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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第二章 カシュニー
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終 話 「歪の杯 6/6」

「ジーノ! 今だ!!」


「はい!」


 ジーノは目の前の騎士たちに道をあけるよう言うと同時に、一塊の風を放った。


 彼女の呼びかけに応じて反射的にその場を飛び退いたセナを含む数人は事なきを得たが、反応が遅れたロカルシュなどはジーノの魔法によって吹き飛ばされ強制的に退去させられた。ジーノがあけた風穴の先では、ナナシとジョンがきょとんとした顔で立っていた。


 それどころか、盾に当たって四散した旋風に嘲笑さえ浮かべていた。


 彼らはこれから何が起こるのかまるで分かっていない様子だった。剣を握るエースを見て「無駄なことを」と口を動かす。


「バァーカ! んなもん通じるわけ──」


 エースはナナシと目が合った瞬間、ソラの魔力をまとわせた右手の刃を鞘から抜き、追儺(ついな)の光を振った。


 その光はか細く一見すると弱々しいが、鋭く研ぎ澄まされた刃先が空気を圧し裂くように進み、ジョンの盾を音もなく溶かしてナナシを捉えた。


「なな!! あぶない!!」


「なん──?」


 すぐさま異変を察知したジョンがナナシを押しのけるが、エースの刃は彼を逃さなかった。


 袖と一緒に、筋肉質な腕が空中を飛ぶ。


 ナナシは腕の断面を他人のそれであるかのように観察し、傷口から飛び散る血の一粒一粒に自分の姿が映り込んでいるのを見つめていた。そして、「え?」と声を発したところで痛みが襲いかかってきた。


 彼が天地に轟く悲鳴を上げたその時には、ジョンは動いていた。


「ぎ、ぎぁ……あ、あああ゛ア゛ァ゛ァ゛ッ!!!?」


 ジョンは赤子のように泣きわめくナナシを抱えて走り出すと、まだ宙を舞っていた彼の腕を掴み取って土煙の彼方へ消えていった。


 あっと言う間──すらもない。


 それは鮮やか且つ思い切りのいい逃亡だった。


 捨て台詞を吐くこともなく退散した二人を前に騎士たちは唖然としていたが、一度瞬きをした後には彼らを追いかけるべく自然と足が動いていた。


「追え! 奴らを逃すな!!」


 そう誰かが叫んで、殺気立った一部の騎士がナナシたちの消えた方向に駆け出す。それを見つめ、ジーノは腰が抜けたようにすとんと尻餅をついた。背後では一呼吸遅れて地面に誰かが倒れる音が聞こえた。


「お兄様! ソラ様!!」


 ジーノは四つん這いになって、気を失って倒れたエースたちの元へと向かう。


 治療を終えてノーラを他に預けてきたケイも駆けつけた。


「大丈夫だ、ジーノ。気を失ってるだけのようだ」


「よ、よかった……」


 二人とも死人のような顔色で倒れているものだから、ジーノはてっきり最悪の事態を想像してしまっていた。彼女はケイに肩を叩かれると、心底安心したように胸を撫で下ろした。


 ジーノはソラを抱き起こし、ケイはエースを気遣って頬の土汚れを拭う。


 そこでケイはエースの前髪の色素が一部分だけ抜けて白くなっていることに気づいた。その変化は光の加護を徴発するという無理をしたがゆえの代償なのか。


「この馬鹿弟子が」


 ケイは言葉とは裏腹にひどく心配そうな顔をしてエースを叱った。


 いつの間にか、都には雨が降り出していた。


「これからどうしましょう……」


「そうさなぁ。とりあえず、あそこでこちらを窺っている騎士殿に相談してみてはどうだ?」


 ケイが顎をしゃくって示した先にはセナとロカルシュがいた。セナはジーノが自分たちに気づいたと分かると、土やら煤やらを被った服をわざとらしく払って、ゴホゴホと咳払いをして近づいてきた。


 二人はジーノの前まで来ると、彼女の腕に抱かれるソラとケイのそばに横たわるエースを見て言った。


「俺はガキじゃねぇ」


「はい?」


「えっとねー。セナの言葉を訳すとぉ……阿呆院は信用できないから、魔女さんのことがちゃんと分かるまで、私たちの方で身柄を預かりたいなーって」


「……そういうこった」


 ツンとした態度のセナに、ジーノは訝しげな表情を見せる。


「貴方にそんな権限があるのですか?」


「権限っつーか、こればっかりは魔法院の秘匿体質が災い──幸いしたっつーか」


「申し訳ありませんが、分かるように言ってくださいませんか」


「魔女のことは騎士の中じゃあ特務騎兵隊のごく少数しか知らないし、魔女追跡の任を与えられたのは俺たちだけだ。ついでに言えばフィナン隊長は現場の判断を尊重してくれる人で、こっちの話を頭ごなしに否定してくる人じゃない」


 魔法院全体には知れているが、どういう理由か院の人間は魔女の存在を自分たち以外には知られたくない思惑があるらしく、騎士にも正式に情報は伝達されていないのだという。


 と言っても、魔女の再来は既に噂として巷に広まってしまっているし、魔法院が隠すのも今更のことではある。それでも院が情報を騎士側に公表しないのは、騎士の総指揮官たる国王との間に浅からぬ溝があるためだった。


「俺たちが常時監視につくが、魔法院に引き渡されて、どうなるか分からないよりはマシだろ」


 不遜な態度が目立つセナも、ナナシの撃退に関するソラの貢献を正当に評価する気はあるらしい。ガキじゃない……その言葉は口先だけの強がりではなかったということだ。


 ジーノはケイと目を合わせ、互いに視線で納得の意を伝える。


「……ええ。ではそのようにお願いします」


「分かった。そしたら俺に着いてきてくれ」


 セナは二人に背を向け、奇跡的に難を逃れた兵舎の方へと向かう。


「よかった。セナってば思ってたより冷静だねー」


 隣を歩くロカルシュが煤けた顔でにっこりと笑う。


「だから、ガキじゃねぇんだって。そう言ったろうが」


 ここまで関わった者として、ソラの正体をうやむやにしたままではどうにも気持ちがすっきりしない。また、ナナシの言う「上位魔法」を見せつけられてしまった後では、尚更のことソラを唯々諾々と魔法院に渡すわけにはいかなかった。


 現状でナナシに対抗できる人間はソラしかいないのだ。捕まえるのなら、切り札として彼女が必要になる。


 セナは後ろを振り返り、ジーノに抱えられるソラを見たかと思うとすぐに正面へ向き直り、苦汁を飲んだような表情になって拳を握った。


 少年の心には未だ復讐の炎がくすぶっている。


 今は単に、魔女よりも質の悪い災厄──ナナシが現れたため下火になっているだけで、故郷を奪った元凶に対する憎しみは消えていない。セナは自分で見たものを否定するほど子どもではないが、全てのわだかまりを捨ててソラを信じられるほど大人でもなかった。


「セーナー。顔、怖いよ~?」


「っるせ。元々こんな顔だ」


 セナは相棒の締まりのない顔を見上げて口を尖らせる。


 何かを考えているようで、何も考えていないかも知れない、脳天気なロカルシュ。本能的に生きているからか、それとも故郷の自然信仰の教えが根底にあるからか、彼は理不尽なことであっても大抵の場合は世の習いだと受け流す。


 それは人に対しても同じである。


 どんな人間にも……大人にも子どもにも、彼は平等に接する(魔法院に関しては別だが)。


 そんなロカルシュに見放されることだけはしたくない。彼にさえ見放されてしまったら、何か取り返しのつかないことになってしまう気がする。


 セナはもう一度だけ振り返ってソラを見た。


 もしも、光陰の両側面を持つ彼女がいつか暗い方に傾いたなら。それを自分がこの目で見たのなら、その時は容赦なくその首を落とす。


 そうでない限りは保護・監視の対象だ。


 それを決めて、少年は前を見据えた。




 一方──。


 騎士の猛追を逃れたジョンとナナシは、碩都カシュニーから離れた森の奥深く、運良く見つけた洞窟の中で治療を行っていた。


「痛い……、痛いよジョン……助けて……!」


「まって。すぐにくっつける、から」


 ジョンは持って来たナナシの腕を切れた部分に寄せ、片方の手で彼の無事な方の手を握った。


「まりょく、かりるね」


「う……ん。何でもいい、何してもいいから……早く!!」


 ジョンはナナシ自身の魔力で傷を癒そうとしていた。握った手から彼の魔力を徴発し、それを反対側の手に移動させて自らの魔法として治療を行う。


 敵対した青年と違って、ジョンは特に痛みを感じることもなく器用に、そして正確に、切断された血管や神経、筋肉といった組織をつなげていった。完全に元の機能を取り戻すには相応のリハビリが必要だが、治療直後でも指先を動かすことくらいはできるだろう。


 ジョンは自分ならそういう治療ができると直感的に確信していた。


 案の定、ナナシの腕は傷跡もなくきれいにくっついた。


「どう? いたい、ない?」


「ちょっと痛い。あと痺れてる」


「かんかくは?」


「一応、指先まであるみたいだ」


「ほんとに? うごかす、できる?」


「何とか……」


 試しに指先を動かしてみると、軽くなら手を握ることができた。血色も回復し、血液も正常に循環しているようだった。


「くそ! チクショウ……。あいつら、絶対に許さねぇ。何で僕がこんな痛い思いしなきゃならないんだよ!? 何でこんな──!!」


「ななし。いいこにして、やすんで」


「でも!」


 怒りやら悔しさやらで興奮するナナシを制し、ジョンは自分の膝に彼の頭を乗せる。


「ぼくが、しかえしのほうほう、かんがえてあげるから。いまはおやすみ。ね?」


「……じゃあメッチャえげつないので頼むわ」


「おまかせ、あれ~」


 余って垂れ下がる袖をヒラヒラと振ってジョンは笑う。


 それは年相応の少女のように可憐で、見る者に哀憐の情を抱かせるあどけない笑顔だった。よもや彼女がその頭の中で、最終的に都市を一つぶち壊す計画を立てていようとは、ナナシでさえも思うまい。


 ジョンは南東の方向を見つめて笑みを深くする。


 目指すは南方の商業都市──クラーナ。そこまでの道中で()の悪行を世に広めてやろうと、彼女は小さな唇の間から尖った八重歯を覗かせた。

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