第28話 「貴方がそれを望むなら 3/3」
それは思いも寄らない帰結だった。
ソラもジーノも、エースさえも予測し得なかった発想に、三人は同時に言葉を失う。
ただ一人、そうなる可能性を危惧していた青年が遠慮がちに少年の袖を引いた。
「ねえ、それ──」
「うるさい。お前は黙ってろ」
「……」
少年はソラを見るのと同じような視線で青年を突き刺し、黙らせた。
「屋敷には見慣れない魔力の痕跡が残っていた。白くて、角の生えた、いびつな形の……」
「ちょ、っと待ってよ。そんなの知らないって!」
ソラは兄妹の後ろに隠されたが、弁明は己でせねばならない。彼女は自分をかばう二人の間から顔を覗かせて、少年の言を否定した。
しかし、それは彼の耳に届かない。
「お前が光の加護を──白き力を使って屋敷の人間を殺して回ったんだろ? とんでもねぇ奴だ。よりによって聖人の魔法をあんなことに……」
「違う! そんなことしてない! だいたい私は魔法なんて使えない!」
「使えない? それを証明できるのか? 使えないフリしてるだけだろ? お前が出てきた聖域も見つけたんだぜ。そこから森をさまよって、屋敷の外れにある小屋にたどり着いたんだってことも分かってる。お前さ、小屋に来た女中を殺しただろ。分かってんだよ」
「だからやってないってば!」
「そうだ、あの小屋にいったい何が居たんだ? そこの金髪女か? それとも隣の男か? いや違うな。あそこにあったのは子どもの足跡だった。その子どもをどうした? 一緒に屋敷の人間を殺し終わった後に同じように殺したのか? 遺体が残らないように燃やしたか? 人を殺した後で食った飯の味は? 美味かったか? 寝床ではどんな夢を見た?」
「キミは何でそんな……」
誤解を、と言うには少年の目はあまりに真剣だった。
真剣に間違いを信じていた。
「腕輪をつけたままにしとけば良かったのにな? そしたら言い逃れもできたのに、馬鹿だなお前」
「キ、キミの言っていることはおかしい」
「おかしい? どこが?」
「どこもかしこもだよ! 何一つ辻褄が合ってない! 仮に……仮にだけど私が出てきたのがキミの言う聖域からだったとして、ここからわざわざペンカーデルの魔法院まで行って、戻ってきて屋敷の人間を殺したって言うの? おかしいでしょそれ」
だいたい、ソラが現れたのはソルテ村だ。それより前に、彼女はこの世界のどこにもいない。話しているうちに、ソラの胸にはだんだんと怒りが沸いてきた。
「ソルテ村からは魔法院に宛てて手紙を出してる。異世界の人間である私をどう処遇すればいいのかって内容でね。少なくともその手紙が出された時点で私はソルテ村にいた。それから魔法院に出向いて、村に戻ってくるまではこの二人が一緒だったし、その後もずっと行動を共にしてる!」
嘘だと思うなら自分がこれまで立ち寄った街や村の祠祭に聞いてみればいい、とソラは叫ぶ。顔を隠していたソラ自身のことは印象に残ってなくても、一緒にいたジーノとエースのことはよく覚えてるはずだ。
ソラは息継ぎの間もなく続ける。
「ねえ、フラン博士が亡くなったのっていつ? いつのことなの? 正確に分からないにしても、遺体の状況から死後どのくらい経ってるか、ある程度は分かるよね? それ教えてよ。そうしたら、その時私がどこにいたか答えるから!」
「──でもいい」
「なに!? 聞こえないんですけど!」
「どうでもいいんだよ!! んなことッ!!!」
少年はソラの怒声を遮ると、銃のグリップでジーノの盾を叩いた。
ソラはそんな彼に「どうでもいいわけあるか」と反論したいのに、できなかった。
「知るか! 知るかよそんなこと!! 知ったこっちゃねぇよ!!!」
少年は何度も何度も、何度も繰り返し腕を振り上げ、どんなに強力な魔法でだって壊せない壁に鉄の塊を叩きつけた。
風がやんで、木の葉の囁きさえ聞こえない静かな森に、ただその音だけが響く。
「どうでもいい。何だっていい。関係ない……!!」
少年の否定をその通りだと肯定するかのごとく、銃で盾を叩く。それはいやにソラの耳に残って、トンネルの中で大声を上げたときのように、いくつにも重なって反響していた。
「父さん、母さん。イェリー……、イェリー……!」
機械的に単語を呟く少年の掠れた声が呪詛となって、ソラの胸をひどくかき乱す。
「許さねぇ。絶対にお前を、許さねぇからな!」
銃を握る手はいつの間にか体の横にだらりと垂れて、今度は反対の手が盾を引っかいていた。
「お前を殺す、絶対に殺す。生かして確保しろなんて腕輪もない魔女相手に、そんなの、わけの分からない魔法を使われる前に仕留めてやる!!」
「セナ……ッ!!」
少年の爪が割れて血が滴った。それを見た青年は彼を後ろから羽交い締めにして盾から引き剥がす。
「離せよロカルシュ!! 全部あいつのせいなんだ! ブッ殺さねぇと──!!」
「駄目! 駄目だってばー!!」
まさしく狂乱の体で少年は暴れ回った。
ところ構わず銃を撃ち、周りを囲んでソラたちを威嚇していた獣を追い払ってしまい、相棒であるはずの青年をも打った。理性をかなぐり捨てて、なりふり構わない様相の彼だったが、その目は逸れることなくある一点に固定されていた。
血肉を裂く矢のごとき視線。
それは何もかもを焼き尽くす怨讐に染まり、
ただ一人、ソラを凝視していた。
狂気の中で少年は銃を構え、
その銃口はソラの頭を撃ち抜く未来を望み……。
──撃たれる瞬間を想像してしまったソラは悲鳴をあげて一歩、二歩と後退した。
それをかばうようにしてエースが剣を構え……切っ先に反射した光がソラの目に飛び込んだ。
彼女の脳裏によみがえったのはソルテ村で切りつけられたときの恐怖だった。それまで自分の味方だと思っていた人間に刃を向けられた絶望だった。
恨み言をわめき散らす少年の目に、あの時のエースの目が重なる。
「忌まわしき魔女め!! お前のせいで俺は何もかも失ったんだ!!! 死ね! 死んじまえ!!」
そんなことを、あの瞬間の彼も思っていたのだろうか。
死んでしまえ。
殺してやる。
呪われろ。
言葉が頭の中を駆け回る中、エースが一度、後ろを振り返った。
その顔が、殺意で塗り替えられて見えた。
「ヒッ──!!?」
ソラは普段の鈍くささからは想像もできないほど俊敏な動きで体を翻し、エースやジーノ、騎士たちとは反対の方向に逃げ出した。
「ソラ様!?」
魔力を遮断するこの壁は外から敵の侵入を防ぐ代わりに、内からも出ることができない。
エースはソラを引き留めようと手を伸ばすが、彼は間に合わなかった。
ぶつかってしまう、と息を呑んだ時──ジーノの魔力を持ってして絶対の防御であるはずの盾をソラはまるで意に介さず、すり抜けて行ってしまった。
それを見たエースは疑問に思うよりも先に叫んだ。
「ジーノ! 騎士の足止めを頼む!」
そして、ソラの後を追いかけようとして青年の拘束を振り切った少年騎士に向かって、腰の閃光筒を引き抜いて投げつけた。
魔法を使わず魔術の知識だけで作り上げたその筒は、ジーノの盾をいとも容易く越えて少年の足下に転がった。彼らが筒に気を取られている間に、エースの意図を理解したジーノが盾を解く。
その瞬間、薄暗い森の中に目を焼く閃光が溢れた。同時に鼓膜を破く爆音も響きわたり、エースはそれを背にソラを追って走り出していた。
「チクショウ! 目が……見えねぇ!!」
完全に虚を突かれた少年は気が動転しているようだった。
一方のジーノは自分の前方に盾を置いて、耳を塞ぎ顔を背けていた。おかげで筒の光と音が彼女の次の行動を妨げることはなかった。
「貴方がたは、邪魔です」
ジーノは動揺する騎士たちに杖を向け、彼らの踏む地面を抉った。土を焼き上げて固め、石棺を作ってその中に二人を閉じこめる。
「このクソ女! 出しやがれ!!」
「誰が……」
出すものか。ジーノはせせら笑った。
「もしも次があるのなら、その狭小で矮小な頭を凍り付くまで冷やしてからおいでになってくださいな」
ジーノの強力な魔力で作り上げた棺はそう簡単に壊せない。彼女は兄の背中を追って森の奥に目を向けると、後ろを振り返らずその場を去った。
先を走っていたエースは、ちょうど膝の痛みで転けたソラに追いついたところだった。
「ソラ様! 大丈夫ですか!?」
「こないで! き、来たらっ、来たら……!!」
武器にもならない木の切れ端を振り回すソラは明らかに錯乱状態だった。その怯えた表情はエースが剣を向けたときに見せたものと同じだった。
スランの言葉がよみがえる。
──何かのきっかけでお前に対する恐怖を思い出すことがあるかもしれない。
それが今だった。
「ソラ様……」
エースはソラによく見えるようにして剣を鞘に収め、片膝をついて彼女と視線を合わせる。
「ソラ様。俺はもう二度と、貴方を傷つけない。俺は本当に、本心で……貴方を助けたいんです」
こんな時、どんな顔をしたら相手を安心させられるのかエースには分からなかった。だから彼は、父親の軟らかい表情を真似した。
「ソラ様」
「──エース、くん?」
平静を取り戻しかけたところに、後ろからジーノが駆けつける。
「ソラ様! 大丈夫ですか? お怪我はありませんか? あの騎士たちは閉じこめてしまったので、しばらくは追って来られませんよ。安心してください」
「ジーノちゃん!!」
ジーノは近くまで来ると走る速度を下げ、ソラにゆっくりと歩み寄って膝をついた。
「ソラ様、大丈夫です。私もお兄様もいます。誰にも貴方を殺させたりはしませんから……」
ジーノがそう言って微笑むと、ソラは彼女の膝にしがみついてさめざめと涙をこぼした。
「ごめん、ごめん……。私、こ……怖くて……」
「ええ、分かります。私もあの少年の狂乱ぶりには恐怖を覚えました」
「エースくんも、ごめん。さっきはひどい態度、取ったよね……」
「気にしないでください。あれは混乱して当たり前ですよ」
「本当に、ごめん。ごめんね」
ソラが落ち着くのを待って、エースは指笛を吹いて馬を呼んだ。呼びかけに応じてくれるかどうかは賭だったが、二頭は怪我もなく戻ってきてくれた。野営の場に置いてきてしまった荷物はもったいないがそのまま捨てていくしかなかった。
「ソラ様。こんな状況ですし、カシュニーに寄るのは──」
「駄目。カシュニーには行かなきゃ。行かなきゃ駄目だよ。絶対に」
「しかし……」
「どうしても魔女について知らないとなの!」
馬に跨がった後、ソラはうわ言のようにそう呟いた。
「魔女じゃないって証明しないと……しないと、私……」
それができなければ、またあの恐ろしい目で睨まれることになる。
この世界の人間全てから、その目を向けられる。
そうなれば、自分は何があっても殺される。石を投げつけられて死ぬのか、鞭で打たれて死ぬのか、火刑に処されるのか。いずれにせよ、その理由を受け入れる間もなく、受け入れることもできず、悲しみと怒りと後悔と無念を……恨みを残して死ぬことになる。
「そんなの、冗談じゃない!」
自分の望む死に方はもう決めてあるのだ。
「私は、キミたちと無事にソルテ村に帰るんだから……!!」
ソラは蒼白な顔でカシュニーへと続く暗い曇り空を見上げた。




