第23話 「積悪の館 3/3」
遠目に見える屋敷の窓にはどこにも血が飛び散っていて、下方に筋を垂らしていた。場所によっては手が擦れた跡もあり、改めて目にしたその凄惨な光景はセナやロゥのみならず、ロカルシュも顔をしかめた。
「魔女さんだか何だか知らないけどさぁ。私、気分悪いや。これが遊び半分でやったことならホント……んーっと。やった奴キラーイ!」
「ほう? お前さんみたいに飄々としてても、そんな風に思うんだな」
「失礼な。思うよ~。だって動物さんたちは理由なしにこういうことしないし」
「理由……か」
ロカルシュの何気ない言葉に、ロゥが顎を撫でて天を仰いだ。
「ここで飯食ったのも、寝たのも、理由があるってのかね?」
「何ですって?」
片方の眉をつり上げてセナが聞き返す。
「そういやお前さんたちにはまだ言ってなかったか。ここにはな、殺しがあった後で誰かが風呂に入って、飯食って、ついでに寝室で寝ていった跡があるんだよ」
それを聞いた瞬間のセナの顔は筆舌に尽くし難い。反応を見たロゥは言ったことを後悔しながら、しかし口から出てしまったそれをなかったことにはできず、彼は申し訳なさそうな顔をしてセナに言った。
「このくらいで切り上げるか?」
「殺しの後で生活した跡があるって、どうして分かったんです?」
「……なあ坊主。俺ァお前さんがこれ以上この件に首を突っ込むのは賛成しかねるんだが」
「今更じゃないですか? それ」
先ほどの落胆が反転して期待に変わっていくのを感じながら、セナは焦るようにしてロゥの気遣いを振り払った。
こんな悲惨な事件を前にしたら動揺して何かを見落とし、勘違いするのも仕方がない。
無意識のところでそんな言い訳をして、少年は自ら視界を覆い隠し、都合のいい方向へ闇雲に進んでいこうとしていた。
意志を曲げないセナに、ロゥは仕方なく再び屋敷の中を案内する。やってきたのは浴室だった。水と一緒に血が流れた跡があり、犯行の後に体を洗ったとロゥは考えていた。
「ここでは湯を出すのに使った魔力の痕跡が見つかっている。厨房にも火を使った跡があった」
「それってもしかして……?」
「ああ。お前さんの考えてるとおり、書斎にあった一つと一致したよ」
渋面を作るロゥの横で、セナは薄暗い浴室の中に痕跡を浮かび上がらせた。肖像を破いたのと同じ軌跡が、蛇口の取っ手にはっきりと残っていた。
「ついでに言うと、血の付いた白い髪の毛も大量に見つかったんだ。それがとんでもない長さで、大人の腕よりも長いときた。実を言うとな、あの小屋でも同じ物を見つけてるんだ」
それは干し草に絡まるようにして残されていたそうだ。奥の奥まで入り込んでがんじがらめだった状態が示すのは、その毛の持ち主はずいぶんと前から小屋に居たということだった。
「あんな場所に、いったい何が居たんだかな」
「さし当たっての心当たりは、地面の足跡ですが?」
あの小屋に住み着いていた者がいたとして、あれほど劣悪な環境下でご丁寧に靴を履いていたとは思えない。
となると、選択肢は一つしかなくなる。
「ったく、冗談じゃねえ。俺は馬鹿みたいに手足の小さい大人が居るんだと思いたいね」
「同感です」
靴跡を除いたのなら、残るは小さな足跡だけだ。
通常であればそれは子どもの存在を示唆する。子どもを、その髪の毛が大人の腕よりも長く伸びるほどの間、あの小屋に捨て置いたなんて。
考えたくもなかった。
だんだんと屋敷全体がおどろおどろしい空気に包まれていく。
この屋敷はずっと以前から、何かがおかしかったのではないか。
その異常性がこの殺しを引き寄せた気さえしてくる。
続いて厨房を見せてもらう。焜炉には、輪郭をくっきりと浮かび上がらせる白い痕跡を見つけた。
「……」
この大陸において、その色は聖なるものの象徴である。
少年は考える。白い魔力の残渣と聖域に誰か(何か)がいたことを結びつけるべきか、否か。
「まさか、な。そんなわけない」
「なになに~? セナってばどうかしたー?」
「何でもねぇよ。改めて気味が悪いと思っただけだ」
「そお~? 私としては一応理由があるみたいで納得したけど」
「これに理由があるって? そんなもんが?」
「えっとぉ……セナ、オジサンの話聞いてたー?」
「そういう言い方されると腹立つな」
セナは「もったいつけてないでさっさと言え」とロカルシュの足を軽く蹴った。
「セナってば足癖悪すぎー。もぅ! ご飯食べてお風呂入って寝ることが理由~。目的ってことぉ」
「宿がないから人を殺すって? そんな馬鹿みたいな話があるかよ」
「私に怒らないでよー」
身長はセナの方が低いのに、ロカルシュは頭の上から怒鳴られたように首を縮めた。
「ロッカさんよ。さっきはここの殺しに腹が立つ、みたいなこと言ってたな?」
「うーん。言ったような言ってないようなー?」
「言ってたんだよ、覚えとけ」
セナが厳しく突っ込む。
「んで、理由らしきものは見つかった。アンタは一応納得したと言った。それで今、どう思ってんだ?」
「なーに? まだ腹が立ってるかってこと?」
セナとロカルシュのやりとりに、ロゥも関心を持って口を挟んでくる。
「どうにも、獣使いさんは普通と違う考え方をするみたいだな。よければ俺にも聞かせてくれ」
「うーん。私ねぇ、殺されたのが人間だから特別悲しいとか腹が立つとかはないんだー。大きなくくりで見たら人間も野生の動物もみんな同じ『生き物』でしょ?」
「まぁ、な」
「オジサンは狼さんが食べるために獲物を噛み殺すのを見てヒドイ! って思うー?」
「じゃあ、お前はこの殺しをひどいとは思わないのか」
「思うか思わないかと聞かれれば、今は思ってないかなー。怒ってるのもよく分かんなくなっちゃったし。でもね、殺した数が多すぎたかも? とは思う~、よ?」
「少なきゃいいって?」
「いいって言うか……むぅ。何て言えばいーのかなぁ」
ロカルシュは普段は使わない頭を目一杯に使って、自分の心中を表すのに最適な言葉を選ぶ。
「人間相手の殺しに見合う理由って何なのかな?」
「……」
「見合う見合わないは別にして、人が人を殺す理由は普通だと恨みとか妬みとか、そういう感情だよねぇ?」
「ああ」
「この殺しってそういう理由? それともただ楽しかっただけ?」
「現段階では断定できん。両方の可能性を含めて調査を進めるつもりではあるが……」
「じゃあさ、遊びだったかもって理由は置いておくとしてぇ。恨みとかだったとしたら、その感情ってやつは人を殺す理由に見合うのかな?」
「俺からは何とも言えん」
「ご飯と寝床を求めての狩りだったら?」
「……」
「それが理由として駄目なんだとしたら、何で駄目なの? 私、この人殺しが許容されない範囲っていうのが、よく分からないんだよねぇ」
野生動物が獲物を狩るのは自然の摂理として受け入れられるのに、人間に同じ理由を当てはめると途端に嫌悪するのはなぜなのか。
「なぁ、ロカルシュ」
セナが名を呼ぶ。
少年は野性的な理論に突き進む青年を人間の道に引き戻すようにして言った。
「俺たちは本能で生きてる獣じゃないんだ。二本足で立って手先を器用に使い、言葉をしゃべって理性的に思考し相手を思いやれるのが人間だ。いいか? 他人を思いやれるんだよ。アンタもそうだろ」
「たぶんね~」
「理性で本能を律し、倫理や道徳を理解する。であれば、殺人は御法度──これは人間っていう種族全てに当てはまる法だ」
言いながら、セナはどこか自分の胸が痛んだのを無視した。今はとにかくロカルシュのことだ。この男はきちんと手綱を握っていてやらないと道を踏み外しかねない。
「言ってること、分かるか?」
「分かるといえば、分かるけどぉ」
「よく分からなくてもいいから、納得しておけ。そのうち理解できるようになる」
「そう? じゃあ、うん。分かったー」
セナはロカルシュに厳しい視線を送って自分の言葉に頷かせた後、先ほどから絶句しているロゥに振り向く。
「すみません。こいつ俺たちと少し感覚がズレてるんです」
「獣使いってのはどいつもこうなのか?」
「いいえ、それは違います。ロッカが特別おかしいだけです。なので、他の獣使いの人は変な目で見ないでやってください」
「坊主がそう言うなら、分かったよ」
ロゥは顎を撫で、少し落ち込み気味のロカルシュをちらりと見やって厨房を後にする。
それから三人は下手人が寝ていったと思われる屋敷の主寝室を見て、外の天幕に戻った。すると、憲兵の一人があわてた様子で駆け込んできて、ロゥに報告したいことがあると言った。
「森外れの集落で同じような殺しがあったと報告がありました」
「同一と見る根拠は何だ?」
「犠牲者である親子を殺した後、そこで休んだらしい痕跡があるとかで」
「……近隣の奴らは気づかなかったのか?」
「一件だけ離れたところにある家が狙われたようなんです。集落の寄り合いに親子が姿を見せなかったので、具合が悪いのかと確認しに行ったところ……」
「殺しの現場を発見しちまったってか。そうなると、そっちにも一度顔を出さなきゃならんな」
頭痛の種が増えたことにうんざりしながら、ロゥは呟く。
「文字通り『宿借り』だな……」
どんな理由があるにせよ、胸くそ悪いことには変わりない。彼はそう吐き捨てるように言った。
「ところで、特務さんたちはこれからどうするんだ?」
「元の任務に戻ります」
「そういや、ここに寄ったのはフィナンのお使いだったか」
「お時間を取らせてしまって、申し訳ありませんでした」
「別に悪い意味で言ってねぇよ。俺も自分の考えを整理するいい機会になったしな」
「そう言ってもらえるとありがたいです」
頭を下げたセナに、ロゥは続ける。
「だが、この後どっかよそに行くってんなら、まず風呂に入った方がいいぜ」
「風呂ですか?」
「臭いだよ。俺たちはこれが仕事だから諦めてるが、染み着いてとれなくなる前に洗い流しちまいな。門を出てすぐの十字路を右に曲がった先に教会がある。祠祭は変人だが悪い奴じゃねぇ。頼めば快く貸してくれるだろうよ」
「分かりました。ありがとうございます」
セナは時間を割いてくれたロゥやその部下たちに礼を言い、しれっとしているロカルシュにも頭を下げさせて天幕を後にした。
上着を脇に抱えて馬のところまで戻ると、ロゥが言ったとおり臭いが体に染み着いてしまっているのか、馬もフクロウも嫌がる素振りをして鳴いた。
ロカルシュはその態度に衝撃を受け、
「うう……、悲しい。蜘蛛さん、もうしばらく一緒に居てね……」
彼は引き続き、フクロウの代わりに目となってくれていた蜘蛛を肩に乗せて行くことになった。




