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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第二章 カシュニー
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第26話 「貴方がそれを望むなら 1/3」

 時間は少し戻って、まだ日を跨ぐ前。


 雲の多い空が赤く染まり、森の向こうに太陽が沈む頃。ソラたちは林道から少し外れたところに地下水の湧き出る小さな泉を見つけた。エースとジーノはそのほとりで野宿の準備を進めていた。ソラは周囲に人の気配がないことを確認して、ベールを外して熱のこもった頭巾を脱ぐ。


「いやー、迷った迷った。まさかこの森がこんなに広いとはねぇ」


「今日に限って曇りなのが災いしました。太陽の位置が分かれば、だいたいの方角に進めたんですけど……」


 加えてこの地方特有の巨樹がやっかいだった。空を見上げてもそのほとんどが木の葉によって覆い隠されるため、雲の隙間から日差しを見つけることも難しい。また、この森はどうにも方位磁石が利きにくい環境にあるようで、手元の方角を当てに森を突っ切ることもできなかった。


 その瞬間、ソラの脳裏には「樹海」という単語が過ぎった。


 このままさまよい歩く亡霊になってしまうのか?


 歩き回っている間中、ひょっとすると自分たちはもう幽霊になってしまったのではないかと、彼女の頭には空恐ろしい想像がつきまとった。妙に涼しく湿った空気も不気味で、いっそう不安をかき立てた。


「まさかこんなところで時間を無駄にしてしまうとは……何とも面目ないです」


「目印になるものがなくてどこを通っても同じ場所に見えたのですから、仕方ありません。ですが最終的には正しい道に出られたわけですし、それは道を探してくれたお兄様のおかげです」


「それですよお兄さん。同じ場所を回ってることにエースくんが気づいてくれなかったら、一生この森から出られなかったもんね。いやホント冗談でなく」


 ジーノに作ってもらった氷で痛む膝を冷やしつつ、ソラは笑った。


 エースは少し肩の荷が下りたような顔をした。


「そう言ってもらえると気が楽になります」


「お兄様、とりあえず先程の道を進めば森を抜けられるのですよね?」


「うん、それは大丈夫。心配しないで」


「んじゃ、また明日から心機一転で。よろしくね」


「はい。これを教訓に今後も気を引き締めていきます」


 エースはそう言うと、手頃な石を探してきて即席のかまどを作り、ジーノが集めてきた枝葉を押し込んで火を焚いた。荷物の中から銀色に光る小さな鍋を取り出してその蓋を開け、重ねて仕舞っていた皿を取り出す。汲んだ水を火にかけて煮立たせ、茸の乾物と豆を放り込むと、それを見ていたソラの腹が鳴った。


 知らない土地で道に迷い肝を冷やしたせいだろうか、昼には祠祭に作ってもらったサンドイッチ(かなり大きめだった)を食べたはずなのに、ソラはいつも以上に空腹を感じていた。


 そこで彼女は「祠祭さんと言えば……」と話し始めた。


「あの人も、こっちは迷いやすいって教えてくれればよかったのにね」


「そうですね。教会はその土地の人間が管理するのが慣わしですから、祠祭様もこの辺りのことは詳しいはずなんですが……」


 エースが鍋の中に調味料を落とし、かき混ぜながら頷く。


 それに対して、右手にケトルの取っ手を持ち、瞬時に湯を沸かしたジーノが言う。


「忘れておられたのではないでしょうか?」


「ありそう~。何か良くも悪くもぽやーっとしてる人だったもんね」


「もしかしたら、何か一つを始めると他の一つを忘れてしまう性分なのかもしれないですね。俺もそういうところがあるので、気をつけないと」


「本を読み始めると周りの声が聞こえなくなる、みたいなやつ?」


「ソラ様、甘いですね。お兄様は一度何かを始めると、食事も睡眠も忘れるほど没頭してしまうこともあるのですよ」


「体に悪いじゃん、それ」


「そうなのです。私としては改めてほしい悪癖です」


 ジーノは珍しく厳しい口調でそう言った。彼女はケトルの中に茶葉を入れて蓋を閉め、キュウと鳴った笛と一緒に小さなため息をつく。


 呆れているようにも見えるが、その実とても心配しているのだろう。


 エースもそれは分かっているらしく、居心地が悪そうに鍋をかき混ぜている。


「お父様も心配なさっていたのですよ」


「気をつけるよ……。うん」


 言いつつ、エースは自分の言葉に自信がないようだった。外野から指摘されても直らないから癖というのだろう。ソラはプリプリと怒るジーノに「まぁまぁ」と声をかけて宥める。


「にしても、野宿とか初めてだから私ちょっとわくわくするなぁ。あっ、でも外で寝るっていう意味では前にもやったか」


「ソラ様の世界では、こういったことはしないものなのですか?」


「うーん。バックパッカー──、身一つで旅をする人でもお宿は取るみたいだし、テントもなしで外で寝るってのは、あんまやらないんじゃないかな」


「てんと?」


「ええっとですね。支柱を立てて、そこに布を張って作った空間の中で雨風をしのぐっていう……」


「天幕のことでしょうか?」


「そう! 多分それが近い」


 語彙が少ないのはミュアーと言い争った際に露呈したが、ソラはその事実を改めて突きつけられて、膝どころか頭まで痛みだした気がした。


 それからも他愛のない話で笑っている間に調理は進み、ジーノが入れた茶を半分ほど飲んだ頃になって、エースはかまどの火を消した。


 少ない荷物の中でやりくりする食事のため、スープの他には乾パンのみであった。とはいえ、スープには豆や茸のほか、近くで摘んできた野草がいくつか入っている。それ単品でも栄養は十分に取れそうだった。


 ソラは早く飯を腹に入れろと声を上げる腹部を押さえて、エースからスープをついでもらった皿を受け取る。行儀はあまり良くないが両足を投げ出して座り、彼女は膝の上に氷を乗せたまま食事を始める。


「やっぱ美味しい~」


 野草の苦みと豆の甘さが喧嘩せずに同居し、噛むほどに溶け合って絶妙な旨みに昇華されていく。ほんの少し辛みが利いているのもニクいところだ。ソラはひたすら「うまうま」と言いながらスープと乾パンを交互に口へ運ぶ。


 食事の都度、兄妹に感謝する。ソラはふと、その心がけをどこで自分のものにしたのだろうかと、不思議に思った。


 やはり思い出せない家族との暮らしの中で得たものなのだろうか?


 ソラは向かいで食事をするジーノとエースに目を向け、今となっては様々な意味合いで遠くなってしまったソルテ村での出来事を思い出す。教会で家族のように過ごした数日間が懐かしい。色々と厳しく言われたが、村の子どもたちとの交流も楽しいものだった。


 そうしてニコニコとしていると、それを見た兄妹が同じように笑った。


「ソラ様は何でも美味しくお食べになるので、作り甲斐があって助かります。次はどんな献立にしようかって、俺もジーノも作るのが楽しみになるんですよ」


「そうなの?」


「ええ」


「ソラ様は何を召し上がっても『うまうま』なので、私としてはその逆も見てみたい気がします」


「逆? ってことは、美味しくないものを前にしたときの顔?」


「はい。そうなりますね」


「不味いときかぁ。それはね──」


 ソラはジーノの言葉に怪訝な顔をする。が、ジーノは興味津々といった様子で彼女を見つめた。


 その視線を受け、ソラは一瞬ニヤリと笑って、「こんな顔だよ!」。それはもう盛大に顔をしかめてみせた。


「ソラ様、それはっ! ひどいお顔です……っ!」


「でっしょ。私も自分でやっててこれはヒドいって思った」


 腹を抱えて笑うソラとジーノの一方で、エースはソラの変顔に驚いて目を丸くしていた。


 その反応が実にエースらしいとソラは思った。


「アハハ! 面白いよね。弟妹がいたらこんな感じなのかな」


「ソラ様は一人っ子なのですか?」


「ん? ああ、そっか。キミたちには話してなかったっけ」


「何をです?」


「スランさんには成り行きで話すことになったんだけどさ。実は私、弟妹とか親とか……家族の記憶がスッポリ抜けてるんだ」


「え……?」


「全く思い出せないんだよね。少なくとも私がこうして存在してるってことは、もちろん両親はいたんだろうけど、いないって言われてもしっくりくるぐらい何も残ってないっていうか」


「……」


「あ! 暗くならないでいいよ。きれいさっぱり忘れてる分、寂しいとかそういうのはなくて割と平気だから」


 ヒラヒラと手を振った後、本当に何事もないかのようにソラはスープを口に運ぶ。しかし、兄妹は何とも言えずにスプーンを皿の中に置いた。


「ま、ちょっと空っぽな感じはあるけど、それ以外のことは覚えているし。私は私だって分かってるから大丈夫」


 記憶はなくとも家族の存在は経験として、ソラの人格の中に息づいている。


 ソラはジーノとエースを見つめ、思う。


 たとえ腕っ節で彼女らに負けていても、年上である自分が二人を守ってやらねばならない。この兄妹を何としても無事に、子を案ずる親の元へ帰してやらねばならない。


 それができるのかと聞かれても自信を持って頷けないところが何とも情けないが、ソラは自分がそう行動すべきで、そうしなければならないと分かっていた。


 その意思がソラに家族の存在を身近に感じさせてくれる。


 その意志があるから、人として大切なことを教えてくれた家族が自分にもあったのだと信じられる。


「こんな状況で言うことじゃないし、スランさんに聞かれたら怒られるだろうけど、私ね……今こうしてキミたちと一緒でいられて本当によかったと思ってるんだ」


「ソラ様……」


「キミたちと一緒だとさ、家族で笑ってるみたいに楽しいんだわ」


 そう思うからこそ、何としても現状の誤解を解かねばならない。自分が魔女でないことを証明して、認めさせて、ソルテ村へと帰還して。スランにこっぴどく怒られた後で、穏やかにこの異世界を生きるのだ。


 やがて閉じるこの世界で、この兄妹と、最後まで……。


 ソラはここではない遙か遠くを眺めて、へらりと笑った。


「──ソラ様!」


 その気配に何か得体の知れない違和感を覚えたのはエースだった。


「何だいエースくん。どうかした?」


 ソラはきょとんとしてエースを見た。ジーノも同じような顔をして彼を見ていた。


「あ、の。いえ、その……何と言われると、何だったか……」


 エースはしどろもどろになって視線を泳がせた。


 人の機微に疎い自分がいったい何に気づけたというのか。明確な答えは出ない。


 しかし、エースはその違和を以前にも感じたことがあった。地滑りのあった村を出た後に彼女が見せた異様な明るさ……それがソラの気配に曇をかけて見えなくする。


 そんな風に感じた。


「すみません。自分でもちょっとよく分からなくて……」


 その感覚を表現することができず、エースは曖昧に微笑んで言葉を濁した。


 そこに続く沈黙を打ち破るようにして、ジーノが会話を繋ぐ。


「そうしたら、ソラ様は私のお姉様ですね!」


「ヒェッ! お、おっ、おお、おねいさま……!?」


 ソラは途端に顔を赤くして慌てふためく。


 ジーノは思いついたようにソラ7ににじり寄って、


「ソラお姉様」


 上目遣いでそんなことを言った。


「ヤ、ヤメテ!! すさまじい破壊力だからそれ!」


 ジーノは自分がどんな仕草をすればソラをからかえるか、よく分かっているようだった。


 日が暮れてすっかり暗くなった森の中に、ソラのわめく声が吸い込まれて消えていく。じゃれ合う二人を見ながら、エースは先ほどの違和感についてまだ首をひねっていた。


 こんな状況なのだし、空元気で自分を奮い立たせているのかもしれない。


 具体的に聞いてみることもできないため、今はそう考えておくしかない。だが、もしもそうでなかった時にどうするかは色々と想定しておかなければならないだろう。


 師であれば何か妙案を思いついただろうか。


 エースは未だに半人前の自分に辟易しつつ、スープの残りを口に運ぶ。


 食事を終えた後はまた少し話をして、その間にエースはソラの膝の具合を診た。魔法施術士であれば根本的な治療もできたかもしれないが、ただの魔術師でしかないエースには湿布を貼ってテーピングをするくらいの対応しかできなかった。


 そして、一足先に横になったソラの寝息を聞きながら、兄妹は交代で周辺の警戒を続けた。




 夜が明けると、ソラは木から舞い降りた鳥につつかれて目を覚ました。


 上体を起こした彼女は顔を俯けたまま眠気の海の中で頭を揺らし、しばらくぼんやりとしていた。


「ハ……ッ! 顔。洗顔……」


 ソラは緩慢な動作で立ち上がり、泉のほとりにふらふらと歩いていった。冷水で眠気を吹き飛ばし、顔全体から滴る水をタオルで拭き取る。ついでに寝癖で爆発している髪の毛も整えて、身支度は終了である。


「野宿だったわりによく寝た~。二人ともおはよう」


「おはようございます」


 ジーノは昨日の残りのスープを温めていて、エースは具の足しになる野草を摘んできたところだった。昨日と違って辺りが明るいおかげか、デザートになりそうな木の実も見つけたようだ。エースは小さな赤い実をつまみ上げると、その存在を目立たせるようにして左右に振った。


 その明るい表情が一瞬のうちに消え失せようなどとは、ソラは想像していなかった。


「──ッ!?」


 エースの目の色が変わる。


 それは本当に、あっという間の出来事だった。


 手に持っていたものを投げだし、恐慌の表情でもって剣を抜いて向かってくるエースに、ソラはいつかの彼を思い出した。


 抜き身が木々の間から差し込む朝日を反射して鋭く光る。


 どうしてこんな、何の前触れもなく。またしても彼に襲われなければならないのか。ソラは身動きできないまま、その刃が自分めがけて走ってくるのを見ているしかなかった。


 ジーノは不意の出来事に反応が遅れていた。


 前と違って彼女が間に割り込む暇もなく、エースとソラの距離はあっという間にゼロになる。


 ソラの遙か後方で、何かが弾ける。


 エースはへたり込んだ彼女の頭上に剣を振り下ろした。


 その瞬間、ガラスが砕けたような音がして、ソラの視界に透明な破片がパラパラと散り落ちた。

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