第11話 「おぞましき業 3/4」
ソラの手の中で金紅石は白と黒とに輝いた。その比率はおよそ三対七。氷都の魔法院で見た時より、やや黒色が強くなっているように見える。
「クソめ。本当に両方の魔力があるんだな……」
言いつつ、セナはふんと鼻を鳴らす。
「これで半分以上は魔女ってことが証明されたわけだ」
「アー、まぁそう取ることもできるよね」
彼は証石から顔ごと視線を逸らし、犬を追い払うような仕草をする。魔力の陰りなど、そんな忌々しいものは見たくないという態度だった。ソラはその様子に特段腹を立てるでもなく、隣でケンカ腰になっているジーノを制し、その事実に頷いた。
エースとケイは未だ論文に釘付けである。
ソラは証石をテーブルに起き、先ほど座っていた場所に戻ったノーラを見て質問を一つ投げかけた。
「ノーラ博士。私は自分が魔女ではないと証明するため、魔女について知りたいと考えてここを訪ねました」
「ええ。そうらしいわね」
「魔女って何なんです? 私、ほとんど何も知らないもので……この世界に呪いを振りまいた忌まわしき存在ってことくらいしか分かってないんですけど」
本来の目的を果たそうとするソラに、ノーラは苦々しい顔をして、しばらく考え込んでから意を決したように口を開いた。
「異界の侵寇者。〈始まりの魔女〉とも呼ばれるそれは異界より来たりし最先の女」
世界の外からやってきた彼女は、元来他人を許せない質だった……ノーラはそう語り始める。その気質は自身の体を蝕む病ゆえであったと言われている。他者を呪うことでしか己を慰めることができない──その本質は居場所を変えても変わらず、彼女は人に、そして世界に嫉妬した。
嫌悪し、憎悪し、怨悪した。
そういった負の感情が彼女の魔力を悪しき黒に染め上げていった。そうして自分に世界を呪う力があると知った彼女は、やがて聖霊族をそそのかして軸の座へと至る。そこで世界の混沌を願い、軸に満ちる神秘の白き力を黒く濁らせた。
「軸……ソルテ村で見えた可視の地軸ね……」
ソラは灰色の雲の向こうに見えた天地をつなぐ一条の線を思い出していた。
ノーラが先を続ける。
「軸はおよそ千年前に起こった『元始の災厄』の際に、白き力を持つ聖霊族の少年が自ら命を投げ出し、世界を支えるために作り出したものと伝えられているわ」
「彼の御方は神代最後の一柱であった……ペンカーデル地方ではそのように伝えられていますね」
ジーノが敬虔なる口調でそう付け足す。先ほどからそっぽを向いたままのセナは、ジーノの信心を少しうらやましそうに見る。
「北方だとそんな風に言われてるのか。クラーナは信仰とかその辺けっこう適当だからな……感覚がよく分からん」
「セナも神様にあんま興味ないよねー」
「商いの神様が居るってんなら、奉るんだけどな」
何にせよ、頼り縋れるものがあるのは楽でいい、と彼は呟く。しかし、その口調は決してジーノの信仰を馬鹿にするものではなかった。彼自身も何かを信じて救われたい……そう言っているように聞こえた。
それを察したジーノは何も言わずに、どこか居心地の悪い思いで居住まいを正した。
ノーラが一つ咳払いをして話を元に戻す。
「とにかく。怨念に囚われた魔女は黒き力を振るって神秘の聖域を汚し、この世を呪った。聖霊族は魔女を助けた愚行がもとで神罰を受け、絶滅した──と、まぁこれが全てよ」
彼女は早々に話を切り上げた。その口調は、これ以上のことは口にするのもおぞましいとでも言いたげだった。もう少し詳しい話が聞けるものと思っていたソラは、ほんの触り部分しか聞かせてもらえず、肩すかしを食った気分になる。
また煙草をふかし始めたノーラはこれ以上を語ってくれそうになかった。ソラは仕方なく、聞いた範囲内で思い浮かんだ疑問に首を傾げる。
「今の話だと、負の感情が魔力を悪いものにしたって感じですけど……それならこの世界の誰も恨んでない私に何で同じ魔力があるんですかね?」
「アアン? この世界の誰も恨んでない? 嘘つけよ。少なくともお前を指名手配した元老のことは憎く思ってんだろ」
「そりゃまぁ、そうだけど。だからって人類全員滅亡しろとは思ってないし」
恨みと言っても、棚の角に足の小指をぶつけて骨折してほしいと願うくらいで、死んでほしいなどと過激なことを考えているわけではない。まして、世界を巻き込んでその恨みを晴らそうなんて微塵も思っていない。人間性が若干ひねくれているソラでも、そこまで自分勝手にはなれない。
ソラはぶんぶんと首を振って、恨みの感情そのものを頭の中から追い払う。
そこでふと、次の疑問が浮かんだ。
「魔力ってのは精神の状態に左右されるもの……なんですよね?」
先ほどの話でノーラは、憎悪の感情が魔女の魔力を悪しき黒に染め上げたと言っていた。その言葉に、ソラは何か違和感を感じていた。
「ということは、この世界の人たちもそういった感情にとらわれて、呪われた魔法を使ってしまうことがあったりとか……するんですか?」
「それは──」
「俺は魔力と精神に相互関係はないと思います」
いつの間にかこちらの話に耳を傾けていたエースが、ソラの疑問に答えようとしたノーラを強い口調で遮った。その態度はどうにも彼らしくない。
ソラは怪訝な表情を浮かべながら、エースに振り返った。
「エースくん。もう読み終わったの?」
「はい。師匠は……」
「私はあと一冊残っている。今しばらく待っていてくれ」
片手を上げて、しかし視線は文面を追い続けながらケイが言う。それを聞いたエースは一足先にソラの方へやってきて、魔女談義に加わった。
彼は他から椅子を持ってきて、ローテーブルを挟んでノーラの正面に席を構える。何やらピリピリと張りつめた空気が漂う。
そんな彼を気にしたソラが声をかけようとすると、それより先にノーラが話し出した。
「貴方はどうして精神と魔力に関係性がないと思うのかしら? よければ聞かせてくれない?」
彼女は一人掛けのソファに深く腰掛け、煙草を片手に上から見下ろすようにしてエースを見やった。
「そう、ですね……。この論文を読んで……と言いたいところですが、実は違います」
「では、一体なぜ?」
「ソラ様と……ここを襲撃したナナシという男の件があるからです」
エースは一見すると高圧的にも映るノーラに多少萎縮しながら、それでも気をしっかりと持って話を続けた。
「博士。貴方にお聞きしたいことがあります」
「何かしら?」
「俺は氷都の教会文庫で、ある文献を読みました。そこには魔女の魔力に陰りがあったこと、そして怨念を抱いた彼女が悪しき化身となり世界を呪ったことが書かれていました」
「それは伝承記にも同じ記述があると思うけれど?」
「正確に言うと、貴方がた魔法院が編纂した伝承記と、俺の読んだ文献とでは記述に相違があります。些細なことではありますが、それは決定的な違いです」
エースはまず、伝承記の一節を諳んじる。
「彼の醜悪なる者、怨念に囚われてこの世にたどり着きたる。精神の歪み故に魔力は陰り、黒き業にて世界を災厄で覆う……」
次に言うのは、彼が氷都で読んだという文献の一節である。
「彼の者、その魔力に陰りあり。やがて怨念を纏いて悪しき化身となり、黒き業を以て世界を呪う……」
「そう。そんなことが書かれていたのね」
それで、貴方は私に何が聞きたいの?
ノーラは至って穏やかな口調でそう問う。彼女の言葉に苛立ちや嘲りといった感情はない。だが、魔法院に籍を置く女性で無意識に相手を威圧してくる人物となると、エースの目には自然と過去の忌まわしい記憶が重なって見えた。
彼の今の状態が手に取るように想像できてしまったソラは気が気ではない。視線はエースとノーラを行ったり来たりしていた。
そんなソラの心配を余所に、エースは膝の上に置いた拳をぎゅっと握って、吐き気を飲み込み顔を上げた。
「伝承記ではあたかも魔力の陰りに魔女の怨念が関係あるように書かれていますが、文献の方はそうでない。異界……ソラ様が言う異世界からやって来た魔女の魔力には『元々陰りがあった』とだけ記されて──」
「魔力に陰りがあるなんてのは、魔女なんだから当たり前だろうが」
ソラの挙動不審な様子に変な顔をするセナが話の腰を折るが、エースはそれにめげなかった。
「言い方を変えます。まず、魔女が黒き力を用いて世界を呪った……その記述は一致しています。そして彼女にはこの世を憎む強い感情があった、これも同じです。では、その感情はいつ生まれたものなのか? これはノーラ博士、もしくは小騎士様にお答えいただきたい……」
「伝承記ではこっちに来る前から持ってた感情だって読み取れるな。その怨念があったからこそ、魔力に陰りが生まれたわけだ」
セナは興味なさげにそっぽを向きながらそう言い捨てた。その言葉の先を、ノーラが拾って続ける。
「貴方が読んだという文献では、元から魔力に陰りはあったものの、恨みを抱いたのはその後……ということになりそうね」
ノーラは所々で言いよどみながらの答えだった。その表情はどこかばつが悪そうでもある。
「そんなの、重箱の隅をつつくような指摘だわ」
彼女はエースから視線をそらし、肩をすくめた。
「その違いが何だというの? 結局のところ魔女が世界を呪ったことに変わりはないわ」
「博士……貴方は……その意味を分かって言っているんですか……?」
「失礼ね。自分で発した言葉の意味ぐらい分かってるわ。貴方こそ、自分が言わんとしていることの重要性を分かってるのでしょうね? その発言に、責任を持てるの?」
眉間のしわを深くして目元をきつく細めたノーラに、エースは一瞬たじろぐ。だが、彼もまた同じような顔つきになってノーラを見つめ返した。外野の四人は何が何やら分からないという表情でエースを見やる。
それらの視線を受け、エースは力強くはっきりとした口調で「では……」と切り出した。
「結論から言うと、俺は伝承記の記述が間違っているのではないかと考えています」
「お兄様!?」
「お前、何言ってるのか分かってんのか!?」
「うっそー。お兄さんそれ否定しちゃうのー? 面白くなってきた~」
エースの発言に対する反応は様々だった。ジーノは我が兄のことながらその意図が掴めずに困惑し、セナは紙を丸めたような顔つきになった。ロカルシュだけは本人の言葉の通り心底面白がっているようで、早くその続きを聞かせろと身を乗り出してきた。
エースはどよめく一同を片手で制し、先を続ける。
「……仮に伝承記の記述が正しいとして、魔女の恨みの感情が魔力の陰りにつながるというのなら、ソラ様に魔女の資質があるのはおかしい」
「そ、そうそう。少なくとも私はこの世界に来た時点で、ここの誰も恨んでなんてなかったし!」
ソラはエースと一緒になってノーラにそう言う。
それに反論したのはセナだった。
「この世界を憎んでないからどうしたってんだ。魔女はこの世界に来る前の感情を元に魔力を腐らせやがったんだ」
大なり小なり、そういう感情は誰にでもあるものだ。今まさにそれを糧に生きている少年は言う。それともお前は、以前の世界では誰も恨まずに生きてきたとでも言うのか? と。
ソラはそれに眉をひそめて苦々しい笑みを浮かべる。
「ああそう、なるほど。聖人とはよく言ったもんだね。汝敵を愛せよ右の頬を打たれたら左の頬も差し出せって? 博愛と慈愛に満ちた……まさしく聖者でなければ、この世界のそれにはなれないわけだ」
ならば聖人などこの世にいないのではないか? とは言わないでおく。言ったが最後、セナに殴られそうだ。ため息をついて黙り込んだソラに代わって、エースが話を進める。
「──では小騎士様にお聞きする。あのナナシと名乗った男のことは? どう説明する? フラン博士は彼を聖人だと言ったらしいじゃないか」
「んなもん、嘘だって可能性も……」
「あの状況で? 彼本人も聖人について、それがこの世界の人間にとってどんな意味を持つか知っているようではなかったのに? そんな彼に、嘘をつく必要があったとは思えないけれど?」
「……」
「フラン博士があの男を聖人だと言ったのなら、それは魔力に陰りがなかったということだ。魔女に固執していた彼が、一変の陰りも見逃すはずはないからね。何より、過去に魔法院に在籍していた博士なら、少しでも陰りがあった場合にその言葉はまず出てこない……そのはずですよね、ノーラ博士」
エースは確信を持ってノーラを見つめた。彼女は渋々、エースの言葉に頷く。
「──さらに付け加えれば、あのナナシという男は怨念の塊のような人物だった。そして、あれほどまでの激しい憎悪は一朝一夕で得たものではないはずです」
「アー、それに関しては私も同意。あの人は……いろいろと混同してて言ってることわけ分かんなかったけど、自分の父親を……元いた世界の実の父親をずっとずっと憎んでた風だった」
そんな彼と近くで相対したソラは、今思い出しても寒気がする。あの落ちくぼんだ目。泥のような瞳。執拗に張り付く視線。その中に見えたのは確かに、父親への激しい憎悪だった。
エースはソラの言葉に頷き、畳みかける。
「ここまで話せば分かりますよね? 元から憎しみを抱いてこの世界にやってきたあの男が聖人である……俺もついこの間まで疑いもしなかった思い込み……魔力の、魔法の善悪。そもそもそんなものは、ないのでは?」
「ふざけんなよ!」
エースの導き出した結論に食ってかかったのはセナだった。
「そんなの、あるに決まってるだろ! 魔女の扱う黒き力は悪いものだ! 起きたまま寝言ぶちまけんなクソが!!」
「……この世界の人間が使う四属の魔法にしろ、俺が使う魔術にしろ……その善悪は『何のために』『どう使い』『どんな結果となったか』、それを見る者の目で決まる。そもそも、技術そのものに罪はないんだ。なのに、光陰の二属だけが善と悪とに振り分けられて論じられる。それは一体どうしてなのか?」
「それ……は……ッ!」
「俺はそこに疑問を覚えてしまった。どう言い訳をしてみても、納得がいかなかった。ソラ様の人柄を考えればなおのこと、その善悪の前提こそが疑わしく思えてくる──いいや、俺は既にその前提が間違っていると確信している」
そこでエースはノーラに視線を戻し、半ば彼女を睨みつけながら語気を強めた。
「なぜ魔法院は事実と異なる記述を是とするのです? 貴方がたは何を隠しているんですか?」
「……」
ノーラの答えはない。
──と、そのタイミングで背後のケイが論文の束を机に置いた。
「さて。私も読み終わったぞ」
間が良いのか悪いのか。とにかく彼女は無意識のうちにエースの熱意を遮ってしまっていた。
「ん? 何か白熱した論議をしていたようだが……?」
首を傾げるケイに、ノーラが安堵の息と一緒に煙草の煙を吐き出した。
「ちょうど終わったところよ」
「博士!? 何を言って──」
「いいから、先にフランの件を終わらせてちょうだい。こんな忌々しい研究、これ以上ここに広げておきたくないわ」
ノーラがエースを睨み返し、話を強制的に終わらせる。これまで攻勢だったエースは途端に気勢をそがれ、乗り出し気味だった上半身を椅子の背もたれに戻してしまった。
だが、彼が示した仮説と疑問は周囲に多大な影響を及ぼしていた。特にセナに与えた衝撃は大きく、少年は今も頭を抱えて何が本当なのか考えあぐねていた。
「まぁ、今はフラン博士の研究についてソラたちに報告しよう」
「はい……」
気落ちするエースの頭をぽんぽんと叩き、ケイが言う。その様子を見ながら、ノーラは誰にも悟られないよう安堵に胸をなで下ろす。
ケイがあのタイミングで話に割って入ってきたのは偶然ではない。彼女は明らかに、教え子の論説をうやむやにする頃合いを見計らっていた。それを理解して、ノーラはつくづく思い知る。エースの追及を逃れて安心している人でなしな自分──それと未だ交友を持つケイも、相当なろくでなしなのだ。
ケイは決して悪人ではないが、善人でもない。そんな女を師と仰ぐエースに若干の哀れみを覚えながら、ノーラはゆっくりとした動作で席を立つ。
「それじゃあ、反吐の出る話を始めましょうか……」
彼女は指に挟んだ煙草の先をすっかり灰に変えて、煙を吸い込む。せめて肺を毒で満たさなければ、そのおぞましい研究について語ることはできそうになかった。




