第6話 「彼について 3/4」
ソラたちが部屋に戻ってくると、寝具の取り替えと掃除は既に終わっていた。埃っぽかった室内が見違えるようになっている。
「すご……業者が入ったみたいじゃん……」
「でしょー!!」
「ヒェッ!?」
何の前触れもなく背後からそう声を掛けられ、ソラは何とも情けない悲鳴と一緒に飛び上がった。
「私ね、お掃除は得意なんだー。騎士学校ではお掃除番長と呼ばれてたくらいなんだからー」
「そ、そうなの。びっくりした……」
「へへへ。ごめんごめん~」
「いや、別にいいけど……。というか、ロッカくんって綺麗好きなんだ?」
「んーん。そういうわけじゃないよ。ただ単にそれしかまともにできなかったってだけー」
「そなの?」
ソラはそれ以上何も言わず、杖をついてひょこひょことベッドの方へ向かっていった。
「魔女さん、足悪いの大丈夫ー?」
「それを今から先生に見てもらおうかと思って」
「そっか。じゃあ私、お外にいるから。何かあったら呼んでねー。猫さんに話しかけるのでもいいよ~」
ロカルシュは黒猫が鳴くのと同じタイミングで「にゃーん」と一声あげて部屋を出ていった。猫の声を真似しても、どこか可愛らしく映る成人男性二十五歳児、恐るべし。ソラはおののきつつベッドに腰掛けると、ケイの指示に従って横になり下穿きをたくし上げた。
ケイは先ほどと同じように膝の内部を触診し、魔力の滞りを診る。その感覚に慣れないソラは時折、膝頭を叩かれた時のように足をびくつかせながら診察が終わるのを待った。ケイは何度か考え込むようにして手を止め、ふむふむと唸っていた。
「あの……先生ってお医者さんなんですよね?」
「まあな」
「えっと、魔法ナントカって人ではない?」
「ナントカ? ああ、魔法施術士のことか? 私は違うな」
「やっぱり。そうなんですね」
ソルテ村でミュアーの怪我のことを聞いたとき、魔法施術士がいないのに歩けるまでに回復したのは奇跡だと言っていた。彼女の治療を行ったのはエースとケイだとも聞いていたので、ソラはケイがその施術士ではないと考えたのだった。
「施術士を名乗るには免許が必要でね、それというのが……私はどんなに努力しようとも手が届かないものなんだ」
「手が届かない?」
「免許の最終的な交付判断はカシュニーの魔法院で行われる。だから私は……この目がある限り施術士にはなれないのさ」
「目ですか? 綺麗な金色だと思いますけど?」
「……キミは知らないのだね。この色は獣使いの特徴なんだ。そしてここカシュニーでは、その能力を持つ人間は獣の血が混ざっているとされ忌み嫌われる」
「え……。でも、他ではそんな風なことないですよね? ソルテ村のミュアーちゃんはむしろ自らの能力を誇るような態度でしたよ?」
「ああ。この悪しき観念があるのはカシュニー地方だけだよ。それでも昔よりは当たりも弱くなったし、理解のある奴だっている。みんながみんなそう考えてるわけじゃない。私はそれが分かっているから平気なんだ」
彼女はそう言うと、膝の違和感に顔をしかめるソラに優しく微笑んだ。その表情があまりにも柔らかく、まるで身内であるかのように接してくれるケイに、ソラは今更ながら疑問を覚えた。
「先生はどうして私にこんなに親身になってくれるんです? 言ってしまえば、数日前に出会ったばかりの他人なのに」
「うん、いい質問だ。ソラはどうしてだと思う?」
「……単に人がいい、とか? または医者として放っておけないか。でもそれにしたって距離が近い気がしますし、やっぱりジーノちゃんたちの影響ですかね」
「人がいいかどうかは自分で判断しかねるが、おおむねその通りだよ」
裏を返せば、ジーノたちがいなければここまでの対応はなかったということだ。それは「他人」に取る態度としてごく当然のものだろう。それを考えると、ソルテ村での待遇が破格だったと言える。
あまりにも人が良すぎたのだ。
特に、ジーノは。
「……」
ソラが天井を見上げてしばらく黙り込んでいる間に、ケイは触診を終えた。
「さて。診察はこれでおしまいだ」
「どうだったんです?」
「そうだな……やはり一部に魔力の滞りがあるようなんだ。症状を改善する薬を出しておくよ。朝と晩の食後に一包ずつ飲むように」
苦いからって飲むふりして捨てたりしたら駄目だぞ、と言ってケイは白い歯を見せて大げさに笑う。つられるようにしてソラも笑い、起きあがって服装を正した。
「早速、今朝の食事の後から飲めるように準備しよう」
ケイは部屋の隅に追いやられていたテーブルに向かって腰を下ろし、自分の荷物の中から薬草や乳鉢などの道具を出して作業を始める。
そこに、ノブが音を立てて下りた。
「今、朝ご飯のお話してたー?」
わずかに開いたドアの隙間からロカルシュが顔を覗かせた。
「魔女さん、もしかしてお腹すいてる?」
「え? っと、そんなには……」
と言うソラの言葉を否定するかのように、腹の虫が鳴く。ソラは若干顔を赤くしながら、所在なさげに猫を抱き寄せた。
「ご飯ができるまでまだ少しかかると思うんだ~。だから……はい! これあげるー」
ロカルシュはシュッと部屋の中に入ってきてソラの手の平にある物を乗せると、同じような動作で廊下に戻った。
「これ、携帯食料?」
「そ。けっこう美味しい。朝ご飯までのつなぎにどうぞ~」
彼はどこか照れくさそうに笑うと、静かにドアを閉めた。その様子を視界の端で見ていたケイがクスクスと笑って「まるで子どもの貢ぎ物だな」と言った。
特別に用意できる物はないが、とりあえず何かをあげて気を引きたい。だから手っ取り早く手元にあったものを渡した。そこらの二十五歳がこれをやったら常識を疑われるところだが、そんな幼い行為も違和感なく馴染んでしまうのがロカルシュである。
何とも不思議な生き物だ……。
「前も言ったが、彼の故郷では魔女も信仰の対象だからな。いわばそれは供物のようなものさ」
「供物って……。まぁ、それならありがたく頂きますか」
「そうしなさい」
ソラは折り重ねてある包装紙を剥いでスティック状のそれを口にくわえる。
その形状と言い、どこかで味わったことのある風味と言い、某製薬会社が発売しているバランス栄養食品のようである。
「というか、完全に一致」
弁当作りが面倒なときに毎度お世話になっていたそれを懐かしく思いながら、ソラは王国騎士御用達の携帯食を頬張る。口の渇きを感じながらモグモグと食べ進めていると、ドアの向こうからエースとジーノの声が聞こえた。
二人はロカルシュに挨拶をした後、遠慮がちに部屋のドアを開けた。
「おはようございます」
エースもジーノも、まだ朝早いというのに眠気一つない顔つきであった。ソラは挨拶を返そうと慌てて口の中の物を飲み込んだ。
そして案の定、喉に詰まらせてむせた。
「まあ大変! ソラ様、お水です! 大丈夫ですか?」
「ゲホゴホッ……うっ、大丈夫。ちょっと急ぎすぎた……」
水差しから注いだ一杯を差し出してくれたジーノを見上げ、ソラは若干涙目になりながらそれを受け取って喉に引っかかっていた物を飲み込んだ。
「ソラ。誤嚥は気をつけた方がいいぞ」
「そうですよソラ様。万が一、肺なんかに入ってしまったら大変です」
ケイはからかうように、一方でエースは本気でソラを心配している口調でそう言った。ソラはまだ少しせき込みながら、目尻に浮かんだ涙を指先で拭った。
「何かみんなそろっちゃったね。今日って何か予定あったりするの?」
「私は騎士様たちの皆様のお手伝いで、瓦礫の撤去に当たろうかと」
「ちっこい騎士様──セナくんだっけ? 私たちが手伝うのって、彼が嫌がらない?」
「むしろ手伝えと言われました。宿舎に穀潰しを置いておくつもりはない、だそうです」
セナの名前を聞いたジーノがさも嫌そうに顔をしかめる。それは魔法院の話題を出されたときのエースによく似ていた。
「ああ、そうなの。まあ、彼がそう言うなら……。ケンカだけはしないようにね」
「あちらが何も言ってこなければ、私からは何もしませんので。ご安心を」
ジーノの笑顔が信用できないのは自分だけだろうか。ソラがこめかみを押さえて小さなため息を吐くと、ちょうどそのタイミングでケイが調剤を終えた。
それを待っていたエースが師に話しかける。
「師匠、それはいったい?」
「そうだった。お前には言っておかないとな。ソラの足の具合についてだ」
ケイは薬包紙に小分けにした薬をソラに渡したあと、離れたところで膝の所見をエースに伝えた。
「本人には魔力の滞りと言ってあるが……悪い。正直、私も判断がつかなかった」
「師匠でもですか?」
「〈何か〉が膝に居座っているのは確かだ。しかし正体が掴めん。触診で探ってみたところ、魔力が弾かれる感じがあった」
「弾かれる……となると、ソラ様がお持ちの魔力と関係があるのでしょうか?」
「おそらくな。だから今は、魔力の滞りと言うほかない」
「そうなんですね……」
「私たちが使うもので効果があるかは分からんが、魔力の循環を改善する薬と、痛み止めを出しておいた。次からはお前が調合してやってくれ」
「分かりました」
「……出しゃばりじゃなかったか?」
「いえ、むしろ助かりました。俺はそういった診察ができないので」
「そうか、ならばよかった」
ケイは安心したように微笑み、エースの頭をポンと叩く。
「さて。今日の予定だが、私も騎士殿の手伝いに出るよ。大なり小なり、まだ要救護者はいるだろうからな」
それならば、とソラとエースが同時に口を開く。だが、言葉が出る前にケイが手を上げて二人を制した。
「そこの二人は引き続きお休みだ。昨日の今日でまだ本調子とはいかないだろう?」
「師匠。ソラ様はともかく、俺はもう大丈夫ですよ?」
「だめだめ。お前もお休み。これは師匠命令だ」
「……」
人差し指を立てたケイに間近で凄まれ、エースは肩を落とした。
対してソラは彼女の言葉にこれ幸いと頷いた。
「ま、先生がそう言うなら私は休んでおきますかね。どっちにしろこの足じゃ邪魔にしかならないだろうし」
「うむ。ソラのそういう、物事をすぱーんと決められるところはいいと思うぞ」
「諦めが早いとも言いますけどね」
「それだって悪いことじゃないさ。追い詰められるよりはずっとな。とはいえ、ハァ……仕方ない。手持ちぶさたな弟子に師匠からお仕事を与えよう」
「俺に仕事、ですか?」
「ソラを一人で休ませるのは不安がある。お前の方でソラの様子をしっかり把握しておいてくれ。戻ってきたら一日どんなだったか聞くからな」
エースの返事はない。
これはソラの勝手な想像だが、エースはおそらくソラとあまり話をしたくないのだろう。余すことなく記憶を共有したのだとすれば、まず心配するのはソラがあの過去を見たかどうかだ。
「エース。頼んだからな」
「……はい」
笑みを深めたケイに、彼はようやく了解する。
「じゃ、話し相手よろしくね。エースくん」
「……」
エースは気まずそうな表情で視線を横に泳がせ、頷くだけだった。少々かわいそうではあるが、しようがない。
ソラは彼に聞きたいこと、そして話しておかなければならないことがあるのだ。二人きりになれるチャンスを逃す手はなかった。




