとか何とか……」

「それはわたしの話ではない。わたしがギルドマスターに惚れるなどあり得ない……」

「あり得ない事は分かり切ってるけど、面と向かって言われるとちょっと悲しいなあ……」


 ライオネルはうなだれた。ユーリはくすくす笑う。


「親子ほど離れてるものねえ。絵面は犯罪的よね」

「やめてよお、この上犯罪者扱いとかホント困る……冗談ですよ、冗談……」


 アンジェリンはカウンターに手を突いて身を乗り出した。


「ユーリさん……お父さんとのお見合い、ホントに考えておいてね? ギルドマスターみたいに頼りなくないから……」

「もう、おませさん!」


 ユーリは指先でアンジェリンの額を小突いた。ライオネルはカウンターにもたれかかって言った。


「アンジェさんのお父さんかあ……この前ボルドーに行った時エルモアさんが絶賛してたよ……あーあ、復帰してうちに来て欲しい……そうだ。ねえユーリ、アンジェさんのお父さんと結婚してオルフェンに連れて来てよ。いい考えじゃない?」

「リオの馬鹿! 人の恋愛をなんだと思ってるの!」


 ユーリの拳骨がライオネルの頬に突き刺さった。

 同時に、カウンター後ろの扉からドルトスが怒った顔で現れた。


「ライオネル! 高々資料を取りに行くのにどれだけかかっておるのであるか!」

「ちょ、ドルトスさん、違います! これはほんの息抜きで!」

「やかましい! さっさと来んか!」


 ドルトスはライオネルの首根っこを引っ掴んで大股で奥に消えた。

 ユーリは清々したという風に鼻を鳴らし、ファイルをめくる。


「アンジェちゃん、依頼なんだけど……」

「うん」


 アンジェリンはカウンターに手を突いた。


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