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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第二章 カシュニー
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第38話 「歪の杯 5/6」

 巻き起こる銃撃、爆撃戦を背後に、ジーノはエースのところまで戻った。薄い盾の中では依然としてノーラの傷を癒す施術が行われており、ケイの指にはめられた指輪の魔鉱石が煌々と輝いていた。


 一見すると手をかざして魔力を送り込んでいるだけのように見えるが、傷を癒すという行為はその見た目ほどに簡単ではない。魔法施術士が傷を癒す手法としては、治癒専用に開発されたの医療魔鉱石を用いて、まず自分の魔力を属性の偏りなく中和し、次いで患部になじませて細胞の再生を促進する形で治療を行う。


 そのため施術士は人体の細部──それこそ爪の先、ささくれた皮の一枚に至るまで、構造や仕組みを熟知していなければならない。そして、患者と自分以外の存在を意識から消し去るほどの集中力も必要になる。


 ケイは今まさにその状態にあった。


 ジーノはそんな彼女の邪魔にならないよう、盾の外からエースにこっそりと話しかけた。


「お兄様、お知恵を貸してください」


「どうしたんだい?」


「あの男性の使う魔法のことで、少しですが分かったことがあります」


「聞かせて」


 ジーノはナナシが口にした言葉をそのままエースに伝えた。彼がフランに認められた聖人であること。光の加護を受けた魔力はこの世界の人間が扱う四属を打ち破る上位の魔法であるらしい、ということだ。


「聖人だって……?」


 エースは驚きながらも、いつぞやの自分の推論が実際のところ的を射ていたのだと知って、胸のわだかまりが解けていくようだった。やはり光と陰の二属であっても、善悪が問われるのは使う側のことで、魔力に善し悪しはなかったのだ。


 一方で、ソラに刃を向けた自分の行動がいかに軽率だったかを思い知り、今頃になってぞっとした。エースはノーラを励ますソラの横顔を見て、もう二度と繰り返すまいと心に誓う。


「上位魔法というのは、本当にそう言っていたの?」


「はい、確かにそう聞きました。あの少女はジョウイ、ゴカン? などと言っていましたが……」


 それを聞いて腑に落ちたと頷いたのはソラだった。


「上位互換か。どうりでジーノちゃんの盾が役に立たなかったワケだね」


 彼女はノーラの額の汗を拭った布巾を握って悔しそうに呻いた。


「何で私、魔法が使えないかな。肝心なところで役に立たないじゃん……」


 聖人であるというナナシがその上位魔法を使えるというのなら、ソラも半分ではあるが光の加護を受けているのだから、同じ能力を有しているはずなのだ。


 それは本来であれば、ソラたちにとって大きなアドバンテージとなるはずだった。自らの母を間違えるほど精神が乱れているナナシは、どうやらソラが自分と同じ世界の人間だという考えには至っていないようなのだ。


 意表を突くにはもってこいの状況である。


 だが、ソラはその千載一遇のチャンスをものにできない。


 どうして自分はいつもこうなんだ……ソラは硬く握った拳で自分の膝を叩いた。


「ソラ様、ご自分を責めないでくださいまし。それよりも、あの男性はソラ様と同じ異世界の人間なのですよね? 何か弱点など分かりませんか?」


「生まれた世界と、国もたぶん同じだと思うけど、名前も知らない他人だし……弱点なんてそんなもの……」


 普通に殺せば死ぬであろうことくらいしか思いつかない。気落ちするソラの向かいで、エースは熾烈な攻防が続く戦場をぼんやりと眺めながら呟いた。


「上位魔法……。魔力を、借りる……」


 それはジョンが言っていた言葉だった。実を言うと、エースはその方法に心当たりがある。


 他人との魔力のやりとりは魔法施術士にとって基礎の基礎である。施術士にはなれなかったものの、エースは人の傷を癒す者としてその辺りの知識も一通り修得している──だからこそ、思いついた。貸す側が構成式を編み上げて他方に譲渡するそれを、もしも逆にできたのなら。


 他者の魔力を徴発し、自分の力とすることができたならば。


 エースの頭の中で現状の打開策が練り上がっていく。


「ソラ様、力を貸してください」


「何か妙案でもあるの?」


「はい。上手く行くかどうか分からない、一か八かの賭みたいなものですが……」


「いいよ。私で力になれるんなら、何でも」


 簡単に了解したソラに、エースは若干の不安を滲ませる。


「何もヤケになってるわけじゃないよ? 同じ異世界人として、あの人が悪さしてるのを見過ごせないから」


「ソラ様……!」


 兄妹は同じような輝きを目に浮かべてソラを見た。


「待って待って、だからってその目はやめて。見過ごせないとか言ったけど、これね、正義感とかじゃ全然ないんだ。私のはもっと、打算的なもので……」


 エースは何であれ構わないと言って、彼は頃合いを見てケイに話しかける。


「師匠、しばらくこの場を離れます」


「ああ、山場は越えた。構わんよ……行ってこい」


「はい」


 不安がるノーラには、ケイが「お前を助けるためだ」と言って説得した。


 エースとソラは盾から出て、騎士に取り囲まれるナナシたちと、治療を続けるケイとのちょうど中間地点に立った。


「ジーノ、合図したら騎士様たちを退去させて」


「はい」


 エースはソラを隣に立たせるとその肩を抱き寄せ、海色の瞳を金色の睫毛に隠した。その仕草にソラは胸が高鳴らないでもなかったが、さすがに馬鹿を言っている空気ではなかった。


 エースは右手で剣の柄を握り、血潮とともに巡るなけなしの魔力をかき集めてソラの肩を抱く左手に収束させる。医療用の魔鉱石を持ち合わせていない彼がやろうとしているのは、ジョンと同じく石なしでの魔法の発動だった。


 手の平に湛えた魔力を五本の指先に均等に割り付け、その一本ずつにこれから行う魔力徴発の構成式を編み込んでいく。


 途中までは魔力譲渡の式と同じだ。やり方は注射針を刺して薬液を注入するのに似ている。個人個人で異なる特性を持つ魔力を中和し──つまり地水火風の四属性を均して、自分の魔力を相手の体に流し込むのだ。


 ここで一つ気がかりなのは、ソラの持つ魔力がエースと同じ四属ではないことである。


 これまでに異世界からやってきた人間と魔力のやりとりをした例は、エースが知る限りではおそらく、ない。


 同じ四属間でしか行われてこなかった譲渡という行為を、上位に当たる二属と行って果たして成功するのか?


「……」


 考えてみても分からないことだった。エースは余計な懸念を捨て、譲渡から徴発に転換する式を編み上げ、他人の魔力を体外へ抽出し自分の体へと流し込むための準備を始める。


 魔鉱石のない魔法の行使には一つの間違いも許されない。


 まだ魔力は己の中にあるというのに、エースの意識は既に遠のき始めていた。それを必死に引き留め、食い止め、もう五本の指先以外は壊死したような感覚に陥りながら、


「ソラ様……失礼します」


「え……?」


 いよいよという段階でソラをその胸に抱き寄せて、背中から彼女の心臓を鷲掴んだ。


 実際のところエースの手は背中に触れているだけだが、その指から放たれた魔力は確かにソラの心臓を握っていた。


「イ゛……ッ!? あ、が……」


 ソラが感じるのはまるで皮膚を裂き、肉を分け、骨を断って、実際にエースの手によって体を抉られているかのような痛みだった。


 否。それはもう、痛みという言葉で言い表せる範疇を越えていた。


 ソラに叫び声を上げるような余裕はない。彼女は声にもならない雑音を喉から発し、涙を浮かべ、痛覚だけで構成された世界でもがいていた。


 火の海で焼かれているような、あるいは硫酸の池で溶けるような。痛くて痛くて、ただひたすらに痛みしかない世界。


 痛い、痛い。痛い。いたい、イタイ。


 頭の中で何度繰り返しても、痛みという感覚が言葉に乗り移って髪の毛の先から抜けていくようなことはなかった。


 いつまでもそこにある。


 イタイ、イタイ、イタイ……それでもソラは、痛みを取り除く呪文のように念じる。目の前が真っ暗になって意識が遠ざかり、頭の片隅に見たことのない景色が描かれていく。


 真っ白な白銀の世界の中、雪の粒が針のように全身を突き刺す……。


 何をされているのか。


 何をしているのか。


 彼女には分からなくなっていた。だからソラは自分がいつの間にかエースの肩に噛みついていたことにも気づいていなかった。


「ぐ……ぅ、っ!?」


 エースは肩の痛みに顔をしかめたが、ソラの様子から察するに彼女の痛みはその比ではないのだろうと分かっていた。けれど、どうなろうともこれをやり遂げなければナナシたちを退けることはできない。


 エースはソラの魔力の中でも太陽のごとく暖かに感じるそれを掴み取る。


 途端に血が沸騰するような灼熱が全身を駆け巡った。


 それを耐えて、彼はソラの魔力を自分の手の内に移し変え、右手の剣へと移動させる。骨を内側から砕かれるようだったが、それが切っ先へと乗った瞬間、エースは叫んだ。

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