第13話 「隠し事 1/2」
父が異世界の人間だったというケイの告白は、ソラ以外の人間に多大な驚きを与えた。
「嘘でしょう!? おじ様が……?」
中でもノーラの驚きようはひときわで、彼女は思わずソファから立ち上がり……目眩がしたのか足下を危うくして元の位置に戻った。その反応に、ケイは少しばかり意外そうな顔をしていた。
「お前に関しては、私が時々口にする言葉から気づいていたと思っていたんだが?」
「確かに妙な言葉を話すとは思っていたけど、てっきりおじ様の方言か何かが移ったのかと。っていうか、想像してもないわよそんなこと……」
頭を抱えてウンウンと唸るノーラに、ケイは昔を懐かしむような表情を浮かべて言う。
「私は母から……教会の祠祭も村の人々も、皆で選択したんだと聞いたよ。知らなかったふりをするとね」
それを聞いたノーラはケイから目を逸らし、手で顔を覆って「憧れだったのに……」と呟いた。ケイは彼女に黙っていたことを詫びる。そこで、ふとした疑問にジーノが首を傾げた。
「博士はケイ先生と同郷なのですか?」
「ああ。私とノーラは幼なじみで親友なんだ」
「……ただの腐れ縁よ」
「ま、そのようなものだ」
手の下から低い声で異を唱えるノーラに、ケイは肩をすくめる。プライドの高い魔法院の学者相手に、この地域では蔑視の対象となる獣使いであるケイが気安い理由……ソラとジーノはようやく合点が行ったという表情で頷いた。
対してエースはとても複雑な表情で顔を背けていた。無理もない。尊敬する師が魔法院の人間と気の置けない仲だなんて、院を軽蔑する彼からすれば受け入れがたいことだった。
ちなみにロカルシュは全く興味なさげにフクロウと戯れていた。
黙り込んだ弟子を横目に、ほんの少し申し訳なさそうにしてケイは話を仕切り直す。
「まぁ、今はとにかく父の話だ。あの人は光の加護を受けると同時に、わずかに魔女の資質も持ってこの世界へとやってきた──つまり、ソラと同じ状況というわけだな」
言いながら、ケイは未だ論文を置いた大机を前に立っているソラたちを手招きし、ソファへと導いた。彼女は全員が席に着く間にテーブルの上に散在するカップを片づけ、ノーラに断りを入れると棚から新しいものを取り出して手ずから茶を入れ始める。
それらを皆に配ったところで、話を先に進める。
「言っておくが、私に光陰の魔力はないぞ。どうやら異界人の魔力というのは、この世界の子どもに受け継がれるものではないようでな。私はほら……この通り」
ケイはカップを片手に、テーブルの上に放置されていた証石を手に取り、自らの魔力を示して見せる。石は彼女の手の中でまばゆい光を発し、属性を表す四色を偏りなく輝かせた。
ケイは証石をテーブルに戻し、いよいよ本題へと入っていく。
「私の母は、父のことを大陸の外からやってきた人間だと言っていた。だから少し言葉が不自由で、時に大陸の人間の耳に馴染まない単語を口にするのだとな」
彼女の母親はその言葉を幼い娘の記憶に刷り込むように、毎夜のごとく聞かせたという。ケイは後にそれを嘘と知ってしまったわけだが、そうと分かって真実を問いつめると、母親は観念したように父親との出会いを語った。
「それは嵐の夜のことだった。その頃はちょうど、あちこちの村で風邪のような病が流行っていた時でもあった……」
いずこの聖域から現れたその男は、ここがどこか分からず気が動転していた中、とある村にたどり着いた。目に留まった人家の戸を叩いて彼が見たのは、赤い顔を辛そうに歪めて咳を繰り返す家族だった。
彼は医術で生計を立ててきた。病人を目の前にして放っておけなかった彼は、言葉が通じないことに動揺しつつも、身振り手振りで強引にその家に上がり込み、自分の身一つで出来る限りの手を尽くした。
聞いたことのない医療を施す異人の来訪は瞬く間に村中に広がった。村人の中には彼を怪しむ者も勿論いたが、症状の重篤な病人を抱える家は藁にもすがる思いで彼を受け入れた。
ずぶ濡れで体は冷えきり、自らの体調も危ういというのに、そんな自分を差し置いて他人に手を尽くす男──その人柄は次第に村人の警戒心を解いていった。そうして連日連夜、各家の患者を診て回った彼はついに村に蔓延していた病を撲滅したのだった。
彼が魔女の資質も持つ異界人だと判明したのは、事態が収束した後のことだった。当然、彼のことは魔法院に報告すべき事柄だと皆は理解していた。村の皆は、住人の病が快方に向かうと今度は自分が寝込んでしまった男を前に、どうしたものかと処置を話し合った。
助けてもらった恩もある手前、結論はなかなか出なかった。ただ一人、彼の身の回りの世話を任されていた女──後にケイの母となる彼女だけが毅然と言った。
「父は村の危機によく尽くした。その恩を仇で返すつもりなのか、とね」
何かと気が強く、剛胆な気質であった母らしいとケイは笑う。だが、その話を聞いたソラは眉をひそめていた。
「それ。ケイ先生のお父さんを魔法院に渡したら、ひどい目に遭うって村の人たちは知ってたってことですか?」
「魔法院へと連行された半端者の異界人は魔女と処断され殺される。ここカシュニーでは暗黙の事実として誰もが承知している。他の地方では、それを知る者はわずかだがな」
「やっぱり……」
そう呟いてうつむくソラをのぞき込み、ジーノが弁明する。
「あの……ソラ様。言い訳にしかなりませんが、お父様も私たちも……魔法院であのようなことになるとは思わなかったのです……本当に……」
「大丈夫だよ。それはちゃんと分かってるから。もし知ってたらキミ、あんなに怒らなかったでしょ。それが何よりの証拠じゃん」
縋るようにして言うジーノの頭を撫で、ソラは安心させるように微笑む。そんな二人を見つめ、ケイはふとロカルシュの方に視線を移した。
彼は聞いているのかそうでないのか、フクロウを頭の上に乗せて上体をふらふらと揺らしていた。
「ロカルシュ。キミは二つの相反する属性を同時に持つ、ソラのような存在がいるという話を聞いたことがないと言ったな?」
「実際、聞いたことなかったしぃ。でもでも、お医者先生のお父さんは、そこの魔女さんと同じく光陰の魔力を持ってたわけだよね? それって珍しい偶然なのかな~?」
「いいや。実際にはこの世界に迷い込む異界人のほとんどがそういった特性を持っている。むしろ、どちらか片方だけという方が珍しいんだ。そうだろう? ノーラ……」
今もってなおケイの父親が異世界人であった真実に打ちひしがれるノーラは、くぐもった声で「そうね」とだけ答えた。ロカルシュとエースが半眼になって彼女を見る。だが、当の本人はそれに気づいていない。
「魔法院は一点の陰りも許さない。この世をあまねく照らし出す魔力──かつて聖霊族が受けたと伝えられる光の加護を求める。それ以外は例外なく……」
そこでノーラはハッとして顔を上げ、言葉の最後を飲み込んだ。彼女が視線を向けた先──ソラは平常心を保つべくカップを両手に持ち、その静かなる水面に映る自分を見つめていた。
「そんなの勝手すぎる。私たちにだってその力はあるのに……」
少しでも陰りがあっただけで、同時に受けた光の加護は無視される。人間一人の人生を道端の石ころのように扱う魔法院に対して、ソラは怒りを覚える。その一方で、彼女は自分の中にある利己的な感情に首を絞められていた。
仮に半端者でも歓迎されたとして、その求めに応じるつもりが自分にはあっただろうか、と。兄妹とともにソルテ村に戻って人生を終えることしか考えていない自分には、そもそも腹を立てる資格はない。当事者以外からすれば、能力があるのに使おうとせず無駄にする自分も、問答無用で可能性の芽を摘み取る魔法院も、そう変わらないのではないか?
ソラは丸く切り取られたカップの中で辛そうな表情を浮かべる自分に嘆息する。エースはそんな彼女をしばらく見つめた後、ケイに向き直って言った。
「師匠。俺は……実際に異世界の方の協力が得られるかは別の問題として、世界を救うことができるかもしれない人材を魔法院が自ら……手放している点が理解できません。どうしてそんな、あえて世界の危機を見過ごすようなことをするんです?」
エースは続けてノーラに目を向ける。
「博士はその辺りの事情をご存じないんですか?」
「……」
「博士。答えてください」
「まぁまぁ。落ち着け、エース」
「ですが、師匠……!」
「ノーラにだって知らんことはあるだろうさ。そう責めてやるな」
「知らないだなんて……そんなこと……」
表情を歪めるエースの前で、ノーラは黙りだ。それだから、彼女がどこまで魔法院の内情を承知しているのか、エースには理解が及ばない。それを分からないままに、知らないのかもしれないことを責めるのは間違っている……エースは悔しげに唇を噛み、彼女から目をそらした。
「コホン……話を戻そうか。そんなだから、母はそりゃあ必死に村の人間を説得したそうだよ」
ケイの母親は用心深い質でもあった。というのも、ケイと同じく獣使いの能力を持つ彼女は、その力を忌避する魔法院を心底嫌っていたのだ。
彼女は、あんな差別主義者の集まりに命の恩人を預けてたまるか、という思いだったそうだ。
「母の懇願は実を結び、父のことは魔法院に報告されないこととなった……いや、母以外には別の思惑もあったろうな。田舎とはいえやはり皆カシュニーの人間だ。学問への探究は性分だった……」
だが、情けの感情もある。ケイの母が訴えたように、自分の事情を後回しにして見ず知らずの他人に手を差し伸べた人間を、みすみす死に追いやることはできなかった。そこで、村人は苦肉の策として、互いの利益となるよう契約を交わすことを考えた。
村は匿う代わりに父の扱う医術を教えてもらい、ケイの父親はその存在を秘匿され身の安全を保障される……そういう約束をしたのだった。
「その行動が正しかったと分かったのは、ある武器が開発された時だ。ロカルシュ、キミの相棒くんが持っているあの武器の名称は知っているかね?」
「銃でしょ? そのくらい知ってるよー」
「それはこちらの言葉に置き換えた俗称だ。正式には……?」
「がんず! これも知ってるよ~。セナに教えてもらったもーん」
「そう、ガンズだ」
どこかで聞いたような響きの単語に、ソラが顔を上げる。
「ガン、ズ? ガン……銃……。ああ、思い出した。そういえば氷都のハゲ、聞きたいことがあるって言って……」
そして、段階を踏んで知識を聞き出し、用済みになれば処分する。元老はそう言いたかったのだろう。
「うーわ。まったくもって忌まわしい……」
「えーっと? つまり……どういうわけ?」
ロカルシュはソラの言葉を今一つ理解できないようで、上体を大きく傾けた。
「キミの相棒が使っている武器は、私みたいな半端者の異世界人から……おそらく非道な手段で聞き出した知識を元に作られたってことだよ」
ひどく気落ちした声でソラが解説する。
「やっぱあそこで逃げたのは正解だったな……じゃなきゃ、ろくな知識もない私なんて惜しげもなく殺されてた……」
その独り言に、ロカルシュは悲しそうな顔をする。彼の心情を察したフクロウがぱたぱたと飛んでいってソラの肩にとまった。ホゥホゥと鳴くフクロウの声を聞きながら、ケイは眉間を揉んで頬杖をつく。
「銃。その単語を聞いて父は青ざめていたよ……」
彼は自分の命がそんなものと引き替えにならなくて良かったと安堵する反面、誰の命がそれと引き替えになったのだろうと、毎夜思い悩んでいたそうだ。人の命を扱う医者であったからこそ、彼は余計に心を痛めた。
「それからというもの、父は幸運に恵まれて助かった命を無駄にすまいと大陸中を回って人々を癒し、それと平行して異世界人に関する情報を収集していた」
彼の活力は死の間際まで衰えることはなかった。異世界に来てしまったことを考えればそれは不運だったかもしれないが、ここで生きたことを後悔してはいない。彼はそう言い残して、天寿を全うしたという。
ケイの父は異世界の人間でありながら、この世界で小さいながらも幸福を得た数少ない存在だった。彼女はソラにもそうあってほしいと願っていた。
「ソラ、私がお前に肩入れするのはな、そりゃあもちろんエースとジーノが大切に思っているからというのもあるが、何より他人という気がしないんだ……。あのナナシという男にしてもな……」
ケイはその出自ゆえに、ナナシに対しても浅からぬ縁を感じていた。先ほどの言葉通り、他人事ではない。ナナシの悪行は「身内」のしでかした不始末なのである。
「あれは私が……私とソラが止めねばなるまいよ。結果的に騎士殿たちが捕まえてしまうのならそれでもいいが、このまま人任せにしておくのは違うと私は思う」
「先生は、私もあの二人の後を追うべきだと……?」
戸惑い気味に視線を泳がせるソラに対し、ケイは深く頷く。
「ああ。それに……なぜかとても嫌な予感がするんだ。あの男の執念深い目……このまま何もせず逃げるだけとは思えない」
そこに、ロカルシュが控えめに手を挙げて口を挟む。
「あのー、ね。そのことなんだけどぉ。お医者先生の予感が当たってると思う……」
「というと?」
「えっと、その。魔女を名乗る二人組が村を一つ、皆殺しにしたって報告が入ってて……」
特徴はナナシとジョンに一致するが、彼らは魔女「ソラ」を騙ったと言う。セナは先ほどそれをロカルシュから聞き、慌てて出て行ったのだ。
勝手に名前を使われたソラは顔を真っ青にして立ち上がった。
「そん……!? そんなの、嘘でしょ? ねぇ、ロッカくん……冗談とか、そういうのだよね!?」
「ごめん、魔女さん。本当なんだ。詳しいことは分かんないけど、生き残った人の話で、魔法で姿を変えたとか言ってたって」
「……」
冗談じゃない。しゃれにもならない。
身に覚えのない殺人を押しつけられるなんて。
以前、フラン邸での事件をセナに誤解されたときも堪えたが、今回の深刻さはその比ではない。騎士の皆が──いや、村人が皆殺しにされた大惨事を大衆に隠し通すことは難しい。いずれ、一般人までもがその濡れ衣を真実だと誤るようになる。
噂が噂を呼び、思い込みは増長され、根拠のない断定がまかり通る。人々は口々に言うだろう。悪しき魔女「ソラ」を火炙りにしろと。
「やっと、セナくんの誤解が解けたのに……」
取り返しのつかない謀りに怒りが生まれ、それが一瞬にして焦りに変わり、やがて絶望という刃へと変貌する。それは、ソラを後ろからぶすりと刺した。
あまりの衝撃に、彼女は手に持っていたカップを落とす。
そして何も考えないままに、床に散らばったカップの破片を片づけようと手を伸ばした。
「痛っ……」
無造作に掴んだガラスの破片で、彼女は指を切る。その傷口をぼんやりと見るソラの手を取って、エースが慌ててケイを呼んだ。
「ソラ様! 大丈夫ですか? 片づけはこちらでやっておきますから……。師匠、ソラ様の治療を」
「ああ。分かった」
ソラの隣にやってきたケイは施術のため手をかざす。しかし、血は流れたままで治癒しない。
ケイはそこで、はたと気づく。
「そういうことか……考えてみれば簡単なことだ。ソラと私たちでは持っている魔力が異なる。しかもこちらは下位の四属……上位の二属を持つキミを治療できるわけがないんだ。キミ自身の魔力を使えば何とかなるかもしれないが」
「いや、まぁ。別にこんなのそのうち治りますし、気にしないでも……」
ソラは力なく笑い、まるで貧血でも起こしたかのように頭を揺らした。次第に傾いていくソラの肩からフクロウが飛び上がり、そんな彼女をすかさずケイが支えた。ジーノも隣に寄り添い、具合を気遣う。
「ソラ様、大丈夫ですか?」
「ジーノちゃん……ごめ……ん。ちょっと、気分悪くなった……」
「無理もない。ノーラ、どこか休めるところは?」
「それなら、人目に付かない方がいいわね。隣に私が仮眠室代わりに使ってる部屋があるわ。そこの扉から入れるから……」
「そうしたら、俺が運びます。ソラ様はそのまま楽にしててください」
浅く苦しげに息をするソラを抱えてエースが立ち上がる。ジーノは一足早く動いてノーラが指さしたドアを開け、やや散らかっているベッドを整えて掛け布団をはぐった。そこにソラを横たえると、心配して後からついてきたロカルシュが枕の傍らにしゃがみ込んだ。
靴を脱がせて布団を肩まで掛け、エースとジーノが顔色をなくしたソラを見守る。
「そこ、落ち着くまで使っていて構わないわ……」
「ありがとう……ございます……」
ノーラはドアの向こうから顔だけをのぞかせ、絶え絶えのソラの声を聞いた。そして少し不機嫌そうな顔をしてケイに話しかける。
「貴方に話がある。ここでは何だから、外で話しましょう」
「ああ……そう言われると思ってたよ」
ケイはベッドを囲むジーノたちに「少し外すぞ」と言い、エースに容態の管理を任せて部屋を出ていった。




