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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第三章 クラーナ
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第16話 「東ノ国の巫女 1/4」

 膝をついた馬の背中にまたがり、さあ立ち上がろうというその時、


「ぷぴ──ックション!!」


 ロカルシュは何の前兆もなく突然口から飛び出たくしゃみに驚き、半ば立ち上がりかけていた馬の背中から危うく転げ落ちそうになった。馬は彼の危険を察知して立つのをやめ、近くにいたセナが慌てて駆け寄ってその斜めになった体を支える。


「大丈夫か?」


「ん~? ンン……?」


 ロカルシュはセナに支えてもらった体勢のまま、苛々する喉を押さえて首を傾げていた。


「つーかお前、さっさと馬に乗れ……!」


 馬もロカルシュを気遣って中途半端な姿勢のまま固まっているのだ。歩く前から馬の足に負担をかけることは避けたい。セナはもたつくロカルシュを力の限り押し上げ、さっさとその背に戻す。


「うーん? うんうん、へーき」


「ホントかよ……」


「何か噂されてたのかも~? 具合悪いとかじゃないから大丈夫ー」


「そっか? ならいいけど」


 半眼になりながらもどこか安心した顔つきのセナは彼を乗せて立ち上がった馬を見上げ、その首筋をやんわりと撫でた。そして後ろを振り返り、ロカルシュ以上にもたつく祷り様御一行を睨みつける。馬が近くにいなかったら「早くしろ」と怒鳴っていたところだ。


 碩都カシュニーに着いてからちょうど八日目の朝。つまりフランの研究論文を精査した翌々日、ソラたちは南方へ向けて旅立つことになった。


 ノーラの執務室で倒れて半日ほど寝込んだソラは、それが休息となったのかすっかり平静を取り戻していた。寝て起きたら以前の落ち込みが嘘のように消えている様には皆も驚いていた。その様子を見てソラは「気持ちの切り替えは得意だ」と笑ったが、悠長に取り乱している時間もないというのが実際のところだった。


 早朝のひんやりとする空気を肺一杯に吸い込んだソラは三本足で地面を歩き、今日からまた一緒に旅を続けることになった馬たちに挨拶をする。


 彼らにはこれから先、幌つきの荷車を引いて道中を進んでもらうことになる。というのも、これまで三人だった人員にケイと騎士二人を加えて六人となり、荷物も増えたため車を用意することになったのだ。監視兼護衛役のセナとロカルシュはそれぞれ馬の背に乗り、彼ら以外の四人は馬車に乗り込む。御者はジーノとエース、ケイが交代で務め、馬を扱えないソラは荷台で大人しくしていることになった。


「荷物も積み終えたし、あとは人間が乗り込めばいいだけだね」


 増えたとはいえ旅の荷物としては少ないそれらをポイポイと荷車に乗せ、エースがどことなく弾んだ声でそう言う。セナたちとの初回の遭遇で捨ててしまった荷物のうち、彼が新たに用意したのは最低限の野営道具だけだった。あとはケイの医療道具を詰め込んだケースが一つと、セナたちの雑貨を乗せたくらいである。


「ジーノ、先に乗ってソラ様を手伝ってあげて」


「分かりました。ソラ様、後ろの方へ回っていただけますか?」


「はいはい~。ちょっと待ってね」


 ベールを被ったソラは馬に「よろしく」と挨拶をして、荷台の方へ歩いていく。杖を先に台へ置き、上から手を差し伸べるジーノに両手で掴まる。ジーノはその手をきゅっと握って上に引き上げると同時に魔法を使い、ソラの体を足下から風で押し上げた。


 こうしてソラは難なく荷台へと乗り込み、ジーノに手を引いてもらって御者台の近くに座った。続いてケイも乗り込み、出発の準備は完了である。御者役のエースが手綱を掴む──と、そんなギリギリのタイミングになって、ソラにとって意外な人物が見送りに来た。


 ノーラである。


 彼女はケイを手招きし、透明な石がはめ込まれた指輪を差し出した。


「約束の物よ。純度が高く癖のない玻璃石を用意したわ」


「ほう。指輪部分は白金か?」


「混じりっけなしの純正。赤子に持たせても平気なくらいなんだから」


「無理を言って悪かったな」


「これは大きな貸しよ」


「分かってるさ」


「ならいいわ。ここを出たら渡しなさい」


「心得た」


 何を受け取ったのか気になったソラは、見えないにも関わらず心なしか身を乗り出してケイの手元に視線をやり、その途中でノーラと目が合った。


 どことなく気まずい空気が流れる。間に挟まれたケイが両者を交互に見比べ、エースとジーノはソラの近くでハラハラとする中、ソラは愛想笑いを浮かべて頭を小さく下げた。


「博士、お世話になりました」


 ノーラにはその言葉が嫌みのようにも聞こえたが、その実ただのお人好しであることは分かっていた。


「……道中、気をつけて」


 ノーラは毒気を抜かれたような、少々間の抜けた顔になって彼女から目をそらした。


 挨拶もほどほどに、ソラたちはノーラと数名の騎士に見送られて碩都カシュニーを後にした。日中でも薄暗い森の中をセナが先頭になって歩き、馬車を挟んで最後尾にロカルシュがついてくる。木々の間から見える空はやや雲が多く、前後を解放した幌の中を通り抜ける風は湿っていた。やがて鬱々とした林道を抜け野原に出て後方を振り返ると、都のさらに後方にどんよりとした暗い雲が迫っていた。


 そんな天気を眺めながら、幌馬車の中でソラが首を傾げる。


「えっと……これから向かう先ですけど、騎士様たちは私を王都に連れて行きたいんですよね?」


 その問いに、セナより先にケイが答えた。


「ああ、確かそういうことになっていたはずだ。例の二人組、〈宿借り〉追跡のついでにな」


「おいおい違うだろ先生。追跡の方がついでのはずだ」


「だそうだ」


 ケイはセナの指摘に肩をすくめる。


 ソラたちはこれから南から回り込むようにして大陸中央に位置する王都へ向かうことになっていた。これはセナたち騎士側とソラたちそれぞれの意向をすりあわせて決めたことであった。


 当初、セナは上司であるフィナンから「魔法院には感づかれないよう隠密に」「魔女ソラを連れて王都へ向かえ」という指令を与えられていた。フィナンと王都で落ち合ったところで、改めてソラの処遇を考えるということになっていたのだ。


 その方針に意見を述べたのはケイだった。彼女は寝込んでいるソラを代弁し、自分たちこそが「宿借り」の二人を追いかけ、その凶行を止めなければならない──彼らをこのまま放っておけない道理があると主張した。また、ソラたちはケイの知り合いである東ノ国の人間にも会う必要があると言った。


 しかしながら、セナからすれば、彼女たちの都合など知ったことではなかった。彼はあくまで、ソラを王都へ連行することが最優先だと言い張った。歯を剥いて意固地になる少年は、正攻法では一歩も引きそうにない。観念したケイは彼を別に呼び出し、わざとらしくため息をついて言った。


「こうも話し合いが平行線だと、騎士殿とはまた追いかけっこをするしかなくなるんだが。どうか考え直してはくれないかな?」


「先生よォ、アンタここにきて俺たちから逃げるって言うんですか」


「おうとも。キミたちが追ってきやすいように、派手にあちこちで触れ回りながら逃げてあげようじゃないか……っと、ンン? そう言えばそちらは、ソラの件を隠密に進めたいんだったな?」


「アンタ、ロクでもねぇ大人だな」


「キミに対して猫を被る必要はないからな。まぁ、立派な大人の騎士として対等に扱われたのだと思って喜んでくれ」


「このクソババア……」


「フッ。耳タコな台詞だよ」


 ケイは大人げなく勝ち誇った笑みを浮かべ、肩に掛かる髪を背中に払った。


 だが、セナも言われるままではなかった。彼は苦虫を噛み潰した顔をしながらも、宿借りを追うのは商都クラーナまでにとどめ、そこから先の追跡は騎士に任せるようケイを説得した。


「うーん、どうするかな。確か小騎士殿は特務騎兵隊の所属だったか」


「あん? そうだが、それがどうした?」


「キミの上司はフィナンか?」


「アンタ、隊長と知り合いなのかよ」


「うむ。組んず解れつの仲というか……。ハァ、フィナンが上にいるなら仕方ないか。ヤツにも借りがあるからなぁ」


「……それじゃあクラーナから王都へ向かうってことでいいんだな?」


「ああ。今キミが言った案で話を進めてくれ」


 こうしてセナは上司に折衷案を提示し、了解を得たのだった。


 そんなやりとりがあったと知る由もないソラは、魔女を毛嫌いするのと同じ目でケイを睨みつけるセナを不思議そうに見つめる。それに気づいたセナは視線をソラに移してさらに眉間のしわを深くし、つんとした仕草で顔を背けて正面に向き直った。


「わー。しんど……」


 彼が魔女を嫌う事情に察しはついているとは言え、面と向かって嫌悪の態度をぶつけられるのは辛いものがある。自分とセナの精神衛生を健全に保つためにも、今後とも互いに近づかない方が良さそうだ。ソラは彼の背中から目をそらし、後方のながめをぼんやりと見つめる。


 次第にカシュニーの森が遠くの景色に溶けていく。風にそよぐ木々の動きさえ分からないほど離れたところで、ケイがソラの肩をつついて声をかけた。


「ここら辺まで来ればもういいだろう。ソラ、手を出せ。キミに渡す物がある」


「何でしょう?」


「さっきノーラから受け取った魔鉱石だ」


「それって……魔法を使うときに必要なもの、でしたっけ?」


「ああ」


 ソラがケイから受け取ったその指輪には無色透明の魔鉱石がはめ込まれていた。石は球を平たく潰したような形をしていて、その大きさは小指の爪ほどであった。華奢な銀細工の爪で中抜きの石座に固定されており、正面と裏のどちらからでも石の向こう側が透けて見えるようになっている。その石に外の風景を透かし、ソラは見る角度を何度か変えながら丹念に観察する。傷や曇りなど一つもない、清水の一滴のような透明度だ。


 ソラの目にはただ透明なだけに見えたそれだが、横からのぞき込んだジーノはひどく驚いた顔をして両手で口を覆った。


「すごい……私、これほど純度の高い石は初めて見ました」


「ノーラには極力不純物を含まない玻璃石(クォーツ)をと頼んだんだが、私も正直ここまでの物を用意してくるとは思わなかった」


 魔鉱石はその純度が高いほど魔法を出力する際の魔力ロスが少なくて済む特徴がある。また一度に流し込める魔力量は石の硬度に比例して大きくなる。硬度指数が七である玻璃石は使い手を選ばない標準的な魔鉱石として一般に多く流通しているが、ソラはその中でも最高品質の石を貰い受けたことになる。


 ケイは「下手な金剛石(ダイヤモンド)よりも価値がある」とソラの耳元で囁いた。


「ウッソ……!? あ、あの、そんな貴重なものを私が貰っちゃっていいんですか?」


「いいも何も、キミもこれがないと魔法の練習ができないだろう」


 ケイは顔を青くしてワタワタとするソラの左中指にリングを通し、その見栄えに一人頷く。


「しかし、価値を知る者には垂涎の品だ。何があるか分からんし、道中は手袋でもして隠しておいた方がいいかも知れないな」


「ひぇ……分かりました……」


「ソラ様、ひとまず今持っている冬用の手袋で隠しておきましょう」


 隣のジーノが、ソラほどではないものの顔を青くして手袋をはめさせた。分不相応な高級品が視覚的に見えなくなったおかげか、顔色を元に戻したソラがケイに聞く。


「あの、魔法の練習と言うことですが、白黒どちらの魔法を?」


「私としてはどちらもと言いたいが……」


 そう言ったケイに対してジーノが不安そうに眉を下げ、聞き耳を立てていたセナも後ろを振り返って目を光らせた。


「──二人に余計な心配をかけるわけにもいかないな」


「じゃあ白の……光の魔力の方ですね」


「そうなる。ところでソラは、属性の使い分け方は理解しているのかな?」


「何となくですが、エースくんが魔法使うときの感覚みたいなものを私も覚えているので。たぶん大丈夫なんじゃないかと思います」


「ほほう。それは都合がいい」


 不幸中の幸いと言うのは少々違うかも知れないが、ソラはエースと記憶を共有した際に、魔法に関する知識も得ていた。彼女はそれを頼りに、目をつぶって自分の内側に意識を集中させる。心臓の辺りに内向きの手を伸ばし、そこにある温かな──生命そのものとも言うべき感覚に触れる。その温度は血潮に溶けて全身を巡り、やがて魔鉱石をはめた左中指までたどり着く。


 魔力を近くに関知した石はそれを自然と体の中からくみ取り、光とともに外部へと放出する。


 ソラはエースの経験をもとに、体外へ発散しようとするその力を手の平の上に押しとどめた。そして、炎のようなゆらめきを想像しながら、その形に収束させていく。


「ふぅ……、こんなもんですかね?」


 目を開いたソラの手には、温度のない小さな白い炎が揺れていた。それはすぐに消えてしまったが、ついこの間まで魔法の「ま」の字も知らなかったことを考えれば上出来と言えた。


 ケイはその成果に大いに頷いた。


「うん、筋は悪くない。そうしたら、とりあえず自分の身くらいは守れるようにならないとな」


「そっか。私の場合、先生がいても怪我とか治してもらえないですしね」


「そうだぞ。盾を作ることを目標に、これから毎日特訓だ」


「ウッ。あんなマッチの火みたいなのでヒーヒー言ってるようじゃ先が思いやられますね。頑張ろ……」


 ソラは手袋をそっと外し、炎を作り出した手を見つめた。慣れない魔法を使ったせいか、はたまた昼になり気温が上がってきたせいか、手の平はじんわりと汗ばんでいた。


 彼女はその手を握ったり開いたりした後で、自分の首元を扇ぎながら言った。


「今はまだいいけど、この先もっと暑くなりそうだね。えっと、南方のクラーナだっけ? いつだったかジーノちゃんが美味しいものが多いって言ってたとこ」


「はい。そうです」


「そこって常夏なんだよね? ソルテ村のこの服、もう着てられないかもよ」


「確かにソラ様のおっしゃる通りですね。どこかで服を新調した方がいいかもしれません」


 ソラは進む先の景色を眺める。南国クラーナへの道はまだ始まったばかりであったが、暑さが苦手なソラは早くも渋面になり、熱がこもるベールの裾を摘んでパタパタと揺らしていた。

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