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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第三章 クラーナ
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第17話 「東ノ国の巫女 2/4」

 碩都カシュニーを出てから二日後の道中。小さな林の中を進んでいると、かすかに鼻をかすめた異臭にソラは顔をしかめた。


「何か変な臭いするんだけど。私だけ?」


「いえ、俺も感じました」


「私もです、ソラ様」


 首を傾げるソラにエースとジーノが頷き、幌の外では後方のロカルシュが馬車を追い越してセナの隣に馬を着けていた。


「セナ。止まって」


「どうしたよ? いつになく真面目な顔で……」


 ロカルシュは足を止めた馬から飛び降りると、セナを置いてけぼりにして振り返ることなく、木々が鬱蒼と茂る中に走り出した。


「私、ちょっと見てくる~!」


「あっ!? おい、ロッカ!!」


 セナは一瞬迷った後、「ここを動くな」とソラたちに叫んで彼を追った。


「え? な、なに? どうしたの……?」


「分かりません。俺も追いかけて何があったのか確かめてきます。ソラ様は師匠たちと一緒にここで待機してください」


 突然のことに目を白黒させるソラを置き、エースは素早く荷台を下りて騎士たちの後を追った。その背中に御者台のケイが呼びかける。


「ロカルシュの様子からするとあまりいいことではなさそうだ! 心して行け!」


「はい!」


 ケイの声を後ろに、エースはセナの足音を追って林の中を駆け抜ける。背の低い茂みや転がる石を飛び越え進んでいくと、鼻を刺す臭いが次第に強くなってきた。


 やがて開けたところに出て、その臭いの原因が判明した。エースは袖口で鼻を押さえて声を詰まらせる。


「うっ……。これは……」


 蠅が群がる毛皮の塊を前にして、小さな狐が一匹で座っていた。打ち捨てられた死骸──その毛並みと同じ色を持つ子狐。おそらく、目の前で死んでいる群の一員だったのだろう。生き残りの子狐は仲間を悼んで泣いているように見えた。


 ロカルシュはそれを抱え上げ、自分のことのように涙を耐えていた。


「この子が教えてくれた。群の子どもが襲われたから、助けようとしたら返り討ちにあったって」


「……敵わないと分かって、逃げたりしなかったんですか?」


「うん。怖いってなって、みんなすぐに逃げたよ。でも、追いかけられて追いつめられて、殴り殺されちゃった」


「……」


「それで、一番大きい子が食べられて、あとは……ほったらかし」


「何てひどいことを……」


 まるでゴミか何かのように感情のかけらもなく積み上げられた亡骸。エースはそれらを前に片膝をつくと、故郷の信仰に則って両手を握った。


 そこに、周辺を見回って戻ってきたセナが言う。


「火の跡があったんだが、かすかに残ってたのは宿借り二人の魔力痕だった。何か二つ足のものを引きずりながら移動してるみたいだな。奴らは南東に向かったみたいだが……」


 すっかり意気消沈してしまったロカルシュを気遣い、セナがその横に並んで肩に手を置く。


「大丈夫か?」


「……食べる分を、狩るならいいの。私だってお腹が空いたらご飯食べるもん。でも、必要のない狩りをするのはおかしい。それは私にも分かる。あの二人はただの遊びでみんなを殺したんだ……」


 そこでロカルシュはアッと声を上げ、泣き顔から一転して自らを恥じるような顔になって俯いた。


「そっか。魔法院の博士のお屋敷であったのも、これと同じなんだね」


「……ああ」


「セナ……私ね、この子たちを埋めてあげたい」


「分かった。俺がやってやるから、お前は下がってろ」


「俺も手伝います」


「うん。二人とも、ありがと」


 セナは一歩前に出て両手を掲げ、円を描くようにして振り下げる。すると遺骸の下部の土がごっそりと抉れ、積み上げられていた毛並みが地面の下に隠れた。ロカルシュの手前、本当なら一体ずつきちんと葬ってやりたかったが、腐臭も発生している状況でそれに直接触れるわけにはいかなかった。セナは抉った分の土を殺されてしまった狐たちの上に丁寧に掛け、わずかに盛り上がった地面に向かって目を閉じて頭を下げた。その脇で、手頃な大きさの石と花を持ってきたエースがそれらを供えて再度両手を握る。


 人一倍しょんぼりとしているロカルシュは生き残った子狐の頭を撫で、「おいで。一人は寂しいもんね」。彼は弔いが終わった二人を前に、珍しく厳しい表情を浮かべて決意を表明する。


「あいつら、捕まえなきゃ。絶対に~!」


「待て待て。あんたの気持ちは分かるが、俺たちの任務は魔女を王都に連れてくことだろ」


「でも!」


「あっちは他の仲間が追ってる。絶対に捕まえるから心配すんなって。今は自分たちの任務に集中しようぜ」


「……分かった」


 ロカルシュは口を尖らせ不満を露わにしたが、セナがそう言うならと呟いて矛先を納めた。


「じゃあ、ひとまず戻ろう」


 立ち上がったエースが切り出すと、三人の足は自然とその場を離れた。


「魔女の奴ら、逃げてねぇだろうな」


「俺としては、それならそれでいいんだけど……」


「いいわけあるかよ、馬鹿」


「私は心配ないと思うけどなぁ。あの人たち、このお兄さん置いてどっかに行ったりはしないんじゃなーい?」


「チッ! 魔女の行動が理解できるなんて忌々しいことこの上ないが俺も同意見だ。あのクソみたいなお人好しはあそこから一歩も動かず間抜け面で悠長に俺らのことを待ってるんだろうよ」


 セナはブツブツと文句を垂れ流しながら乱暴な足取りで来た道を戻っていく。エースは秀麗な顔を歪めてその後に続き、雰囲気の悪さを察したロカルシュが二人の間に入って道を進んだ。


 木の根を跨いでしばらく歩いて行くと、茂みの切れ目が見えてきた。そちらから小さくパキンと何かが割れる音がし、枝葉の間に光がキラキラと反射して落ちていくのが見えた。


「──なかなか上手くなってきたじゃないか。問題は強度だな」


「いくら相性で四属に優位でも、力負けして壊れてちゃ盾の意味がないですもんね」


「ですがソラ様、この短期間でここまで魔法を物にしているだけでも十分にすごいことですよ」


「いやぁ、全てはエースくんの知識がインストールされてるおかげというか……」


 ハハハと間の抜けた声がセナたちの耳にも届く。元の街道には案の定ソラたちが待っていた。茂みの中の先頭を歩いていたセナは不満げに安堵した表情を浮かべ、ガサガサと音を立てて空の下に出た。


「お? こっちも帰ってきたな」


「こっちも?」


 首をひねるセナに対して、ケイは自分の隣を指さす。そこには、見慣れない鷹が翼を休めていた。それが何なのかセナが聞こうとすると、彼を遮るようにしてソラとジーノがエースに駆け寄っていった。


「お帰り。エースくん」


「お兄様、一体何があったのです?」


「……例の二人の痕跡が残っていたのを小騎士様が見つけたよ。奴らは食べる分の獲物を狩るついでに一つの群を惨殺した後、そのままここを離れたようなんだ」


「ってことはつまり、この臭いは……」


「動物の死体の──」


「わ、分かった。みなまで言わないで」


 ソラは顔色をなくして首を振った。


 鷹について問いただすタイミングを失ったセナはその横を通って自分の馬に近づき、荷物の中から地図を取り出していた。彼は小さく折り畳まれたそれを何度か開いたり畳んだりして何かを書き込み、作業が終わると馬車の方に引き返してきた。


 セナはケイの前で地図を広げ、赤いインクを落とした地点を順に指さして言う。


「カシュニーで聞いた奴らの足取りと、現在位置を地図に落としてみた。あの二人、やっぱり南方に入る気のようだな」


「やっぱり?」


 横からのぞき込んだジーノがオウム返しに聞く。


「この前被害があった村の生き残りの祠祭がな、記憶が混乱しててはっきりとはしないんだが、奴らが南に向かうようなことを言ってたって証言してんだよ」


「ちょっと、何ですかそれ。私たちは初耳ですよ?」


「そりゃそうだ。何でいちいちこっちの情報をお前らに言わなきゃなんねーんだよ」


 つっけんどんなセナの態度にジーノの口元がひきつり、眉が不機嫌そうにじわじわと中央へ引き寄せられていく。


「……」


「……」


 二人が互いの獲物に手を伸ばそうとしたところで、双方の間にソラが体を割り込ませて諍いを食い止める。


「まぁまぁ! お二人さん、そうツンケンしないで──」


「っせーな。魔女は黙ってろ」


「あら。でしたらお子様も黙ってらした方がよろしいのでは?」


「アアン? やんのかコラ妹てめぇ」


「やんのですよ焦げ騎士にしてさしあげます」


「あーもう! 本当にキミたちってヤツは!!」


 まさに一触即発。そんな二人を見かねて──エースがジーノの腕を、ケイがセナの襟首を掴んで後ろから引っ張り、距離を取らせる。ソラはジーノの方に向き直って両手を上下させて落ち着くように言った。


「ジーノちゃんも年下相手に絡まないの。ってか先生もなに笑ってんですか」


「すまん。ジーノがここまで誰かを毛嫌いするのを見るのは初めてでな。何だか微笑ましくて」


「いや全然ひとっつも微笑ましくないです」


「む。そうか? ……うん、それもそうだな」


 ソラはジーノの抑止をエースから引き継いで、彼とケイにセナの話を聞いておいてくれと頼んでその場を離れた。セナの相手は自分もジーノもしない方がいい。二人は馬車の後ろの方に回って荷台に腰掛け、大人しく話が終わるのを待つことにした。そんなところに、ロカルシュがひょっこりと顔を出す。難しい話題についていけない彼は一人で勝手に待避していたのだった。


 ロカルシュは腕に抱えた子キツネと一緒に「コンコン」と鳴いてソラの隣に座った。彼の頭に上に乗るフクロウも「ホンホン」と微妙にキツネっぽい鳴き声を発していた。


「ロッカくん、その子は?」


「きーちゃん。殺されちゃった群の生き残り。あそこに一人でいても死んじゃうだけだから連れてきたのー」


「そうなんだ」


 紹介が終わると、子キツネはロカルシュの腕を離れて荷台の上を歩き回った。ソラはぽてぽてと歩くその姿を愛らしく思う一方、所々が血で汚れてしまっている毛並みを見ると不憫で仕方なかった。彼女はそのキツネを手招きして呼び寄せる。


 子キツネは素直にソラに近づいてきた。


「あれ? 珍しいな。私あんま動物には好かれないんだけど」


 言うことを聞いてくれるなんて、滅多にないことだった。子キツネはソラの手に鼻を近づけクンクンとにおいをかいだあと、可愛らしく小さなくしゃみを漏らした。そして、水を含ませた布巾で体を拭こうとしたソラを避け、ロカルシュの膝に乗っかる。


「違ったわ。好かれてるとか全然そういうんじゃなかったわ……」


「ソラ様、ロカルシュさんにお任せしてはどうでしょうか?」


「だね。お願いしてもいいかな、ロッカくん」


「うん! オココロヅカイありがとー」


 子キツネはロカルシュに背を向けてストンと尻をつき、しっぽを振った。ソラから布巾を受け取ったロカルシュは子ギツネの汚れた体を頭から丁寧に拭き取っていく。ソラとジーノはその優しい手つきを横目に見ながら、ロカルシュに話しかける。


「群のお弔いはされたのですか?」


「うん。私たちまで放っておくわけにはいかなかったからねー」


「そっか。せめて安らかに眠れるといいね」


 ソラはエースたちが戻ってきた方向に目を向けると、静かに目をつぶって手を合わせた。ジーノも、現場で兄がしたのと同じように両の手を組んで祈りを捧げる。


「……にゅーん」


 そんな二人を見つめ、ロカルシュは子キツネの体を拭く手を止めて妙な声を漏らした。目を閉じながらも何となく彼の視線を感じていたソラは弔いの儀式を終えると、片方の眉を上げて不思議そうにロカルシュを見た。


「何かな? そんなに見つめて。私の顔に何かついてる?」


「んーん。魔女さん、やっぱりいい人だなと思ってー」


「いい人ねぇ? それはどうだろ」


「じゃあ悪い人?」


「それは違うと否定させてもらう──ってかこれ、前にも同じような会話をしたような……?」


「ソラ様は善き御方ですよ」


「ありがと、ジーノちゃん。まぁいい人であろうとは思ってるんだよ。これでも一応ね……」


 照れくさそうに笑い、ソラは頬をかく。


 やがて子キツネの拭き取りが終わり、ソラはロカルシュから布巾を受け取って茂みの方へ向かっていった。彼女は魔法で空中に水の塊を作って浮かべ、そこに汚れた布巾を突っ込んでゴシゴシと洗い始める。


「ソラ様、そのような雑事は私がやります──」


「いや、駄目だよ。これは私がやらないといけないことだから」


 魔法を使う練習にもなると付け加え、ソラは後ろから声をかけたジーノの申し出を断る。


 布をこすり合わせると、透明だった水が見る見る赤茶色に濁っていく。子キツネがそれだけの血を浴びる状況にあったのだと思うと、やはり胸が痛かった。動物の命でもこれだけ重くのしかかるのだ……同郷の人間が余所で悪逆非道を行っている現状はやはり看過できない。「宿借り」の二人──ナナシとジョンは早急に捕まえる必要がある。ソラは何度か水を換えて洗いを繰り返し、すっかり汚れの落ちた布巾をきつく絞って馬車の方に戻った。


「あれ?」


 先ほどまでロカルシュの膝にいた子キツネの姿が消えている。ソラが辺りをきょろきょろと見回していると、ジーノが荷台奥の隅を指さした。子キツネは彼女の指が向く先で体を丸めてスヤスヤと眠っていた。


「このまま魔女さんたちと一緒に乗せてあげてー。お馬さんの上だと、ちょっと不安定だし」


「もちろん。ゆっくり休めるといいね……」


 三人はとがった鼻先から聞こえてくる小さな鼻息に表情を緩める。そうしてしばらく微笑ましい光景を眺めていると、馬車の前の方から三つの足音が近づいてきた。


 どうやら話が終わったらしい。


「行き先が決まったぞ」


 相変わらずどこか不機嫌そうな様子でセナが言う。そんな彼に対し、ロカルシュがハイハイと手を挙げて発言を求める。


「私知ってる~。クラーナに行くんだ。そうでしょ、セナ」


「その前の港町にも寄ることになった」


「港ぉ? お船にでも乗るの?」


「それについては私から話そう」


 セナの後ろからケイが顔を出す。彼女は軽く握った手に止めている鷹に視線を向けて話を続ける。


「小騎士殿には先ほど紹介したんだが、ロカルシュにはまだ挨拶していなかったな。こいつは私の陪臣(あいぼう)で、ついさっきお使いから戻ってきて、東ノ国の二人を足止めできたと報告をもらったんだ」


「その東ノ国の御仁ってのは、商都クラーナの手前にある港町から船でお国に帰るところだったらしいんだが、俺たちの到着まで滞在を延ばしてくれることになったんだよ」


「へぇ~。じゃあそこに寄ってからクラーナに行くんだねー」


「そういうこった」


「アッ! そうだ~。そしたらついでに、その港町で魔女さんたちの服を買えばいいんじゃなぁい?」


「は? 服?」


 唐突な提案にセナが首を真横に傾げる。


「前に、買い換えないと~って魔女さんたちで言ってたじゃん。私とセナは仕事柄あっちこっち行くから地方に合わせた制服持ってるけどぉ、クラーナに入るなら、あの格好じゃホント多分あっついと思うよー?」


 ロカルシュは厚手の生地で作られた耐寒仕様の服を見やり、顔をしかめた。


「んな悠長なことしてられっかよ」


「いやいや、ロカルシュの言うことも尤もだ」


 ロカルシュ以上に顔をしかめるセナに、ケイが人差し指を立てて首を振る。


「気候に適した格好をするのは大切だぞ。暑くて倒れたら奴らを捕まえるどころではなくなるしな。よぉし、ソラたちが着せ替え人形になってくれるのなら私が出資してやろう。商業の盛んなクラーナ地方の港町となれば品揃えも豊富なはずだ」


「師匠はそういうの好きですよね」


「自分も他人も着飾るのは楽しいものだ。そうだろう?」


 ケイは一歩後ろに立っているエースを振り返り、ウィンクをしてそう言う。エースはそれを受け「自分のことはどうだか分からないが」と言いつつも、ソラとジーノを見ると深く頷いた。


 セナは勝手に進んでいく話に機嫌を降下させていく。そんな彼の頭にロカルシュが両腕で乗り上げ、目元を厳しくして言った。


「でもでも先生、私たち本当に急いでるから、お買い物も急いでねー! あの二人のことはぜぇったいに捕まえたいの!」


「了解だ。幸いにも私は決断が早い方だし、サッと見立てて東ノ国の二人と落ち合い、早急に行路へ戻るとしよう」


 そこで話は一区切りし、六人はそれぞれ馬と馬車に乗って旅路を再開した。ソラは御者台から顔を覗かせ、花曇りの空を見上げて小さく笑みを浮かべる。


「お買い物かぁ。不謹慎かもだけど、ちょっと楽しみだな」


「こんな旅だ。少しはそういう楽しみもあっていいだろう」


 ここにきてようやく異世界観光らしいものができそうとあって、ソラの気分は若干上向いていた。


「ケッ……お気楽なもんだぜ」


 前を歩くセナは緊張感のない雰囲気に心底うんざりした様子で、吐き捨てるように独り言を口にした。

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