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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第二章 カシュニー
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第31話 「黒衣の魔術師」

 碩学の都──碩都カシュニーは今でこそ絡繰り(カラクリ)が発達した先進都市として知られているが、その歴史は森の中に掘られた穴蔵から始まった。


 否、穴蔵と言うよりは、モグラが掘る穴のように横に縦にと際限なく広がる通路と言った方が正しい。曲がる道や下りる階段を間違えれば、地上には戻れなくなる迷宮。至る所に仕込まれた明かり石が輝く不夜の世界は、知識の保管庫であった。


 通路の壁には一面に本が並び、その内容は多岐に渡った。魔法に関する知識はもちろんのこと、今日の献立から家の建て方、子育ての指南書までそろっており、節操なくかき集められた書物は果ての見えぬ通路の奥まで詰め込まれていた。


 旧カシュニー領の人間はその知識を元に魔法を発展させ、密かに他領の一歩先を行く魔法兵器を開発し、大陸統一の際には旧王国(現在の王都を領土としていた国)を支援。圧倒的な技術の差を見せつけてその大成に貢献した。


 しかしその後、カシュニーは秘蔵の知識が外に漏れることを嫌って地下への入り口の上に塔を建てて隠してしまった。碩都はその塔を中心にほぼ真円に近い形で壁に囲まれている。


 現在、塔前の広場から少し外れたところには、地方の名を冠する都にふさわしい絢爛な佇まいで教会が建っている。白い壁に色とりどりの玻璃がちりばめられた大礼拝堂は、長らく雨が続いていたというのに雫が垂れた染みもなく綺麗に保たれていた。


 他の地域であれば敷地内には文庫が併設されているが、地下に迷宮図書館があるカシュニーにおいてそれは必要なく、代わりに広々とした庭園が造られている。


 大礼拝堂と中庭を挟んで向かいには教会を管理する人間や魔法院からの出向者が詰める建物があり、その最奥の角部屋に彼女はいた。


「悪いけれど、もう一度言ってもらえる?」


 壮年の女は椅子に腰掛けながら、机の上の通話装置に向かって話しかけていた。


『ですから、博士にお会いしたいというご婦人がお見えで……』


「その後よ。あ・と!」


『眼帯をした黒衣の──』


「無駄に大きな胸を隠しもせず強調した破廉恥な格好の筋肉年増?」


 細く巻いた煙草を挟んだ指でこめかみを叩き、彼女はひどく気怠げに煙を吐く。しわの痕がついて久しい眉間に、余計に深い谷が刻まれる。


『おーい。いくら旧知の間柄といえど、その言い方はひどいぞノーラ』


 彼女──ノーラはその低音を聞き間違えたりしない。


 それは今でも耳の奥で思い出すことのできる親友の声だった。


「本当のことでしょう?」


『頼むから入館を許可してくれ。約束が入っていないとかで、もう受付でずっと待ちぼうけなんだ』


「そのまま一生待ちぼうけていればいいのよ」


『ほ~う? そういう意地の悪いことを言うのだな。ならば私にも考えがあるぞ』


 椅子を引く音がして、どっこいしょと通話口の声が言った。その後に話が続くかと思いきや、相手は遠くの方に声をかけ、茶と菓子を要求した。


「ちょっと、居座るつもり?」


『待っていろと言ったのはお前だろう?』


「言ってないわよ」


『それでな、ただ待っているのも暇だから受付のお嬢さん方とお茶会をしながら、少し昔話をしようかと思うのだが』


「話を聞きなさ──」


『聞いてくれお嬢さん。昔、私とノーラとで絵の具爆弾なるものを作ったことがあってな。計画では爆発で壁一面に虹が広がるはずだったんだが、実際にやってみたら──』


「そ、その話はやめてちょうだい!」


『よく考えれば虹なんぞ描けるわけがなかったのだ。ああそうとも、みーんなごちゃ混ぜの何とも言い難い例のアレ的な汚い色に染まってしまって、結局大人たちにこっぴどく怒られてしまった。私もノーラも尻を叩かれて──』


「分かった! 分かったわよ! 許可すればいいんでしょう? 私も暇じゃないんだからさっさと用事を済ませて帰ってちょうだい」


『ふははは。では今からそちらに向かう』


 ブツン……と、向こうから通話を切られてノーラは思わず煙草を落としてしまった。彼女は机の上でじわじわと燃えるそれを慌てて取り上げ、灰皿に押しつける。


「まったく、忘れた頃にふらっと戻って来るんだから。困ったものね」


 ついつい、つっけんどんにしてしまうのは気心が知れているためか。それでも来客は来客である。きちんと迎えようと部屋の中を少しばかり片づけていると、部屋の扉を叩く音があった。


 ノーラは片づけの手を止めて矢のように早く椅子に戻ると、いつもより深く腰掛けてどっしりと背もたれに寄りかかった。


「どうぞ。開いてるわ」


「失礼する」


 扉を開けて入ってきたのは、ノーラが通話口で言ったとおりの格好をした女だった。


 一番に目を引くのは、その中に球でも入っているのではないかと疑ってしまうほど(そして年齢不相応なまでに)形の整ったふくよかな胸だ。ノーラは会うたびに見せつけられるその部位について、豊満を通り越して肥大だと感じていた。


「相変わらずイヤミな格好だこと」


「何だ? うらやましいか?」


 服装も体型も、肌の状態でさえも、六十近くの人間には見えない。それほど若々しい友人に、嫉妬を覚えるなという方が無理な話だった。


「年甲斐がないって言ってるのよ」


「だってお前、この体型を維持するのにどれだけ苦労をしていると思う? それはもう大変なんだからな。これは見せなきゃ損だろう」


「大切に仕舞っておけばいいじゃない」


「そうは言うが、見られるというのも何気に大切でな。見場が悪くないように維持しようと体を鍛えることが、結果として若さにつながるのだ。筋肉はいいぞ。お前も部屋の中で座ってばかりいないで少しは外に出て体を動かせ」


 そんな彼女でも隠すことのできない加齢は髪の毛である。白髪については諦めているのかあるがままにしているようだが、根本の張りがなくなってきていることはそれなりに気にしているらしい。


 前髪をたっぷりと持ち上げて、萎び具合を隠している。


「お前は知らんかもしれんが、筋肉は若さを保つ上で必須だ」


「脳まで筋肉になったんじゃ目も当てられないわね」


 ノーラはそう言ってため息をつくが、実際には友人が思考まで筋肉に支配されていないことを知っている。


 眼帯に隠れた方も含め、その瞳には叡智の輝きがある。


「その眼帯、外したら? ここには私しかいないわけだし、誰も見咎めたりしないわよ」


「ふむ。ではお言葉に甘えて……実を言うとさっきから転びそうで歩くのに難儀していたんだ。物も上手く掴めんしなぁ。いやはや、助かるよ」


 彼女は豪快に笑いながら、その右目を覆う布を取り去る。彼女の瞳は左右で色が異なり、左目が青灰色であるのに対して、隠していた右目は金に彩られていた。


「まったく、カシュニーの悪しき観念はいつになったらなくなるんだかな……」


 その瞳のせいで、これまでどれほどの屈辱を味わってきたことか。学問の機会さえも奪われた経験を持つ彼女は、ぎりりと歯を剥いて悔しさを露わにした。


 耳に痛い話題を一刻も早く切り上げたいノーラは、咳払いを一つして本題に入った。


「それで、何の用なの?」


「ん? ああ、そうだったな。用というか、お前の無事を確かめに来たというか……」


 無事を確かめる、とは穏やかでない。ノーラはそれに心当たりがあって、眉をひそめる。


「貴方も知ってるのね? あの魔女狂いのこと」


「ああ。フラン博士が亡くなったそうだな」


「そう、死んだのよ。聞いたところによると殺されたらしいわね。そして次の標的に私が選ばれたのではないのかと、現場を検分している憲兵から連絡があったわ」


 顔を真っ二つに裂かれた肖像があったと聞いて、さすがのノーラも青ざめた。殺人犯に狙われているということ以上に、フランが未だに自分の肖像を持っていたことが空恐ろしかった。


「お前、それを聞いて何か対処はしたのか?」


「必要ないわ。そんなもの」


「しかし噂だと『宿借り』なんぞと呼ばれて、あちこちで凶行を繰り返しているらしいじゃないか」


「そのようね。ついでに言えば、その足取りは確実にここへ向かっている、と」


「だったら護衛でも何でもつけるとか、考えてみたらどうなんだ?」


「貴方ね、私を誰だと思ってるの? 行く行くはここカシュニーの元老にと推されている大魔法使いなのよ。私で相手にならないならこの都にいる誰も敵いっこないわ」


 ノーラは自信たっぷりにふんぞり返り、友人を見下ろす。


「なあ、ノーラ」


「何よ?」


「話は変わるんだが……」


 彼女は言いにくそうにして、それでもやはり聞いておかねばならないと決心して、先を続けた。


「お前、子どもがいたのか?」


「は? 子ども?」


「検分の責任者を任されている憲兵が知り合いなんだが、奴から妙な話を聞いたんだ。現場に子どものものと思わしき足跡や手形があった、と」


「……」


「まさしく後ろ暗いといった顔だな。心当たりがあるということか」


「し、知らないわよ。私、そんなの……」


「友人以前に人として言うべきことは多々あるが、お前がその子をどうしたかは聞かないし、今はそのことでお前を責めるつもりもない。私がここに来た目的はそれではないからな」


 ノーラはこういった、親友の公正な物言いが苦手だった。いっそのこと人でなしと罵ってくれれば、開き直ることができて楽なのに。だのに彼女はそれをしない。しないことで相手を責める。


 ある意味、説教をされながら尻を叩かれるよりも辛い仕打ちである。


「……その子が、あの男を殺したって言うの?」


「可能性があるという話だ。それから、どうにも単独犯ではないようなんだ。だから警戒するなら──」


 そこで突然、通話装置の豆球が点灯した。受付からの呼び出しがかかってきたのだ。


「急ぎの用かもしれん。私に構わず出てくれ」


「悪いわね」


 ノーラは豆球の横にある突起を押し、受付との回線を繋ぐ。


『失礼いたします。あの、また博士にお会いしたいという方が……』


「今度は誰よ?」


『騎士の方が博士に面会したいと言って、こちらに来ています』


「騎士が? なぜ?」


『フラン博士のことでお話があるそうです』


 聞いた瞬間、ノーラは表情を曇らせた。状況も状況であるため、あまり立て続けに聞きたい名前ではない。ノーラの気が進まないのを察してか、親友が彼女の代わりに立ち上がった。


「どれ、まず私が顔を見てやろう」


「ちょっと、貴方。そんなところまで出しゃばらなくたって……」


「遠慮するな。ここは私に任せてくれ」


 彼女は気を使わないでほしいと言うが、それを言いたいのはノーラの方だった。この年になってもまだ年下扱いされているようで癪に障る……いや、違う。そうではない。理解できないのは、ノーラが決して善良とは言えない人間であると分かって、どうしてまだ庇ってくれるのか? ということだった。


 それが分からなくて──自分がもしも彼女の立場だったらと考えてみても、その行動の理由が理解できなくて、胸がモヤモヤとする。


「何で貴方は、そうやって……」


「ふむ、お前は理由を求めるか。そうだなぁ、お前は確かにやっかいな性格だし、人としてどうかと思うこともある」


「否定はしないわ」


「それでもお前は同郷の友──そうとも、我が親友であり、幼い頃に私を絶望の淵から救ってくれた恩人だ。私はそれを決して忘れない」


 それはもう、気が遠くなるほど昔の話だ。そしてこの友人が感じている恩義とは、ノーラにとってはとても些細なことだった。


 ただ一言、「好き」と言っただけだ。


 誤解のないように言っておくが、それは恋だの愛だのという話ではない。あくまで友人関係の延長として好ましく思い、慕っているという意味での発言だ。金の瞳を持つことを悔やみ落ち込む友人に、幼いノーラは本心から「私、目なんて関係なく貴方のこと、好きよ」。そう言った。


 当時、彼女がどれほど追いつめられていたのかは分からないが、その言葉で救われたと言う友人は今になっても律儀にそれを覚えていて、だからこそノーラがどんなに馬鹿なことをしようとも見捨てないと言うのだった。


「頼むよノーラ。私にお前を守らせてくれ」


 彼女は胸に手を当ててノーラの前で頭を垂れた。


「……勝手にしなさいよ」


 芝居がかった仕草も彼女がすると様になる。ノーラはわずかに頬が赤くなるのを感じながら、ぶっきらぼうに了承した。


「うむ。では面会希望の騎士とやらに会ってくるとしよう」


 彼女はそう言ってニカッと笑うと、黒衣の裾を翻してノーラの部屋を後にした。


 長く続く廊下を早足で進んでいって、自分も待たされた受付までやってくる。


「さてさて、ノーラに用があるという騎士殿はどなたかな?」


 受付の隣で腕組みをして仁王立ちになり、彼女は年相応に威厳のある顔つきになってあたりを見渡した。


「あ、はい! 俺──じゃない、私です」


 その騎士は自分の剣に足を引っかけ、けつまずきそうになりながら椅子から立ち上がった。結い上げた長い金髪が馬の尻尾のように揺れる。そして彼女の前までやってくるとその顔を上げ、海を思わせる青い瞳を大きく見開いた。


「え? あ、の。何で……?」


 驚いたのは彼女も同じだった。


 なぜなら、その騎士の顔を知っていたからだ。


 しかも自分の記憶が正しければ、彼は騎士などではなかったはずだ。


「誰かと思えば、エースじゃないか。ここで何をしている? というかお前、いつの間に騎士になったんだ?」


「ケイ師匠……」


 騎士の制服を着ているエースは居た堪れない思いで視線を逸らした。


 久方ぶりに会う魔術の弟子を見つめ、ケイは何となく、面倒ごとに巻き込まれることを予感していた。

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