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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第三章 クラーナ
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第7話 「彼について 4/4」

 朝食が終わってソラが薬を飲んでしまうと、ジーノとケイはそろって部屋を出ていった。そわそわとして落ち着かない様子のエースが「お茶でも飲みますか?」と言うので、ソラは小さく頷いて用意を頼んだ。


 ソラが膝の上の猫を撫でている間、エースは彼女に背を向けて茶を入れていた。一度も振り返ることなく、その背中はソラとの会話を心底避けたいと思っているようだった。ここまであからさまな拒絶反応を示されると、話を切り出すのも躊躇するところだが、ソラはかえってその必要性を再認識していた。


 彼女はエースが漂わせる空気を読まず、口を開いた。


「エースくんはさ、やっぱ私の記憶を見たわけ?」


 ソラは猫の背中に手を置き、エースの方を見て囁くように聞く。


「……はい」


「マジ?」


マジ(・・)です……」


「そっか。私、未だに家族のこと思い出せないんだけどさ、キミの方からは何か見えたりした?」


「……いいえ」


「よくない家庭環境だったから気を使ってるとかじゃないよね?」


「違います。本当に、俺は何も……」


「ごめん、責めてるわけじゃないんだ。ただ、キミって優しいじゃない? 変に気負わせちゃったら悪いかと思って。でも、そっか……本当に見なかったんだね」


 互いの記憶は隅々まで明かしあった。しかしながら、一度見聞きしたことは何でも覚えていられるエースが、ソラの家族に関する記憶を見なかったと言う。そうなると、ソラは家族のことを忘れているのではなく、完全になくしてしまっているのかもしれなかった。家族というフォルダに仕舞い込まれたデータを、丸ごと完全に削除されてしまったと……そういうことだ。


 その結論に至っても、家族に関する一切を覚えていないが故なのか、ソラの心には悲しみも寂しさも浮かんではこなかった。


 感情のどこかが欠けてしまって、自分のことなのに他人事のように感じるのは、ソラの頭にエースの記憶が刻まれたからなのだろう。


 彼は情緒面に欠陥を抱えている。


 そうなった発端とは……。


「キミが魔法を使わず魔術に頼る理由が分かったよ」


 エースは魔力が極端に少ないため、魔法がほとんど使えない。それはセナの狙撃を受けた際に、薄い盾をたった一枚作っただけで倒れてしまったことから想像できていたが、彼の記憶を見てはっきりとした。


 あの女が言っていた、「こんなこともできないなんて」。簡単な魔法さえも使えないなんて、という侮辱。それを思い出して、ソラは悔しさに拳を握る。


「……知ってのとおり、俺にはろくに魔力がありません。能なしなんです」


「そうかな? 苦手な部分を得意な分野で補ってるんだから、それって大いに才能ありってことなんじゃない? 私なんかは単純にそう思うけど」


「いいえ、そんなことは……本当に、ないですから……」


 それは謙遜ではない。


 そんな軽々しい言葉ではない。


 エースは未だソラに背を向けたまま、頭を重たそうにして俯く。


 沈黙が続く。


 彼のことを気遣うのなら、いつも通り何でもない話をして笑っていた方がいいのかもしれない。しかし、気まずいからと言ってこの話題をうやむやにしたら──彼になり損ねたとはいえソラがそこから目を背けたら、いつかきっと彼が自身を見捨ててしまうような気がする。


「私はキミの……あの日の記憶を覚えてる……」


 ガチャン、と茶器がテーブルに落ちる。


 幸い割れてはいないようだが、少し中身がこぼれてしまったらしく、エースは脇に置いてあった布巾を取って慌てて拭いた。その背中は、ついに絶望がやってきたかと身構えているようだった。


 ソラは小さな少年のように映るその姿を見つめ、先を続ける。


「キミがやったことは犯罪だ」


「はい……」


「でも、私はキミの記憶を見た。だからさ、キミが味わった苦痛も身に染みて……まさにこの身で感じて、分かってるんだよ」


 エースがどんな思いでこの地獄を生きてきたのか。誇張ではなく、ソラは誰よりもよく分かっている。


「私は聖人君子じゃない。誰かを裁ける立場にもない。正義を語るほどの信念もないし、そもそもそれを振りかざす質でもない」


 だからソラは思ったことを言う。


 誰に何と言われようと……これだけは言っておこうと思っていた。


「キミは悪くないよ」


 ソラの言葉に、エースは背を向けたまま首を左右に振る。それでもソラは続けた。


「私はつくづく自分に甘いクソみたいな奴だからね。何の気兼ねもなく言ってやれる。誰も言ってくれなかったこと……キミなんかは口が裂けたって言えないことを、言ってあげられる」


 ソラは膝に乗っていた猫をそっと下ろすと、立ち上がってエースの方へ一歩を踏み出した。


「彼女のあれ(・・)は、エースくんが悪かったんじゃないよ」


 二歩目を歩く。


「それでも俺は、自分を許せません」


 三歩、四歩……やがてソラはエースの背に触れられるところまでやって来た。


「キミはこの先もずっと、悔いて。自分を許せないまま生きていくの?」


「俺の罪は許されない……許されていいことではないんです」


「そう、だね。確かにそこは開き直っちゃいけないよね」


 ソラはエースの横に並び、布巾を握ったまま固まっていた彼の前から茶器を引き取った。


「ねえ、エースくん。これだけは覚えておいてほしいんだけど……」


 残った茶をカップに移し替え、ソラはその一方をエースに差し出す。


「私はキミの味方だよ」


 今となっては半身のようなものだから。


 エース本人が自分を嫌うなら、ソラは同じ分だけ自分を愛するように彼に接する。


 ソラは自分が何よりも大切な人間だった。利己的で、とことん自分に甘く、わがままで、妙なところで頑固……自分だけは自分を愛さなければ生きていけない人間だった。


 そんな彼女だから、


「私はキミがどんなでも、愛することができる」


 決して見捨てはしない。


 いつまでも隣にあって、寄り添うだろう。


 ソラはそんな思いと一緒にエースの横顔を見上げる。彼は海の色をたたえる瞳を潤ませ、透明だが何よりも色濃い感情を含んだ雫をまぶた一杯に溜めていた。瞬きのごとに、睫毛の先から滴り落ちる。抑えていた思いが……抑えきれない思いがわき出すように、それは際限なく彼の頬を濡らした。


 そのうちの数滴がカップの中に落ち、波紋を重ねる。波が静かになる頃になると、エースはしゃがみ込んで口元を押さえ、声を殺して泣いていた。


 ソラはそんな彼の横に屈み、言葉を掛けるでもなく、ただ隣に居てその背中をさすった。


 それは夢の中で見たのと同じ、小さな背中だった。


 エースはそこに人殺しの罪を背負って生きていく。自分の中にある何もかもが死んでいて、それならいっそ心臓も止まってしまった方がマシな生き地獄の中で、自分一人が自分を責め、決して誰にも許されないまま……。


 ソラはエースが望むように、彼の罪を責めてはあげられない。そういう救い方は、どうしたってしてやれない。彼女は端の方からにじんできた視界を手の甲で拭い、無言のままエースのそばにあり続けた。


「……」


 それからしばらく経つと、二人は互いに肩をくっつけあって床に座り込んでいた。


「すみません……みっともないところを見せました……」


「いいって。気にしなさんな、お兄さん」


 そう言ってエースが最後の涙を拭うと、ソラは静かに立ち上がった。テーブルに置きっぱなしになっていた茶は、とっくに冷めてしまっていた。そのまま捨ててしまうのももったいなくて、ソラとエースはそろって冷たいそれを口に傾けた。


 カップの中身がなくなった頃合いを見計らって、エースが思い出したように顔を上げた。それを察したソラが先に問う。


「何かほかに聞きたいことでもあった?」


「いえ、その……」


 しかしその表情には明らかな戸惑いが浮かんでいた。彼はどこか言いにくそうにしながらソラに聞く。


「何か……他に覚えていることはありますか?」


「どうかな。実はあの日の印象がものすごく強くて、他はあんまり覚えてないんだよね。もともと記憶力もよくないもんだから、割といろいろ忘れちゃってて」


「聖人のことに関しては……」


「聖人? いや、特に何も。何かあるの?」


「俺がうっかり、忘れてしまっていることを……ソラ様が覚えていないかと、思いまして……」


 歯切れの悪い言い方にソラはことんと首を傾げ、しかし特別気にとめた様子もなく首を振って否定した。


「悪いけど、やっぱりその辺については何も覚えてないや」


「そうですか」


 それを聞いたエースはどこかほっとした表情だった。ソラはそんな彼を仕方なさそうに見つめた。飲み干したカップをテーブルに置き、右足をかばってヒヨコのように小さく飛びながらベッドに戻る。


 彼女はベッドに腰掛けて、後ろに上体を反らせた。


 窓から見える空に真昼の月が昇る。


「私は……許せるのかな……」


「何か言いました?」


「ん? お昼まだかな~って」


「さっき朝御飯を食べたばかりじゃないですか」


「いやぁ、ここのご飯けっこう美味しくてさ」


 どこか赤く色づいて見えるそれを見上げながら、ソラはいつも通り気の抜けた笑顔を浮かべた。

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