第3話 昔話
僕は何者かに導かれるままに食堂にやってきた。
閉じ込められていた部屋を出てからはずっと真っ直ぐ一本道で、その道の突き当たりの部屋が食堂だった。
壁は岩壁で、左右の壁の高いところにある燭台には松明が固定されており、ひんやりとした空気が流れている。
ここはどこかの洞窟だろうか?と考えているとすぐに突き当たりに到着した。左右には道が続いている。ご丁寧にも入り口の上の方に手書きで食堂と書かれた板が打ち付けられている。
食堂には4人掛けのテーブルと椅子が置かれているだけの質素な部屋だ。部屋の奥のほうに厨房とパントリーがあるようだ。
「とりあえず座りなよ。なんか適当なもんでも作ってきてやるよ」と何者かに言われたのでとりあえず席に着く。
コンコンコン、という音が聞こえる。何か切っているのだろうか。考えているうちに室内には良い匂いが充満し始める。
しばらくしてスープの入った器とスプーンを盆に乗せて何者かは戻ってきた。僕の前にそれらを置く。
「さあ、おあがり。ふふ、心配しなくても毒なんて入っちゃいないよ。殺すならとっくに殺してるさ」
スープは人参と玉ねぎだけの入ったシンプルなもの。どうやらコンソメスープのようだ。一口頂く。
……! うまい……声にならずに目を見開く。
二口目からは怒涛の勢いでスープを飲み干した。
「ふぅ……」と満足の吐息をつく。
「ねえ、これほんとにお前が作ったの?」不覚にもおいしいと感じてしまい不満感を滲ませた表情で僕は聞く。
「こう見えて料理は得意なんだ。意外だろう? 得手不得手は誰にでもある。見かけによらず、な」右耳をウインクしながら自慢げに話しかけてくる。
気持ちわる……ほんとになんなんだこいつは。と思いながら沈黙による無視。さらに話しかけてくる。
「うまかったか?」
「まあ、ね……」不満げな表情のままで答える。真剣な顔つきに戻してそいつに問う。
「それで、お前は結局何者なの? そろそろ何か教えてくれてもいいだろ」
「そうだな、では、昔話をしてやろう、昔々の、な」そしてそいつは語り始めた。ふざけた雰囲気の一切ない真剣な目つきと声で。
昔々、今から200年ほど前の話だ。
当時世界には、人間だけではなく鬼族が普通に暮らしていた。
鬼族というのは、人間とはなんの見た目も変わらないんだ。つのがある訳でもないし、巨体でもない。違うとすれば少しだけ人間よりは力持ちで頑丈な体をしているという点だけだ。
ただし、それは日暮れまでの話で、日が暮れると様子は一変する。つのがないとは言ったが、夜になると現れるのさ。額から一本の漆黒のつのが。
いや、現れるというよりは見えるようになる、と言うのが正しいかな。元からつのはそこにあるんだ。日の光があるうちは見えず、闇の中でのみ見える、という感じだ。
見た目にはそれだけしか変わらない、ただ、身体能力が著しく向上する。それはもう、人間の大人でさえ赤子に感じる程に、な。
さて、そんな感じだから、日暮れまでは自分が鬼であるということを隠して、人間として普通に暮らしていたし、人間とともに働いてもいた。力がある分、力仕事なんかは得意だしな。人間の姿でいられるのは陽の光があるうちだけだし、日が暮れる頃には、人里離れた山奥にある、鬼族の里に帰らなければならなかったが。
でもある時、1人の鬼が人間に恋をしてしまった。鬼族では人間との恋愛は掟で禁止されていた。人間と鬼との血が混じり合えばどういう結果になるかわからなかったし、下手をすれば人間と鬼族、二つの種の共存関係が壊れてしまう可能性もある。
まあそもそも鬼族は強いことが自慢であり誇りでもあるから、より強い子孫を残したいと思うのが普通なんだ。だからか弱い人間に惹かれることはないし、人間に恋をするなんてのは馬鹿げた話だと考える鬼がほとんどさ。
なんでこんな掟があるのか不思議に思う人が大半だった。ある1人を除いては。
その鬼は、生まれつき体が弱かったんだ。鬼族の中では落ちこぼれ。夜の闇の中でさえ、人間と大差ない身体能力だったらしい。
そんな訳だから、生まれてからずっと子ども達の間ではからかわれたり虐められたりしていたし、大人達には暴言や陰口を叩かれる日々。傷跡も絶えなかったらしい。
殴る蹴るは日常で、食べ物もろくに与えられないから、山菜や果物、川魚などの食べ物は自分で毎日取りに行っていた。
誰からも必要とされることなく、常に好奇の目に晒されていた。
なんで俺なんかが生まれてきたんだ……俺に生きる価値なんてない……死んだ方がまし……なんでこんな体に生まれたんだろう……死にたい……とその鬼はずっとずっと考えて生きてきた。
その鬼はいつも一人ぼっちだった。だから人間の村に来ても人間の友達は1人もいないし、毎日小高い丘の草原に座って景色を眺めて一日を過ごしていた。
だから人間の村のどこに何があるかなんてほとんど知らずに生きてきた。
18歳になった頃、なんとなく村でも散歩でもしてみようと思い、初めて学校があったことに気付く。
そして、学校を眺めていて1人の女性に出会ってしまう。
その女性は学校の先生だった。いつも明るく笑顔で、誰にでも優しい眼差しを向け、誰に対しても分け隔てなく接するような、太陽のように眩しい女性だった。
その鬼はその女性に一目惚れをした。
それからは毎日その学校の近くまで行き、しばらく眺めては帰るという生活を繰り返した。
そんなある時、いつものように様子を眺めてから、そろそろ帰ろうと後ろを向いたその時、
「ねぇ、そこのあなた」と声をかけられる。
振り返って、俺? と内心で思いながら自分のことを指差す。
「そうそう、あなたよ。 ちょっとこっちにきて話しましょう。 あなたいつも寂しげにこっちを眺めてたわね。 ちょっと私とお話でもしましょ? さぁ、怖がらずに中に入って」と中に入るように促される。
「とりあえずお茶でも飲みながらね、あなたを笑顔にしたいの」そう女性に言われる。
「うん……」そう答えて、鬼は中に入っていく。
それから応接室にて、女性はお茶とお菓子をテーブルに用意する。
「じゃあ、あなたのお話を聞かせてちょうだいね!」と、2人は話し始めた。