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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第一章 ペンカーデル
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第5話 「彼方より来たる者 5/7」

 そうしてソラが自責の念に駆られていると、エースが戻って来た。彼は琥珀色の茶が注がれたカップと、上品な紙で個別に包装された菓子をトレーに乗せ、ソラの隣までやってきた。


「お茶をどうぞ。ところでソラさんは甘い物はお好きですか?」


「ありがとうございます。甘い物は好きですよ。って言うか大好きです」


 ソラは少し力のない笑みを浮かべて頷き、彼の手からティーカップを受け取る。そんなソラを安心させるように、エースは目元を柔らかく細めて聞く。


「緊張は解れましたか?」


「さっきよりは……。ジーノちゃんのおかげかもです」


「だって。よかったね、ジーノ」


「はい!」


 向かい合って笑う兄妹を見て、ますますもってソラは立つ瀬がなくなっていく。いよいよ正直に話すしかない気になってどうしようかと迷っていると、スランと目が合った。


 ソラは心の迷いを表すかのように揺れる声で話し出した。


「あの、何というか……助けてもらったのが娘さんでよかったです。お兄さんにも良くしてもらって……。二人ともとてもいい子ですね」


「元の親御さんの育て方がよかったのでしょう。私が引き取ったときからこの気だてでしたからね」


「そうなんですか。でもやはり、スランさんの影響というのもあると思います。子は親を見て育つものですから」


 そう言ったあたりで、ソラは胸の中に何かの影が通り過ぎるのを感じた。それが何かは分からない。もしかしたら、サラッと実の親子ではないことを告げられたからかもしれない。


「……」


 こういった話題にはあまり立ち入らない方がいいだろうと判断し、ソラはサイドテーブルに置かれた菓子に目をやって、どんな物が包まれているのかとエースに聞いた。


「えっとですね、これは『さこいつ』と呼ばれるお菓子で──」


「ソラさん! それは見た目こそ地味ですが、とても甘くて美味しいお菓子なんですよ。ぜひ召し上がってみてください」


 兄の話を食い気味にジーノが熱弁する。エースはその勢いに押されて一歩下がり、仕方なさそうに肩をすくめた。


「ジーノはこのお菓子が好きだよね」


「うっ……すみませんお兄様。ついつい熱が入ってしまいました」


 はたと我に返って元の位置に戻り、ジーノは恥じらい顔をうつむけた。そんな小さな仕草からも、ソラは彼女の清潔さを感じた。


 反対に、自分の薄汚さが目立つ。


 胸を抉られる感覚にぐっと息をのみ、これはもう甘味を食べて気を紛らわせるしかないと、出された菓子に手を伸ばした。ねじってある両端を引っ張って包装を解くと、中から焦げ茶色の立方体が現れた。表面には薄く粉がかかっている。茶色で甘い食べ物といえば一つしか思いつかないソラは、想像した通りの味を期待しながらその正体不明の物体を口に放り込んだ。


「あ、やっぱこれチョコレートだ。美味しい」


「ちょこれぇと?」


 ジーノとエースが舌っ足らずな発音で聞き返す。スランは「エースも知らないのかい?」と呟くと、何か確信を得たような表情を浮かべて言った。


「ふむ。それは後にして、本題に戻ろう。先ほども言いましたが、回りくどいのはやめにして……ソラさんには単刀直入にお聞きしますね」


「あ、はい」


 ソラは指先についたココアパウダーをペロリと舐め、お茶を一口飲んで喉を潤すと、スランと向かい合った。


「ソラさんは聖域の祠から出ておいでになったと聞きましたが、それは本当ですか?」


「祠というのは、森の奥にある洞窟みたいなところですよね?」


「ええ」


「であれば、その通り……いえ、正確にそうだとは言えないかもしれません。ただ後ろを振り返ったらその洞窟があったという話で、そこを抜けてきたのかは……正直なところ分からないので」


「左様ですか」


 スランはソラ自身も確信を持っていないことに少しばかり肩を落とし、しかし諦めずに次の質問に移った。


「では次へ。これは今、私たちが一番に知りたいことなのですが……」


「はい」


「ソラさんは異界からお出でになったのですか?」


「んぐ──ッ!?」


 何ですかその人外魔境っぽい響き。


 ちょうどお茶を口に含んでいたソラは吹き出しそうになった口を必死に押さえて、ツッコミと一緒に飲み込んだ。この世界にはイカイという地名があるのかもしれないし、下手な反応はできない……。


「その、イカイというのは?」


「この世界とは別に存在する、もう一つの世界のことです」


「ファッ……!?」


 まさか異世界召喚をスランの方から肯定されると思っていなかったソラは、驚きのあまりティーカップを落としそうになった。


「い、異界ってのはちょっと……できれば異世界って言ってもらえます? それだと私がバケモノか何かみたい──」


「異世界ですか」


「はい。ぜひともそのように……アッ!?」


「……」


「……」


 訂正を要求したはいいものの、暗に自分がこの世界の人間でないことを認めてしまったことに気づいて、ソラは叫んだ後で口を塞いだ。


 語るに落ちるとはまさにこのことだ。


 スランは少し困ったような顔をしていた。


「やはりそうなのですね」


「そ、その。頭は大丈夫なんですよ? 異常なんてなくて。ええ、全然元気ですから。どこにもぶつけてませんし、いやぁもうすっかり正常……」


「記憶喪失だというのにですか?」


「……こういうの墓穴って言うんですよね。知ってます、ハイ」


 ソラは恥ずかしさのあまり手で顔を覆って大きなため息を吐いた。


 自分が肝心なところで迂闊だという自覚はあった。やることなすこと大抵残念な結果に終わる人間だということも分かっているつもりだった。だがどんなに気をつけていてもつい出てしまうのがこの悪癖で、やはり隠し事なんてするものではなかったとソラは肩を落とした。


 落ち込む彼女を励ますのもおかしな気がして、スランはそのまま話を続ける。


「これは私の勝手な推測ですが、名前と年齢以外のことも既に思い出してらっしゃるのではありませんか?」


「おっしゃるとおりです。すみません、騙すつもりは……って、隠してた時点で騙してたも同然ですね。ただ、聞いてもらえるようなら言い訳をしたいのですが、いいですか?」


「お聞きいたします」


 スランが頷いたのをきっかけに、ソラは胸の中にため込んでいたものを一気に吐き出した。


「普通どこの誰かも知らない赤の他人に突然『異世界人なんです助けてください』なんて言われたらコイツ頭おかしいって思いません? しかもこんな真冬に夏真っ盛りの格好で現れてパッと見で明らか頭沸いてるじゃないですか」


「な……、何もそこまでは申しませんが……」


 スランはその勢いに若干引き気味だった。ソラはそれにかまわず先を続ける。


「記憶も思い出してはいますけど全部ちゃんと覚えてるか分からないですし。気が動転してて、いい感じにごまかすこともできなかったし。嘘ってのもどうかなーと思いつつ曖昧に答えた結果、あんな言い方に……。無難に極東の島国から来たとか言っておけばよかったんでしょうか……」


「この国の東には東ノ国という島国がございますよ」


「マジですか」


「まじ? ですよ」


「……」


 ソラはしばらく放心するかのように虚空を見上げ、そのまま呆けたように口を開けたかと思えば、急に姿勢を正してそろえた膝の上に手を置いて頭を下げた。必要なら土下座も辞さない勢いだった。


「不誠実でしたすみません! こうなった以上、聞かれたことには全て正直にお答えします。だから、その……お願いですから、追い出したりしないでください。本当に行くところがないんです……!」


 この寒空の下に放り出されたら確実に死んでしまう。異世界に飛ばされて数時間もしないうちに現地での人生は終了……なんて間違っても御免だ。


 自分の人生はまだ詰んでいない。


 詰んでいてたまるものか。


 ソラの背中に焦りにも似た不安が襲いかかってくる。


 こんな焦燥を味わうのは「あの時」以来だ──薬品のにおいがうっすらと漂う室内で白衣を着た人物に告げられた病名──ソラはもうなくなったはずの痛みが胸に戻ってきたような気がして、ざわざわとする箇所を押さえた。


 スランはそんな彼女の肩に優しく手を置いて言った。


「ソラ様、顔を上げてください。私たちは貴方を追い出すつもりなんて最初からありませんよ」


「ほ、本当ですか!? ってか、あの今……様って言いませんでした?」


「ええ。伝承とは少々異なりますが、聖域の彼方──異界よりお出でになられた貴方様を、私たちは心より歓迎いたします」


「お父様! それではソラ様は……」


 ついにジーノまでソラに様付けで呼び始めた。今度こそ聞き間違いではない。態度の変化について行けないソラを置いてけぼりに、スランは娘に向き直って微笑む。


「これは、ジーノの言うとおりだったということだね」


「やっぱり! こんな奇跡のようなことがあるのですね。まさか聖人様の再臨に立ち会えるなんて!」


「へ? え……? ちょっと、あの? 聖人って?」


 話の流れから考えるに、その単語はおそらくソラのことを指していると思われるが、言われた本人は疑問符ばかりを浮かべていた。


 当惑する彼女にジーノがずいと迫り、やや興奮気味にまくし立てる。


「伝承に照らし合わせれば、ソラ様は聖人であらせられます。この世の混沌を祓うため、軸に座する御神によって異か──異世界より遣わされた聖なる御方なのです」


「アー、なるほど。そういうのがあるんだ。言い伝えみたいな? おかげで異世界人の私も変人扱いされなくて済むって親切設計──っていやいやいや! この世の混沌を祓う? 世界を救う的な? ないっしょ。ないって違うってそれ」


 ソラは力強く否定する。


 これは全く何一つ欠片も自慢にならないことだが、ソラがこれまで生きてきた二十七年間は空いている穴に漏れなく落ちてきたような人生だった。予防接種を受けているにも関わらず年に一度は必ずインフルエンザにかかり、道を歩けば転び、走れば捻挫し、階段を踏み外して落下──からの骨折。さらに、車に乗れば追突されてむち打ちになり、泳げば溺れ、生ものを食べては食中毒になり……等々……極めつけは命に関わる病気を経験し、ソラはもう自分に関して色々と諦めている嫌いがあった。


 もちろんその都度、落ちた穴から這い出る幸運に恵まれたおかげで今もこうして生きているわけだが、毎度辛酸を嘗めているソラからすれば穴に落ちる前にその運を使ってくれと言いたかった。


 ちなみに能力にしたって平均かそれ以下である。どれだけ必死に勉強してもテストは万年中間。大学受験も第一志望に落ち、第二志望でも落とされて絶望していたところを点数の計算間違いで救済的に合格。就活では面接官に「パッとしない」と言われて落ち込み、いざ就職しても自分にしかできないようなことを仕事にしたわけではなかった。


 何か一つは特別な才能があると信じてきたが特にそんなことはなく、性能も平均よりやや下をいく自分が「この世界の闇を討つ!」なんて大役をこなせるわけがないのだ。


 何より──これこそがソラが聖人職を拒否する最大の理由なのだが、彼女は病気にかかってからというもの、自分の心身に不利益が及ぶ状況を避けるようになっていた。召喚前の出来事で言えば、「人間いつどこで死ぬか分からないんだから、わざわざ辛い思いをする場所に居続ける必要なんてないよね」と考え、五年近く勤めてきた会社も辞めてしまっていたのだった。


 お気楽に救える世界なら、そもそも混沌に飲まれたりなどしない。つまり、聖人=辛い役目ということでほぼ確定だ。


 健康で長生きが人生の目標であり、辛い思いは最小限に、できる限り好きなことだけをして生きていきたいソラとしては、そんなものは謹んで辞退申し上げる職業なのだ。


 しかし現実はいつだってソラに厳しい。


「いいえ。ソラ様は聖人様です。間違いありません」


 一点の曇りもない空色の瞳がキラキラと輝いて、ソラを見つめる。


「いいえ。ホント申し訳ないけど間違いです間違いありません」


「ですが……」


「ま・ち・が・い。です。悪いけど」


 ジーノはしつこいまでにソラのどこが聖人たるかを説明し、説得しようとした。だがソラはブンブンと頭が飛んでいきそうな勢いで首を振り、その一つ一つを否定した。それでもなお、ジーノは逃げ腰のソラをつなぎ止めるようにしてその手を握る。


「大丈夫です。私たちでお助けしますから」


「い、いい……う、可愛い……いやいや! そんな可愛く言われても絆されたりしないからね! しないから!」


 美少女の極上の笑みを前に顔を赤くしながらも、ソラの危機回避能力は正常に機能していた。


「だって私、何も聞いてないもの。軸とやらにいる神様とも会ってないし、ただポーンと放り出されただけで役目も何も聞いちゃいないんだって」


 ──と、そこまで勢いに任せて言って、ソラは急に口を閉じた。正直に話すと約束はしたが、ここまで全てを明かす必要はなかった。


 聖人でないなら出て行け、と言われては困る。その役目は全力で回避したいが、だからといって衣食住の保証を手放すことはできない。


「ええっと……あのー、ひとまず聖人云々については置いておきません? そんな話されても全然分からないし。ね?」


 何としても自分が聖人であることを認めさせたがるジーノを少し煙たく思いながら、ソラは明後日の方向を見つめて言った。十分に温まったはずの体が右肩下がりの急降下で冷えていく。


 冷や汗を垂らして不安に駆られるソラ。そんな彼女に助け船を出してくれたのはエースだった。


「ジーノ、あまりしつこくしたら駄目だよ。ソラ様はこの世界に来たばかりなんだから。知り合いも誰もいない土地でいきなり何かの役目を押しつけられたら、ジーノだって困るだろう?」


「……そうですね。私ったら、考えてもみない出来事にすっかり浮かれてしまっていたようです。申し訳ありません、ソラ様」


「いや、分かってくれればそれでいいですよ……うん」


 ジーノが手を解放して離れていったことで、ソラはひとまず安堵の表情を浮かべた。


 そこでスランが人差し指を立てて提案する。


「そうしたら……エース、ジーノ。二人ともこれから夕食の用意があるよね? 今日はいつもより一人分多くなるわけだし、そろそろ準備を始めた方がいいんじゃないかな?」


 彼のその言葉に、ソラが表情を明るくする。


「一人分多くって、あの……それ、私……?」


「ええ。ソラ様さえよければ、こちらに滞在しながら今後のことをお考えいただければと思います」


「そんな、願ってもないお話です。ありがとうございます!」


「困っている方をお助けするのは当然のことですよ。この場所も、本来はそういったことのためにあるはずですしね」


 彼はソラを安心させるように表情を柔らかくする。が、それによってソラの顔は再び赤く染まり、全く穏やかではいられなかった。そんな彼女を微笑ましく思いながら、スランは兄妹に言いつける。


「ジーノにはソラ様の身の回りのお世話を頼むよ。エースは万に一つもソラ様に危険が及ばないよう、常にお守りして差し上げなさい」


「はい!」


「任せてください」


 かくして、ソラが聖人であるかは保留扱いとなった。当面の生活も保障され、これが今回の幸運かと、ソラはひとまず安堵の息をついたのだった。

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