第33話 「その目を開いて 2/2」
対峙の瞬間はしばらくしてやってきた。
心配の代わりに、緊張のあまり具合が悪くなるソラの背中をジーノがさすっていた時のことだ。
以前と同じく、色黒の少年は気配を絶って木陰から現れた。
「ようやくお出ましですか。じらすにもほどがあります」
「はぁ? なに言ってんだ?」
「なにって……」
ジーノがフクロウのことを言おうとすると、少年の後ろについてきていた相棒の青年が焦った様子で口の前に人差し指を立てる。
その仕草にソラとジーノは首を傾げた。敵意をむき出しにする少年と違って、青年の方からは敵対する意志が伝わってこない。前に顔を合わせた時もそうであった気がする。我を見失って暴れ出した少年を止めていたことを思い出し、ソラはジーノの肩越しに彼の方を見た。
そのつもりだったが、自分を見たと誤解した少年に睨み返されてしまった。
「つーかそこに転がってんの誰だよ。この前の奴じゃあ、ないな?」
「いや、その、あの。彼は……」
諸事情あって捕獲しましたなどとは言えず、ソラは口の中でもごもごと言い訳を考えていた。その間に、囚われの騎士の方に駆け寄っていった青年がその拘束を解く。
「お兄さん大丈夫ー?」
「げほげほ……何とか……」
騎士は息も絶え絶えに、「道に迷った青年の話を聞いていたら突然背後から襲われて身ぐるみを剥がされた」と端的な状況説明をした。
「ほほう? となると、その道に迷った奴がもう一人の、あの勘のいい仲間だな。今は姿が見えねぇが、用済みになったんで殺したか?」
「そんっ!? そんなことするわけないでしょ!」
「うるせぇな。ま、んなこたァどーでもいいんだ」
少年は足を不自然に力強く踏んで、一歩前に出た。そのすぐ後に、ソラたちの足下に小さな振動が伝わった。
地面からの攻撃を防がれた少年は、うんざりといった仕草をした。
「やっぱこの前と同じで下まで覆ってやがんのかよ」
「ええ。ですから、貴方は私たちに指一本触れられません」
「へーへー。ご大層なこって」
少年はジーノと視線を戦わせながら、ゆっくりと盾に近づいていく。
「それならそれで、こっちにも都合がいい。俺との間にこの盾がある限り、お前は俺に攻撃できないわけだからな」
そして彼は盾に銃口を突きつけ、引き金を引こうとした。
「ちょっと~、今度は冷静にやるんじゃなかったのー? 私、前みたいに怖い思いするの嫌だからねー!」
「……分かってるよ」
青年が後ろから呼びかけ、少年の瞳に燃えかけた敵意の炎に水をかけた。少年はくすぶる炎を抱えたまま銃口を天に向け、ジーノから顔ごと視線を逸らして長く息を吐き出す。彼はそうして気持ちを入れ替え、冷静を取り戻して顔を上げた。
「そうしたら金髪女、お前に一つ聞きたいことがある」
「あら、何でしょうか。突然に」
「お前、魔法の構成式を正確に理解してるか?」
少年が聞きたいのは、数日前に彼を閉じこめた石棺のことだった。
「きちんと構成式を編んであれば、三日経っても出られたかどうか分からない魔力量だったのに、たった一日の足止めで抜け出せたのがずっと不思議だったんだ」
「そうだったのですか。早く出られてよかったですね」
ジーノはにっこりと笑って手を叩いた。
「ええそう、貴方の言う通りです。私、アレコレと頭の中で難しく考えるのが苦手なもので。魔法の使い方は感覚と経験だけを頼りに覚えました」
実を言うと、ジーノは魔法の原理も理論もほとんど理解していない。どうしても兄のようにすんなりと頭に入ってこないのだ。だから彼女は魔法の使い方を、失敗と成功の経験を何度も繰り返して体で覚えた。
「穴だらけの構成式を、単純に相手を上回る魔力で補強して機能させてるってか。魔法も魔力も……頭の中もデタラメな奴だな」
「よく言われます」
照れる仕草をしたジーノに、少年が「褒めてねぇよ」と突っ込む。
「だがその無知のおかげでこっちは助かるぜ」
「左様ですか。それで? お話には続きがあるのでしょう?」
「お前がこっち側に魔法を放つには、まずその分厚い盾を解かなきゃならない。慣れた奴なら外に魔力を通す穴でも開けりゃあいいわけなんだが……」
基礎知識もないお前にそんな繊細な差配ができるのか?
少年は上半身を逸らして低い位置からジーノを見下し、あからさまな挑発を仕掛けてきた。ジーノはかろうじて微笑んだまま、眉間のしわを深くした。
「さて、どうでしょうか。分かりかねま──」
「まぁ仮にできたとしても、その穴を俺が見逃すわけがない。そのための『眼』だ」
少年は自分の両目を指さして得意げな表情を作る。
「ああ、そうでした。貴方、魔力の痕跡を見ることができるのでしたね」
「そうさ。俺は魔力の痕跡を見る目を持っている。これがあれば、お前の盾に開いた穴の場所なんざすぐに分かる」
「そんなこと……」
「できないと思うか? 残念だったな。できるんだよこれが。さらに言えば俺はこう見えても魔法の扱いは得意でな、その穴がどんなに小さくても瞬時に射抜く自信がある」
「……」
魔力の痕跡を察知する能力とは、その場に残留するそれを感じ取るものだとジーノは聞いていた。「その時」「その瞬間」の魔力の存在を感知するものではないはずだ。
だが、ジーノは自分の記憶に自信がなかった。生きていく上で最低限必要な学問や常識的なものはスランから教えられたが、元々勉強が苦手だった彼女はその中でも覚えておくことを取捨選択していた。
何もかも記憶しておけるエースと違って、ジーノの知識は穴だらけだった。だから、少年の言葉を疑うことはできても、否定することはできなかった。
加えて、彼の射撃の腕についてもどの程度のものか分からない。もしも彼の言っていることが全て本当にできるのだとしたら、ジーノはソラを守りきれない。
少年が不敵に笑う。
「それが分かったら冷静に、持久戦といこうか。お前の魔力もさすがに無尽蔵ってわけじゃないだろ?」
彼はどこか勝ち誇ったように言った。
魔法の連続使用は心身にかなりの負荷がかかる。ジーノはいつぞや、倒れたときの疲労感を思い出して顔をしかめた。こんな時に兄がいてくれれば、きっと妙案を思いついてくれるのに。彼女は奥歯を強く噛みしめ、己の無力と無知を呪った。
そこにきて、今まで黙っていたソラがジーノの服を引っ張って耳元で声を潜めて話しかける。
ジーノは目の色を変えて首を左右に振った。
「そんな、駄目です。危険ですよ!」
「お願い」
「……」
ジーノはソラの真剣な眼差しに負けて渋々頷いた。彼女は一歩下がってソラの隣に立ち、杖を掲げたまま少年を睨みつけた。
「──貴方の方から動かないと言うのであれば、この無駄な時間を有効に使わせていただきましょう」
その後の話をソラが引き継ぐ。
「そしたら騎士様、その間に私の話を少し聞いてくれません?」
「お前……またそれかよ」
「ええ、またですよ。私が魔女ではないっていう話です。あとそれから、フラン博士を殺したなんていうのも誤解だと言っておきたいですね」
ソラは自分の足が震えるのを恐怖ではなく痛みのせいだとを思い込み、努めて平静に振る舞った。
「私はこの世界の誰も苦しめたいなんて思ったことはない」
「んなもんお前がそう言ってるだけだろ? だいたいこの話は俺の中じゃもう終わってんだよ。お前の魔力には陰りがあった、だから魔女。これで結論だ」
「だからそれ、短絡的すぎですってば。子どもの喧嘩じゃないんだから……」
「アァン?」
考える前にうっかり口から出てしまった言葉に、少年は案の定つっかかってきた。ソラは子どもの扱いがあまり得意ではない。それはソルテ村で五人組の相手をしたときに痛感していたが、ここでもまた同じような失敗をしている。
しかし、その失敗に対して相手のご機嫌をうかがうのは、自分をさらに弱い立場に陥れる下策である。ソラは少年の尖った視線を正面から受け止め、呼吸を整えてから口を開いた。
「ああもう、この際だからもう全部言う。子ども扱いされるのが嫌なら自分の主張ばかりをするんじゃなく、ちゃんと私の言葉も聞いてよ」
「何だと?」
「キミは私を魔女だという。しかし私はそれを否定した。なぜそう言うのか? きちんと追求するのが大人の理性ある態度ってもんでしょ。それができないならキミは自分の意見を押しつける駄々っ子と同じだ」
「……」
「あとそれからね、この世界じゃ知られてるかどうか分からないけど、ないことの証明──消極的事実の証明ってのは難しいものなんだよ。それは逆の立場になって考えてみればすぐに分かることだ。分かるよね? けれど私はこの子たちと一緒に自分が魔女じゃないことを証明できる手がかりを探している。自分で納得して、自信を持って私は魔女じゃないと言うために、自分の手でその根拠を探してる」
息継ぎをすればその間に少年が口を挟んできそうだった。そんなことをされればまた言い負かされてしまいそうな気がして、ソラは自分の言葉の上に自分で声を重ねるようにして話を続けた。
「キミはどう? 自分自身で私が魔女である証拠を探した? とりあえずそっちが言う証拠は魔力の陰り云々だけど、これに関して言えば、私は同時に光の加護も受けてるって言ったんだから、まずはその主張の真偽をキミ自身の目で確かめてみるべきだよね。そして私の主張が本当だったと分かったら、どうして聖人の証明たる光の魔力と魔女の魔力が同時に存在しているのかって疑問が浮かぶはず」
そこまでを一気にまくし立てて、ソラはようやく一息ついた。
「ねえ、光の加護を無視して魔女だって断言した根拠はいったい何なの?」
「それは……」
言いよどむ少年に代わって、青年が言う。
「ごめーん、魔女さん。私たち、それ聞いてないんだ。知らなかったのー」
申し訳なさそうに頭を下げる青年に、ジーノの眉がぴくりと動く。
「知らなかった、ですって? つまり貴方がたは、魔法院の嘘を鵜呑みにして自分で考えることを放棄していたということですか」
「うーん。嘘って言うか……あのジジイだったら言い忘れただけ、とかってしゃあしゃあと言いそうだけど。でも、疑いもなく信じ込んだのは確かだねぇ……」
「貴方がたは自分が愚かだとは思わないのですか!? 王国騎士が聞いて呆れます!」
怒りの足音で一歩を踏み出すジーノをソラが引き止める。
「まぁまぁ、キミ。そう熱くならないの」
「しかし……!!」
ソラは自分の代わりに怒ってくれるジーノの存在をありがたく思った。だが、ソラにはこれ以上、相手の過失を責めるつもりはない。
ソラはジーノに、少しの間でいいから何も言わずに見守ってくれと頼んだ。そして、渋々といった様子で後ろに下がるジーノに礼を言い、騎士たちに向き直る。
「なるほど。そちらのお兄さんの言を信じるとすれば、貴方たちは陰の魔力を見たとしか聞かされていなかったと。そういうことだったのなら……うん。分かった」
過去に何があったのかは知らないが、少年は魔女をひどく憎んでいる。殺したいほどに、強く。
そうしなければ今の自分を保つことができないまでに、深く。
そこに魔女の疑いがある人物──仇敵が現れたとなれば、飛びつかないわけがない。ましてやまだ十代の少年が、自分を見失わないわけがない。
だからソラは「知らなかった」という言葉を聞いても、少年に腹を立てなかった。いや、実際には少し頭にきたが、その感情をわめき散らそうとは思わなかった。間違いを指摘して相手に恥をかかせるのは、大人が子どもに対して取る態度ではない。
いいや。誰に対しても、それはするべきではない。
「なら、あのクソハゲの出した結論ありきの話じゃなく、キミの目で見て、公正に、天秤に偏りがない状態で考え直してみて。もう一度初めから順を追って、矛盾なく納得できる真実を探してみて。それでもキミがまだ私を魔女だというのなら、その時はこの世界が……魔女であることを言い訳にすれば無実の人間を私刑に処すことが許される世界で、そういう時代だったと私は理解する」
そうなれば、もちろん交渉は決裂だ。
弁明の余地もなく、ソラは必ずや魔女として裁かれるだろう。それを受け入れられないソラは、今度こそ本気で逃げるしかなくなる。
ジーノとエースを巻き込んで、スランに恨まれたまま、どこまでもどこまでも……遠くへ行かねばならないのだ。
そう決心してしまうと、ソラの顔には自然と笑みが浮かんだ。それは達観の表情と言えば聞こえはいいが、その実ただの諦めであり、世界に見切りをつける予兆だった。
何の期待も持ち合わせない虚ろな顔。
それは絶望とも言う。
少年はその顔に似たものを知っている。
自分が鏡の前に立てば必ず映り込む顔だった。
「お前……」
少年が何かを言おうとしたとき、その後方──都を囲む外壁の門がある方向から突如として爆音が鳴り響いた。
「何だ!?」
後ろを振り返って黒い煙が立ち上っているのを確認した少年は、当然のことながらソラを振り向いて「お前がやったのか」という顔をする。
「ち、違うよ! 私たち何もやってないから!」
盾の内側にいるソラたちが何かをできるわけがないことは分かっている。だとすれば怪しいのはここにいないもう一人の従者だが……少年はめまぐるしく考える。
一方で、ジーノは憂いの目で高くそびえる壁を見上げた。
「お兄様……!」
心配なのは言うまでもなく、エースのことである。ソラは彼女と同じように壁を見上げ、自分のために危険を冒して都に潜入したエースの後ろ姿を思い出す。
彼はいざとなれば二人で逃げろと言っていた。それに対してソラは、そんな事態になったら自分を差し出して兄妹を救う選択ができるかと不安に思っていた。
しかし、実際にもしもの状況に直面してみると、迷いはなかった。
「行こう、ジーノちゃん!」
「ソラ様?」
「行かなきゃ。エースくんに何かあってからじゃ遅いよ!」
「は、はいっ!」
それが決まれば盾を解かねばならないが、ジーノはそこで二の足を踏んだ。それを察知したソラが彼女の杖に手を重ねて騎士たちに構える。
「馬鹿か! その盾の中にいる限り魔法は──」
「おっと? 騎士様はお忘れかな!? 私が操るのは光と陰の魔法だ。キミたちの使う魔法とは格が違うよ!」
それは完全なハッタリだったが、向こうにとって魔女の魔法は未知数である。騎士たちは一歩下がってジーノがしているのと同じように地中も含めて盾を展開する。
相手の反応がほんの一呼吸でも遅れればそれでいい。
彼らが守りに入った時点でソラたちの優位は確定していた。ジーノはソラがぶつぶつと適当な呪文を唱えるのにあわせて雷の魔法を編み始めていた。
「彼方より此方へ! 我が聖剣よ、来たれ!!」
ソラが杖を高く掲げたその時、ジーノは盾を解くと同時に騎士たちの直上に稲妻を落とした。少年がしまったという顔をしたが、今頃気づいても遅い。
景色が白と黒になる一瞬、盾を打ちひしがんとする雷光から身を守ることで精一杯の少年たちの目の前で、ソラとジーノは地面から伸びる石柱に乗って頭上高く、カシュニーの壁を越えていった。




