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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第二章 カシュニー
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第29話 「憎しみの出ず場所 1/2」

 それは誰にでも起こりえる悲劇だった。


 それは誰もが自分に降りかかるはずがないと信じる悲劇だった。


 遠くの街で、村で、顔も名前も知らぬ誰かが巻き込まれて、「ああ、何てひどいことが起こったのだろう」「どうか魂が迷わず天に還るように」。そう胸を痛め、祈る出来事であると。


 グレニス連合王国──南方クラーナ地方、その東側にはプラディナム地方との境界である山脈が連なっている。それらの山々からクラーナ側の平地へと流れ出る川はいくつかあるが、中でも一番の大河は山裾から南西方向に流れ、それはある地点でその向きを南方に変えて大海へと流れ出て行く。雨が滅多に降らない気候ゆえ水不足が恒常化している同地方において、その川は地方全体の生命線とも言うべき貴重な水源だった。


 もともとクラーナは商業が盛んな(他の地方からは拝金主義と揶揄されることもあるほどの)地方であり、手桶一杯の水が時には金一攫にも値する。そうとなれば、大河の岸には自然と人が集まり街が生まれた。


 少年が生まれ育ったのはそのうちのリベットと呼ばれる地区だった。主に下級労働者が住まう地域で、位置としては川が流れを南方に変えて蛇行する場所にほど近かった。


 少年は地区の中でも美味いと評判の定食屋の子どもだった。彼には妹が一人いて、店が賑わう時間帯には二人一緒になって注文を取ったり、料理を運んだりして微力ながら店を手伝っていた。


 そんな少年が自らに備わる才能に気づいたのはいつの頃だったか。彼自身、正確なことは覚えていない。彼はごく当たり前に、いつの間にか「それ」ができるようになっていた。


 少年は魔力の痕跡を見る能力を持っていた。この痕跡を探知する能力は極めてとまでは言わないが、それなりに珍しいものであり、騎士や憲兵といった公の職に就く上でかなり有利に働くことが知られていた。


 加えて、幸いなことに少年には魔法の才も備わっていた。


 誰に教わるでもなく成長していく彼の魔法使いとしての素質。その声望は親から区長、区長から教会の祠祭を通して魔法院へと伝わり、彼は晴れてクラーナの都で魔法を学ぶこととなった。


 少年の人生は順風満帆。


 魔法院で職を得るか、学んだことを生かして騎士にでもなれば、少ない財産を工面して自分を都に送り出してくれた家族に恩を返せる。


 しかしながら、少年は故郷を離れてすぐに自らの凡庸を知ることになる。


 クラーナ地方全域からその才能を認められた人間が集まる中で、少年の能力はせいぜい中の下、といったところだった。魔法の実技もある一定まではそれなりに優秀な成績を残せたが、座学が苦手だった彼は扱う魔法式が高度になればなるほど、成績を落としていった。


 魔力の痕跡を見る能力にしても、数日と経てば見えなくなってしまう程度のもので、それを頼りに世の中を渡っていくというのは将来への展望としてあまり現実的ではなかった。


 そうして周囲の生徒との実力差がありありと見えるようになってきた頃、己の平凡さに打ちひしがれる少年は追い打ちをかけられるようにしてある事実を知る。


 それとは、自分の家からだけだと思っていた金銭の支援が、実は地区の知り合いや教会からもあったということだった。しかも相当な額であることを知り、彼は期待に応えなければと焦った結果、あれよあれよという間に坂を転がり落ちていった。


 留年の試験にすら落ち、少年は放院されることになってしまった。彼が院に居られたのはわずか一年だった。


 少年は魔法院を出た後も商都クラーナに残り続けた。彼が夢に破れたこと、そして故郷に合わせる顔がないことを知っていた下宿先の女将は、自分を手伝ってくれればしばらくは面倒を見ると言ってくれた。


 家族には現状を伝えられなかった。


 地区の人たちが、皆が必死に働いて稼いだ金を自分は無駄にしてしまった。


 ドブに捨てさせてしまった。


 そんなことを言えるわけがなかった。それは十二歳の少年が負うには重すぎる負債だった。


 それからの数ヶ月、彼は亡霊のようだった。朝早く起きて女将の仕事を手伝い、暇な時間を裏口で過ごし、必要な分だけの栄養を取って、暗闇の中で膝を抱える……その繰り返し。


 転機が訪れたのは放院から半年が経った頃だった。


 少年の様子を見かねた女将が、知り合いの騎士からある話を持ってきたのだ。王国騎士は将来、ともに国に仕えてくれる若い人材を探しているという。少年は一も二もなくその話に飛びついた。


 騎士としてのあり方を学ぶ座学は魔法院のそれに比べれば何の苦にもならなかったし、同期生の誰もが悲鳴を上げるような戦闘訓練にも少年は積極的に取り組んだ。


 彼はそこで後の相棒となる青年と出会った。養成課程を修了した後は、とある大人に痕跡を見る才能を買われ、あまり表向きな活躍はしないものの「特務」と名の付く隊に所属することが決まった。


 魔法院で学んだことは、近年開発された(がんず)という武器を扱うために大いに役に立ってくれた。


 故郷の自分への投資は無駄にはならなかった。少なくとも「全くの無駄」にはならなかったのだ。そう思うと、そろそろ帰省してみる頃合いのようにも感じられた。


 かれこれ、もう三年も帰っていない。


 一度顔を見せて、魔法院でのことを正直に話して、これからは騎士として国に尽くすと打ち明けるいい機会だ。月の給与からいくらかを送って返し、これまでの恩にも報いなければならない。


 悲劇はそう決心した矢先のことだった。

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