表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第三章 クラーナ
94/153

第18話 「東ノ国の巫女 3/4」

 灰色の街。


 灰色の家。


 俺は食卓を前に、一人で椅子に座っている。


 その卓は一人で囲むには広すぎた。四名分の食器が並ぶそこに、俺はたった一人、ただ一脚しかない椅子に座り、ひび割れた空の皿を眺めている。


 静まりかえった居間。


 蛇口から今にもこぼれそうに頭をもたげる水滴。しかしそれは落ちることなく、まるで時がとまったかのようにじっとしている。


 この家には何が足りない? 他人のことながら、俺はよく知っていた。自分が存在しているのだから当然、隣にあって然る者たち──家族がいないのだ。


 彼らが存在する分の空間はあるのに、割り当てられた場所がない。


 なぜ、この家はこんなにも(いびつ)なのか。


 首を傾げてみた瞳に悲しみはない。


 ただ疑問だけがある。


 愛された経験は残っているのだから、俺自ら彼らのことを見捨てるはずはない。ならばどうして、いなかったことにされているのか。記憶もどこかおかしい。こうもさっぱり家族に関わることだけを忘れるなんて、できるわけはないのに。


 だのに、家族に関する一切を忘れているのは、きっと誰かに取り上げられてしまったからなのだろう。誰に、というのは俺にもまだ分からなかった。それを推測するためには情報が足りない。


 一人で住むには広すぎる、灰色の家。


 俺は寂しい食卓から離れ、家の中を歩き回る。石が風化したような、ザラザラとした感触の空気をかき分け、手当たり次第にドアを開けていく。洗面所、風呂場、畳の客室、階段を上り、誰かの寝室……そうして最後に行き着いたのは、自分の部屋だった。未だ捨てられないまま残されている学習机、使い勝手の悪そうな本棚、子どもっぽい柄のベッドカバー。どれもこれも、家を出る前のまま、部屋の主がいつ帰ってきてもいいようにと整えられたその空間。


 懐かしい気はする。だがそれ以上に、自分以外の手が片づけたその部屋は、とても他人行儀に見えた。


 ここにいたのは、誰なのだろう?


 ここは、俺が懐かしむべき家なのだろうか?


 墨が染みるように、他人の影が濃くなっていく。その光景を見ていると、俺の胸には穴があいた。


 虚しさばかりが募っていく。


 俺はたまらなくなって、その家を出た。


 外には誰だか分からぬ人間がぞろぞろと歩いている。風景の灰色と相まって、まるで葬列のようだ。俺はその陰鬱な流れに逆らってどこへともなく歩いていく。人間の波をかく必要はなかった。皆が自然と避けていくのだ。


 それだからすぐに分かった。俺はこの場所において異質な存在なのだと。


 世間から──世界から切り離されてしまった自分は、もう元の場所には戻れない。どこにも居場所はない。だからあの家は、あんなにも余所余所しかったのだ。


 ……顔を上げると、目の前に先の見えないトンネルが現れた。ここまで進み続けてきた俺は、その先へと向かうしかない。


 歩いてきた道を惜しむようにして振り返る。さっきまでの喧噪はどこかへ消え失せていた。人っ子一人いない通りの向こうに、ついさっき出てきた灰色の家が玄関戸をぽっかりと開けて建っている。


 そこには色彩も温度も、人の気配も、温かな団欒もない。


 何もかも、この手に戻りはしない。


 家も、街も、世界も……灰になって消えていった。


 そう。


 どうせもう、何もない。


 振り返り惜しんでも、どうしようもない。なくしてしまったものは取り戻せない。ならば、やはり行くしかないのだろう。トンネルを抜け、その先で見つけたものに価値を見いだすしかない。


 まだこうして、忌々しくも生きているのだから……、


 ──私は。


「……ッ!!」


 エースは暑さのせいだけではない汗をかいて飛び起きた。胸を押さえ、わずかに荒くなった息を整えるために深呼吸をする。そんな彼をソラが横からのぞき込む。


「エースくん、大丈夫? 少しうなされてたけど……。ここのところ野宿続きだったし、疲れが一気に出ちゃったのかな?」


 エースが日中に居眠りをする姿など、見たことがなかったソラは彼の疲労を心配する。眉根を寄せる彼女を前に、エースは汗で首回りに張り付く髪をかき上げながら、心配には及ばないと言った。


「……本当に大丈夫なの?」


「ええ。ご心配をおかけして申し訳ありません」


「怪しいなぁ。キミ、いつも頑張りすぎるし」


「……」


「ま、エースくんがそう言うならこれ以上は追求しないけどさ。具合が悪いなら遠慮なく言いなよ? 何事も我慢は体に毒だからね~」


 ソラはそう言って、いつも通りしまりのない笑顔を浮かべてエースを見つめる。


 一方で、明らかに自分の記憶ではないものを夢に見たエースは、そんなソラを前にして不穏な胸騒ぎを感じていた。それはいつだったか、彼女の虚ろな笑顔を見たときと同じ感覚だった。一見すると、どうとでもない日常を謳歌しているかのような表情──先の見えない旅をしているのに、そんな顔をしてみせる彼女にどう対処すべきなのか……エースは未だにその正解が分からない。


 一度ケイに相談してみた方がいいのかも知れない。この胸のざわめきを上手く説明できる自信はないが、一人で解決しようとするよりはマシな結果が得られるはずだ。エースは御者台に座るケイの後ろ姿を見ながら、頬にかかる湿った髪を耳に掛ける。


 隣で、ソラもまた同じ仕草をしてため息をつく。


「それにしても、あっついよね~」


 カシュニー地方を抜け、南方のクラーナへと入った今、目下の問題はその暑さだった。カシュニーのような湿気はないものの、太陽の日差しは肌を焼くどころか、皮膚の下まで突き刺すかのように強い。急場凌ぎにジーノが幌の下に冷気を満たして気温を調節してくれているが、ペンカーデルで吹雪を除け続けて倒れた時の二の舞になっても困る。そのため、冷却魔法が効くのは最も気温が上がる昼から夕方までの数時間に限られていた。それ以外の時間はただひたすら暑さを我慢するしかない。


 故郷の日本でそれなりに過酷な夏を経験してきたソラでも、幌の日陰でうだる毎日である。大陸北限のソルテ村出身で、ほぼ冬と言っていい気候の中で育ったエースとジーノにはさらに堪える暑さだった。冷却魔法を唱えていない午前などは、二人はそろって荷台の上で溶けていた。


 そんな風にぐったりとする三人に、御者台のケイが振り返って声をかける。


「お前たち、きちんと水分は補給しておくんだぞ。あと塩をなめておけ」


「ハッ! そうでした……あまりの暑さで一番大事なことを忘れてた」


 汗を拭いつつソラは顔を上げる。幸いにも魔法が使えるこの世界で個人の飲料用程度であれば水に困ることはない。ケイに注意された三人は思い出したように手元のコップに冷水を張り、荷物の中から塩を混ぜた飴を取り出して口に放り込んだ。


「そう言う先生も気をつけてくださいね。帽子は被ってますけど、そこじゃあずっと日向じゃないですか」


「私はあちこち旅をしてて極端に暑いのも寒いのも経験しているからな。このくらいならまだ平気さ」


 ソラの後ろから、エースも顔を出して言う。


「すみません師匠……。何日も御者をお願いしてしまって……」


「お前とジーノは暑さに慣れてないんだ、仕方あるまいよ。気にするな」


 申し訳なさと暑さにやられて頭を下げるエースに、ケイはニカッと笑う。兄妹の体調が優れないとあって、ここのところ御者台にはもっぱらケイが座っているのだった。


「はぁ……、暑い……」


 ソラの後ろで、ジーノもまた悩ましげな声を上げる。


「クラーナの方々は……このような暑さの中でも、普通に暮らしていけるのですから……、すごいです……」


「いやいやジーノちゃん。それを言ったら年中ほぼ冬、極寒の地で暮らしてるキミたちも相当すごいんだと思うよ?」


「ええ、そう……そうですね。はい……」


 暑さのせいでほぼ頭が働いていないらしいジーノはソラに対してもぼんやりとした返事をし、意識を虚空に飛ばしながら水を口に含む。


 そんな彼女を外野から揶揄する声が届く。誰とは言うまでもなく、セナだ。


「軟弱者め」


「よく言います……自分たちだけちゃっかり……南国仕様の制服に着替えておいて……」


「日頃の鍛錬が足りねぇんだよ」


「あら……? 貴方の相棒さんも、クラクラきているようですが……?」


「あいつは元から鍛錬なまけてるんだ。仕方ねぇだろ」


 まったくもって言い訳になっていないことを言っているあたり、平気そうな顔をしているセナも少なからずこの暑さに頭を焼かれているらしかった。後方のロカルシュはジーノが言った通り、白い布を頭に被って馬に揺られるがまま上下左右にフラフラしていた。


 そうして皆が無言に戻ってしばらく進んでいくと、ケイが陽炎の向こうに現れた街を指さして言った。


「見えてきたぞ。あそこが東ノ国の二人が滞在している港街だ」


「上手いこと会えますかね……?」


「そこでこいつの出番だ」


 眉根を寄せたソラに、ケイは相棒の鷹を示す。彼女は鷹に、二人が宿泊しているという宿に向かう旨を記した手紙を持たせ、御者台から飛び立たせた。


「これ以上待たせるのも悪いし、先に二人と会って話を聞くとしよう。買い物はその後だな」


「はーい……」


 荷台の三人と騎士の二人がそれぞれに了承の返事をし、次第に近づいてくる街並みを見つめる。強くなってきた日差しに頭を茹でられ、若干かすみ始めていた視界の中で、その街はゆらゆらと景気の良いダンスを踊っていた。


 それからまたしばらく歩いて昼前になり、ジーノが幌の中を冷却し始めるか否かを考え始めた頃になって、一行はようやく目的の港街に到着した。


 街の建物はどれも白い外壁で、太陽の日を反射して眩しく輝いていた。点々とあった家々がだんだんと密集していく様を後目に、ソラたちはゆっくりと通りを進んでいく。


 この街は東ノ国をはじめとする諸外国との交易の要所とあって、人の往来が多い。そのためか、舗装された道路は所々で敷石が割れ落ち窪んでいた。ケイはそんな凸凹の地面を見事な綱捌きで避け、立ち往生することもなく無事に宿までの道を行った。


 東ノ国の二人が泊まっている宿は教会にほど近い場所に建っていた。ソラはベールを目深に被って荷台から降り、車から外して小屋へと移した馬を労うと、ケイを先頭にして宿の入り口へと向かった。


 それを、喧噪の中でもよく通る鈴のような声が引き留めた。


「ケイはん。こっちや、こっち」


「おや。泊まっている部屋を聞く手間が省けたな」


 宿には軽食を提供するカフェが併設されていた。ケイを呼んだその人物は、布のひさしを張ったテラス席に座り、昼食を取っているところだった。


「思てたよりも、お早いお着きでしたなぁ」


 そこに座る男女はこの大陸においては異国情緒あふれる服装を身につけていた。と言っても、ソラには馴染みのある格好で、それは彼女自身も何度か着たことがある袴であった。


 そのうちの一人、目元に黒子のある神経質そうな中年女が、ケイに向かって扇子でおいでおいでをしていた。瞳と同じ藤色の涼しげな袖から白い腕が伸び、雅に揺れている。


 ケイは誘われるままに、彼女の方へと歩いていった。


「無理を言って申し訳ない。だいぶ待たせてしまったかな?」


「かましまへんよ。特別ほかに用事があるわけでもなし」


 彼女の言葉遣いはソラの故郷で言うところの京言葉のようだった。だがそれはあくまで現代日本における一地方の方言に酷似した「それらしき」言葉遣いであって、厳密に言えば京言葉ではない。


「今度はお連れはんがぎょうさん、いてはるみたいですけど?」


「ああ、いろいろとあってな。あなた方を引き留めたのも、この子たちの頼みがあったからなんだ」


「左様ですか。そないやったらご挨拶しなあきまへんな」


 そう言って彼女は口を閉じて微笑む。


 やや間が空き、最初にソラがその言葉の意味に気づいて頭を下げた。


「初めまして、ソラと言います。わけあって人の多いところで顔を見せられないもので、顔を隠したままですみません……」


「その格好は巡礼者さんですか。ソラというと、何やうちのお国で聞くような名前ですけど?」


「アーいや、それは……その。追々ということで。話しても大丈夫そうなら話します」


「ふぅん。ま、人にはそれぞれ事情がありますしな。よろしおます」


 続いてエース、ジーノ、騎士の二人も挨拶をする。ケイはその間に店員に話をつけて席の椅子を増やし、飲み物を頼んでいた。


 引き留めた側の紹介が一通り終わり、席について一息着く。そこでようやく東ノ国の彼女が自らの身分を明かした。


「うちの名前はユエ言いましてな、故郷の東ノ国では末席ながら巫女の役に就いとります。こっちは──」


「ヘェー! おばさん神子さんなの? 私と一緒だぁ」


「……。一緒や言はわりますけど、そちらの糸目の騎士はんはプラディナムのご出身なんです?」


「うん! 私もお国では神子やってたのー。あれ? でも神子ってけっこう高い地位にあるはずだから、簡単に国外に出られないと思うんだけどぉ? おばさんこんな所でフラフラしてていいの?」


 首を傾げるロカルシュの言葉にユエの表情が一瞬こわばる。


「東ノ国は昔からプラディナムさんと深い関わりがありましてな、うちら巫女いうんも、元を辿るとそちらさんの神子から流れを継いでるらしいんです」


「ふーん。そうなんだー」


「そやけど、それはあくまで源流がそちらにあるらしい言うだけの話。勝手にこちらの巫女をそちらさんの神子と同一視されてはかないまへんなぁ」


「そか~。ごめんねー」


「ちょ、ちょっとオイ、ロッカ……あんたは黙っとけ。な?」


 ユエの刺々しい物言いに居心地の悪さを感じたセナは、いつもの軽い調子で謝るロカルシュを後ろで突っつき黙らせた。ソラたちに対する態度は凶暴で生意気な少年であるものの、魔女が絡まなければ基本的に礼儀正しい彼は咳払いを一つして、ユエに話の脱線を詫びた。


「申し訳ありません。先を続けてください」


「いいえ~。うちもついツンツンしてしまいましたわ。堪忍です。そしたら話を戻して、えっと……いややわ。なに話してたか忘れてしもた」


「こちらの紹介が一通り終わって、ユエ殿が名乗られたところだったな」


「ああ、そやった。おおきにケイはん。そしたら──」


 ユエは隣に控える青年に顔を向ける。


「ほら、あんたも挨拶し」


「自分はツヅミと申します」


 飴色の瞳を持つ清閑な青年は、その慎ましやかな雰囲気からイメージする通りの落ち着いた声で、短く自分の名を口にする。イントネーションはユエのものと異なり、標準語のそれであった。


「あんた……ちょっとはニコッとしぃな、もう。みなさん、すまへんなぁ。この通り無愛想やけど、悪い子やあらへんので」


「はい。自分はユエ様の身の回りのお世話、そして護衛を担っております」


 少しずれた返事をする彼は、フレンドリーさをアピールするためか、肩の高さに上げた手を軽く握ったり開いたりした。しかしながらその顔は微動だにしない無表情であった。どうやら愛嬌に表情が伴わない人物らしい。そんな彼にやや呆れを含んだ視線を向けながら、


「ほな、挨拶が済んだところで早速やけど、そちらさんの用向きをお聞きしましょか」


 ユエはそう言い、開いていた扇子をパチッと閉じてにこりと笑った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ