第3話 「青の天井 2/2」
「というか、あの後どうなったの……?」
ナナシとジョン、二人の襲撃者に立ち向かうべくエースに身をゆだねて以降、目覚めるまでの出来事をソラは知らない。彼女が当然の疑問を口にすると、ジーノが答えてくれた。
「あの二人はソラ様とお兄様のおかげで追い払うことができました。その後は騎士様が中心になって追っているとのことなのですが、取り押さえたという話は聞いていません」
初めはジョンの魔力の痕跡を追っていけばすぐに捕まえられると思われたが、彼女は小賢しくも雨に紛れてあちこちに水の魔法を放ち、追跡を攪乱させた。捜索はその日の夜更けまで続き、一時的にとどまっていたらしい洞窟までは何とか突き止めたものの、二人の姿は既になかった。そこから先はぱったりと痕跡が消えていて、追うに追えない状況だという。
「今はとりあえず人手を増やして周辺を虱潰しに捜索。近隣の村や街にも布令を出して警戒を促したところだ」
ソラに顔を向けながらも視線を合わせようとしない少年騎士が、事務的な口調でそう締めくくった。
その後に続いて、青年騎士がニコニコとしながらソラに話しかける。
「魔女さんについてはぁ、急いで上司のフィナン隊長にお伺いを立ててる最中~。とりあえず魔法院に突き出すとかはないから、魔女さんは安心していーよー」
「は、はあ……そうデスカ……。ってか、やっぱり本来だったら魔法院に突き出されるところだったんだ」
「あ! そうだ!! これからは一緒に行動することになるわけだし、自己紹介しておいた方がいいよね~?」
「一緒に行動……?」
「私の名前はロカルシュっていうのー。よく子どもっぽい~って言われるんだけど、これでも二十五歳。立派な大人なんだから!」
「そう……二十五歳……、にじゅうご──!?」
てっきりエースよりも年下だとばかり思っていたソラは素っ頓狂な声を上げて聞き返した。その驚きはジーノ、エース、果てはケイまでも同じなようで、目をまん丸に見開いてロカルシュの方を見た。
見られている本人はどこ吹く風で先を続ける。
「みんなからはロッカって呼ばれてたりするよ。あと、この子はフクロウのふっくん。私の目の代わりになってくれてるんだー。よろしく!」
「目の代わり? キミ……ロッカくんは目が見えないの?」
「困ったことにぃ、私ってば生まれつき目玉がないんだよね。だから普段からふっくんの視界を借りて生活してるの。獣使いの能力ってとっても便利~」
「ああ、なるほど。そういうこと……」
ソラは頷くと、次に少年騎士の方を見た。彼はソラと視線を合わせる気がないようで、ロカルシュの肩にとまるフクロウを見上げてチッチと舌を鳴らしていた。
会話をしようという様子がまるでない。
見かねたロカルシュが頬を膨らませながら二人の間を取り持つ。
「もぅ~、セナは意地っ張りなんだから」
「……」
「魔女さん、こっちはセナ。私の頼れる相棒で、ちっちゃいのにとっても優秀! 口とか態度とか柄とかいっぱい悪いけど、悪い子じゃないから。よろしくねー」
「俺は魔女なんかとよろしくするつもりはねぇよ」
少年はそっぽを向いたままそう吐き捨てる。いつぞやの正気を失った様子に比べれば多少は態度が軟化したように見える……が、魔女憎しという感情は未だセナの心に深く根を張っていた。
ソラは視線の合わないセナに目を向け、彼に話しかける。
「騎士様、キミに聞きたいことがあるんですけど」
「……」
答えがないことは想定の範囲内だったが、そうと分かっていても目の前で無視されるのはなかなかに堪えるものがある。
「あの……扱いを保留にしたっていうのはさっき聞いたけど、その理由はなに? せっかく私を捕まえたのにどうして魔法院に引き渡さないのか、キミの考えを教えてほし、い……です」
ソラの言葉が尻すぼみになったのは、セナに睨みつけられたからだった。彼の瞳には「余計な言葉を交わすつもりはない」という確固たる意志が見えた。
取り付く島もない彼にソラはがっくりと肩を落とした──かと思えば、すぐそばに控えていたジーノの袖をあわてて掴んだ。
「ジーノちゃん、顔、顔。めっちゃ怖いことになってるから」
「すみません。人の話を聞かないあの騎士の態度が非常に腹立たしいもので」
彼女が端正な顔に浮かべる表情は、ソラが袖を離したら今にも杖で殴りかからんばかりの憤りである。第一印象が最悪だったせいか、ジーノはセナに対してあからさまな敵意を抱いていた。
ジーノとセナは鏡合わせのように同じ顔で睨み合う。その間に、のほほんとした表情のロカルシュが空気を読まずに割って入った。
「魔女さんは白黒の悪い奴らと敵対して、私たちを助けてくれた。つまり魔女さんはいい人ってことでしょー? だから引き渡すのをやめたの~」
「ロッカくん。その考えはあまりにも単純すぎるんじゃないかと思うけど」
「えー? 単純なことなんじゃないの? それとも魔女さんってやっぱり悪い人だった?」
「そこはハッキリ否定させていただきます」
「じゃあいいじゃーん」
「キミはいいのかもだけど……そっちの騎士様の考えが分からないことには、私は安心できないよ」
気が変わったと言って、また命を狙われることは避けたい。ソラはとにかくセナの考えを聞きだして、皆の前で言質を取っておきたかった。
セナはしばらく黙り通していたが、ソラが「どうしても」としつこく食い下がると、心底面倒くさそうに答えを返した。
「お前の行動を実際にこの目で見て、魔法院の言い分に疑問を覚えただけだ。別に……お前に言われたからとかじゃない。断じてそんなんじゃないからな」
ソラがカシュニーの外で言った言葉は、思いのほか少年の胸に響いたらしい。本人はソラに従ったつもりはないと言っているが、その影響は明らかだった。素直に認めはしないものの、彼は相手の話を聞くだけの耳は持っている……少なくともそうあろうと努めている。
今もなお複雑な感情が胸の内に渦巻いているだろうに、その気持ちを抑えて事実を冷静に見つめようと努力する姿に、ソラは少し感心していた。
「そっか。ロッカくんの言うとおり、キミは悪い奴じゃないんだね」
「アァン? うるせー黙れ知った風な口利くな腹立つんだよクソ魔女バーカ」
「うーん、当たりキッツイなぁ……」
近づいたと思った距離が秒速で離れていく。
そのツンツンとした態度はソルテ村の少女を彷彿とさせた。あの五人の子どもたちは、今日も雪の大地を元気に走り回っているのだろうか? そういえば自分は子どもにウケが悪い体質だったな……などと考えて胸を押さえるソラの横では、杖を握って立ち上がったジーノがエースとケイに取り押さえられていた。
セナはソラとの話は終わったとばかりに、ロカルシュに向き直る。
「つーかロッカ。何かあんた興奮しすぎじゃね?」
「んん~? そうかなー?」
自覚がなかったのか、ロカルシュは頭の上に疑問符を浮かべた。相棒を訝るセナに答えを授けたのは、ジーノを制するケイだった。
「無理もないさ。ロカルシュ──だったか? 彼の出身であるプラディナムでは魔女も信仰の対象だ。本物を目の前にして舞い上がっているんだろう」
「は? そうなのかよ」
「魔女信仰については、プラディナムの人間もあまり大っぴらには言わないからな。知らなくても無理はない」
「……でも、前に魔女と会った時はそうでもなかったじゃねぇか」
「あー、の。あれは、その。セナが怒ってたから。私が魔女さんにワクワクしたり、肩持ったりしたら怒られちゃうかなーと思って……」
ロカルシュは人差し指を突き合わせながら小さな声で「ごめんねー」と呟く。肩のフクロウも心なしかしょんぼりとした表情である。
セナは彼がそうやって萎れていく姿を見るのが苦手だった。
「……あんたの故郷ではそれが当たり前なんだろ。そりゃあ気に入らないのは確かだが、別にそれがあんたの全てじゃねぇし。俺があんたを否定する道理はない──」
「そうなの? ホント? よかった~!!」
セナが言い終わる前にロカルシュはほっと胸をなで下ろしていた。いつまでもいじけられても困るが、こうも変わり身が早いと癪である。セナは頭をバリバリと掻いて彼に背を向けた。
そんなことに気づいてもいないロカルシュは、つい先ほどまで突き合わせていた人差し指を顎に当て、思い出したように頭を傾げた。
「あれ? 私、お医者先生に故郷の話なんてしたっけー?」
「してはいないがね、以前プラディナムに立ち寄った際に知り合いの神官が『行方をくらまして久しい我が国の神子が王国で騎士をやっているようだ』と嘆いているのを聞いたんだ。盲目の青年で、白と灰のまだら模様の豆フクロウをつれていると言っていたから、おそらくキミのことなのではないかと思ってな」
「何だー。お国にはバレてたのかぁ」
「その様子だと正解だったようだな。神官からはキミが希代の獣使いという話も聞いている。機会があれば、是非ともその能力を見せてもらいたいものだ」
「うん! いいよ~。そのうちねー」
ロカルシュの肩から飛び立ったフクロウがケイの頭の上にちょこんと乗っかり、その後でソラの手の中に降りてきた。どうやらロカルシュはソラたちにすっかり気を許しているようだった。
その様子を横目に見ていたセナが人知れず舌打ちをする。またしても雰囲気が悪くなりそうな気配を察したソラが、手の中のフクロウをモフりながら新たな話題を切り出した。
「そうだ! あの人はどうなったんです? ケイ先生が怪我を治療してた……」
「ノーラなら魔法院の療養所に移されたよ。腹の傷は私がしっかり塞いだし、楽観して大丈夫だろう。二、三日休めば元通りさ」
「そっか、助かったんですね。よかった」
へにゃりと笑ったソラに、セナがそういえば……と続ける。
「博士も回復したらこっちに顔出すって聞いたぞ。魔女、お前に話があるらしい」
「お話? って何だろ……?」
「オイオイ、博士は魔法院の人間なんだぜ?」
「え? エッ!? それって私ヤバいんじゃ?」
「お前のこと取っ捕まえに来る気かもしれねぇな」
ケケケと意地悪く笑うセナを前に、一度は大人しくなったジーノがまたしても彼に殴りかかろうとし、エースに羽交い締めにされていた。彼女はどうあってもセナと馬が合わないらしい。
「嘘でしょ。ここにきて捕まるとか、困る……」
フクロウを撫でる手を止めて不安に身をやつすソラに、ケイが訂正を入れる。
「いや、ノーラは……人間性にいろいろと問題があるのは否定しないが、根っこのところでは悪い奴じゃないんだ。あそこまで親身に励ましてくれたソラを邪険にするほど人でなしじゃない……はずだ」
「はずだ、って。先生も自信ないんじゃダメじゃないですか」
「うーん。まぁアレだな。あまり心配する必要はないと思うぞ」
ケイはいざとなれば自分が説得に当たろうと言った。彼女は「任せてくれ」と、自らの豊満な胸を叩く。
その胸が大きいのは、多大な自信が詰まっているからなのかもしれない。ソラは場違いにそんなことを考え、深い谷間を見つめ、「うーん。うらやましい」。しみじみとつぶやいた。
直後、ソラは苦痛に顔を歪める。
「イタ、イタタ。頭、痛い……」
「もうしばらくは休んでいた方がいいかもしれないな。どれ、頭痛薬を持ってこよう」
「師匠、それなら俺の荷物の中にあります」
「ならそれを使おうか。エース、持って来てくれ」
「はい」
未だにプリプリと怒っているジーノをケイに任せ、エースは部屋を出て行く。それと頃合いを同じくして、ソラの手の中にいたフクロウがロカルシュの肩に舞い戻った。
「そしたら魔女さん、監視役として私とセナのどっちかが部屋の外にいるから。何かあったら何でも言っていいよ~」
「今にも死にそうってなったら聞いてやるよ」
「もぉ~、セナってば意地悪!」
「ケッ! 何にせよお前は監視の対象なんだ。そこんとこ間違えんなよ。むやみやたらと出歩くな。部屋で大人しくしてろ」
「あのねー、セナは魔女さんにゆっくり休んでねって言ってるんだと思う~」
「言ってねえよ、馬鹿」
「アタッ!」
ロカルシュはセナに向こうずねを蹴られながら、彼と一緒に部屋を出ていった。
「どうにも、あの騎士殿に任せるのは不安だな。一応、この部屋には私かジーノがいるようにしよう」
「そうですね……さっきも目が覚めた時にジーノちゃんが居てくれて助かったし。ご迷惑をおかけしますが、そのようにお願いします」
「迷惑だなんて、ソラ様。とんでもありません。困ったときはお互い様と言いますし、何でも気兼ねなくおっしゃってください」
「ジーノの言うとおりだな。こういう時は遠慮なんてするもんじゃない。どんな些細なことでも我慢せず、私たちを頼りなさい」
「はい。ありがとうございます」
ソラが下げた頭を上げると、エースが戻ってきた。ソラは彼から頭痛薬を受け取り、
「そういや、エースくんは大丈夫? 無理してない?」
「ええ。大丈夫ですよ」
「……」
ソラは半眼になってエースを見つめる。
ケイは「エースがソラと同じような譫言を言った」と言っていたし、つまり彼はソラがしたのと同じ体験をしているはずなのだ。だというのに、何の不調もなく元気というわけはない。しかしエースもエースで「大丈夫」という言葉を訂正するつもりはないようだった。
この青年ときたら、なまじ体が丈夫で体力もあるだけに、自分を大切にしない。もっとも、彼の場合はそれ以外にも原因があって、そういった「自傷」にも近い行為を行っているわけだが……。
ソラが何か言いたげにしていると、ケイがコホンと咳払いをしてエースの肩を掴んだ。
掴まれた当人が飛び上がる。
「痛っ!」
「え? なに? エースくん怪我してんの?」
「いえ、これは。その……」
まさかソラに噛みつかれた傷があるとは言えず、エースはわざとそこに手を置いたケイを恨みがましく見つめた。
「そう睨むな。美形が台無しだぞ?」
「……」
「よぅし。そうしたらソラの心配事を一つでも少なくするために、エースにはこれから休息を取ってもらおうか。十分な睡眠と適量の食事が心身の健康を保つ上で重要なのは、いつも言っているとおりだ。お前にはそれを実践してもらおう」
「し、師匠?」
「はいはい、師匠だぞ。後のことはいいから、そうしなさい。それともお前はソラの心労を増やしたいのか?」
「……分かりました」
「よろしい」
自分のために動けないのなら、誰でもかまわないから他人をダシに動かすしかない。ケイはどこかがっかりしたようなエースの背を押して、部屋の入り口に向かう。
「そしたら先生、エースくんをよろしくお願いしますね」
「うむ。確かにお願いされた。任せたまえ」
ドアの向こうに消えていく二人を見送り、ソラは一息ついて手の中の頭痛薬を口に含む。すかさずジーノが水を注いだコップを差し出し、ソラはそれを受け取って口内の薬を喉の奥に流し込んだ。
「じゃあ、私のことはジーノちゃんにお願いするね」
「はい。ゆっくりお休みになってください」
「うん。それじゃお言葉に甘えておやすむわ……」
布団を肩まで被って、今度は凄惨な夢を見ないようにと祈りながら天井を見上げる。目を覚ましたときに見た夕日の赤はもうそこにはなく、天井は壁の明かり石の淡い光を受けて、水に濡れた砂のような色をしていた。




