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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第二章 カシュニー
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第25話 「少年の見ている風景 2/2」

 風呂から戻って人の気配がする部屋の扉を叩くと、中から祠祭の声があった。セナたちは扉を開き、風呂の礼といとまの挨拶をしようと部屋に入ったが、目の前の卓には三人分の茶が用意されていた。時間があるのなら休んでいってはどうかという祠祭の心遣いだった。


 セナたちはその親切に応えて卓に着くこととなった。ついでに聞いておきたい話もあった。


「祠祭様、少々お伺いしてもいいですか?」


「はいはい。何でしょうか? 何なりとお聞きになってくださいな」


 教会を訪れればそう聞くのは毎度のことで、セナは特に何も考えずにすらすらとその定型文を口にした。


「この教会を祷り様が訪れたそうですが──」


「ええ! そうなのです。こんな田舎村に巡礼者様御一行がお立ち寄りになるなんて、わたくし思ってもみなくて! お迎えしたときは柄にもなく取り乱してしまったんですの。このおしゃべりな口がいつにもまして饒舌になってしまって、はぁ……祷り様を困らせるなんて、祠祭失格ですわね」


「柄にもなく、ですか。そしたら、何か変わった様子はありませんでしたか? たとえば」


「変わった様子ですか? そうですわね、変わったことと言えばこちらを訪ねてきた理由がそうでしたわ。何でも魔女について識見を深めたいとかで、フラン博士との面会をご希望されていたのですが……」


「博士に会いたいと? そう言っていたんですか?」


「ええ。ですが……騎士様もご存じと思いますけれど、お屋敷はあのような状況でしたから、御一行様は結局博士に会うことはできず、数年前に家をお出になった元奥様を頼りに碩都カシュニーへ向かわれました」


「……」


 聞きながら、セナはあの屋敷の中で覚えたかすかな勘違いが現実味を帯びてくるのを感じていた。しかし彼はまだ、それが自分に都合のいい願望でしかないことを理解している。


 その上で、それが事実になりはしないかと探っていた。


「他には何かなーい?」


 黙り込んでしまったセナに代わって、ロカルシュが先を促す。


「他にですか? 他に……ああ! とびきりのことがありました。どうやら祷り様はご親族に東ノ国出身の方がいらっしゃるようで、この辺りでは珍しい顔立ちをされておいででしたわ」


「顔を見たんですか!?」


 セナは素っ頓狂な声を上げて聞き返した。


「え? ええ。黒髪に彫りの浅い顔、栗色の瞳、象牙色の肌。確かに東ノ国の方の特徴とよく似ていまし──」


「そ、それはこの女でしたか!?」


 少年は荷物の中から例の似顔絵を取り出して祠祭に見せる。


「ずいぶんと凶悪なお顔ですわね。似ても似つかないと言いたいところですけれど……」


 彼女のその言い方には若干の違和感を覚えたが、そんなことを気にしてはいられなかった。セナは半身ほど前に出て、似顔絵を突きつける。


「この女だったんですね?」


「似ている、とだけ申し上げておきますわ」


 祠祭はセナが近づいた分の腰を引いて、戸惑い気味にそう言った。それを聞いたセナは卓を叩いてさらに身を乗り出す。


「そこまではっきり見といて、何で確保しなかったんですか!?」


「はい? あの、騎士様が何をおっしゃっているのか、わたくし理解が追いつかないのですけれど?」


「アンタ──何を言っているのか分からないのはこっちですよ。貴方も鳩は受け取っているはずでしょう?」


「鳩ですか? ええ、確かに魔法院が各地の教会に鳩を出したことは御一行様からお聞きしております」


「一行から……聞いた?」


「お恥ずかしながらわたくし、魔法院からそのように急を要する知らせがあったことを知らなかったのです。ですから御一行様からそのお話を聞いて、院に直接問い合わせた方が確実だと言われましたので、昨日の間にこちらから鳩を送りましたの。今は院からの返事を待っているところですわ」


「し、知らなかったって。それは本当なんですか?」


「わたくし、嘘は嫌いですのよ」


 それがどれだけ重大な過失であるかを知らない祠祭は、さして深刻になることもなく頷いた。


「これは祷り様たちにも言ったのですけれど、院の方々は時折この村がここにあるということをお忘れになってしまうようで、知らせが届かなかったり、祠祭同士の寄り合いにも呼ばれなかったりと、何かと不便なことが多くて」


 そう。


 彼女にとってそれはいつものことだった。


 そして彼女は、そのことで大して困った経験はなかった。


 だから今回もそうなのだろうと、楽観していた。


「少なからず魔法院と因縁のあるフラン博士のお屋敷が近くにあるからでしょうか? それとこれとは話が別な気もしますけれど」


「ふはっ! ……ふふ、ぷぷぷ!!」


 首をひねる祠祭の正面で、ロカルシュが笑いを堪えていた。


「? どうなさいました?」


「ぷひゃひゃひゃ!!! なぁーんだ! せっかくの好機だったのに台無しにしたのが魔法院だったなんてねー! フフフッ! 私ってば笑いが止まらないよぉ。よし! そうと決まればこの失態を隊長に報告ほうこく~!」


 祠祭サマ書くものかーして。


 ロカルシュは腹を抱えて笑い出したかと思うと、懐から取り出した鳩に筆を滑らせる仕草をして祠祭に言った。


 彼女は要求されるがままに万年筆を手渡す。


「あの……わたくし何か大変な失敗をしてしまったのでしょうか?」


 まごつく祠祭はしきりに瞬きをして、セナに問う。不安そうな視線を向けられたセナはきつい一言を言ってやりたい気分だったが、ここで彼女に責任を押しつけるのが間違いだということは分かっていた。彼女は何も意図して一行を見逃したわけではない。その責めを追うべきは、ロカルシュの言うとおり魔法院の方である。


 セナは乱暴な言葉を必死に飲み込んで、冷静に努めて祠祭に聞き返した。


「一行はなぜ、魔女に興味を持っていたのか分かりますか?」


「それは……祷り様の護衛はご兄弟がされていたのですが、自分たちは人類の宿敵たる魔女について余りにも無知だと、お兄様の方がそのことをとても不安に感じていたそうなのです。わたくしは魔女について知りたいなんてとんでもないことだと思いましたわ。けれど、祷り様はその考えを支持なさって……」


「それで魔女に傾倒して魔法院を追われたフラン博士に目をつけたわけですね」


「目をつけただなんて、騎士様は人聞きの悪いことをおっしゃいますわね」


「実際、悪いんですよ」


「どういうことですの?」


「ああもう、魔法院からの鳩が届けばどうせ分かることですから言ってしまいますけどね、貴方は魔女をみすみす見逃したんですよ」


 少年は似顔絵を指さして怒りの声を上げた。


「それ……まるで祷り様が魔女だと言っているように聞こえるのですけれど、わたくしの聞き間違いですわよね?」


「そう言ってるんですよ。貴方がお世話した祷り様は魔法院から指名手配されているこの世の悪──始まりの魔女の再来なんです」


「ありえませんわ!」


「なぜ? どうしてそう言い切れるんです?」


「わたくし、たったの一日でしたけれどお世話をさせていただいて、一緒にお食事もして、久しぶりにとても心豊かに過ごせましたのよ」


「演技ですよ。貴方は騙されてたんです」


「演技だなんて! あの方は賑やかな食事が好きだとおっしゃいましたわ。そしてそれは本心でした。護衛の方も足の悪い祷り様を親身になって気遣って……あの真心は本物でしたわ。ええ、確かにそうでした。実際にその人柄に触れて、あの方々に悪しきものの片鱗は感じなかったのです。ですからわたくしは残念ながら騎士様のお言葉を否定せざるを得ません。わたくし、言いましたわよね? 嘘は嫌いなんですの」


 それはセナにとって何よりも認め難く信じ難い言葉だった。こんなにも信用ならない人間がいるものかと思った。


 少年は自分をまっすぐに見つめてそう言う祠祭の人柄を無視して、彼女を睨みつけた。


「アンタ、この村の出身ですよね」


「そうです」


「この村は好きか?」


「ええ。こんなわたくしにも良くしてくれる、この村が好きですわ」


「じゃあ聞きますけどね、魔女のせいでここがなくなっても、さっきみたいなこと言えるんですか」


「言えます」


「んな──ッ!?」


 やはり信用ならない。


 理解できない。


 十五歳の少年は年の割に思慮分別のある方だったし、ロカルシュと上手く付き合うこともできる寛容な性格だった。しかし、その許容にも範囲はある。セナは魔女に対する憎しみだけは、誰に何を言われても忘れられるものではなかった。


 魔女は何であれ、その名を与えられた時点で死ぬべきなのだ。


 その思いが顔に出ていたのか、祠祭は怯えたようにして身を縮こまらせた。彼女はそれでも言うべきことは言おうという意思を持って、口を開く。


「騎士様。貴方の身に何があったのかは存じませんが、おそらく辛い思いをされたのでしょう」


「アンタに何が分かる」


「ええ、わたくしに貴方の気持ちが分かるとは申しません。ですが、わたくしにも人並みの感情はあります。人を好きになる気持ちがあれば、憎む気持ちもあります。魔女ほど汚らわしい者はいない──今だってそう思っています」


「だったら……!」


「けれどわたくし、嘘は他人につく以前に、自分につくのも大嫌いなのです。自分を騙したらいつか他人も騙すようになる。それが嫌だから、わたくしはまず自分に嘘はつかないと決めているのです」


 祠祭は何を言われても自分の言葉を決して曲げるつもりはないようだった。その瞳はまっすぐにセナを見つめていた。


「魔法院にいらっしゃるのは優秀な学者様ばかりですが、あの方々とて人です。魔女に関する重大事案を──田舎のちっぽけな教会にとはいえ知らせ忘れる失敗もあったわけですし、何事も完璧に正しくこなせるわけではないでしょう。それを踏まえた上で、わたくしは騎士様に一つの可能性を提示いたしますわ」


 それがセナにとってどんなに不都合なことでも、その考えを表すことで自分がどれほど手痛く言い負かされようとも、彼女は反論せずにはいられなかった。


()の祷り様が魔女というのは、何かの間違いなのではありませんか?」


「あら~。祠祭サマ、それ言っちゃうー?」


 ロカルシュは隣に座るセナの気配が一気に殺気立ったのを感じ、内心では怖いもの知らずの祠祭に拍手喝采を送りながら、困ったように眉を寄せてそう呟いた。


「間違い? 間違いですか。そうですね。じゃあどうして逃げるんです? 違うというのなら弁明すればいい。釈明すればいい。それを怠って元老に危害を加え、逃げ出して、そんなの──」


「なるほど……。わたくし、祷り様たちが魔女について知りたいと言った本当の理由が、今ようやく分かりましたわ」


 年若く祠祭として経験が浅い彼女は、セナの言葉を遮るようにして己の意見を発した。


「自分が魔女でないと証明するには、それに関する知識が不足していると考えたのでしょうね。ええ、そうに違いありません。お兄様の思う不安も確かにあったのでしょうけれど、本当は祷り様ご本人の動機だったのですわ」


「アンタはずいぶんとあの女の肩を持ちますけど、あの屋敷の殺しだって魔女の仕業って可能性もあるんですよ」


「セナ、それはちが──」


「っるさい! アンタは黙ってろ!!」


「……」


 勘違いだと分かっていたはずのことも、口から出してしまえば事実に塗り替えられてしまう。


 セナは魔女に対する憎しみを募らせるあまり、自ら迷妄に囚われていた。


 自分を騙してしまったら、同じように他人を騙し始める……少年は祠祭の忠告をすっかり忘れ、それに気づかないまま彼女の前で偽りの言を本物と信じ込んだ。


「お屋敷での事件が、あの方たちの仕業だなんて。そんなこと……」


「ないって断言できるんですか? アンタが奴らに会ったのは殺しがあった後だっていうのに?」


「……」


「魔女がどんな魔法を使うかなんて分からないんだ。アンタのその記憶も、どっか改竄されてるんじゃないのか?」


 そうだ。


 そうに違いない。


 魔女については分かっていないことが多いのだから、そんな魔法を使う可能性だって十分にあり得る。


 そう考えれば、これまで正体を隠し続けられたのも納得だった。いくら巡礼者に変装して顔を隠しているといっても、全てが上手くいきすぎている。顔を見られたのに何事もなくこの教会を出られたのもそういう理由だろう。


 祠祭が受け取っていない鳩だって、そういうことにしてしまったのだ。


 そうとなれば、セナはこんなところでグズグズしているわけにはいかなかった。騎士として、早急に災厄の芽を摘まねばならない。席を離れて部屋を出ていこうとするセナの背中に、祠祭がか細い声で呟いた。


「そんなことを言い出したら、わたくしは信じられるものがなくなってしまいますわ……」


 泣きそうなその声を聞いて、セナは顔をしかめる。


 だから嫌なんだ。


 女はすぐに泣く。


「そんなの……俺はもうずっと何も信じられない。信じたくない……」


 そうやって泣かれると、色あせていた過去の記憶が脳裏によみがえってきて、セナのことを間抜けな愚か者だと責め立てる。本来は懐かしんで微笑ましく思うはずの「思い出」が、セナを惨めな気持ちにさせる。


「……風呂、貸してもらってありがとうございました。俺たちは任務があるので、これで失礼します」


 セナは自らも泣き出しそうな様子で声を振り絞り、祠祭に背を向けたまま部屋を出た。横をすり抜けていったセナを見て、ロカルシュは普段の軽々しい態度からは想像もできない殊勝な態度で祠祭のことを気遣うように視線を送った。


「ごめんね、祠祭サマ。セナは……悪い子じゃないんだよ。本当に本当だから」


「ええ、分かっております……どうぞお気をつけて。道中の安全をお祈りいたします」


「うん。じゃあね~」


 彼の肩にとまるフクロウが翼を羽ばたかせて別れを告げた。


 礼拝堂を通って外に出ると、セナは馬に乗ってもうどこへでも行ける体勢になっていた。ロカルシュは眉をハの字に下げて彼を見上げ、言いにくそうにしながら問う。


「セナ……」


「んだよ」


「私はセナのこと、信じてるよ。セナのことしか信じないよ」


「……」


「セナは私のこと、信じてくれない?」


「信じてなかったら相棒なんてやってねぇよ」


 少年は自分の信じたいものを信じる。


 辛くて押しつぶされそうになる心を元の通り保ち続けるには、そうするしかなかった。


 そうする以外の方法を知らなかった。


「魔女たちはどうなってる? 今はどの辺にいるんだ? 今からでも追いつけそうか?」


「……うん、まだ森の中にいる。なんかちょっと迷ってたみたいー。夜も歩くなら休み休みでも朝には追いつけると思う」


 ロカルシュは柵に結びつけていた手綱を解いて、跪いた馬に跨がる。少しぐらついて視線の高さが上がり、彼は先に歩き出していたセナを追うようにと馬に言った。


 それからしばらく花曇りの空の下を歩き、日が傾いてきた頃になって、二人はいったん休憩を取ることにした。夕食は簡単に携帯食で済ませた。寝ずに行動するとロカルシュの性能が著しく低下するので、適度な仮眠を取って彼らは夜道を進んだ。


 夜行性の動物もねぐらに帰る朝方になり、ロカルシュは二度目の仮眠から目覚めた。彼はうつ伏せに返って上半身を起こし、頬杖をつく。


 セナはたき火の前で愛用の装備を点検していた。


「何て言うんだっけー? その覗き込むやつ」


「照準器な」


「じゃなくて、ほらぁ。正式名称の方。難しい言い方のやつー」


「すこぉぷ」


「あ、それそれ。銃にもそういう本当の呼び方があるんだよねー?」


「がんず、のことか? 何だよ起き抜けに……」


「んー。ちょっと気になっただけ」


 昨日の今日であまり馬鹿な話をする気分にもなれず、それでもロカルシュは重い沈黙を追い払いたくて、頭に思い浮かんだことをつらつらと口にした。セナはその話に相づちを打ちながら、時に鋭い合いの手を入れつつ、照準器を覗いていた。


 拡大された薄暗闇の中に魔女の姿を思い描いて、醜悪な顔面に十字の印を合わせる。その狙いでは足止めどころか息の根を止めることになると少年は分かっていた。


 分かっていて、彼は想像の中で魔女を討ち仕留めた。

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